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第9話 艦体放棄

 一般に、ワープできなくなった艦艇はその場で修理不能であれば放棄される。


 ワープは自艦の重力場形成装置によってのみ可能である。時空に作用して他の艦をワープさせるということは出来ない。そんなことをしようとすれば歪められた時空に諸共に押し潰されてしまう。人工の艦艇だから質量が小さすぎ、そうなってもブラックホール化も起きない。ただ宇宙の塵と化すのみである。


 例えば今回の作戦の場合、戦場となった回廊から最寄りの駐留艦隊基地まで通常航行ではおよそ30年かかる。だがリンデンマルス号の場合、その駐留艦隊基地のある惑星上空の宙空ドックにはその巨体故に入れない。したがってそこで修理するということは不可能である。

 外部装甲が破れ、主エンジンも1基失ったリンデンマルス号の修理は、第三方面司令部のある惑星シュナルトワの専用宙空ドックでのみ可能であり、そこに移動するには100年以上もかかってしまう。

 ワープも修理もできない艦艇が放棄されるのはそういう理由からであり、特にリンデンマルス号は騙し騙し退役を先延ばししてきた老朽艦であるが故に、速やかに放棄が決定されたのである。


 ただし放棄とは言っても軍艦の場合、その場にただ置き去り、という訳にはいかない。軍事機密の漏洩防止、また、遺棄物資を宇宙海賊などに奪取されないため様々な手順が定められており、最終的には爆破処理される。


 艦体を放棄する場合に限らず、優先的に行われることは戦死者の遺体収容と負傷者の手当である。これは戦闘中はもちろんのことであり、戦闘終結後は最優先される。

 イステラ軍においては戦闘中は宇宙服の着用が義務付けられている。またその中にはプロテクト・スーツという、身体を保護する特殊素材の全身タイツ式防護服のようなものも着込んでいる。だがそれであっても完全に死傷を避けることは不可能である。


 ただし遺体収容は実質、名目だけということが多い。

 至近距離での大爆発に巻き込まれれば宇宙服もプロテクト・スーツも役には立たない。それこそ後には肉片しか残っていないことが多い。

 したがって両袖に埋め込まれたマイクロ・チップを捜し出し、認識票代わりに回収できれば御の字である。


 そこまでいかずとも打撲や骨折、手足が千切れるとか内臓破裂とかなども起こり得る。

 したがって怪我人の治療も優先事項である。重傷者は陸戦兵の手によって艦内病院まで運ばれ、軽傷者は看護士、もしくは管理部所属で訓練を受けた補助衛生員がその場で治療に当たる。


「艦長、負傷者の治療が全て終了しました」


 軍医中佐のシャスターニスがレイナートに報告してきた。


「ご苦労様です。状態は?」


 レイナートが尋ねるとモニタの向こうのシャスターニスは「う~ん」と唸った。


「あとは病院船での対応に期待するしかないわね」


 病院船は文字通り、病院機能を有する船舶である。

 リンデンマルス号の艦内病院は最新の検査機器と治療設備は有するものの入院設備はない。

 これは重傷者はワープには耐えきれないからで、要入院患者を抱えていると艦の行動を著しく阻害するため、速やかに後送するという前提からである。

 その点、病院船は入院機能を持ち通常航行中に患者の治療に専念することが出来る。そうして治癒後、別の艦で最寄り基地まで移動するというものである。


 そうして治療の済んだ者から、自力で移動できない者は退避カプセルに収容されてフライトデッキに移動する。

 リンデンマルス号の艦外退避は基本的にフライトデッキからで、フライトデッキには退避する乗組員を収容するための資材運搬機が待機する。

 資材運搬機は1辺25mの方形をしている、いわば宇宙用の筏のようなもので、本来はその名の通り輸送艦から資材を搬入するために用いられるものである。


 退避カプセルは宇宙服を着たまま入ることが出来、宇宙服とは比べ物にならない大型バッテリーを搭載、宇宙服をつなぐことで生命維持装置の長時間作動を可能とする。もちろん救難信号も発するというものである。

 文字通り艦外へ緊急退避する際に利用されるものだが、負傷しておらずとも直ぐに収容される可能性が低いと目される時に使用される。

 今回の場合、直ぐに別の艦艇に収容されるので全員が退避カプセルを利用する必要はない。重傷者のみその保護のために、退避カプセルに収容され資材運搬機で病院船に運ばれる。


 艦内病院での負傷者の治療終了の報を受け、レイナートが艦内に通達する。


「本艦は30分後に主コンピュータを停止する。各部はそれまでに作業を終了せよ」


 それを聞いて各部門では責任者が部下に檄を飛ばす。


「急げ、時間がないぞ!」


 退避命令が出た時点で必要な作業を進めているが、そのタイムリミットが提示されたのだから当然である。


 主コンピュータは艦内重要設備を集中制御する。そこには主発電機や外装パネル等のエネルギー関連システム、慣性制御装置、重力場形成装置等の重力制御関連装置といった艦の行動を左右するものから、空気発生装置、空気循環浄化装置、飲料水生成装置、汚水浄化還元装置等、艦内の人間の生存に関わる機器も多数含まれる。そうして主コンピュータがこれらを制御して艦内を1G、1気圧、気温20℃、湿度65%に維持している。

 したがって艦内に人がいる場合、主コンピュータが正常作動していないと満足に活動はできない。

 まして、主コンピュータが止まると艦内は停電状態になるから、艦内病院で重傷者の治療をする場合には絶対に主コンピュータは停止させられない。また、主コンピュータの停止までにフライトデッキへの移動を済ませておかないと、無重力状態の艦内を動き回らなければならなくなる。


 ところが主コンピュータが稼働していると艦を放棄し退避する際には色々と面倒になる。

 主コンピュータは艦内に異常が発生した場合、様々な安全装置を働かせ、また必要に応じて機器の作動を停止させるという重要な役目も負っている。

 乗組員の艦外退避はエアロックを開放させて行われる。つまり一々扉を締めて空気の加圧減圧と言った調整作業を行わない。

 エアロックはそもそも外界と艦内を区切り、空気の流出を可能な限り低く抑えるためのものである。だが退避の際はそれを必要としない。最終的に無人となるため無駄な作業だからである。

 ところがエアロックを開放したままにすると、当然、空気の流出とそれによる艦内空気圧の減少を招く。

 主コンピュータはこれを異常事態と捉え、エアロックを閉じようとする。もしくはその区画全体を隔壁で閉鎖してしまう。それは事故、もしくは敵襲というのが考えられる主原因だからである。故に退避をスムースに行うためには主コンピュータを停止させなければならない。

 したがって各部所は主コンピュータの停止前に規定作業をすべて終え退避を行わなければならない。


 退避に際し各部においては持ち出せる装備の準備を行う。


 艦内に配備されているものの内、艦載機、強化外装甲やスペース・バイクの調達にも多額の国家予算が投じられている。これらの内、使用に何ら支障のないものまで放棄するのは、それこそ金をドブに捨てるようなもの。故に可能な限り持ち出すのである。具体的には他の空母に自力で移送させる。

 ただし自動小銃や拳銃、高周波ブレード等、個人用小火器は集めると膨大な数になり嵩張る。と言って退避する乗組員に持たせると事故の元にもなるのでこれらは放棄される。


 管理部は備蓄しているレトルト食品パックを退避する乗組員一人ひとりに規定数量を手渡す。退避先の艦艇への負担を可能な限り軽減するための措置である。


 それ以外にも各部門においてはデータのバックアップが行われ、外部記憶装置に収めて持ち出す。

 常日頃定期的にバックアップは行われているものの、その作業にはそれなりに時間を要する。


 こういった作業に携わる者以外、手の空いた者から順次退避する。

 何せ3千人も乗っているのである。総員が退避するには相当な時間がかかる。それを可能な限り短縮するためには用のない者からさっさと降りていかざるを得ない。したがって責任の小さい、階級の低い者からということになる。


 そうした作業が終了次第、最終段階に移行する。すなわち各部門長はそれぞれの部署の自爆装置起動プログラムを立ち上げるのである。

 このプログラムはMBにおいて艦長が最終手続きに入った後、一定時間を置いて作動するものである。


 リンデンマルス号に限らず、宇宙艦艇というのは頑丈に作られている。故にたった一つで艦体が粉々になるほどの爆弾というのは核爆弾以外にない。

 ただし核融合爆弾というのは実用化されておらず、現実には核分裂を利用した爆弾ということになる。

 この場合爆発後大量の放射線を発する。したがってたとえ艦体が形を留め装備品が無事に残ったとしても放射線まみれであるから、それを再利用するというのは事実上不可能である。


 またそもそも宇宙空間そのものが放射線に満ちている。したがって多少増えたところで問題ないという意見もある。故に自爆用には核爆弾を、という声は軍内部にも多い。

 しかしながらこれを艦内に保管するというのは万が一を考えると危険が大きすぎる。

 またイステラ軍も核兵器を保有するが、これは人類以外の異種知的生命体と接触、交戦が避けられないという状況下でしか使用を控えるべし、という政府通達がある。


 故に艦艇の自爆処理は大型の核爆弾ではなく、通常爆弾によって行う。これは艦体そのものを粉砕するのではなく、要所を破壊することで使用を不可とするということである。それ故様々な所に仕掛けられておりその数およそ240箇所にも及ぶ。これら一つ一つ起爆装置を作動させるというのは無理がある。そこで順次爆発させるため、その制御に自爆装置起動プログラムというものが各部門ごとに設置され、これによってその管轄下の設備や装置を破壊するのである。もちろんコスト面という観点からは核爆弾1発に比べると割高であるが、これが正式に採用されているのである。


 各部は自爆装置起動プログラムの立ち上げが終わったところで、いよいよ最終的に退避に移る。

 退避先の艦艇から出迎えのためのシャトルでも来ない限り、一部を除いて佐官であっても遺体や負傷者と同様、基本的にはフライトデッキから資材運搬機に乗って移動する。


 退避時、私物の持ち出しはもちろん認められていない。

 と言ってもそれほど大掛かりな私物を持ち込んでいる者は皆無である。それはこういう状況を想定している、ということもあるが、そもそも必要なものは大抵艦内に揃っているし支給される。したがって持ち込む必要が無いのである。なのでもし万が一持ち込んでいるのなら、それらは全て諦めざるを得ない。

 ただし、貸与されている情報端末だけは携行が許されている。イステラの兵士はこれなしでは任務遂行も私生活を送るのも無理と言われているほどで、持って行かないという方があり得ない。


 移動先は、艦載機や強化外装甲等の場合は空母、それ以外の尉官以上は駆逐艦や巡航艦など、下士官以下は基本は輸送艦である。

 輸送艦は資材運搬用で、基本は貨物室の中で雑魚寝であるため、乗り込んだ後も宇宙服を脱ぐことは出来ない。

 宇宙服は自分の汚物を分解・還元する機能を有するので飲水はこれによって確保する。食事はレトルト食品パックを装着する機能を有するのでこれも問題はない。

 ただし宇宙服のバッテリーは定期的に再充電される必要がある。


 そうして全部署の兵員が退避を完了すると、ようやくMBの主要スタッフが退避に移れる。


「最後の資材運搬機が離艦しました」


 船務部長のクローデラが報告する。


「もうこの艦に残っているのは我々だけです」


 MBに残っているのは艦長のレイナート、その副官のモーナ、クローデラ、エメネリア ― ネイリは「お嬢様と一緒に」とごねたが結局許されずに先に降りた ― とアニエッタのみである。艦長護衛のエレノアとイェーシャは退避経路の確認のため一旦MBを離れている。


 作戦部長で副長のコスタンティアは一足先に離艦している。これはリンデンマルス号を代表して、乗組員の受け入れ艦艇 ― と言っても複数の艦艇に及ぶので全部は無理であるから代表して一番格の高い艦 ― に対し直接面前で謝意を表するためにである。

 その他各科の科長らはその部門の最終退避時に離艦している。


「よろしい。では艦体自爆装置起動最終プログラムを作動させる。

 シャッセ大尉が戻り次第、サブ・コンピュータ停止する」


 主コンピュータを停止すると主要設備の殆どが停止してしまう。主発電機も動いていないので非常用電源に切り替わっている。

 ただし退避作業の際、人工重力発生装置だけは作動していないと、艦内を宇宙遊泳することになり余計な時間がかかる。そこで主コンピュータのバックアップ用サブ・コンピュータで、人工重力発生装置だけは作動させておく。


 ところが最後のMBからの退避はエレベータが動いていないので階段を使うことになる。しかしながら宇宙服を着た状態でレベル12のMBから階段をフライトデッキのあるレベル7まで駆け下りるのは難儀である。そこで最終的にサブ・コンピュータも停止させ艦内を無重力状態にし、階段室の中を文字通り泳ぐように降りていく。

 もしもこの階段の非常扉が閉まっていると退避出来なくなる。

 したがってエレノアとイェーシャの2人は、ドルフィン3が待機するハンガーまでの経路の確認を行う。ご苦労なことだが実際そこまで行って帰ってくるのである。


「経路は異常なし。ハンガーまで問題なく行けます」


 エレノアがハンガーから戻り報告する。ちなみにイェーシャはハンガーに残りドルフィン3のシステム起動を行っている。

 レイナートが頷く。


「よろしい。サブ・コンピュータ停止。

 艦体自爆装置起動最終プログラム、アクセス・キー入力」


 このアクセス・キーを持つのは艦長と作戦部長、船務部長、戦術部長の合計4名だけである。そうして艦長と他2名の計3名が入力することで自爆プログラムが作動する。

 なので今回はレイナートと船務部長のクローデラ、戦術部長のアニエッタが、それぞれの職務の最重要機密であるアクセス・キーをそれぞれの席で入力する。


「入力完了」


 入力が終了すると艦長席の専用コンソールが点灯した。


「残り時間を入力」


 MBからハンガーまでは階段で行かなければならない。さらにドルフィン3が発進してリンデンマルス号から離れるまでの時間も計算に入れなければならない。

 それらを全て鑑み残り時間は40分とされた。


「自爆装置起動最終プログラム、作動」


 そう言ってレイナートが画面にタッチする。


 画面に数字が現れ、カウントダウンを始める。同時に機械音声が艦内に響き渡る。


『自爆装置ガせっとサレマシタ。爆発マデ残リ39分50秒』


「総員、退避! 急げ」


 レイナートの声に全員がMB内に浮かび非常階段に向かう。宇宙服に装着されている小型スラスタで文字通り宙を飛びドルフィン3へ向かう。


 階段からハンガー後方の空間、開け放たれたエアロックを経てハンガー内で待機するドルフィン3に至る。

 ドルフィン3のランディング・ギアのところでイェーシャが待機している。

 全員の搭乗が完了するとイェーシャがランディング・ギアの固定索を外す。万が一機体が流されないようにギリギリまで固定されているのであり、これを外さないと発進できない。

 ランディング・ギア固定索を外したイェーシャが乗り込んだところで主操縦席のアニエッタが言う。


「ドルフィン3、発艦する」


「了解。メインシステム・異常なし」


 副操縦席のエレノアが言う。ドルフィン3は陸戦部隊で基本運用している。そうして陸戦兵もこうしたシャトルや突撃艇を自力運用する。したがって陸戦兵もこれらの飛行ライセンスを保持し定期的に飛行訓練を行っている。


 開け放たれたハンガーのハッチからドルフィン3が発進する。リンデンマルス号はフライトデッキの誘導灯のみが点灯している。ドルフィン3のリアハッチ ― この型のシャトルは小型陸上車両も搭載できるのでそのためのもの ― を開き、その段々と離れ小さくなっていく誘導灯を見つめるレイナートら。

 クローデラが情報端末を確認して言う。


「自爆装置作動まで残り26分。」


 ドルフィン3は退避先の空母に向け一直線に飛んでいく。

 もう既に誘導灯は見えなくなっていた。


「カウントダウン続行。残り10秒」


 クローデラの乾いた声がヘルメットの中で聞こえる。


 自爆用爆弾は小型のもので艦を粉砕するものではない。したがって爆発しても分厚い外部装甲を突き破ることはない。だが砲塔や発進バレルといった外部装備に仕掛けられた爆弾が発する光は外部からも確認できる。


「……9、8、7、6、5、4、3、2、1、0」


 漆黒の闇の中に小さな光点が幾つか出来た。それを見てレイナートは姿勢を正し敬礼した。クローデラとイェーシャもそれに倣う。


 こうしてリンデンマルス号は31年と7ヶ月という、宇宙艦艇としては異例の長さの現役期間を終了したのだった。

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