ミッション10—6 嬉しくないミラクル
ダンボールの中、暗闇に包まれ見えるものはない。
それでもファルは、幸福感に満たされていた。
まず、ファルの左腕にラムダの豊満な胸が当たっている。
柔らかい感触が、ファルの腕を包み込んでいるのだ。
加えてトラックが揺れるたび、ラムダの胸も大きく揺れるため、ファルの理性すらも揺らされてしまう。
ファルの膝の上には、膝を抱えたティニーがちょこんと座っていた。
ティニーのほどよい重みと、ダイレクトに伝わる体温、小さなお尻に、ファルの幸福度は増すばかり。
極め付けは、ファルの顔のすぐ右隣にある、ヤサカの美しい顔。
凛とした瞳にすらっとした鼻筋、控えめな唇、黒くしなやかな前髪が、目と鼻の先よりも近いのだ。
これだけでもドキドキだというのに、さらにヤサカの吐息がファルの頰をくすぐるのである。
ゲーム世界とはいえ、現実とほとんど変わらぬ姿形、感触の美少女たちに囲まれ密着した状態。
今日がファルにとって人生最高の日であることは間違いないだろう。
今だけは、ここがゲーム世界ではなく現実世界であると信じ込みたいぐらいだ。
「ファルさんよ、興奮しちゃってますね! 幸せそうですね!」
「トウヤ、霊力が乱れてる」
「勝手に言ってろ。俺は今を楽しむので精一杯なんだ」
「あれ、認めちゃうんだ。正直だね」
「ホント、ファルさんは正直者です! それに比べて、ヤーサは正直者じゃないですね!」
「え? ど……どういうこと?」
「だってヤーサ、ファルさんと同じくらい幸せそうですよ?!」
「な! こ、こんなに暗いのに、私の顔は見えてないはずだよ! どうしてそんな――」
「雰囲気です! 雰囲気は正直者です!」
「ラム! それ以上は言わないで! お願い!」
「……幸せ? なんでこの状況で、ヤサカが幸せなんだ?」
「いや……それは……その……」
「もしや!」
「あの……ファルくん……」
「お前もクーノやホーネットと同じ、百合――」
「なんでそうなるの!? 違う!」
思わず大声を出してしまったヤサカ。
さすがに目と鼻の先よりも近い距離から大声を出され、鼓膜が死にかけたファルだが、これもまた悪くない。
さて、ファルたちがダンボールの中でそんなことをしている間。
彼らを運ぶトラックは、ヴォルケの下を抜け陽の光に照らされながら、順調にメリアとの国境に向かう。
トラックの運転手ビーフとキリーは、特に緊張している様子はなかった。
「国境についたら、右から3番目の検問所に行くんだっけ?」
「そう。トニーさんに買われた警備員がいる検問所に行けば良い」
「トニーさんって、いろんなNPCを金で買ってるよな」
「結構エグいこともしてるらしいけどな。まあそうじゃなきゃ、ウチのボスのコンシリエーレなんか務まらないんだろうけど」
「……トングとヒラヒラはどこで何してんの?」
「あいつらはヴェイガスで資金の回収」
「あっそ」
「なんだ? どうかしたか?」
「いや、ゲーム実況やってた俺たちがさ、あんまりゲームがうまくなかったせいで、気づいたらマフィア――レオーネ・ファミリーの下っ端って、めちゃくちゃだなと思って」
「今更?」
自分たちの境遇に自嘲気味なビーフとキリー。
ネットでの生放送中に事件に巻き込まれた『ガスコンロ』の4人は、今や裏社会の住人。
人気ゲーム実況者も、実況動画を見せる相手がいなければどうしようもなかったのだ。
ゲーム実況を捨て、裏社会の〝現実〟に生きる。
この2年間、そうやって彼らはイミリアの世界を生き抜いてきた。
ただし、それは必ずしも彼らの望んだ道ではない。
だからか、彼ら――特にキリーの酒の量は日に日に増えていく。
「おい、飲んでんじゃねえよ。目的地までずっと俺が運転しなきゃいけねえじゃねえか」
「良いだろ別に。目的地もそんなに遠くないんだし」
「昨日からずっと俺が運転してるんだが!」
「知りませ~ん」
すでに酔いが回ってしまっているキリー。
ため息をつくビーフには目もくれず、彼はビール缶を一気に空にしてしまう。
「ああ~うまい!」
体に染み込むビールをキリーは楽しむ。
と同時に、彼らの乗ったトラックは赤信号に捕まり、交差点で停車した。
「つまんねえな~。ほいっと!」
何を思ったか、キリーは空き缶を交差点に投げ込んだ。
この退屈な世界に対する、キリーなりのささやかな抵抗といったところか。
しかし、ガスコンロのゲーム実況はミラクルを起こすことに定評がある。
そしてここはゲーム世界だ。
キリーが交差点に投げ込んだ空き缶は、アスファルトに跳ね返り、歩道へ飛び込む。
歩道には犬を連れたNPCが歩いていた。
空き缶は、そのNPCが連れて歩く犬の頭に直撃、犬は驚き暴れ出す。
暴れた犬は交差点に飛び出て、交差点を走る車の運転手たちを驚かせた。
1台の車は急ブレーキを踏みスリップ、そこに後続車が激突、それを避けようとした車が建物に突っ込み――ともかく大惨事だ。
問題は、この大惨事にベレル軍とアレスターを乗せた装甲車が巻き込まれたことである。
交差点の中央で潰れた車に乗り上げ、ベレル軍の装甲車が横転した。
横転した衝撃で、装甲車に積まれていたロケランが暴発、ロケット弾はファルたちの乗るトラックの荷台を爆破する。
「なんだなんだ! 何があった!?」
「敵の襲撃!?」
突然の爆発に驚いたファルたちは、思わずダンボールから飛び出す。
すると、トラックの荷台は半壊していた。
つまりファルたちは今、むき出しの状態なのである。
「おい! あれを見ろ! 標的がいるぞ!」
「捕まえろ!」
「標的を発見した! 繰り返す! 標的を発見した!」
交差点の事故に巻き込まれた軍人NPCとアレスターが、トラックの半壊した荷台に立ち尽くすファルたちを見て、そう叫び出す。
人生最高の日から一転、最悪の事態だ。
「なんで見つかった!? なんでトラックの荷台が爆発した!? なんでこうなった!?」
「悪霊、取り憑いてたかも」
「呪いなのか!? これは何かの呪いなのか!?」
「ベレル軍です! アレスターです! いっぱい来ましたよ! あ! 見てください! ヴォルケの機銃がこっち向いてます!」
「最悪だ!!!」
「運転手さん! 逃げて!」
「逃げるって……どこにだ!?」
「国境まで逃げて!」
「わ、分かった!」
ヤサカの叫びに応えたビーフは、トラックのアクセルを思いっきり踏み込む。
その瞬間、トラックはエンジンをうならせ、交差点で止まる車にぶつかりながらも、勢い良く前へと進んでいった。
いきなりの発車と車との衝突にバランスを崩し、荷台の上で転んでしまうファルたち。
次の瞬間、半壊したトラックの荷台におびただしい数の銃弾が殺到した。
もし転んでいなければ、ファルたちは蜂の巣になっていたことだろう。
車の隙間を縫うように走り、または車にぶつかりながら、逃げるトラック。
ベレル軍の兵士やアレスターを乗せ、銃弾を放ちながらトラックを追う装甲車。
「みんな! 危ないから伏せてて!」
「この状況じゃ立てないから安心しろ!」
「スリル満点です! 動悸が半端じゃないです!」
「ティニー! SMARLで装甲車を狙って!」
「やった。SMARL撃てる」
ヤサカの指示にティニーは喜びながらSMARLを構え、引き金を引いた。
街道を飛び抜けるロケット弾は装甲車をかすめ、近くの車に当たり大爆発する。
ティニーがSMARLでの攻撃を行う傍ら、ヤサカもアサルトライフル――MR4を構え、荷台に伏せたまま装甲車を狙っていた。
彼女の放った銃弾は、正確に敵を捉え、装甲車から体を乗り出しトラックに銃を向けたベレル軍兵士の頭を撃ち抜く。
ベレル軍兵士とアレスターの攻撃をなんとか凌ぐファルたち。
しかし長くは持たない。
ヘレンシュタット上空では、巨大空中戦艦ヴォルケがファルたちに照準を合わせているのだから。




