第35話 妹 その2
「士官学校の入学試験って、どういう問題が出るのかしら?」
アリエラの問にコスタンティア、クローデラ、モーナの3人が顔を見合わせた。
「どういう問題と言われても……」
モーナが口ごもる。
「えっと、答えちゃマズい質問、ていうか教えちゃいけないこと?」
その表情から、アリエラが質問を変えた。
だが首を振ったのはコスタンティアだった。
「いいえ。聞かれて困ることではないのだけれど、おそらく貴女が、いえ、普通の人が一般的に入学試験と捉えていることからすると、多分かなりイメージが違うと思うわ」
「そうなの?」
コスタンティアの言葉にアリエラが聞き直す。
「ええ。士官学校の入学試験は3週間にわたって行われるのよ」
「3週間も!?」
アリエラが目を丸くした。
「ええ。実際に合格するとその3週間は訓練期間に含まれるのだけれど……」
「? ごめんなさい。よくわからないわ」
「でしょうね」
コスタンティアが微笑んだ。
「その3週間で見られるのは基礎体力、法的知識及び、従順性・適応性といったことかしら。
それと敬礼とか気をつけの姿勢とか、基本動作を徹底的に叩き込まれるの」
クローデラとモーナが静かに頷いているし、エレノア、アリュスラも同様である。
「基礎体力は持久走、障害走、腕立てとか腹筋とか、文字通り基本的な身体能力を見るものね。タイムとか回数を見られるのよ。
当然だけど合格ラインが決まっていて、もしも試験開始時点で達成できていなくても、3週間後にクリアできれば問題ないとされているわ。それから伸び率も評価の対象になるわね」
当然のことながら伸び率が高いと高評価につながるのである。
「ふ~ん、そういうこと……。じゃあ、他のは?」
「法的知識は連邦憲章の前文や第三章といった国防に関する部分や、連邦軍総則の内、基本法における軍の法的根拠に関する部分や、特別国家公務員法の軍人に関する部分を暗記させられて、それを暗証させられるのよ。もちろん丸々全てではないけれど……」
「うそ! 大変……」
アリエラが目を丸くする。
「ええ、そうなの。午前中、目一杯体を動かして、昼食後に講義を受けるのだけれど……」
コスタンティアが苦笑気味に言うと、クローデラとモーナが言葉を添えた。
「特に訓練所の昼食はバフェ・スタイルで好きなだけ食べてもいいのよね。味もまずまずだし……」
「そう。朝早く叩き起こされて、散々走ったり体を動かした後だから、つい食べ過ぎちゃって……」
それを聞いてアリエラが尋ねる。
「もしかして……、眠くなる?」
「その通り」
コスタンティアが今度ははっきりと苦笑いする。
「あれは一種の拷問だったわ」
人形のように整った顔立ちのクローデラがボソリと漏らす。
「ホント、そうよね」
モーナがげんなりした顔で同意した。
「とにかくその日覚えなきゃならない部分を暗唱できないと、できるまで居残りさせられるの。でもその後の訓練は時間どおりに始まって終わる。だから、それでもし、特に気をつけとか敬礼といった、基本動作の訓練が受けられないことになったら大変よ。
実はこの儀礼関係の基本動作習得が一番重要で、これができないと他がどんなに成績がよくても最終的に入学が許されないのよ」
「うわ~、大変そう……」
モーナの説明を聞いてアリエラが顔をしかめた。
「とにかくこの3週間の間は指導教官には怒鳴られまくるし、酷い時には人格否定みたいなことまで言われるし、それだけでもかなりしんどいわ」
クローデラがまたボソリと言った。
「士官学校は士官を養成する所。だから兵士訓練所より厳しいし、ドロップアウトも珍しくないわ」
そこでようやくレイナートが口を開いた。
「予備校も、予科も何年もかけてその入学に必要なものを身に着けさせる。だからある意味で直接士官学校に入るよりも有利といえば有利だね。
だが逆に言えば、それだからこそ、直接入学し無事に修了した者はより高く評価されるんだよ」
その士官学校を優秀な成績で修了しているのだから、コスタンティア、クローデラ、モーナの優秀なことは言を俟たないだろう。
「そうなんだ……。じゃあ、予備校から始めた方がいい?」
アリエラの問にレイナートが首を振る。
「いや、それは無理だね。予備校や予科には入学時の年齢制限があるんだ。一定年令に達していると入学が認められないんだよ。士官学校本科にもあるけど、こちらの方が幅は大きいんだ。アリエラの場合もう本科しか受験資格はないよ」
「そうなんだ……、残念」
アリエラが肩を落とす。
「ところでアリエラ、もし受験するとした何科を目指すんだい?」
レイナートが今頃気づいたように聞いた。
「そうね……、通信講座では化学を取ったんだけど」
「化学を? それは、すごいね」
レイナートが感心したように言う。いわゆる文科に比べ理科は実験を伴うものが多いから、通信講座でそれを履修するのは、場合によっては、実際に大学に通うよりも困難を伴うことが多いのである。
「別に大した理由はなかったんだけど、ハイスクールを出た後、農業開発公社に就職して資材部門に配属になったのよ」
レイナートやアリエラの出身地である惑星ゲステロムは連邦政府直轄の植民星である。植民星もある程度開発が進むと自治権が与えられ地方政府が樹立されるが、それまでは連邦政府から派遣された役人が行政に携わる。
農業開発公社もその一つで、連邦政府の第一次産業(農・林・水産・魚・鉱)省から派遣された職員が必要業務を行うのである。
「資材部門では肥料とか農薬とか扱うから薬品関係を色々と憶えたので、それで化学を学んだの」
「なるほどね。化学というと、士官学校では工科になるかな」
アリエラの言葉にレイナートがつぶやく。
「工科? まあそうかもしれないですね」
モーナが同意した。
「工科は軍の工業技術部門を担う士官を育成する科だからね。化学なら工科で学んで、任官後は技術研究所か材料研究所に配属というのが多いかな。
もっとも、任官後直ぐに研究所配属というのはよほど優秀でないと無いだろうね。多くの場合は前線勤務が普通だと思う」
穏やかな口調でレイナートは続ける。
「前線勤務、ようするに艦艇勤務か宇宙基地勤務となって諸設備や施設の管理責任者に就く、というのが大多数だと思う。
まあこれは工科に限らず士官学校出のほとんどに言えることだけどね」
そう言ってレイナートはコーヒーを口にした。
士官学校では将来望む部門への配属を鑑みそれに最適となる科を選んで受験する。それは何も士官学校に限らず大学でも同じことではある。
そうして、大学を出ても必ずしも希望する職業につけないのと同様、士官学校を出ても希望する部署へ配属されるとは限らない。
例えば戦闘技術科の空戦課程・陸戦課程を選択すれば前線部門への配属を希望するに等しいが、中にはそうでなくて新型機のテストパイロット、教導官希望という者もいる。必ずしも全てが実働戦闘部門を含む前線配備を望んでいる訳ではない。
ただし、テストパイロットであれ、教導官であれ、いきなりなれるものではなく、実戦(平時の場合であれば前線勤務)を多く経験し、その中で優秀と認められてはじめてその道が提示されるのであるから、望む道と違っても暫くの間は我慢するしかない。
まして、参謀志望の戦術作戦科ともなれば中央総司令部統合作戦本部最高幕僚部、もしくは各管区方面司令本部、すなわち方面司令部の参謀部門への配属を願うのがほとんどである。
だがすべての希望を聞き入れてくれることはないし、第一、前線や現場を知識でしか知らない頭でっかちばかりで軍の中枢を占められていては組織としては成り立たないので、大半は現場に送り出されるのである。
「それと、工科に入学しても途中で転科を促されることもあるし」
「どういうこと?」
アリエラの問にレイナートが続けた。
「例えば、ある特定分野に目覚ましい才能を持っているとみなされれば他の科への転籍を勧められるということだよ」
レイナート自身、一般科に入学したが、途中何度も戦術作戦科や戦闘技術科への転科を促されている。本人は最後まで拒否したし軍としても本人の志望を完全に無視することはできないから一般科のまま課程を終了し任官したが。
「それともう一つ重要なことは……」
レイナートはそこで言葉を切って口をつぐんだ。
「兄さん?」
なかなか次の言葉を発しないレイナートを不審に思ったアリエラが声をかけ、レイナートは重くなった口をゆっくり開いた。
「望まない部署に配属されるということもそうだけど、例えば、受け入れがたい職務に就かされたとしても士官学校出身者は一定期間はそれを拒否できないんだよ」
「受け入れがたい職務って、そんなのあるの?」
アリエラの問にコスタンティアが静かに首肯いている。
コスタンティアは任官時広報部配属であり、コマーシャル映像への出演も命じられた。実家で広告塔をやらされることが嫌で入隊したのにもかかわらず、である。結局、半年間は我慢を強いられ、任官1年後ようやく転属を願い出られたのであるから、レイナートの言わんとする所はよく理解できた。
「受け入れがたい、というのは人にもよるだろうけれど、例えば、狙撃という任務がある」
「狙撃……」
「そう、狙撃。これは多くの場合、姿を隠しての遠距離射撃で目標を無力化するもので、もちろん、それだけの腕がないと与えられない任務だ。
だが、腕があることと、それが自分のしたいことである、というのは別だということはわかるよね?」
「ええ」
「医者になりたいとか、弁護士になりたいとか、そういう理由で士官学校に入っても、例えば射撃の腕が優れているとか、格闘戦に長けているとかそういう場合、転科を促されることがある。
まあ、拒否もできるけど、その場合、出世はまず見込めないね」
レイナートの場合も、優秀さの故に一般科から専修科への転籍を勧められそれを拒否したので全く同じである。
ただし一般科のまま卒業したことが、逆に今の出世につながっているということは紛れもない事実であると言えるので、専修科に転科していたら、逆に今のコスタンティアやクローデラのように昇進していたかどうか疑問だろう。
「そうして、無力化には当然だけど目標の殺害も含まれる」
「殺害……」
アリエラの顔から血の気が引いた。そうして震える声で尋ねた。
「それって……、殺人じゃないの……?」
レイナートは至極真面目くさった表情で首を振った。
「軍人が任務で行う場合は違うね。殺人とは見做されないし、罪に問われることもない。でも一般人が同じことをすればそれは犯罪になる」
「……」
「では何故、同じ行為であっても一方は罪に問われ、一方はそうでないのか?
それは法的根拠のあるなし、というのが軍における公式見解なんだ」
「法的根拠……」
「そう。さっき彼女らが挙げた法律なんかに軍人が行う行為、行える行為、行えない行為、が厳格に定められているんだ。
したがって我々軍人はそれに基づいて行動することを求められるている」
「でもそれって、なんかおかしくない? 殺人はやっぱり殺人じゃないの?」
「確かにね。おかしいと思っても変ではないよ。だって、結果は同じ、と言い切ってしまっていいかどうかはわからないけれどね。
でも法律を拠り所にしなければ、軍人は、いや、軍隊そのものが何もできなくなる」
「……」
「本来、軍隊はなければない方がいいという存在なんだ。
でも戦争がなくならない。だから必然的に軍隊もなくすことができない。
そうして、なくすことができない軍隊だから、そのあり方を厳しく法律で規定しているんだ。そうでないと、軍が暴走して自分勝手に振る舞ったら誰にも止められないからね」
「……」
「そうして任務は、必ず上官の『命令』によって遂行される。
そこには個人的な感情はないのが原則で、私情を挟むことは許されない。
また、ある任務を遂行する際に出される命令は、さかのぼっていけば最終的には政府決定にまでたどり着く。
細かい一つ一つはそうではないように見えるかもしれないけれど、戦争は、政府が決定し行うもので、その戦争に必要と判断された『任務』や『作戦』であれば、当然そういうことになるんだよ」
レイナートの口調はいつものような穏やかさとはうって変わって厳しいものだった。
「だから軍人にとって命令は絶対だ。自分勝手な判断で命令に背くことは許されない。
まあ、その命令が人道に反するとか、そもそも軍法に反していない限りはね」
そこでレイナートは一旦言葉を切り、おもむろに続ける。
「そうして、士官学校を出た軍人は、多くの場合、その命令を『下す側』に回るんだよ」
「兄さんもあるの? 狙撃の命令を出したこと……」
「いや、ないよ。というか、僕だけじゃなく、今のイステラ軍の中に狙撃命令を出したことのある士官はほとんどいないんじゃないかな」
「なあんだ」
アリエラが胸を撫で下ろし表情に明るさが戻った。
今の戦争の形態は宇宙空間における艦隊砲撃戦と艦載機による戦闘が主流であり、陸戦部隊による敵艦突入が少々あるくらいで地上戦はほとんど行われないから、レイナートの言うことはあながち間違ってはいない。
「でも、狙撃手の育成は今も続いているよ。それがなくなったことは一度もないし、これからもなくならないだろう。
軍隊とはそういうところなんだ」
「……」
「そうして『艦砲射撃』も『狙撃』とは規模の違いはあるし、状況も同じではないけど、敵を撃つということに関しては一緒だよ」
「じゃあ……」
アリエラが恐る恐る尋ねようとするのにレイナートが先回りした。
「私は艦長として、敵艦を砲撃することを命じたことが何度もある」
「……」
アリエラの表情が再び曇った。自分の兄が軍人であることと、戦争を実際にしたことがある、ということが結びついていなかったからである。
そこでアリエラはかねてからの疑問を口にした。
「じゃあ、兄さんが軍を辞めたいと思っているのはそれが理由?」
「!?」
「!!」
同席の女性たちの顔色が一変した。それほどアリエラの一言は彼女たちに衝撃を与えた。
「提督は退役をお考えなんですか?」
モーナが目を見開いてレイナートに尋ねた。
「まあね。入隊した時は、費用返済義務期間を過ぎたらそうするつもりだったんだけど。勉強がしたいだけで軍人になりたかった訳ではないから……。
今ではそれも無理かなと考えてるよ。さすがにここまでなってしまってはね……」
すでに中将となり、新設の特務部隊司令にまで任命されている。このVOL隊の任務が無事に終了し、辞表を提出したとしても、それがすんなりと受理されるとは思えなかったのである。
「じゃあ、辞めないの?」
「辞めない、というより、辞めさせてもらえないんじゃないかな」
「そう……」
アリエラが沈黙し視線を落とした。
その場が静まり返っていた。
沈黙を破ったのはレイナートだった。
「ところで、軍人になりたい本当の理由は何だい? 本当に僕が軍人だからなのかい?」
「いいえ、そうじゃないわ。私そこまでブラコンじゃないわよ?」
「そりゃ良かった」
レイナートが苦笑した。
それでその場の重苦しい空気が少し軽くなった。
「ハイスクールの時の地元史の授業で、惑星の開発にいかに軍が貢献したか、というのを教わったのよ。
開墾、宇宙港や発電所、水道、道路といったインフラの整備、政庁、病院や入植者の住居の建設は全て軍が行ったって」
「へえ、そうなんだ……。僕の時にはそんなのを習った覚えはないな」
レイナートが呟くように言った。
「そうなの? それがあって士官学校にしたんじゃないの?」
アリエラが問い返す。だがレイナートは首を振った。
「いいや、まったく。さっきも言ったけど、純粋に高等学府への進学の選択肢がそれしかなかったからだよ。そういうのがあれば、少しは自分から士官学校へ入る気になったかもしれないね」
「ふうん。まあとにかく、私はそれで少し軍に興味を持ったのよ」
「そうなんだ」
「そう。それまでは軍のこと嫌いだったけど」
「嫌いだったの?」
レイナートが少し驚いたように聞いた。
「そうね、嫌い、というより怖かった」
「怖い?」
「うん。
兄さんが士官学校を卒業して家に帰ってきたことがあったでしょう? 任官前の休暇だとか言って」
「うん、あったね」
「あの時の兄さん、軍服に拳銃を提げてたでしょう? それがとても怖かったのよ」
「ああ、あれか……。それで僕を避けてたの?」
「そうなの。
兄さんが予備校に入るのに家を出た時、私はまだプレスクールだった。大好きなお兄ちゃんがいなくなっちゃったって、大泣きしたらしいのよ、私。全然覚えてないんだけど……。
それで帰ってきた時はミドルスクールで、久々に会った兄さんの軍服姿も腰の拳銃も怖いとしか思えなかったのよ」
士官学校の全過程を終了し任官が決定した候補生は着任までの間休暇が与えられる。
これは1ヶ月半というまとまったものであるため、レイナートも帰省することにした。
レイナートの生まれ故郷である惑星ゲステロムは第七管区と第六管区の境界近くの第七管区寄りにあり、隣国ディステニアとの国境となる中立緩衝帯よりほぼ3光年の位置にある。
ところで実家のあるゲステロムは開発途上の植民星で官民どちらのも定期航路がない。したがって惑星に物資を届ける軍の輸送艦に渡りをつけないと星に辿り着くことができず、また外へは出られないのである。
だが幸いにも着任先が同じ第七管区ということもあって、実家に向かうにも任地に向かうにもそれなりに日数を要するが、1週間は家に滞在できるという計算が成り立ったからである。
そうして家に帰ったレイナートに対して、弟のアレグザンドは以前と変わらぬ接し方、というよりも軍服や拳銃に強い興味を示したほどだったが、アリエラの方は違った。
レイナートの顔を見るなり自室に隠れ、食事の時も会話はおろか目も合わせなかったのである。
これはレイナートを甚く悲しませたのだった。
結局、実家滞在の1週間、レイナートはアリエラとまともな会話をすることもなく、任地へ向かったのである。
新規の人が居住可能な惑星の発見は国土開発省主導で行われるが、その後の調査から初期段階の開発に至るまではいずれにおいても全て軍の手で行われる。
その後一次産業省主導で開拓が進められ、多くの開拓植民が入植するようになるのが一連の流れである。
ところがゲステロムではその入植が遅々として進まなかった。当時戦火を交えていたディステニアと国境が近かったためである。
わずか3光年など1回のワープでひとっ飛び。いつ敵国の戦闘艦が攻めて来るかもしれない。その恐怖から予想以上に植民が集まらなかったのである。
そうしてディステニアとの停戦後、戦後復興で多くの産業で新規雇用が拡大されたため、徴兵から戻った元兵士たちも含め、あえて苦労の堪えない植民を選ぶ人はいなかったのである。
それ故ゲステロムは「忘れ去られた植民星」という扱いになってしまった。入植者が増え人口が増加すれば始められる予定だった事業がみな凍結されてしまったのである。
レイナートの通うハイスクールの校長が進学を熱心に勧めたのもこのことと無縁ではない。
開拓一世は多額の借金を抱えているためそこを捨てて逃げ出すということができない。だが二世までそれに縛られる必要があるとは思わない、というのが校長の持論だった。学業のため一時的に家を離れたとしても、高い学歴は就職に有利となるから、それが逆に生家を助けることにもなる可能性がある。そのように常々言っていたのである。
レイナートや幼馴染のレックは、いわば、その言葉に乗った口であるが、これはそこまで多くはなかった。親がそれを頑なに認めない、という家庭が多かったのも事実である。
だが一方で、この校長案も行き過ぎると、ゲステロムにおける若年層の大量流出という事態を招きかねず、ただでさえ入植者が伸び悩んでいるのに、今後の先行きに多大な不安を生じかねない。
そこでゲステロムを統治する連邦政府の出先機関の取りまとめ役である「惑星ゲステロム開発委員会」は、二世、三世の惑星内での進学・就職を積極的に推し進めたのである。
ところがイステラ連邦宇宙軍もこれに危機感を覚えた。
開発途上の植民星からの志願兵が減るからである。
ディステニアとの停戦後、軍も優秀な人材確保に躍起となっていた。徴募された兵士が復員し、軍事予算は削減され、だが国防を疎かにすることはできないから、少しでも多くの志願者を募りたかった。コスタンティアのCM起用も根底は同じである。
そこで植民惑星における軍の功績を紹介するよう教育・科学・文化省に働きかけたのである。
教育・科学・文化省としても一方的に突っぱねる訳にはいかずこれを受け入れた。これが同じハイスクールに通ったにもかかわらずレイナートとアリエラと、カリキュラムに差が出た理由であるが、これは余談。
「でも、就職して、結婚して、夫婦の間がうまくいかなくて、通信講座でだけど大学の卒業資格と取って、それで離婚して、なんかあの星に住み続けるのが嫌になっちゃったのよ。それで兄さんを頼ろうかと思ったの。
まあ、小い兄の方でも良かったんだけど、今彼女と同棲中らしいから邪魔するのもなんだし……」
レイナートとアリエラは13歳違い。一方のアレグザンドとアリエラは4歳違い。長く一緒に暮らしていたからか、アレグザンドの方が親近感が湧くのだろう。それが2人の兄に対する呼び名の違いに現れていた。
それに対する若干の寂しさと、だが自分を頼ってくれたことに対する嬉しさと半々ながら、レイナートの口調は変わらなかった。
「でも、それだけの理由だと士官学校に入るのは勧めないな。はっきり言ってかなりキツイから……」
「みたいね……」
「まあ、せっかく化学で大学卒業資格を取ったのなら、それを生かしてみたらいいんじゃないかな」
「そうなんだけど……」
「何か問題でも?」
「問題って訳じゃないけど、別れた夫のことを思い出すからイヤなのよね」
「それは……」
レイナートは思わず口ごもった。
結婚はおろかまともに女性と付き合ったこともないレイナートには、男女間の機微も、もちろん夫婦間の問題も全く理解が及ばないから当然だろう。
「元夫は農業開発公社の上司だったんだけど、出会った時は真面目で堅実な人だと思ってたんだけど、実際はそうじゃなかった。
単に冒険を嫌う、ううん、新たなことにチャレンジする気概の全くない人だった。
まあ、それが役人根性だと言ってしまえばそれまでなんだけど」
アリエラは少し遠い目をしながら自分の過去を語る。
「農業なんて、どれほど土壌分析やら品種改良やらしても、年ごとに出来不出来があるでしょう?」
「それは、そうだね」
「でもあの人はそれを改善しようとしなかったのよ。
一旦いい結果が得られたらそれに固執して、新たに何かをしてみるってことをしない人なの。『冒険して失敗したらどうするんだ』って言って」
「何も全部変えろとか、何もかも新しくしろっていう訳じゃないのに、とにかく変化を嫌うの。新しいことをやりたがらないの」
「それで彼は開発公社の人間だから、それを開拓農民にも押し付けるの。
ううん、実際には押し付ける訳じゃないんだけど、新品種とか、新肥料を試してみたいって人がいると『何があっても自己責任だぞ』って繰り返し繰り返し脅すみたいに言うのよ。そんな事されたら、誰も試してみようと思わくなるじゃない。
父さんも母さんもすっかり彼の言いなりになってしまって、農園の拡大とか新しい品種を試すとかしなくなってしまって、現状維持のまま。だから農業収入は頭打ちで借金返済でほとんどなくなってしまって、生活費は……、小い兄の学資もだけど、兄さんからの仕送りに頼り切りになっちゃったのよ」
それを聞いてレイナートは顔をしかめた。学資云々はともかく、仕送りを足りない分を補うのに使う程度ならば問題はないが、それに生活費が100%依存するのでは生活の前提が成り立っていないということになる。それではもし仕送りが途絶えたら生きていけなくなってしまうではないか。
「それで元夫とは家の中でしょっちゅう喧嘩になった。口を開けば喧嘩になるから会話もなくなった。
それで私は大学の通信講座を受け始めたのよ。そんな人のために時間を費やすのがもったいないと思ったから。
そうしたら彼はそれもイヤがったの。『現状を変えて何が楽しいんだ?』って」
「それはヒドイわね」
クローデラのの呟きにアリエラは我が意を得たりと首肯いた。
「そうでしょう? それで『夫婦別居なんて恥ずかしい。異常だ』とか言って散々ゴネる彼を何とか説得して別居にまで持ち込んだのよ。
ところがどうよ? 別居生活1ヶ月後には他の女と浮気してたのよ!
しかもいけしゃあしゃあと開き直って私を責めたのよ。『お前が別居なんて言い出したからだ』って」
アリエラの口調が今までになく強くなった。
「何よそれ、最低ね!」
今度はコスタンティアがはっきりとした口調でそう言った。
「でしょう? だからたっぷり慰謝料もらって離婚してやったのよ。
それに父さんにも母さんにも何度も言ったんだけど考えを変える気はないみたいで、『兄さんが軍を辞めたらどうするの?』って聞いても、『辞めさせないためにどうしようか』って言うばかりで、自分たちでどうにかしようって全く考えないのよ。
もう、我が親ながら呆れて物が言えないわ」
「それは本当に困ったことだね」
レイナートも難しい顔でそう言った。
「そうよ。だから兄さん、直ぐに仕送りを止めて。全部というのが忍びないっていうなら1/3とか、せめて半分にして。そうすればあの人達も少しは自分で考えるようになると思うから」
十数年ぶりに会った妹とのその時の会話は、なんともレイナートを落胆させるものであった。
その後、レイナートは部下たちと別れ、アリエラと連れ立ってレイナートの借りているアパートへと向かった。
部屋に入るとアリエラは開口一番「すごい、いい部屋!」と興奮した。
女性部下たちの襲撃に備えてという、いささか自意識過剰気味な理由で選んだアパートではあるが、正面玄関には24時間警備のガードマンがいるという高級アパートである。
間取りは広々とした3LDK。独り者には贅沢すぎるが、他に空き部屋がなかったし、他のアパートは色々と条件が合わずにここにしたのだった。
「兄さん、私、この部屋使うね」と、空き部屋の一つを早々と使うことを、すなわち居座ることを宣言したアリエラだった。
その数日後、相変わらず長い会議に辟易していたレイナートにモーナが尋ねた。
「ところで、妹さんはどうしたんですか?」
レイナートは苦笑しつつ答えた。
「すっかり居着いちゃったよ。これでいよいよ部屋の解約はできなくなってしまったよ」
レイナートが苦笑いした。
「それは、まあ、なんと言うか……」
モーナも適当な言葉が見つからず、なんと言っていいかわからなかった。だが会話を切り上げる上手い話題が他に見つからず、結局それを引きずったのである。
「それで妹さんは、どうされるんですか? 士官学校を目指すんですか?」
「いいや」とレイナートは首を降った。
「大学を目指すそうだよ」
「大学? もう卒業資格を取ってるのに?」
意外、という表情のモーナの問に、レイナートは肩を小さく揺らして言った。
「この前みんなと話をして、軍の存在とか、その作戦とか任務とか、そういうことを成立させている法的根拠に興味が向いたらしい。
連邦宇宙大学は無理だけど、イステラ大学の法学部に入って通うつもりらしいよ。
それも社会人枠ではなく、わざわざ一般入試で受験するって言うんだから……」
「それは……、真面目な妹さんなんですね」
モーナは呆れと感心と、入り混じった表情でそう言った。
「さあ、どうなんだろうか?
そんなことより、いくら血のつながった実の妹とはいえ、うら若き女性がバスタオル一枚巻いた姿とか、下着姿で目の前をウロウロされる方が精神衛生上よくないよ」
そう言ってぼやくレイナートを、きつい吊目をさらに吊り上げて睨みつけるモーナだった。




