第80話 過去には届かず今は消える
――――いた。あいつだ。
ヴェルは自分の目標を違うことなく探し当てていた。
ルーフィル、この惨状の、いや全ての原因、そう言いたいほどこいつのことが憎かった。
憎くなった。
こいつはフィスティナが死ぬことになった原因だ。
それならば、すべての原因といっても間違いではない。
少なくとも、ヴェルの中ではそれが真実だった。
「ずいぶんとやってくれたみたいじゃないか。ええ?」
「おや?遅かったですね。誰も来ないからそろそろ【強欲】を回収しに行こうと思っていたところですよ。」
何も悪びれる様子もなく、ルーフィルは笑う。
そんな彼の足元には2人の人と思しきものが倒れている。
そして倒れている人は見覚えのある人物をかたどっていた。
ダインとルークだ。イルが言っていた。彼らがルーフィルを食い止めてくれていると、ということは2人をやったのも目の前にいるこいつだろう。
「今度は何をしたんだ?もう人間ですらなくなっているじゃないか!!」
ルークとダインは人の形をしているが、その体は樹木のものと酷似していた。
倒れていることから考えても、何かをされたのは明白だ。
仲間をやられた怒りから、声を荒げて怒鳴り声を上げるヴェル。
だがそんな彼に帰ってきたのは落ち着き払った冷たい返事だけだった。
「それは自分は関係ない、初めからこうだったのですが?」
「とぼけるなよ!!お前以外の誰がやるっていうんだ!!!」
ヴェルは耐えきれなくなった
これ以上こいつと会話をしても、自分の心が荒立つだけだ。
そう判断し、一足に飛びかかる。
こいつは普段研究室か何かに閉じこもっているのだろう。
その体はとても戦闘向きではない。手足は細く、筋肉はあまりついているようには見えない。
もしヴェルがここで冷静であったならば、敵の足元に倒れているのを目の前の男がやったことを再確認し、相手が何か危険な手を持っていることを予測できたのだが、怒りの感情だけで動く彼にそんな余裕の持ち合わせはなかった。
「おや?そこは危ないんじゃないんですか?」
ヴェルの突撃と同時に、ルーフィルは何か薬品のようなものを目の前に放っている。
通常なら簡単に避けられてしまうだろう。
だが、逆上した者になら話は別だ。
投擲、という行為はその性質上、必ず近接攻撃より先に攻撃がヒットする。
これは相手が攻撃をよけない場合に限った話ではあるが、それはこの場合にもちゃんと作用する。
――――パリン・・パシャ、、、
何かが割れる音と、何かが濡れるような音が一瞬だけ間をおいて聞こえてきた。
割れたのはルーフィルが投げた物体で、濡れたのは当然だがそれをくらったヴェルの体だ。
「おちょくるなら早く死ね!!」
怒りに身を任せるしかしないヴェルには、それが何の意味もない行動だとしか判断ができない。
体を濡らしたところで何になるというのだろうか?別にこの場所は寒いわけでもなく、雷属性を持った魔物がいるわけでもない。
ヴェルは体にかかったものを全く意に介さず、突進を続けた。
そしてその時、その液体は効果をもたらす。
急に白い煙を放ち始めたのだ。それに何か、鼻を刺すような臭いもだ。
「あ?なんだ?」
「あ、これサービスです。受け取っておいてください。」
それを直撃させた後、すぐさま距離をとったルーフィルが今度は火のついた棒をヴェルに向かって投げている。
「火くらいなんだ!!その程度痛くもかゆくもないぜ!!」
ヴェルの突進は止まらない。
火の棒程度、当たったところでそこまで痛くはない。むしろこれにひるんで相手を取り逃がすほうが精神的に痛いくらいだ。
大方、この火をよけようとして俺の進行速度が遅くなるとでも思ったのだろう。
このまま突進したときにあいつが浮かべる顔が楽しみだな。
ヴェルは火の棒にぶつかる――――――と、同時にヴェルの体を炎が包み込んだ。
「があああああぁ!!?」
熱い―――熱い!!?
おかしい、あの程度の炎なら、走っている最中にぶつけられようとも体に引火するまではいかないはずだ!!
そしてついに、ヴェルの足が止まってしまった。
「それを知っているからこそ、無警戒に突っ込んでくれるんですよね。」
さぞうれしそうな様子で、ルーフィルは笑う。
この状況はあいつが生み出したもの、それは誰がどう考えても明白だった。だが、どうして?
「あ、わからないって顔ですね。それ、ヒドラジンっていう液体です。普通なら皮膚にかかっただけでドロドロ~なもののはずなんですけど、いやはや流石大罪系といったところですか?火をつけるものにしかならなかったみたいですね。」
ヒドラジンというのはロケットの燃料として扱われることのある液体だ。
そしてその性質のひとつとして、引火性があるというものがある。今回ルーフィルが使ったものは、その薬品の効力を引き上げた物質であった。
「くそっ!!こんな炎、問題じゃねえ!!」
すぐには消えない。だから放置する。
自分は一応悪魔であるため、炎が体を燃やそうともすぐには死なない。こうなってしまったら無視することだって容易なのだ。
まずは一本取られた形になるが、要するに最後にこいつを殺すことができればいいのだ。
過程は関係ない。
ヴェルは再び侵攻を開始しようとする。しかし、
「あれ?いいんですか?今ので足元にいるお仲間さんにまで火が付きましたよ?その人たち、体の性質がほぼ完全に植物のものと同じだったからよく燃えるんじゃないかなぁ?」
――――――ゆっくりと、足元を見た。
そこには自分の体から燃え移ったであろう炎が、ダインとルークにまで広がっていた。
そしてルーフィルの言葉通り、彼らはよく燃えそうだ。
このまま放置してしまったら、燃え尽きてしまうだろう。
ヴェルの信念が揺らぐ。
過去の恨みを晴らすため、目の前の男へ走るか。
今の友を守るため、足元の2人を鎮火するか。
その二択に迫られる。
そもそも、今、ヴェル自身に炎がついているのだ。後者の選択肢を選ぶのなら、まずはこれをどうにかしないといけない。
しかしそうしていては確実にルーフィルは取り逃がしてしまうだろう。
いや待て、そもそもこいつは逃げるのか?さっきからチャンスはありそうなのにその場を動く様子はほとんどない。
それなら、2人を助けるほうがいいのではないだろうか?
いやでも、どうやって?
ここの近くに火を消せそうなものはない。流石に当たりを探せばあるだろうが、ルーフィルから目を離すことだけは絶対できない。
俺がいなくなったとたん、イルのほうに行く可能性が高いからだ。
それは先ほど、ルーフィル自身の発言にもあった。
こうしている間にも、2人の体を燃やす炎は広がっていく。
くそっ!!結局どうしようもないんじゃねえかよ!!
強く燃え始めた2人から目を離し、諦めてルーフィルを倒すべきなのではないか?
そんな思いが、ヴェルの中に生まれる。
そしてそうしている間に―――――――――――――
――――――――――――ズドン!!
この場に何かが、爆音とともに落下した。
今度は何だ!!?またあいつが何かをやったのか!!?
そう思ったが、どうやら違ったらしい。
「あら?ヴェル、まだ、倒してなかったのね。っと、なるほど、そういうこと。」
落ちてきたのはイルだった。
彼女の体は激闘の後なのだろう。右腕は二の腕の中程から先はなくなっており、髪形や服装もかなり乱れている。
彼女はこの状況を俯瞰しただけで、自分たちが今どういう状況にあるのかを正確に読み取ったのだろう。
納得したような顔をして、すぐに何かを取り出し始めた。
そして、
「ほら、ヴェル、使いなさい。聖杯の水はね、どんな状態でも治してくれるのよ。」
イルはこちらに向けてそれを投げてきた。
聖杯―――彼女が天界の倉庫から持ち出した4つの神器のうちのひとつだ。
その効果は癒しをもたらす水を与えること。
それを俺は1も2もなくダインとルークにぶちまけた。
聖杯の中の水は器となる部分を上に向けるとまた水は補給される。もったいぶった使い方をする必要はないのだ。
あぁ、よかった。
見てみると木になった体も元のものに戻っていっている。
これで当面は大丈夫そうだ。
そして2人の治療が終わった後、自分にも・・・・
一瞬、水のかかる冷たい感じがしたと思うと俺の体を取り巻いていた炎は消え去っていた。
「やりますね。まさかあの状況で2人をお助けになるとは、感服いたしました。」
「黙れ!!そんなこと微塵も思っていないくせに。」
怒鳴り声を上げてはいるが、先ほどよりは冷静にルーフィルを見ることができる。
今なら確実にこいつを仕留めることができそうだ。
「俺は大罪系、【怠惰】だ。今、その力を存分に見せてやるよ。」
俺は今から、全力で死力を振り絞ってあいつを倒すことを宣言する。
「そうですか。では、その【怠惰】は世界を経由して自分がもらい受けますね。」
そんな俺の言葉にも、ルーフィルは笑ったままだった。




