ミッション19—1 〝ゲーム〟開始
目を覚まし、ゆっくりとまぶたを持ち上げたファル。
彼の視界に映るのは、小さなモニター以外に一切の飾り気がない、たったひとつの電気スタンドに照らされる無骨な打放しコンクリートの部屋。
どうやら冷え切ったコンクリートの床の上で、ファルは眠っていたらしい。
「……どこだ、ここ?」
尻の痛みに顔をしかめながら、そしてここがどこなのかという疑問を抱きながら、ファルは立ち上がった。
立ち上がってはじめて気がついた。
鎖のこすれる甲高い音とともに、ファルの左手首に固い感触が。
ファルの左手首は、鎖によって壁に繋がれていたのである。
おかげで、ある程度の自由はあっても、部屋中を歩き回ることはできない。
「なんだ? どういうことだ、これ?」
ファルは混乱の渦に巻かれていた。
まったく身に覚えのないこの状況が、理解できないのだ。
ともかく辺りを見渡すファル。
すると、同じ部屋のすぐ近くに、床の上で眠るヤサカがいた。
ヤサカはファルと違い、両腕を縛られ壁に繋がれ、足には重りがくくり付けられている。
ほとんど自由に動くことはできなさそうだ。
きっとヤサカは、その高い戦闘力を警戒され、ファルよりも厳重に縛られてしまったのだろう。
「おいヤサカ、起きろ。大丈夫か?」
「う……うう……ファル、くん?」
「おはよう」
「ここは……どこ? あれ、鎖で縛られてる……? 私たち、次の作戦のために偵察をしてたんだよね? もしかして、メリア軍に捕まっちゃった?」
「メリア軍が敵なら、収容所に入れられてるかとっくに殺されてるだろ」
「じゃあ、私たちはどうしてこんなことに……」
「面倒なことになったのは確かだろうな」
ファルとヤサカは、次の作戦の準備のため、メリアの都市ロスアンを偵察していた。
ところが、ある瞬間から記憶が失われ、次の記憶はこの謎の部屋で目覚めた瞬間。
まさか気づかぬうちに2人でSMプレイでもしていたわけでもないだろう。
2人は明らかに、何者かに囚われたのだ。
そして現在、2人は面倒ごとの真っ只中にいるのだ。
「ともかく出口を探そう」
「そうだね。その前に、鎖を外さないと。mn起動」
対物ライフルでも使えば、2人の自由を妨げる鎖を破壊することは容易い。
そう考えてメニュー画面を起動しようとしたヤサカだが、何も起きなかった。
「あれ? メニュー画面が起動できないよ」
「え? どれどれ、mn起動……。本当だ、メニュー画面が起動できない」
「困ったね。これだと、この部屋から出られないよ……」
メニュー画面が起動できなければ、武器もチートも使えない。
鎖に縛られ部屋から出られないまま、ファルとヤサカは途方に暮れた。
ここはゲーム世界だ。
最悪、腕や足を切り落とすなり自殺するなりで脱出は可能だろう。
それも武器がない現状、舌を噛み切るか、首を縛るぐらいしか方法はないのだが。
どうにも自分を傷つけるのは嫌なので、ファルとヤサカはしばらく考え込んだ。
考え込んでいる最中であった。
部屋に備え付けられた小さなモニターいっぱいに、見知った能面が映し出される。
《やあ君たち、〝おはよう〟。いや、今の〝時間〟なら〝こんばんは〟と言うべきか》
「ディーラー……なんで猟奇的能面が……」
《ファル、君の言葉は〝聞こえている〟んだぞ。〝ひどい〟じゃないか。オレは今日も、君たちと〝ゲーム〟で遊びたいだけなんだ。〝レジスタンスの狙撃手〟も、そんな〝イヤ〟そうな顔をするんじゃあない》
ディーラーにはこちらの声が聞こえてるだけでなく、こちらの姿も見えているらしい。
どこかにカメラやマイクが仕掛けられているのだろう。
そして、ディーラーの仕掛けたものは、それだけではなかった。
《君たちにはひとつ〝プレゼント〟を届けた。右手首に〝腕輪〟がついているだろう。それは〝メニュー画面起動を妨げる〟ための〝おもちゃ〟だ。もう〝試した〟かもしれないが、君たちは今、メニュー画面を〝起動〟することは〝不可能〟な状態だ》
そう言ってケラケラと笑いだすディーラー。
ファルとヤサカの表情は険しくなるばかりだ。
《まあ、なんでもいい。〝難しい〟ことを考える必要はない。早速だが〝楽しいゲーム〟の〝ルール〟を教えよう。まずは、君たちと〝一緒に〟ゲームを楽しんでくれる、君たちの〝かわいいマスコット〟を紹介しよう》
ディーラーは立ち上がり、ディーラーの後ろにいたかわいいマスコットの姿がモニターに映った。
お嬢様のような格好をする、小さな体の、泣きべそをかいた少女の姿が。
そんな少女の姿を見て、ファルとヤサカは目を丸くする。
「「シャム!?」」
モニターに映るのは、口を塞がれ、縄で椅子に縛り付けられたシャムであった。
シャムはディーラーに銃口を向けられると、頬に涙を伝わせ体を震わせる。
それに対して、ディーラーは首をかしげた。
《お嬢さん、どうして〝怖がる〟のかな? これは〝ゲーム〟だろ? この銃で君が〝死ぬ〟ことはない。ほら、オレと一緒に〝笑おう〟じゃないか!》
「ディーラー……お前!」
手首に鎖が食い込むのも気にせず、怒りに身を任せモニターに駆け寄るファル。
ヤサカも強く拳を握り、静かな、しかし強烈な怒りを心に宿していた。
2人の怒りに、ディーラーも気がついている。
気がついているからこそ、彼は楽しそうに〝ゲーム〟のルールを口にするのだった。
《今回の〝ゲーム〟のルールは〝簡単〟だ。君たちには、この〝いたいけな少女〟を〝救出〟してもらう。どうやって〝救出〟するのかって? 気になるよな? 君たちのいる〝部屋〟の中を見てみろ。壁に小さな〝ボタン〟があるはずだ》
ディーラーの言うことに従うのは気に食わないが、シャムのためだ。
言われた通り、ファルとヤサカは部屋を見渡す。
すると、縛られた状態のファルとヤサカでも手が届く位置に、小さな赤いボタンがあった。
《その〝ボタン〟を押すと、君たちの〝隣の部屋〟にいる〝100人の人間〟のうち、1人が〝死ぬ〟。君たちにはそんな〝ボタン〟を、100回〝押して〟もらう。つまり、君たちには〝100人の人間〟を〝殺して〟もらう》
そこまで言って、ディーラーは銃口をシャムのこめかみに当てた。
シャムは体を震わせ、抑えられた口から悲鳴が漏れだすが、ディーラーは笑いながら話を続ける。
《100人の人間を〝殺さない〟という〝選択肢〟もある。だがその場合、この〝いたいけな少女〟の脳みそは〝吹き飛び〟、頭蓋骨の破片がそこらに〝散らばる〟ことになるぞ。まあ、〝安心〟してくれ。ゲーム世界なんだから〝死ぬ〟ことはないさ》
とんでもないことを言い出したディーラー。
思わずファルとヤサカを顔を見合わせ、少しの間だけ沈黙した。
沈黙の末、ファルはディーラーに対し質問する。
「なあディーラー、どこまでが冗談なんだ?」
《おや? 随分と〝面白い〟質問だ。そうだな、〝答え〟はファル次第だ。オレは〝ウソ〟はついていないから、〝冗談〟を言ったつもりはない。だが、この状況が〝冗談のよう〟であるのは、オレも〝認めよう〟》
「……このボタンを押して死ぬのは、プレイヤーか? NPCか?」
《〝バーチャル世界〟に生まれ、ただひとつの〝電子的な命〟を持つ〝NPC〟だ》
つかみ所のないディーラーの答えを聞いて、ファルとヤサカは考える。
どのようにしてシャムを救うのかを。
ここはゲーム世界だ。
現実世界と違い、選択肢はいくつか存在する。
だが選べる選択肢は少ない。
「仮にディーラーがシャムを殺したとしても、シャムはイミリアからログアウトされるはずだ」
「ログアウトできるからって、シャムに怖い思いをさせるのは、賛成できないよ」
「だよな。あいつも、なんやかんやまだ子供だからな。変なトラウマを植え付けるわけにはいかない」
「ファルくん、シャムのためなら、私は100人のNPCを殺すよ。NPCの命を奪うのは、もう慣れてるから」
「俺も同じ意見だ」
加えて、ディーラーはゲームのルールには絶対に従う。
100人の人間を殺せば、ディーラーは確実にシャムを解放するはずだ。
《意見は〝まとまった〟みたいだな》
「ああ」
モニターの向こう側で、シャムに銃を向け楽しそうにするディーラーの言葉。
ファルは彼の言葉に頷き、ボタンに手をかけた。
どうせ死ぬのはNPC。
ゲーム世界で何人のNPCを殺そうと、ゲームに迷惑をかけない限り、それは決して許されない行為ではない。
だからこそファルは、赤いボタンを押した。
赤いボタンを押した直後、部屋の壁の向こうから悲鳴が聞こえてくる。
1人のNPCが絶命する際の断末魔だ。
NPCがどのような死を迎えたのかは分からない。
《君、やっぱり〝期待通り〟だ。相手が〝NPC〟なら〝躊躇なく〟ボタンを押す。それこそ〝ゲーム感覚〟だ! それこそ〝プレイヤー〟だ!》
「黙ってろディーラー。俺はボタンを押すので忙しいんだ」
悔しいがディーラーの言う通りだ。
殺す対象はNPC。
ボタンを押すのに躊躇する必要は全くない。