ミッション1—1 ネコを救え
雑居ビルが立ち並ぶ街、人と車が行き交う大通りを、1人の少年が歩いている。
彼の名は三倉東也。17歳の引きこもり。ここではファルと名乗っている。
いやいや、街を歩いている時点で彼は引きこもりじゃないだろう、という声が聞こえてきそうだが、ここでは問題ない。
ファルが向かっているのは、賑やかな街の中には似合わぬ巨大な建物。
とある業者の事務所を兼ねた倉庫だ。
しかし、ファルは倉庫にたどり着く直前に動きを止める。
彼の視線は、大通りの真ん中で立ち往生する1匹のネコに向けられていた。
車を止める信号は、今にも青になろうとしている。
つまり、ネコの命は風前の灯火ということだ。
「おいおい、あのネコ何してんだ? 死んじゃうぞ?」
思わず呟くファル。
それでもネコは動こうとしない。
信号はついに青へと変わり、運転手たちはアクセルを踏む。
数多の車の先頭にいるのは、よりにもよって8トントラック。
あれに轢かれてしまえば、小さな体のネコは即死してしまうだろう。
困ったことに、運転手がネコに気づいている様子もない。
「ああ……あああ!!」
ファルはほとんどヤケクソであった。
間に合うか間に合わないか、ではなく、ネコを助けたいという衝動だけに体を動かされ、ファルはネコを救うため車道に飛び出す。
車道を横切ろうとするファルに、こちらへ向かってくる車たちのクラクションが鳴り響く。
ファルは気にしない。彼はネコを抱え、なんとか車道を抜けようと必死であった。
だが無情にも、ファルの走る速度はトラックの速度には勝てず、トラックのブレーキもトラックの速度を緩めることはできない。
「ダメだ……間に合わない!」
ネコを救うために無茶をしたのだ。ところが、ファルはネコを抱えたまま、トラックに轢かれようとしている。
間違いなく、ファルとネコは仲良く死んでしまう。ファルは思わず目を瞑った。
その時である。
目を瞑っていたファルは気づかなかったが、彼のすぐ側を〝何か〟が飛び抜けたのだ。
〝何か〟はトラックの助手席付近にぶつかる。
するとトラックは大爆発、フロント部分を失ったトラックは左に逸れ、炎を纏いながらファルの脇をかすめていった。
ファルとネコは助かったのだ。
代わりに、爆発を起こしたトラックは横転し、雑居ビルに突っ込む。
きっとトラックの運転手は死んだことだろう。だがここでは問題にならない。
「な……なな……なんだ!?」
想定外の命の助かり方に、ネコを抱えたままのファルは無意識に叫ぶ。
何が起きたのか、ファルには理解できていない。
そんな彼の目の前には、いつの間に1人の少女が立っていた。
あどけなさの残る顔つきに、結ばれた髪、活気のない目つきの、和服に身を包んだ少女。
まるで陰陽師のような衣装だが、なぜそんな格好なのかは不明。
彼女の右手には、少女の背丈の半分はあるであろう筒が握られている。
筒の正体は、肩撃ち式多目的ロケット擲弾発射器SMARL――いわゆるロケランだ。
陰陽師姿の美少女と、彼女が持つ煙を吐くロケラン、すぐ側で焦げているトラック。
なんだか情報量が多いが、それらを見てファルはようやく何が起きたのかを理解する。
しかも、目の前のロケラン持ち陰陽師少女は、ファルの知っている人物だ。
「おいティニー、いきなりロケランぶっ放すな! 危ないだろ!」
「でも、トウヤの命救った」
「礼は言うよ! だけど、他にやり方なかったのか!?」
「ない。私はSMARLを撃ちたかっただけだから」
「なんだよ、俺の命を救ったのはおまけだ、みたいな言い方するんだな」
「実際そう」
「本音は隠しておいて欲しいところだが……ところで、その格好はなんだ? 陰陽師かなんかか?」
「うん。私、霊感があるから」
「ごめん、もう訳が分からない」
頭を抱えるファル。
陰陽師姿でSMARLを愛おしそうに撫でる、抑揚のない口調の霊感少女の名前は、川崎若葉。ここではティニーという名だ。
ファルとティニーの関係は、少し前に一度だけ顔を合わせ、自己紹介をしただけ。
どうにも彼女、ロケランのひとつであるSMARLを愛してやまないらしい。
まさかこうも簡単に引き金を引くほど愛しているとは、ファルも驚きであるのだが。
さて、ファルを驚かせたのはこれだけではない。
ファルの腕から飛び出したネコもまた、ファルの想定外となるのであった。
「にゃにゃ! 未来の英雄であるミードンの危機を救うとは……まさかあなたは……神様の1人!?」
「……なんかネコが喋りだしたんだけど」
「失礼な! ミードンは未来の英雄としてこの世界を救う使命を与えられているのだ! 喋って当然! にゃ!」
「なあティニー、なんなんだ? このネコ」
「私のネコ型通信機器。名前はミードン。設定は私が考えた」
「お前のネコ――通信機器だったのかよ。だったら車道でのんびりしないように言っておけ。つうか、設定ってなんだよ」
「性格と生いたちの設定。過去の勇者が転生した未来の英雄ミードン。そういうことになってる」
「このミードンが魔王を打ち倒し、世界を救う! それまでミードンは死ねないのだ!」
「トラックに轢かれそうになったネコのセリフとは思えないな。まったく、面倒そうな設定を……」
胸を張るミードンを見て、思わずため息をつくファル。
そんな彼らのもとに、1台の高級スポーツカーがやってきた。
まるで獣の唸り声のようなエンジン音、未来からタイムスリップしてきたような流線型の車体。
呆気にとられるファルをよそに、スポーツカーの運転手は窓を開けた。
運転手は、無邪気な笑みを浮かべる、さっぱりとした髪型の少女。
彼女はハンドルと体の間に大きな胸をなんとか収めながら、ファルに話しける。
「ファルさんよ、派手にやりましたね! 一般人はみんな、一目散に逃げていますよ!」
「ラムダか。なんだこの――凄い車は?」
「やはり気になりますか!? 最高出力1005ps、最大トルク130kg・m、排気量8000cc、最高速度410キロのヴェノム、気になりますよね!」
「化け物みたいな車だな。どこで手に入れたんだ?」
「わたしの秘められた能力で、異次元から召喚してきたのです!」
「ああ、つまりはチートってことだな」
「そうなのです! プレイヤー救出部隊、通称サルベーションに参加したのは、こうした珍しい車を運転できると聞いてなのです! そのためならわたしは、チートという不正にも手を染めることを厭わないのです!」
「おっと、ここにも変人がいた」
苦笑いを浮かべたファルだが、彼の視線は、彼女が体を乗り出すたび、ハンドルに押し付けられる胸に固定されていた。
この目を輝かせ興奮する少女の名は鈴鹿澪。ここではラムダと呼ばれている。
さて、先ほどラムダは言った。プレイヤー救出部隊、通称サルベーションという言葉を。
そう、ここは現実世界ではない。
ここは、悪い意味で今話題沸騰中のゲーム『イミグランツ・フロム・リアリティ』通称イミリアの中。つまりゲーム世界なのだ。
現実世界と見分けのつかない街並み、人々、環境であろうと、ここはゲーム世界なのだ。
だからこそ、ファルたちは本名を名乗らないし、ティニーはロケランを撃ってNPCの運転するトラックを爆破するし、ラムダは億レベルのスポーツカーに乗って現れるのである。
なお、イミリアのプレイヤーキャラは、現実でヘットギアをつけ眠りこけているプレイヤーの体とほぼ同じ姿になる。
でなければ、まだ現実で1度だけ自己紹介しただけのティニーとラムダが現れて、それが彼女らであるとファルは分からなかった。
ついでに、現実世界の体の世話は病院の職員と皆様方の血税がなんとかしてくれている。
食事から風呂、トイレまですべての世話をだ。
究極のニート状態だ。
この短い時間に、いろいろなことが起きた。
本来の目的を思い出したファルは、ティニーとラムダに言う。
「お前ら、一応はプレイヤー救出作戦なんだぞ。国から与えられた任務なんだぞ。少しぐらいは真面目にやったらどうだ?」
「でも、ヴェノムですよ! 1005馬力ですよ! そんなものを前にして、この興奮が抑えられますか? 否! 抑えられない!」
「SMARLを撃つ。それが私の望み」
「ふふふ、このミードンに任せたまえ。このミードンが、勇者として皆を救ってみせる! にゃ!」
「なんか、いろいろとダメな気がする」
IFR事件の捜査に行き詰った特別捜査本部は、世論からの厳しい声に応えるため、ゲーム世界に救出部隊を送り込む作戦を開始した。
この救出部隊『サルベーション』に、ファルとティニー、ラムダはイミリア経験者かつ生還者として参加しているのである。
愛するロケランを撃ちたいとか、愛する車に乗りたいとか、そういう話じゃないのだ。
かなり真面目な話なのだ。ティニーとラムダがおかしいのだ。