図書館に住まう魔女
ピピピッ♪
「うっ、寒ッ。はぁ……はぁ」
最近導入され、ようやく使い慣れた最新式のカード式の電子ロックを解除し扉を開く。
この田舎では家の戸締まりに鍵をしない家も多いが……古くて貴重な歴史的資料もあるこの場所、せめて出入り口の鍵ぐらい頑丈なものにしようと。
「そろそろ、手袋が必要かしら」
11月も終わりになると、紅葉もとうに終わり落葉して街路樹の木々は冬支度の装いになって寂しくなる。本当に季節という物はあっという間に過ぎ去っていく。それに反比例して、今日もまた昨日と大して変わらない日常を過ごしている自分が、不意に取り残されているのでは無いかと思うと怖くなる。
といっても、長らく染みついたこの生活は悪くは無いし、今更何か焦がせって行動に起こす性格ではないことは自分が一番よく知っている。
だから今日もこんな朝早くから、まだ開館まで3時間もあるのに案内看板を入り口に置きに出てきたのだ。
「さて、もう少し一眠りしようかしら……どうせあの喧しい妹が起こしにくるでしょ」
「この辺でいいかしら……。ふぁ~~……古書保管室で一眠り……ね」
『図書館の魔女』彼女は町の人々からそう呼ばれている。
北神里町立図書館
開館時間10:15~17:30
図書館の魔女 オススメ本紹介『恋の病♡以外に効く薬草本』
本日の読み聞かせ『童話 人食い鬼と浮浪の魔女』
小さな町にも一つくらいはあるだろう、暇つぶしに、情報資料集め、もちろん読書のための図書館が。 都市部にある図書館と比べてしまえば、入館者数、大きさもも蔵書数も勝ち目なんて一つも無いだろう。だってそもそも、そんな立派な施設を建てるお金も無ければ、利用する人もこの町にはいなくて今日も閑散として……と言いたいところだが。
確かに大きくはないこの図書館だが、町の人達の人気を集め今日も盛況なのだった。一体その秘密とは――
「そうね、貴方の探している本は無いけれど……あっち、C-3の棚に謎が謎を呼ぶ面白い推理小説があるわよ。えっ……あぁ、貧乏一人暮らしの貴方にはS-1の棚には『魔女オススメ、食べられる薬草図鑑』があるわ見てみなさい」
「ちょっと、引っ張らないのぉっ! え、何? 可愛い女の子が出てくる本……そういうのはネット通販で……いえ、あるわね。ほらあっち、あそこよ。後は自分の好みで探しなさい、借りれる度胸があるかは貴方次第だわね、ふふっ」
大抵、朝一番から午前中は何時もならばこんな感じ。都会の大型図書館にあるような、書籍検索端末のような扱いを受けているはずの彼女。ここにある全ての本の場所をしりつくしている彼女が来館者の本探しを『まったく面倒』といいながらも親身に、時に取り扱いの無い本の代わりをオススメしてくれる。場所の表示もしているのに、態々聞きに行くひともいる位。
けれどそんな彼女の姿は、今日はまだ見当たらない。
ガヤガヤガヤ。
一人二人の小さな囁きの声の会話も、十人、二十人とあっちこっちで始まれば、静かな新書入庫の館内放送をかき消す程には十分だ。勿論壁には『館内では、お喋り・電子機器のご使用はお控え下さい』と、やたら可愛いキャラクターが描かれた掲示ポスターは貼ってあるのだけれど。
けれど多少は仕方が無い、それは人間だもの。しかし真剣に読んでくれている人のためにもと頃合いを見計らって館長は館内を巡回し、これはという人に背後からそっと注意の声をかける。ただ、今日はちょっと違う様子の少女が――。
「そこの君。申し訳ございませんが、図書館では走らないように……」
その初老の館長も本好きのインドア派だが、普段から体を鍛えることも忘れず筋肉隆々の肉体派、パツパツのスーツ姿を見れば直ぐに理解出来る。おまけに身長も本棚最上段に踏み台無しに手が届く高身長なので……大抵の人はその無言の圧力で素直に押し黙るのだが。
「あっ……ごめんなさい」
呼び止め注意され歩みを止めた少女は、頭を大きく二、三度下げてゆっくりその場を去ろうとしたが。振り返って一呼吸置いて。
「あ……あっの! えっと、教えて欲しいんですけど……」
館長の背の3分の1程度しか無いだろう、こんな田舎で珍しい金髪の女の子。歳の離れた男性に手を震わせ怯えながら恐る恐る見あげて尋ねる、そんな様子を察した館長。少々怖がらせてしまったかと反省し膝を曲げて目線の高さを同じに。出来る限り、だがぎこちない優しい笑みを浮かべて。
「はい、何でしょうか?」
「あっち……何時もあそこ……受付の隣で本を読んでいる子は……今日は?」
硬直した視線はそらさずに館長へ、その小さな手で指さす方向は貸し出し返却受付のすぐ隣。色あせ琥珀色となった相当な年代を感じるロッキングチェアへ。
その椅子の直ぐ横には小さな丸テーブルに、山積みにされた分厚い書籍も一緒に。
「ふぅわーーわわぁ~~。まったくもう、もうこんな時間よ。いい梨香? アナタも年頃の姉ならば、ちゃッんと妹を躾けておく事ね!」
「ッもう、仕方ないだろッ。コイツと違ってボクは昨日遅くまで勉強してたんだから! こんな、食っちゃ寝、起きてると思えば本読んでるだけのコイツと違ってね~~」
「ううんっ。違う、違うの。お姉ちゃんが気持ちよさそうに寝ている二人が可愛くて幸せそうで起こせなくてッーーーーッ」
「ってもーう、二人共違うでしょぉー! 館長さん遅れてごめんなさいでしょ、ほら」
開館から一時間経った頃、少々騒がしく個性のある3姉妹。いや、姉と妹と朝早く入り口の扉の前に看板を立てていた少女達がお揃いの緑のエプロンを身につけ出勤してきた。
彼女達こそはこの町営図書館の看板娘達、皆そう呼んでいる。アルバイト(妹)と職員(姉)とマスコット(魔女)の3人娘。長い黒髪に童顔だけれどもスタイルがいいだけで無く親切丁寧な接客の姉梨香、ボーイッシュな茶髪にハキハキ喋り仕事をこなし時折見せる少女らしい自然な笑みがに合う紗奈、この図書館に住み着いて日夜本を読みあさりボサボサ蒼髪の小さな魔女ルリリ。
彼女達看板娘を見たさに通う人達、男性はもちろん女性も少なくない。こんな小さな田舎町では珍しいほど美少女と噂に、それがこの図書館が賑わう秘密の一つでもある。
「忘れるところでしたルリリ。金髪が可愛らしい女の子が貴方を探していましたよ。残念ながら、用事があるとかでもう帰られたようですが」
「ああ、レーナの事ね。私が昨日まで読んでいた本を貸して欲しいって言われてたの。悪いことしたわね……」
「いいわ、夕方にでも持って行ってあげるわ。ひとっ飛びよ」
自慢げに拳を握った左手で胸を叩いて見せる魔女ルリリ、魔女にとって飛ぶ魔法など朝飯前と言わんばかりに。
「でも本当にルリリのやつ、いつの間にか友達っていうか、他人と親しく出来るようになったよなぁ」
受け付けに人が来ないことをいいことに、行儀悪く両肘を付いて顎両手の平に載せる紗奈。館長とご機嫌に話すルリリの背中を見つめながら、隣で書類を整理している姉に話を始める。呆けている妹を叱ることはせず、優しく姉の梨香は『ルーちゃんも成長したのよ、紗奈もお仕事頑張って』と励ましてやる気を出させる。
「成長ねェ……見た目はホントに幼いけど」
今や魔女という存在はまったく珍しくはない。
いや正確には、嘗ては人と同じ姿形をした魔女は圧倒的大数の集団で暮らす人間を恐れ人目から避けて生きてきた。彼女達にとって魔法は単なる道具では無く、魔女としての存在意義を示す物であり神聖なものである。
だが魔法が使えない人間にはきっと、魔法が素晴らしく羨ましく欲望を叶えるものだと見えるだろう。事実それで厄介な事件や魔女狩りなんてものも大昔にはあった訳だ、そして何時の頃からか、悪意を持った者に奪われ妬まれるの事を悲観し、ほんの一昔までは人との交わりを避けてきたのだ。
彼女もまた、この図書館が建てられる前、草木が茂る空き地であったこの場所にふらりとやって来て、小さな小屋を建てて近所と交流もせず勝手に住み始めた。この町がどうしても此処に図書館を建てたい。けれど恐ろしい力を持つ魔女に退去しろとは言えず、その時役場に勤めていた今の館長が、彼女と交渉し此処に住むことを条件に図書館を建てたという。しかし、長年の経験と感情は直ぐには変われない魔女も人間も――
「もう、面倒だわ。私は早く読書に戻りたいの……早く、次、次の人!」
けれど、そんな他者を寄せ付けない魔女達も、今のルリリと同様変わっている。ある時、きっと彼女自身が気付かない、人を引きつける魅力が成長し開花され彼女を人気者にした。それが一度は人から遠ざかった彼女と、初めは寂れていたこの図書館に、人を呼び込むきっかけになっていたという……。
「すみませーん、これとこれ、2冊借りたいんですけど」
11時近くにもなると、ぞくぞくと町の人や隣町・郊外の人々が来館し、狭い館内はあっという間に盛況ぶりを示す。
ただ残念ながら幾ら町で人気の図書館といっても、所詮は田舎で最新鋭の機械は少ない。基本は手作業でパソコンこそあるが、貸出窓口には列が形成され始め貸出窓口担当の二人は大忙しとなる。
そんな頃合いになると、何時もの様に決まって紗奈は言い出すことは。
「お腹減ったーよリン姉。なんかお菓子もってなーいー?」
ほんの一時、手が空いた隙を狙って見逃さない。人目が付かない受付窓口のデスクの裏で、隣で椅子に座るの梨香の膝上に手の平を広げおねだりする。もうすっかり何時もの事で呆れながらも何も言わ無い梨香。胸ポケットに入れていたチョコレート菓子をこっそり渡す優しい姉、お菓子を貰ってご満悦の妹の紗奈。
そして、同じタイミングで今日もイベントの時間を告げる。
梨香はチョコを頬張っている妹の横腹を『ポヨンっ』と突く。妹は口からチョコが飛び出しそうになりながら笑い声を堪え、さらに隣でユラユラ揺れるロッキングチェアにすわるルリリに近寄って頭を軽めに叩く。
「ん? もうそんな時間……いまよいところなのに」
というと紗奈に睨み付けられるのも何時もの事。
「ッんーーん。分かった、分かってるわよ。今日もやればいいのよね」
本の世界に入り込むように。周囲の視線も気にせず揺れる椅子で、サラサラとした長髪や短いプリーツスカートをはためかせていたルリリ。一度本を膝に置いてから、大きくノビをして丸テーブルに本を山積みにしてから立ち上がる。
「んしょっと」
山積みの本の一番したから大きなスケッチブック位はあるだろうか、深緑色の皮で装丁された本を引き抜き両手で抱える。
「んーーん。さてと……今日は何の昔話を読もうかしら」
誰にも中を見られないよう抱えた大きな本を僅かに開く。こっそりと捲りながら独り言を呟く事。それがこの図書館で人気、土日限定の催し物の一つ開始の合図。常連の人達は直ぐにその合図に気付き、魔女の後に付いて歩く。同じく館長もその様子を見計らいい、催し物の開始を伝える館内放送を渋くて低い美声でアナウンスする。
『それでは皆様、階段式読書スペースにお集まりください。当館『図書館の魔女』による、本日の読み聞かせの会を開催いたします』
壁に並ぶ本棚をコの字型に囲むように、ふわふわで座り心地がよい長椅子が置かれた場所、そこが読み聞かせ会の定位置。椅子に座る人、立ち見の人などグルリと四方から集まる視線をものともせずルリリは囲みの中へ入れば本棚を背にし、床へ直に少し足を崩して女の子座りをする。
「ねェねーえ、ルリリちゃんってばー。向こうで遊ぼうよぉー」
「今日のおはなちは……楽しいおはなし――ぃ? ねーねー」
「まぁーほんとに可愛い魔女ちゃんが読み聞かせしてくれるのね。15~13歳? 10歳ぐらいかしら?」
今から始まるのは、この図書館の最も人気のある催し物。
ただ元気一杯の子供達は今や遅し、始まる前からこのようにルリリに話しかけたり質問攻めしたり。一緒に見ている保護者やお客さんもこの時ばかりは、興味津々に思わず呟いたり雑談して館内はざわつく。
「もうっ貴方たち子供も大人も……いい、静かになさい! 今日は『人食い鬼と浮浪の魔女』のお話なのよっ、ほらそこっ! いいから静かに聞くの、わかーった? お返事は?」
「はぁーい!」
この光景、ざわつく観衆をちょっと刺々しい言葉で静かにさせるまでのこの一連の流れ。毎度のちょっとしたイベントショーのようなやり取りなのは、娯楽の少ないこの町の人達が常連さんということでもある。
準備が整ったところでルリリは抱えていた大きな深緑色の本を膝に乗せて支え、ページをペラペラと数ページめくる。今日のお話『童話 人食い鬼と浮浪の魔女』の読み聞かせを開始する。
「静かになったところで……それじゃ、今日のお話を始めるわね。ではでは……」
「ゴホンっ。えっと。昔々ある村の古びた神社のお社に人食い鬼が住み着いて、町の人達を襲い困らせていました――」
一つ一つの単語や登場人物に心を込めて、声の抑揚で情景が目の前に浮かぶ様にリアルで繊細に。ルリリは、本に描かれている物語の世界に聴衆を引き込む――。
「ほんとアイツ、口も態度も悪い癖に……アイツの読み聞かせの話は妙にリアルというか、引き込まれるんだよなぁ」
「うんうん、私も大好きぃ~~よ。でも、どうしたの紗奈、もしかしてルリリちゃんに嫉妬してる? あんなに上手にお話して、人気者だからって? もうっ」
来館者をルリリの読み聞かせにとられ暇になった貸し出し受付。
妹は直ぐに表情や態度に出すという性格を知っている姉。やることも無くなり、受け付けテーブルに顎をのせちょっとばかり他方を不満げに見つめる妹の頭を、姉の梨香は優しく撫でる。
「ちっがうよッ、リン姉ってば! ただちょっと私もさぁ……今度やってみようというか、教えて貰おうかなって……それだけー」
「ふふッ。そうね、今度お姉ちゃんと一緒に教えて貰おうね!」
そんな羨ましく自慢げに見つめる姉妹と魔女は視線が時折合いながら。ルリリはそうとはつゆ知らず、笑いあり、涙あり、少しばかり怖い読み聞かせを30分程かけて無事に終わらせる。最後話が終わると私語厳禁で煩くしてはいけない館内も、感想雑談と自然に優しい拍手に今日も包まれていた。
「お疲れ様ぁールリリちゃん。お姉ちゃんジュース持ってきてあげるね、ちょっと待ってて」
「ふむ、悪いな梨香。あー氷もいれるの忘れ時にのーー」
梨香は貸出窓口裏の事務室兼、職員休憩室に冷やしておいた飲み物を取りに行く。ルリリは一仕事を終え額をハンカチで拭うが、ほのかに顔を紅潮させているぐらいで汗一つかいてはいない事を紗奈は気付いていた。
「あの……ルリリ……ちゃん!」
ふと姿の見えない声がどこからともなく聞こえる。
「なんじゃ、祐介? 何か借りたい本でもあるのか?」
再び山積みの本に目を通し読み始めていたはずのルリリ。
受付窓口のテーブル台の影にに隠れて見えなくなっていた男子児童に気付いて声をかける。それならば任せなさいと、紗奈は意気揚々と笑みを浮かべ身を乗り出し『お探しの本は?』と図書館営業トークを発しようとするが。
「えっと……今度一緒に…………ね。二人だけで遊ばない……ねっ……今度の日曜日、ダメ?」
男子児童は顔を真っ赤に、手を胸の前で合わせて指をもじもじ動かして恥ずかしそうに。
「…………はいはい、私は邪魔ね」
さすがの紗奈もお年頃の女子高二年生。男子児童が本当は何を言いたいのかは直ぐに分かった。だから大人しく顔を引っ込めて。少し頬をふくらませ不機嫌に羨ましげに、魔女の顔の方だけこっそり覗き見守る。
「せっかくのお誘い悪けれど……来週はどうしても読みたい本があるの。ごめんなさい」
「私の代わり。そうね……あの引っ越してきたレーナちゃん分かるでしょ? あの子誘ってあげてくれないかしら? 私からのお願い、聞いてくれる?」
「……うん。分かった、そうする」
あっけなく断られてしまった。少年は項垂れて今にも泣きそうな表情をしながらも、ルリリに手をその小さな振って図書館を後にした。
「あのさぁルリリ……あんたって魔女なんでしょ? 男を惑わしたりするんでよ?」
「だったら今のはないんじゃないか? 幾ら男の子が子供だからって、可愛いものじゃない。必死にデートの誘いだなんて……それを――」
本の横から顔を出し、2度首を縦に振ってから『で何が?』という表情を浮かべる。
「生憎、私は年上が好みなの」
そのまま再び本に視線を戻して、躊躇いも無くあっけらかんと言い放つ魔女リルル。普段の生意気な妹、みたいな態度とは違う。憤慨と言うことでは無いが、その不誠実な態度に心の奥底からジワリと込み上げるような苛立ちを覚える紗奈
「それに……最後は『さようなら』って言われて居なくなるのよあの子だって。悲しいわよ、そんなの嫌なのよ私は」
どうして、あの男の子がお前をふること前提なんだよ、あんなに好意を――と紗奈は言い返す前に。両手を使い拍手するような動きで、本の表紙と裏表紙を持って閉じ丸テーブルに乱雑に積み置く。
「まぁね、恋愛経験のない紗奈には分からないでしょうね。こんな気持ち……」
「まいいわ。んー~っと。新しい本でも持ってこようかしら」
勢いをつけるかの様にロギングチェアを前後に揺らしてから立ち上がると、歴史書が幾つも並ぶ本棚の方へとズイズイ歩いて行ってしまう。
紗奈は受付窓口に一人残される。ルリリへの不満と共に、彼女が最後に言った言葉の意味が分からず悶々とする。おまけにその時の表情に雰囲気は、いつも一緒の私達姉妹にも滅多にみせることのない姿で。
「この本の返却日は……来週の日曜日までなんで、忘れずに」
盛況で貸し出し返却に列を作って並んでいた人達をどうにか、一人で捌きこなした頃には紗奈には何時になく疲労していた。
「ふぅ、ぅううう゛う゛……」
今日の一日の業務もこなし、閉館時刻5分前。貸し出し受付窓口に並ぶ人も裁ききって、閉館時刻を促す館内放送のメロディも鳴り止み本当の静寂が流れる。既に力尽きた紗奈は、両腕を前方に伸ばしテーブルからはみ出す指先は力なく、突っ伏してへたっている。ただ、視線だけは空になった隣の椅子へむけて。
「お疲れですね、紗奈さん? それに、ルリリさんと何かありましたかな?」
本の整理をするためだろう書籍を幾つか両手に抱えた館長が、紗奈の覇気の無い様子に気付き声をかける。
「だってさぁーかんちょうー……。こんな小さな子供相手に、好みが違うとか、失恋するのが嫌とかさぁ。ねちねち恋愛論語り出してさぁ、魔女だからって」
「ちょっと遊びに誘われただけ、子供なんてそんな深い意味ないでしょ? そりゃ、あの子はルリリに好意もってたっぽいけど……よくあることじゃんガキの頃なんて」
「それで彼女は、デートのお誘いを何として断ったのですか?」
話に興味が湧いたのだろうか。
持っていた本を窓口テーブルの上に置いて、二人の喧嘩の原因を聞いて解き解くためにも。180センチ程度あるだろうか背の高い館長は、見上げて首が辛そうな紗奈と視線の高さを同じにするため腰をかがめて。
「ふん……なるどほど。私にはルリリさんのその気持ち分かるような気が致しますな」
自分に共感を得てくれるだろうと思っていた紗奈は驚きを隠せない。
「えっ、だって子供同士、遊びに行くって約束しただけで――」
そう反論しようと体に力を込めて起き上がろうとしたところで、館長はポンポンと優しく肩をたたく。
「紗奈さん知っていますか? ルリリさんが何時も読み聞かせの際に開いて見ている、大きなあの本の中に何が書かれているか」
唐突に何を言い出すのだろうといぶかしく思いながらも、紗奈は首を横に素早くふる。
言われてみれば読み聞かせの時は何時も持ち歩くあの大きな緑色の本、その中身を一度も見たことはなく、てっきり絵本のような物が描かれていると思っていた紗奈だったが。
それならば、絵を見せながら話をすれば臨場感がもっと出るだろし子供も喜ぶだろうにと、けど一度もそうしたことは無かったと。
「ここだけの話なのですが……あの本には何も描かれてはいないのです。ああ、しいて言えば、あの本を捲ることでルリリさんは過去の記憶を呼び起こして、読み聞かせをしているのです。……このことは秘密にしてと言われてるので、内緒ですよ?」
「えぇッ? まって、待って待って? じゃぁ、今まで読み聞かせをしていた話は、アイツ……ルリリの記憶って、過去の体験ってこと?」
「だって、今まで読み聞かせで話した話って大体……」
『しーーいっ』
館長がお喋りに夢中になっている来館者に対し、『静かにするように』と注意する代わりによくする仕草。それを紗奈の唇のすぐ前で、人差し指と中指を立て。その優しい注意の仕方は、親愛なる孫に目尻を下げて微笑んで年齢は10歳は年老いて見える、おじいちゃんの姿のよう。
「私も彼女とはこの図書館が出来る前からの付き合いですが……200年も300年も生きていると、辛いことも悲しい事も沢山あるのですよ」
「今でこそあんな風ですが……あれで昔はもっと活発で可愛くて恋多き女の子だったのです。特に人との恋は数知れず――もう昔の話です、ほほほっ」
立ち並んだ本棚の隙間から顔を覗かせたルリリを見つけた館長と紗奈。ふと横を見ると、一瞬硬直したように話すのも笑みを消え酷く悲しげに見えた気がしたが、直ぐに元のいつもの様子に戻っていた。
「まあ、人と魔女では寿命が違いますか…………あ、いえ。紗奈さんの気持ちも勿論理解出来ます。ただ少し彼女は臆病になってしまた、ということです。なので紗奈さん、これからも少しばかりルリリさんには優しくして頂けると、私は嬉しいのですが……紗奈さん?」
「んむっ……なんか私悪者みたい……そういう事なら、そう言えばいいじゃない。私だってこの前、先輩に告白して…………うう」
「いえ、紗奈さんはいつもお優しい、そうでしたね」
気付くと紗奈は再び受付テーブルに顔を押しつけ、今度は両手で頭を抑え腕を縮こめションボリしょげる様子で。レディ相手に配慮が足りなかったと館長も之には苦笑いしか浮かべられずに。
それでも思わずあくまで慰めるためにと、よしよしと紗奈の頭を撫でて、昔の自分なら抱きしめて居たかも知れないがグッと堪える。
「さすがに、私も年を取りましたかなぁ……」
この静かな図書館でも聞き取るのが難しい位に小さな声で。何時の頃からか、紳士であると決めた館長なのだった。
「…………でも。でもさぁ、館長も年上が好きなの?」
「館長って50……60歳ぐらいでしょ? それより年上って……あれ、館長って歳、幾だっけ……?」
「おやおや、紗奈さんは私をそんなに若く思っていてくれたとは、はっははは。いやいや
、私もまだまだ現役、頑張りませんとな!」
よっぽど若く年齢を言われて嬉しかったのだろうか?
一転して普段まず見たことも無い、男子児童のように元気よく真上にガッツポーズをする館長。その年齢なら肩も腰も痛み出す頃合いだろうに、少なくとも家で見る父親の姿はそうだったと思い起こす紗奈。
「ん……あれ、まって。この図書館が出来たのって確か40年位前で、その時館長は役所に勤めてて……でも実はもっと昔からルリリと交流が……ある……??」
「ねェ、館長さっ――あれ、館長。 いないし、何処行った……?」
いつの間にか受付テーブルの目の前で話をしていた館長、本を探していたルリリの姿も消えていた。気付けば周りには自分ひとりぼっちにと。
慌てて背後の壁を振り返って見れば、午後5時20分を時計の針は過ぎていた。特に残業することも無ければバイトの時間は30分まで、それ以上はバイト代も出ない。お役所が運営しているこの図書館はその辺きっちりしているのだ。急いで紗奈は貸し出しカーを集め保管場所に入れ、本日までに返却し忘れている利用者の名前をリストに書き出し、その他の書類や用具を片付ける。
「あーもう、あんな話聞くんじゃ無かったっー。何て顔して明日から接すればいいのよー」
自分の失恋の傷もえぐられリルルの気持ちも思うと、落ち込む紗奈だった。けれどアイツのの普段見せない一面を知ったことで親近感が湧いて、これまで以上に姉妹のように親しくなったのは……まだ少し先の事だが。
「というか……あれリン姉は……どこいったのよ? 読み聞かせが終わった確かルリリに飲み物を持ってきてやるとか言って、スタッフルームに行ったきりか?」
ふとそんなことを思い出し紗奈は片付けを終え、職員用の休憩スペースを兼ねて飲み物が置かれている事務室に向かう。通路は照明が付いていなく、夕日が射しこまに薄暗い廊下の先。半開きになっていたドアから漏れる灯り、そして漂い漏れ出す鼻につく臭いは……紗奈は嫌な予感がして扉を思いっきり開け放った。
モワーン~~(アルコール臭)
「うううっん……私だってェ彼氏……まだ、まだこへからぁ……うェええん」
「まぁ、飲むが良いぞ梨香。恋の病には酒が一番、飲んで忘れるヒック、のじゃーーぁ~~っ」
「うィ……ック? ひゃあへ……ッとぉ、ととぉ……うぁーありがしょーうルリリちゃん」
そこに広がった光景。得体の知れない一升に入った蒼に輝く液体(間違いなくお酒)を注ごうとするルリリと、今にも御猪口落としそうなぐらいフラフラした手で受ける梨香に、さらには長机に並べられたお菓子のおつまみまで……二人の酔い潰れた姿。こっそり館長と紗奈が話す会話を盗み聞きしていたのだった。
お酒は大好きなのだが、二人も全くの下戸で殆ど飲めやしなくせに、酔ったら凄く面倒な絡み酒……介抱するのは何時も紗奈。だから、絶対私の前では飲ませないと決めていたのにと。体の奥底から込み上げる熱気と怒りに震える紗奈は――
「こツらああああああーーーーー!! バカルリリッ、アホ姉ェーーーッ!」
「まだ5時仕事30分、アンタまだ仕事中だろうがーーーーッ!!」
両手を広げ足を踏ん張り、お腹から張り上げた紗奈の怒声は図書館内部に隅々響き渡り、寒さで足早に路上を歩く通行人まで聞こえる程の大きな声。結局その後、ルリリはほろ酔いのまま箒に飛び乗りレーナに本を届けた後、皆で楽しく鍋パティーして夜まで楽しで時間は過ぎていった。
「やれやれといいますか……流石に若い皆さんはお元気ですな。正直なところ羨ましく思います」
館長と二人、姉妹が上機嫌で仲良く家へ帰って行くのを見送った。
パーティーが終わった後の図書館のバックヤードには、それまでの喧噪は過ぎ去り窓から差す星明かりが物寂しさを強めていた。
明日も朝は早いので片付けをして寝なくてと、いつも寝床換わりにしている階段したの物置へと向かう。
「ルリリさん、もう……いつかの、約束は忘れても良いのですよ」
目の前の細い通路で小脇に本を抱えながら立つ館長が立ち塞がる、その抱えている本は……私の記憶の本!!
いつの間にか手元に無いと思っていたら、なぜ館長が持っているのか。
「ありがとう、館長。本を――」
「いや、返しません」
いつも素直で従順な館長が拒否するなんて。
「返して、返しなさいッ!! 相馬!!」
「相馬……そうですね、私は相馬。もう自分の名前ですら今の今まで忘れていましたよ、ほほほっ」
「でも確かに約束はまだ覚えていますよ」
やめて、聞きたくない、何もかも忘れたいのに、でも忘れることができない。
必死に相馬から記憶の本を引き剥がそうとするのに、力が入らないのか、相馬は手放そうともしない。
「お願い……お願いだから返して、ゆう……と」
必死の懇願も悠人は顔を横に振った、何度も何度も。
「もういいんですよ、いつかの約束……いつか貴方と結婚するという約束は叶わなかった」
「そうよッ‼‼貴方が勝手に私を置いて死んじゃうからじゃない」
「でもこうして貴方の魔法で、貴方と一緒にいまも居られる。それだけで十分幸せですよ、ルリリも……そうでしょう?」
「でもッ、遅かった、私がもっと早く魔法をかけていたら!!」
「もっと凄い魔法を使えたら……うッ……うッあああッ……貴方が死んだこの場所から自由にさせてあげられたのに……ぐすッふぇええ……」
悔やんで悔やみきれない、何故なら彼は不慮の事故でなんの前触れ無くこの場所で死んだ。
それにもう少し早く、もっと強力で魔道具も揃っていれば、たとえどんな禁術を使ってでも彼を救えたかも知れないのに。
その日たまたま遠方に出かけ、魔道具の手入れを怠り、彼の事を忘れ遊びほうけていた。
ただただ、偶然に必然に運の悪さとタイミングが悪かったのだ。
彼を生かす……姿と心を保ち続けるための方法は、この今は図書館になっている場所全体を儀式魔法と呼ばれる高度な魔法を永久に施し続ける事だった。
たまたま目の間を通りかかった初老の男性の姿に似せて魔法で肉体を作り、彼の僅かな魔力の残滓を埋め込み、彼をこの本の牢獄に閉じ込める運命を負わせたとしても。
そうさせたのは間違いなく彼の事が好きだった、それだけ……。
「う……うえええええん」
あの日の出来を思い出す。
涙がとまらない、辛く悲しいあの日の事を。
「あ……いやはや、泣かせるつもりでは無かったのですが。ははは……」
「確かに約束はもう忘れて欲しいですが……これからも僕は貴方の側にいたいと思いますし、いないと死んじゃいますしね!」
「でも貴方は今の図書館の魔女になる前は、恋多き魔女ルリリなのですから」
「僕はその恋多き魔女ルリリ、気に入ってたんですよ?」
薄暗い廊下でも魔女が目が良いのは知っている相馬は露骨に顔を横に逸らしたのが分かった。
「何で僕がこの本を渡したか、これ日記帳ですよ。悠久の時を生きる魔女に忘れて欲しくないから渡したと思ってます?」
「僕は貴方の私生活の全て、恋の全てをここに記録してほしくて。それを僕は読みたくて渡そうと……する直前で死んじゃったんですけど、ははは……」
「……相馬、貴方。」
見た目はおじさんの相馬だが、すっかりその態度はませガキのような馬鹿っぽい笑みを浮かべた少年の表情。
そういえば思い出すとコイツは時々考えも着かない馬鹿な失敗や行動をとっていた。
だからこそ最初に相馬が死んだと知ったときは、また悪い冗談だと思って……
「まさか……相馬。アナタが死んだ理由って――」
「いいではないですか、もう昔の話。忘れた方がいい記憶もありますよ?」
もし理由を聞いたら呆れる、それだけではきっと済まない。
あまりのくだらない理由で、これまでのやるせなさと悲しみがあふれ出して殺してしまうかもしれない。
「……ッ。はあぁ……馬鹿みたいじゃない」
どっと疲れが全身に押し寄せてきた、そして眠気も。
「いっぱい恋してくださいねルリリ。僕は恋に焦がれて輝いて愛らしい君が大好きなので」
「今日の少年とルリリさんの様子を見た紗奈さんの初々しさ……長く生きると臆病になったと、紗奈さんを説得した後に気づかされました」
「紗奈に教えられるなんてねっ、でも確かにあの子は純粋で――」
相馬は何故か嬉しそうににやける、それがちょっと腹立たしくもあり懐かしくもあった。
「ふんッ、アンタみたいな歪んだ恋愛観のおじさんに言われなくても、また恋ぐらいできるわ!」
「ぜひそうして頂きたいですね、ふははは」
相馬はいつもの館長としての姿に戻った様子で、優しく記憶の本を手渡してきた。
本当に世話がやける男の子、それは今も昔も変わらない。
でもそんな相馬が私は大好きだったのだ。
「おっと!もうこんな時間、そろそろ寝ましょうルリリさん」
「分かってるわよ、アンタがそこを塞いでるから通れないんでしょ」
魔女の住む図書館に深夜12時を告げる鐘が鳴る。
星明かりは雲に隠れたのか差し込む光はなく、図書館は漆黒の闇に包まれる。
明日はいよいよ12月。年の瀬も迫り何かと忙しい季節。
明日も早く起きて図書館に街の人々を迎え入れる準備をしなければならない。
安らぎと静かに読書を楽し街の人々の為に、いつかではない明日のために。沢山の本も来館者も決して多くはないけれど、少し変わった魔女の住むこの図書館は町で一番人気の図書館。本だけじゃない、悠久の魔女の記憶と思い出で語り継がれる物語を聞くために。
また明日、魔女と二人の看板娘、そしていつも同じ笑顔で館長がが皆様のご来館をお待ちしております。