04
「シア」
パトリックが帰ると、不機嫌な顔のテオドーロが現れた。
「あいつと何を話したの」
「マルゲリット様の処遇の事を聞いたわ」
「後は?」
「後はって…どうして?」
「ずいぶんと上機嫌で帰って行ったから」
テオドーロはわたしの顔をじっと見つめながら言った。
「———そうだ、夏期休暇中に領地に行こうって誘われたわ」
「は?」
「海があるんですって。見てみたいわ」
この国の海は本の挿絵でしか見た事がないけれど、前世の地中海に似ていてとても綺麗だった。
「駄目だ…領地なんか」
テオドーロはわたしの手を握りしめた。
「海なら僕が連れて行く。それに僕達だって領地に帰るだろう」
貴族は夏になると領地へ戻る。
学園に通う生徒達や、仕事がある者は夏の終わりに王都へ戻ってくるが、そうでなければ冬になるまで領地で過ごすそうだ。
父は大臣補佐の仕事をしているので夏の間も忙しく、領地に帰る事はあまりないが、今年は私の事もあって少しの間なら領地に行けると言っていた。
「お父様が帰る時に私も一緒に帰れば、その途中で迎えに来てくれるって」
王都からうちの領地まで、馬車で五日ほどかかるという。
その途中で道を変えれば、アドルナート公爵領へ早く行けるそうだ。
「何だよそれ。なに勝手に決めてるの」
「勝手にって…」
「あいつのところになんか行かせない」
テオドーロは手に力を込めた。
「テオ…痛い」
「何であいつとそんなに親しくなってるの?」
「何でって…だって婚約者だもの」
「婚約なんか…結婚なんか、させないから」
「テオ…」
私はため息をついた。
「それは出来ないのでしょう」
「出来なくなんかないよ。あの時だって本当は…」
「え?」
あの時?
「———ともかく。シアはあいつにも誰にも渡さないから」
ようやくテオドーロは私から手を離した。
色々な話をしたせいか、また熱が上がってしまった。
私が横になってもテオドーロは側にいたが、微睡んでいる間に部屋から出て行ったようだ。
目を覚ますと一人だった。
外はすっかり暗くなっている。
もう夜なのか…どれくらい経ったのだろう。
喉の渇きを覚えて起き上がり、傍に置かれた水差しの中身をコップに注ぎ飲み干す。
レモンの香りのする水を飲むと、ほうと息を吐く。
パトリックの領地に行くという話をしたのは失敗だったろうか。
嬉しくてつい言ってしまったけれど…
ガチャリと扉が開く音が聞こえた。
「起きていたの?シア」
テオドーロが入ってきた。
「今起きたところよ」
「父上と話をしてきた」
テオドーロは私の側へ来ると膝をつき、私の手を取った。
「シア。僕と結婚して」
「え…?」
「僕は本当はシアの従弟なんだ。シアの婚約が決まってこの家に養子に入った。だけど…僕はシアが好きだ。子供の時からずっと好きだったんだ…ねえシア。僕と結婚してこの家で一緒に暮らそう?」
一気にそう言ったテオドーロは…縋るような眼差しで私を見つめていた。
「父上にも僕の気持ちを伝えてきた。婚約は王命だから解消するのは無理だって言われたけど、何とかするよ。だからシア、婚約解消したら僕と結婚しよう」
「そ…んなのだめよ」
「どうして?」
「だって…」
私は…私の気持ちは。
「私は、パトリックが好きだもの」
テオドーロは目を見開いた。
「好き?あいつを?」
「ええ」
「あんなに嫌っていたのに?」
「…確かに私はパトリックを嫌っていたかもしれない。でも今は…今の私はパトリックが好きなの」
「僕よりも?」
「———ええ」
テオドーロの目を見つめて私は頷いた。
「…そう…そうなんだ」
テオドーロの瞳の奥に…不穏な光が宿った。
「だから…」
「僕は諦めないよ」
ふいにテオドーロは私の手を引っ張った。
抵抗する間もなくその腕の中へと倒れ込んでしまう。
「テオ…」
「僕を好きになって。あいつよりも…誰よりも」
いつもより低い声が私の耳元で響いた。