第55話 勇者の呪い
突き刺されたのが、腹だったのは不幸中の幸いだった。
これが頭とか心臓だったら、もう俺は死んでいるだろうから。俺は自分の体に刺さっている剣を見ながらそう考える。
いや、これではどうせ死ぬのだ。それならばいっそ、すぐにすぐに死んでしまったほうがよかったのかもしれない。
俺はゆっくりと目を閉じる。腹部には思ったより痛みはない。体が興奮状態にあるからだろう。
目を閉じると周りの音がよく聞こえる。
俺の耳に届いてくるのは悲鳴ばかりだ。
あらゆる方向から聞こえてくる。それを認識したからだろうか、俺は気が付いたら目を再び開けてアテルムを見据えていた。
「おや、まだ死んではいませんか。」
アテルムは俺に突き立てている剣を勢いよく引き抜く。
半分はそれによって支えられていた体だ。俺の体は、ゆっくりと前に倒れようとする。
しかし、俺は足に力を込めて踏みとどまり、手に持っていた剣を振りぬく。
それは躱されてしまったが、アテルムは心底驚いたような顔をしている。
「普通の人間なら腹部を貫かれればそのまま倒れるのですが、さすがは勇者といったところなんですかねえ?」
アテルムは再び剣を構える。
俺もつられるように、剣を構える。今になって、腹部の傷が大きく痛み始める。
その痛みに、本能が告げる。
ーーー今すぐ逃げろ。
いや、これは本能の言葉ではない。俺の、この世界に来る前の俺の言葉だろう。
どうしようもなく臆病で、自分の命を一番に優先していた、俺の言葉だ。
死に瀕したところで、心の奥底に眠っていた俺が戻ってきたみたいだ。
しかし俺はその言葉には従わない。従っていいはずがない。
なんせ俺は【勇者】なのだ。
自己犠牲の心は勇者の常だ。俺の耳に、誰かの助けを求める声が聞こえる限り、俺は戦い続けるだろう。
それがこの世界の勇者に与えられた使命なのだ。
俺はそれを理解した。そして同時に苦笑する。
先ほど、俺の目の前にいる男は【勇者】の称号を呪いだと言っていた。
まさにその通りだ。勇者の呪いを魂に刻まれた俺は、死ぬまで戦い続けさせられるのだ。
確か、日本にいたころにゲームが好きな友達が言っていたな。
「勇者は世界の奴隷だよな。あれをかっこいいと思う奴なんてどうかしてるよ。」
その当時は理解ができなかったが、今になってその言葉がすっと胸に入ってくる。
勇者は世界のために戦う。
勇者は正しいことをする。
勇者はみなを導く。
全ていいように聞こえるが、勇者自身のことについては誰も触れようとしない。
誰も興味なんかないのだ。
そうやって誰からも評価されないなか、勇者は体を張り続ける運命なのだろう。
そして、俺も。
俺は剣を構え、全神経を集中させる。
狙うは短期決戦だ。
腹部に大きな傷を負った俺は、長く戦えないだろう。
現に、今も俺の腹からは俺の命が流れ出している。
これが流れきる前に、あいつを何とかしなければならない。
そして、俺がとった行動は防御を捨てた突進だった。
万に一つにも勝ち目があるとするならばこれしかないだろう。
しかしこれは読まれていたみたいだ。アテルムは大きく横に飛び、突進の直線上から退避した。
チッ、これでは俺の刃は届かない。
そのうえ、力尽きたところを一方的にやられるだけだ。
そう思った俺は最後の賭けに出る。
俺はそのまま剣を横に大きく振った。だが、当然当たるはずはない。完璧に射程の外、最後の悪あがきだ。アテルムはそう思っていたのだろう。
その油断が命取りだ!!
「な!?」
突然のことに驚いたアテルムは声を上げる。
そしてすぐに横に跳んだ。
「はぁ、はぁ、、、もう少しだけ、油断していてくれれば、、よかったのものを、、」
俺はこちらを睨みつけているアテルムに向かって愚痴をこぼした。俺がやったのは剣の投擲だ。
しかし、それは寸でのところで躱されてしまった。
その大きな翼に突き刺すことはできたものの、致命傷は与えられなかったみたいだ。
そして、遂に最後の一滴まで絞り切ったのだろう。
俺の体はその場に倒れる。
あぁ、だめだったな。最後まで、頑張ったんだけどなあ、、
視界が少しずつ、狭くなっていく。もう限界が近いのだろう。俺はもう使い物にならないと判断して、目を閉じる。
結局、俺にできたことは、足止めと少し傷を与えただけか。
そして、自分が成し遂げることができたことを思い、そして心の中で嘆く。
どうして俺はこんなに弱いんだろうな、、、冒険者学校で、トップの実力を得て、増長したのが、原因だろうなぁ、、
もっと早く、挫折を知っていれば、違ったのだろうか?その問いに対する答えはない。
その代わりに、真っ暗な世界の中、勇者の耳がこちらに向かってくる足音を拾う。
状況的に考えて、おそらく、アテルムのものだろう。
「えぇ、あなたは人間にしてはよくやりましたよ。だからもう、お逝きなさい。」
その言葉と同時に、胸の辺りに、衝撃が走る。
それが、異世界から招かれた勇者、橘 賢哉が認識した、最後の世界だった。
あぁ、、できることなら、、俺も、、英雄と呼ばれるくらいの、、、、
 




