第7話 逆襲
「バカな! 雲の中から攻撃してきてるのか?」
唖然とするアレルトメイア艦隊総司令。それはありえないはずだ。そうとしか思えない。
だがそのまさかが起こったのだった。
「左舷前方荷電粒子砲発射準備。この距離だ、加速率は75%を超えていればいい」
レイナートの声がリンデンマルス号のMB《主艦橋》内に響いた。
リンデンマルス号は、左舷の主エンジン及び左舷後方の荷電粒子砲はミサイル格納庫の誘爆で使い物にならなくなっていたが、航行不能になった訳でも戦闘能力そのものを喪失した訳でもない。
最終的にはサブ・ブースターによって減速に成功、逆に再び回廊の方へと接近を果たしたリンデンマルス号は、雲に隠れたまま戦闘へ復帰すべく準備を進め逆襲を開始したのだった。
「ドルフィン1からのデータは?」
「入力しました!」
「良し、撃て!」
左舷の生き残っている荷電粒子砲、6基12門が火を吹いた。
「アレルトメイア艦、6隻を中破!」
何せ200cm2連荷電粒子砲の威力は凄まじい。加速率100%なら簡単に艦体を貫通しその背後の艦まで大破に至らしめる。
だが連射速度を稼ぐために荷電粒子の加速率は100%に達していない。しかも雲の中からなので星間物質とも反応を起こして着弾までにかなり減衰している。これが200cm砲でなければ効力のある射撃ではなくなっていただろう。故に1発で複数の艦を屠るまでには程遠い状態だった。
だが側方からの攻撃を予期していなかったためアレルトメイア艦隊は全くの無防備だった。それがアレルトメイア艦に対し予想以上の被害を与えることに成功していた。
「まさか、横から? 雲の中から撃ってきてるのか? どうやってだ!?」
アレルトメイア艦隊総司令の顔に怒りすらこみ上げてきている。
雲の内部では電磁波を利用する電子機器は一切使えないのは確認済み。それ故の回廊争奪戦である。砲をただ撃つだけならともかく、艦影を捕捉もせずにどうやって着弾させているのか。密集隊形とはいえ闇雲に撃って当たるほど各艦の位置は近くはない。
そこでアレルトメイア艦隊旗艦の観測士が叫んだ。
「9時の方向に正体不明機!」
「正体不明機だと?」
「我が国ものもイステラものも、敵味方識別信号を発していません」
「バカモン! それなら敵だ!」
総司令が観測士を怒鳴りつけた。
その正体不明機、ドルフィン1ではレーダー・サイトの光点を見ていたクローデラ・フラコシアス中佐がヘルメット内で口を開く。
「座標ポイント転送。修正なし」
『了解。こちらも転送します』
耳元の拡声器からは友軍機のパイロットの声が聞こえた。
雲の中では通信機も索敵機器も全く使えない、というのではなかった。ただその有効範囲が極端に狭く、全く実用をなさないものになっていたのだった。そこでクローデラが進言し多目的哨戒機ドルフィン1が発進した。
ドルフィン1が雲の切れ目ギリギリまで進み敵味方識別信号を発することなく索敵に務める。そうしてアレルトメイア艦の位置情報を送信する。それを別の艦載機が数機、リレーのように繋いでデータをリンデンマルス号まで届けていたのである。
もっとも敵味方識別信号を発信していないということはある意味で卑怯である。ただし友軍に撃墜されるリスクもあるという、ある種のギャンブルでもある。
「位置データ受信。右舷《Starboard》各砲塔に転送」
リンデンマルス号のMBではそうやって受け取ったデータを元に主砲を発射していた。
「艦体転倒、180度。右舷主砲、全門発射準備!」
リンデンマルス号がゆっくりと右側に傾き始め180度転倒したところでピタリと止まった。そうして砲塔が思い思いに回転し砲身も動き始めた。
「右舷艦首上部甲板側《SBTD》、右舷艦首下部甲板側《SBBD》、右舷艦尾上部甲板側《SSTD》、右舷艦尾下部甲板側《SSBD》、全門発射準備完了」
「撃て!」
直ぐに通信機にドルフィン1からの連絡が入る。
『全弾命中、効力ありと判断。10隻を中破と認む』
クローデラそう言って安堵し、次の目標を選定しようとしかけたところで主操縦席のアニエッタが大声を出した。
「捕捉された!? マズイ、一旦、逃げるわよ!」
「ちょっと待って! まだ……」
異を唱えるクローデラにアニエッタはにべもなかった。
「生きて還る方が優先でしょ!」
今では戦術部長としてデスクワーク主体になったアニエッタであるが、ここぞという時には操縦桿を握ることもあった。かつてのエースの腕は未だに錆びついておらず、リンデンマルス号のパイロットの中で1番の腕を誇っている。
それは逆に言えば、他がだらしないということでもあるのだが。
そのアニエッタをドルフィン1の主操縦席に座らせたのはレイナートである。クローデラがドルフィン1での索敵を進言した際に命じた、というか許可したのだった。
「船務部長自ら出動というのは……」
渋るレイナートだが当然だろう。クローデラは今ではコスタンティアに次いでリンデンマルス号の実質ナンバー3である。軽々しく艦外へ出て任務に当たるなどありえないことである。
だがクローデラは言った。
「生憎、情報解析において小官の右に出る者がいまだにおりません。準備不足で申し訳ありません」
船務部長となる前からクローデラは折に触れて後進を指導している。だが未だに自分の後釜として全て任せても大丈夫と言える部下は育っていなかったのである。
クローデラの言葉にレイナートは溜息を漏らしつつ言った。
「わかりました……。
ならばパイロットは空戦科からエースを出して下さい」
それを聞いてアニエッタが戦術部長席から立ち上がった。
「それなら私の出番ね」
「戦術部長!」
レイナートが慌てて声を掛けた。
「だって私がこの艦のエース・オブ・エースだもの。
違います、艦長?」
そう言われると首肯せざるを得ない。だがナンバー3のみならずナンバー4まで出撃というのはすぐには許可し得なかった。
「ですが敵は油断しているでしょうし、今が好機に違いありません」
コスタンティアはそう言ってクローデラとアニエッタを支持した。
「確かに両部長が最適ではないでしょうか?」
エメネリアも同調した。
副長と戦術アドバイザーとにそう言われて、結局、レイナートは渋々許可したのだった。
もっともこの決定を後に聞いた空戦科長のミュリュニエラ・エベンス少佐は地団駄を踏んで悔しがったという。
まあ、ライバルと目すアニエッタが上司となっただけでも面白くはないのに、ここぞという時に美味しいところを持って行かれたのだから当然だろう。
「アタシが空戦科長よ! アタシに筋通しなさいよ!」
だがそれも後の祭り。
アニエッタはさっさと飛行服に着替えてドルフィン1に乗り込んだのだった。
そうして出番のなかった艦上攻撃機部隊の内、第4航空隊を引き連れて出動した。1機ずつ残し先へと進みドルフィン1はぎりぎり雲の外へ出たのである。そこで観測機器を作動させアレルトメイア艦の捕捉に努めたのだった。
ただしこれは想像以上に難しい作業である。
自機の位置と母艦の位置、それと敵艦の位置はいわば三角形になる。したがって敵艦の位置を自分からの通りに報告しては母艦側で主砲の照準合わせが出来ない。したがって敵艦の位置を母艦からの座標点に変換しなくてはならないのである。
これとても機器が正常に作動すれば何ということもない。
だが雲の中に隠れているリンデンマルス号の位置そのものが直ぐには特定できない。その座標をまず確定させないと話は始まらないが機器は全て使用不能である。
そこでクローデラはドルフィン1の飛行ログの解析から始めた。
発艦後、メイン・スラスタ、どのサブ・スラスタを何秒間、どれだけの出力で噴射したか。それによって機体はどの方角へどれだけ進んだかを割り出し、それによってリンデンマルス号とドルフィン1の絶対座標を確定した。言葉にすればそれだけの話だが、実際はそんな生易しいものではない。
加速度、慣性、その他もろもろの要因を全て考慮して図式化するのである。それは膨大な計算を必要とする。
事実、クローデラが助手として同行させた情報解析士官は直ぐに音を上げそうになったほどである。
だがクローデラは端末の画面を見つめ淡々と、的確に数値を入力していく。その横顔には神々しさが漂っているほどだった。
そうして絶対座標の確定に成功する。ここまで来れば作業は山を超えたことになる。あとはこれを元に敵艦の位置を相対座標で表し送信するだけである。
そうしてデータを受け取ったリンデンマルス号は、送られた通りに数値を入力し主砲を発射する。そうしてクローデラの計算に一つも誤りがないことを確認するのだった。
一方、攻撃される方は訳がわからず困惑していた。だが正体不明機発見の報に光明を見出した。
「戦場で敵味方識別信号を発しない機体なんぞいるものか! 敵か、でなければ海賊の類しかないではないか!」
アレルトメイア艦隊の司令はそう部下を怒鳴りつけた。
「直ちに撃ち落とせ!」
そこで艦載機部隊に出動命令が下されたのである。
次々と出撃するアレルトメイア軍戦闘機。
それを素早く察知したアニエッタは操縦桿をグイと引いて機体を反転させた。
「メーデー、メーデー、敵艦載機部隊出撃を確認。本機は一旦任務を離れる」
リンデンマルス号にそう告げて、アニエッタは雲の中に機体を紛れ込ませる。
そうして副操縦席に座る若い少尉に言った。
「いい? こういう時は焦っちゃダメよ。焦らずに対処する。わかった?」
「はい、少佐殿」
その少尉は硬い表情でそう言って頷いた。
この少尉は1年ほど前、士官学校を卒業し新任でリンデンマルス号に配属となった新米パイロットである。
リンデンマルス号の総乗組員数は3千余。毎年、何人かが45歳の宇宙勤務定年を迎えて離艦する。だが直接戦闘部門である戦術部の特に空戦科ではそれ以前に地上に降りる者が多かった。それは肉体的な衰えを理由にである。
平均寿命が3桁に達し「60、70はハナタレ小僧」と言われるようになり、今では60歳でも時に「中年」としか呼ばれないような時代である。
だが寿命が伸びたからと言って加齢による肉体的な変化は昔と大きく変わってはいなかった。
保健省の基礎体力データでも、男性は20代をピークに緩やかな右肩下がりで、40~50代からその落ち込み方が急になる。
女性の出産最適年齢はやはり10代後半から30代前半までとされ、それ以降の初産は高齢出産として危険視される。
そうして40代は、体力の衰えを自ら実感し始める年代だった。
リンデンマルス号は独立・特務艦の位置づけである。
故に陸戦兵を抱えていてもそれは重装機動歩兵として運用されることはほとんどない。砲雷科では重い砲弾を抱えて移動するなどということもない。
したがってこの2科では40代の体力低下が直接任務に差し障ることは少ない。
だが空戦科は事情が違う。
リンデンマルス号の貧弱な対空防衛システムをカバーするため艦載機のパイロットには精鋭が求められている。
故に頻繁に訓練が行われパイロットの質の向上が図られている。そうして艦載機の操縦は想像以上に体力を消耗するのである。
「まだヤレル!」
自分ではそう思っていても結果はデータに現れる。自分より年下の、経験の浅いパイロットと記録が並べば考えざるを得なくなる。
リンデンマルス号の航空隊は対空防御の要という重責を担う。それ故衰えからくる失敗は許されない。技量がそのままでもスタミナの低下は問題視されるのである。
そうしてリンデンマルス号はその特殊性の故にパイロットの職務が限られている。
戦闘機・攻撃機以外には多目的シャトルが3機、辺境基地の外装ユニット着脱専用機も3機しか配備されていないから、そのためのパイロットは何十人も要らない。
だから45歳を待たずしてパイロットは転属を願い出る。もしもそれでもパイロットを続けたければそう上申すればいい。地上勤務になっても空を飛ぶ仕事はいくらでもある。たとえそれが輸送機であろうが何であろうが空を飛べることには変わりはない。足手まといになって嘲笑されるくらいならそのほうがマシである。
そうしてリンデンマルス号の航空隊に欠員が出れば直ぐに補充がなされる。対空防衛システムの要たる航空隊に欠員があることは許されないからである。
ただし、以前はそれなりにベテランが回されてきたが、最近は新人が増えてきた。中には士官学校出たての新任ですらもいる。要するに退役間近の老朽艦だからということだった。
そうして今回アニエッタが同行させた少尉もそうである。
彼女はアニエッタの見るところパイロットとして中々見どころがある。経験をうまく積ませればいいパイロットになるだろう。特別扱いしている訳ではないが、これを好機と捉え同行させたのだった。
「いい? 慌てて母艦に向かうのは最悪。マザーの位置を敵に教えることになる」
「はい」
「と言って、この機には船務部長殿も乗機されてる。だから撃墜されたり、それこそ拿捕されるのも絶対ダメ」
いやいや、戦術部長の貴女もでしょう? というツッコミを少尉は口にしなかった。
「はい」と、おとなしく返事をしただけである。
「理想的なのは、敵を迎撃して撃滅、だけどこの機体じゃそれも無理」
「……はい……」
「じゃあどうするかって言うと、ということでかくれんぼの時間よ」
「かくれんぼ……ですか?」
「そう。簡単でしょ?」
少佐殿は真面目なんだか不真面目なんだか少尉にはよくわからなかった。
アニエッタは微かな笑みとともに副操縦席に座る少尉を見た。彼女は優秀で飲み込みも早く筋も良い。もしも自分が航空科長のままなら手取り足取り教えたいところだった。
だが前任の戦術部長ナーキアス・ビスカット中佐が45歳定年を前に異動となった。重装機動歩兵の教導隊に転属となったのである。そこで自分にお鉢が回ってきたというものだった。
「アタシが戦術部長? 人事はみんなどうかしちゃったの? それとも今の連邦はそんなに人手不足なの?」
辞令を受け取った時のアニエッタの第一声は信じられないと言わんばかりのものだった。
だがアニエッタの実父であり、リンデンマルス号の運用責任者であるシュピトゥルス中将は真顔で言った。
『少佐、嘘や冗談で軍が辞令を出すことはないぞ』
「……了解しました……」
私情を全く排した厳しい表情でそう言われたアニエッタは、昇進の辞令なのに、泣き出しそうな顔をして受け取ったのである。
戦術部長という職責は陸戦部隊、空戦部隊そうして艦砲の全てを統括する。今までよりも一段も二段も高い所から直接戦闘部隊の運用を考えなければならない。
それは大いなるチャレンジであるし、いつまでもパイロットではいられない。ならば新たなステップを目指すべきなのは当然である。
まして自分は父親が軍の高級将校である。「父親の顔に泥を塗る娘」などという烙印を押されるのはまずい。
アニエッタ自身、笑顔の裏側ではキリキリと胃の痛むようなプレッシャーと戦っていたのである。
だがそれをおくびにも出さずに少尉に声を掛けた。
「肩の力を抜きなさい。緊張しすぎじゃ長く保たないわよ」
「はい……、でも、少佐殿は不安じゃないんですか?」
少尉が尋ねた。
「ただじっと隠れているだけなんて」
アニエッタとの言う「かくれんぼ」は、機体を完全に星間物質の中に紛れ込ませ停止するというものだった。
闇雲に動くと機体がどこへ向かうかわからない。最悪の場合リンデンマルス号に近づき過ぎて激突、ということもある。また位置の解析がうまくいかなければ迷子になる。宇宙で迷子になったら、特に電子機器が作動しない状況では、一生帰れないということもあり得る。
だから敵をやり過ごすには他に手はなく、必要以上には動かないことが最良ということなのであった。
「まあ、不安じゃないとは言わないけれど、散々訓練してきたしね」
「訓練で? こういう状況も訓練したんですか?」
「まさか! でもまあ、こういう事態も想定して必要なことはやってきたわよ?」
「そうなんですか」
アニエッタの言葉に少尉の顔に少し余裕が出てきたようだ。多少は安心できたようだ。
「さっき船務部長がやってた機体の飛行ログ解析。あれなんかそうね。少尉も毎回飛行訓練の後でやってるはずだけど?」
「はい。でも何のためにやるかよくわからなくて……」
「ったく! 先任は何を教えてるのよ。あとで締め上げてやらないとならないわね」
アニエッタが目を吊り上げた。
そうして表情を戻して少尉に語りかけた。
「よく『訓練を思い出せ。訓練どおりにやれ』と言われるでしょう?」
「はい」
「それは絶対の真理なのよ」
「そうなんですか?」
「そう。訓練って最大公約数なのよ」
「最大公約数?」
「そう。訓練は全ての戦場で起きた一つ一つの細かいことまでは網羅できないわ。だからどうしても最大公約数的に集約されたものになりかねない」
「はい」
「でもね、逆にエッセンス的なものがぎっしり詰まっていて、それを身につけるのが訓練の目的。
そうしてそれが身についていれば応用が効く」
「応用……」
「そう。飛行ログの解析が何のためかわからない、って少尉は言ったけど、船務部長はあれで本機とリンデンマルス号の絶対座標を確定したでしょ?」
「あっ!」
「そういうこと。
無駄と思えたり意味がわからなくても、訓練でやることは全て必要なことなの。そうしてそれが身についていれば、いざという時に応用が効く。
飛行ログの解析がきちんとできれば、計器が一切使えなくても自機の位置も母艦の位置も特定できる。あとはそれをリバース・トレースすれば、ちゃんと母艦に帰れるってこと」
なるほど、と少尉が頷いた。
「と、口で言うのは簡単だけどね。実際は大変な作業よ。さっきの船務部長の顔見た?
あのきれいな顔に、こ~んなシワ寄せちゃって……」
と、アニエッタはヘルメットの中で眉をぐっと寄せてみせた。
「難しい顔してたでしょ?」
それを見て少尉が笑いかけた。だがそれまで黙っていたクローデラが口を挟み、少尉はすぐに顔をきりりと引き締めた。
「何やら聞き捨てならないことを聞いたような気がするんだけど?」
人形のような整った顔が一瞬、これでもかというくらい冷たくなった。
「あら、そう?」
だが、それを全く意に介さずとぼけるアニエッタ。そうしていけしゃあしゃあと続けた。
「でも、少尉、貴女はラッキーよ」
「ラッキー? どういうことでしょうか?」
少尉が首を傾げた。
「だって、開戦前に実戦を経験した艦に配属になったんだもの。実戦が初めてで何もかも手探りの艦よりはよっぽどマシだと思うわ」
「開戦前に実戦を経験……」
「そう。アレルトメイアと開戦したから、今でこそ実戦経験を積んだ兵士は増えてるけど、それまではウチだけだったから……」
「ああ、辺境基地の救援中にアレルトメイア艦隊と接触、交戦したんですよね?」
「そうよ」
「それを聞いてすごいなと思いました。
小官が士官学校入学時にはまだ戦争は起きてなくて、軍人も悪くない職業だな、位にしか思ってなかったんです。なので在学中に開戦して、家族もこうなるとわかってたらもっと反対したと思います」
「あら私も、自分が戦争するなんてこれポッチも思ってなかったわよ? まあ、私はオヤジさんがアレだから全く反対はなかったけど……。
というか今の我軍の宇宙勤務での実戦経験はこの戦争が始まってからでしょう。前の対ディステニア戦争の時の従軍経験者はみんな地上勤務じゃない?
要するに今の宇宙勤務は全員戦争を知らない世代よ」
「あら、そうでもないでしょう」
クローデラがまた口を挟んだ。
「停戦直前に徴募された少年兵ならまだ定年前よ。リンデンマルス号にも技術部に何人かいたはずよ?」
「でもそれって、みんな後方勤務だったって話じゃない。厳密には実戦経験とはいえないでしょう?」
「まあ、それはそうだけど……」
クローデラも渋々認めた。
「幸か不幸か、うちにはあの艦長がいるからね」
アニエッタがそんなことを言った。
「えっ? 艦長が何か?」
少尉が尋ねた。それにアニエッタが苦笑しながら答えた。
「うちの艦長、新任の少尉の時に既に実戦経験があったそうよ。その時は臨時の警備艇の艇長だったらしいけど……」
「そうなんですか? 初耳です」
「しばらくは重要機密扱いで公開されてなかったからね」
「重要機密扱い……。なんだか怖い人なんですね、艦長って……」
そこでアニエッタは小さな溜息を吐き肩を落とした。
「まあ見た目は悪くないけど、しばらくは謎に包まれて不気味だったわね。
疫病神に魅入られてるのか、それとも艦長自身が疫病神なのか」
「いいんですか? 艦長のことをそんなふうに言って」
少尉が目を丸くして聞いた。
「いいんじゃない? だってこれは罪のないガールズ・トークでしょう?」
いえいえ、もっと生臭くないですか? と少尉は口にしなかった。
「とにかく他の艦ではおそらく体験できないような色々なことを経験させてもらったわ。
艦長様様ね」
思いを寄せるレイナートのことをそんなふうに言うアニエッタに一瞬ムッとするも、クローデラは落ち着いて話題を変えた。
「ところで戦術部長、お話もそろそろだけど、ソノブイを出そうと思うんだけど」
ソノブイはかつてそうだったような音波を捉えるものではない。艦艇の発する電磁波や黒体放射を捉える機器である。
「ソノブイを? 大丈夫? 逆トレースされない?」
「もちろん囮も飛ばすわ。
とにかく、ただこうやって息を潜めて隠れてるだけじゃ戦況が全くわからないもの」
「確かにね。じゃあ通信の確認をするわ」
そう言ってアニエッタは僚機に通信で呼びかける。
『こちらアップル1、感度良好』
第4航空隊第1小隊の隊長機アップル1が応答した。
ちなみにアルファとブラボーの各航空隊の小隊機にはスクエア、サークル、トライアングル、ペンタゴンといった図形名が、チャーリーとデルタには何故かオレンジ、グレープ、パイナップルといった果物名がつけられている。
「リンデンマルス号まで通信網の確保はできてる?」
『ええ、バッチリです』
「そう、それは結構。
じゃあこちらはソノブイを飛ばすわ」
『了解です』
リレー式にドルフィン1からソノブイを飛ばすと聞いて、リンデンマルス号のMBでは、レイナートが安堵に肩を撫で下ろした。
―― 良かった、無事だったか……。
敵に捕捉されたと聞いて心配していたがヤレヤレである。
一方、正体不明機の捜索に出たアレルトメイアの戦闘機部隊は、不明機が星間物質の雲の中に姿を隠したことで追撃に二の足を踏んでいた。
宇宙では有視界飛行は出来ない。したがって計器が使用不能となれば索敵できないどころか最悪、帰還さえもできなくなる。それでもその雲の中に躊躇わずに飛び込めるとすれば、怖いもの知らずを通り越して蛮勇と言えるだろう。
―― やってらんねんよ……。
先程までも、艦砲の飛び交う狭い回廊の中を出撃させられた。本来ならあり得ない命令である。
―― うちの総司令官殿は狂ってらっしゃる……。
狂った指揮官からまともな命令は出ない。まともに聞く方がバカを見る。
結局、アレルトメイアのパイロットたちは捜索を断念し、だがそのまま帰ることは出来ないので、燃料の許す限り雲の間際ギリギリを飛行するに留まったのである。