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五歳の子供の世界は狭い。
朝、戸口の垂れ幕を開けると、小屋に隣接する囲いから、岩羊のトトがおはようの鳴き声を上げて来る。
朝もやに霞む、そびえる山々。
「スレイマンのお山よ」と叔母が教えてくれた、高い峰。
山々に抱かれるように囲まれた、広い盆地。
そこが一族の住む世界。
男たちは駱駝を駆って、南の隘路から広大な砂漠へと出ていくが、子供にとってそれは世界の外へ消えていくのと同じこと。
子供にとって、いや、部族の多くの女たちにとって、世界はこの盆地の中で完結する。
家事に追われながら、ターロを織り、嫁ぎ、子を産み、育てて手放す。
戦士階級の男は集団で鍛えられ教育を受けるが、女は『運命の織り手』の巫女見習いにならない限り、親や知人の口伝以外に、教養を身に着ける術はないのだ。
五歳になったミーアの日課は、早朝に大事なトトを放牧の囲いにつれていくこと。
金持ちはたくさんの羊持ちだが、幼いミーアの乳母でもあった岩羊トトは、ただ一匹の叔母の大事な財産だ。
岩羊の毛を刈って、洗って、染めて、紡いで、糸にする。
アルカリ液をかけて圧縮し、丈夫なフェルト布をつくる。
それは大事な女たちの仕事。
各家の財産である岩羊は、毎朝集められ、牧夫に牧草地に連れて行かれ、夕方戻って来る。
百頭近い岩羊の群れは、計画的に牧を決めて移動させないと、山を荒らすことになる。
それは信仰する『織り手』の神の怒りを買う事。
神の教えの一つは『調和』
厳しい自然と調和して、恵みに感謝し、生きていくことだから。
ミーアたちの小屋は族長や戦士階級の住まう村の中央部からは遠い村のはずれ。
便利な水場や市場からは遠いが、家畜の囲いや牧には近い。
トトは毎朝、紐を持つミーアを先導するように、ゆっくり集合場所にむかう。
行きは良いのだ。
短いが鋭い角を持つ岩羊は、仲間意識が強く、家族のミーアを守ってくれる。
嫌なのは、家に戻る時。
囲いから小屋まで戻る帰り道が、小さなミーアには大層長く、つらいのだ。
今日は誰にも会わずに済むかと、半分ほど戻って来た時。
べしゃっ、と冷たいものが、ミーアの後頭部にぶつかった。