11
「…シア!」
バタンと扉が開くと共に飛び込んでいた、私を愛称で呼ぶ聞き慣れない声。
やや息を切らしながら、一人の青年が立っていた。
艶やかな黒髪に、私やテオドーロと同じ色の青い瞳。
誰…って、あれ?
見覚えが…ある?
この既視感は…パトリックに初めて会った時と、同じ?
そうだ…小さい〝画面〟の中で見た事がある…
「シア」
青年は私の側へ来ると膝をつき、目線を合わせてきた。
観察するように私をじっと見つめる。
「良かった、顔色は良いようだね」
「…はい…あの…」
熱心に見つめられて恥ずかしくなってくる。
「あなたは…」
「———本当に忘れてしまったの?私の事を?」
青年は悲しげな表情を浮かべた。
「は、い…ごめんなさい…」
見覚えはあるのだけれど。
気品のある、端正な顔立ちの、まるで王子様のような…
王子様?
今…何か…
「殿下!」
慌てた様子の父が駆け込んできた。
「ここには…!」
「大事な従妹が記憶喪失になったと聞いて見舞いに来るのが悪いか」
父を見上げて、青年はわずかに眉をひそめて答えた。
「殿下…」
「レオポルドだよ」
私へ向き直ると、青年は笑顔で答えた。
ああ…この人が。
このトルレ王国の王子は二人いる。
一人は王太子で二十歳のアルフォンス・ラ・トルレ殿下。
そしてもう一人が私と同じ歳のレオポルド殿下。
二人とも私の叔母である王妃の子だ。
「君が病気になったと聞いて心配していた。見舞いに来たかったのだけど時間が取れなくてね。今日は予定が早く終わったから帰りに寄ったんだ」
「ありがとうございます」
「もう身体は大丈夫なのかい」
「はい」
「…記憶だけがないの?」
「……はい」
頷いた私に殿下の手が伸びてくると、そっと肩に乗せられた。
「じゃあ…私との〝誓い〟も忘れてしまったんだね」
顔を寄せると、私にだけ聞こえるよう、耳元で殿下はそう囁いた。
「…誓い…?」
私を見つめる瞳が寂しげな色を宿す。
———ふいに胸が締め付けられたように苦しくなった。
「アレクシアの記憶は戻らないのか」
立ち上がると殿下は父に向いた。
「何とも…。医者の見立てでは高熱によるものであろうから難しいと」
「王宮の医師には見せたのか」
「いえ…そのような恐れ多い事は…」
「アレクシアは私の大切な従妹だ、遠慮しなくていい。私から手配しておこう」
「———ありがとうございます」
「学園へは通えるのか?」
「はい。ですが記憶がないため、もう一度一年から通い直します」
「何?」
父の言葉に殿下は目を見開いた。
「進級しないのか」
「は」
「…シア」
殿下は再び私の目の前に膝をついた。
「君と一緒に学べるのを楽しみにしていたのだ…」
「…申し訳…ありません」
「ああ…いや、謝る事ではない。———君が本復した事を喜ぶべきだな」
笑顔でそう言うけれど…その瞳にはどこか暗い影が落ちているようだった。
「アレクシア」
来た時と同じように慌ただしく帰っていった殿下を見送ると、父は私に向いた。
「殿下とお会いして…その、何か思い出さなかったか」
「…いいえ」
「そうか…」
「お父様?」
何か言いたげな父の様子に首を傾げる。
「アレクシア。パトリックとは仲良くしているようだね」
ふいに父は話題を変えた。
「はい」
「彼の事は好きかい」
「好き…」
ふいに頭の中にエメラルドの瞳が浮かぶ。
私を見つめる眼差しはいつでも優しくて、あの瞳に見つめられていると…
「ええと…」
「ああ、言わなくとも分かったよ」
知らず熱くなった頬を抑えると父はそう言って笑った。
「———お前にとって、記憶をなくしたままの方が幸せなのかもしれないな」
「え…?」
それは、どういう意味…?
「お父様…?」
「…私はお前が幸せになる事を願っているよ」
大きな手で頭を撫でながら父はそれ以上は教えてくれなかった。
第一章 おわり
次回から学園に行きます