第18話 始動
柄にもない演説めいたことを言って、自らの研究室の研究員である女性士官たちを鼓舞したレイナート。
それは指揮官としての義務感からであった。
損耗率、という言葉がある。
これは攻撃、防御がどの程度まで損害を受けると戦闘力の限界となるかを示す値であり、時代、その部隊の規模等によって変化する。
だが指揮官にとって終始一貫して変わらぬもの。それはこの損耗率を可能な限り抑えるということである。
いかなる軍隊においても失って良い兵員の生命というものはない。
装備に関してもそうである。ただ装備の場合は、囮として敵を引きつけるためにあえて攻撃させるということはある。
だが人命はそうではない。
そもそも失って良い生命などこの世の中に存在しない。
もちろん軍が作戦を実行する場合、ある程度の被害を予測する。兵員も装備も一切失うことなく勝利できればいいが、それはそう簡単な話ではない。
だから綿密な情報収集を行い、作戦を立案し、戦闘に臨む。もちろん兵員は十分に訓練しておくことも大切である。
その観点からすると新設部隊は8人に1人が新兵という異常なもの。高い損耗率を記録するどころか、まるで全滅するための部隊にしか思えない。
だからレイナートは演説を打った。
研究員に選ばれた女性たちは誰も真面目で優秀である。
軍において女性の活躍の場を増やしたい、そう考えて真剣に作業に取り組んできた。
山のような ― と言うのは言葉の綾で書類は全て電子化されているから目の前に堆く積まれた訳ではない ― 記録を精査して必要な数字を導き出した。
難しい問題には、時に喧々諤々と議論を戦わせてもきた。
彼女たちの目は爛々と輝いていた。そうして論文をまとめ上げたのである。
だがいま女性たちの目はギラギラとしていた。それはまるで獲物を狙う野獣であるかのように。
―― ちょっと煽りすぎたかな?
そう思わないでもないレイナートだった。
だが、そうでもしないと出航と同時に事故でも起こしかねないような部隊である。
厳しいだけではならないが新兵たちは十分に訓練されなければならない。
だがその訓練に立ち会うことは出来ない。それは新兵訓練所の教導隊に任せるしかない。それがとにかくもどかしい。
そうして来週早々には辞令が発効となる。つまり後戻りできないのである。ならば今出来ることを何とかするしかなかった。
女性新艦長 ― 今のところはまだ研究室の研究員である ― たちは研究室の共用スペースで何時になく熱い議論を繰り広げていた。
「とにかく現場指揮官となる士官にはベテランが欲しいわ」
「ええ。でも人物も重要よ?」
「それはわかってるわ。問題はどうやって集めるかよ。中堅の女性士官、と言っても数はハンパじゃないのよ? そこから選ぶのだって大変な作業よ」
「人事部はある程度、融通を付けてくれるんでしょう?」
「でも、ただ『優秀な人材を寄越して』じゃあダメじゃない?」
「それはそうね」
「ではどうする?」
「どうしようか?」
「それを話し合ってるんでしょ!」
「わかってるわよ。大きな声出さないで」
とまあ、こんな具合である。
一方のレイナートも悩んでいた。
女性を前線に立たせる。そのことにはどうしても抵抗感が付き纏う。できれば女性は後方で、と今でも思う。
だが当の女性艦長らはどうも違うようである。
軍隊である以上、戦わなければならない。戦えば傷つき、最悪は死ぬこともある。そうならないために何をすべきか。そこに議論の中心を置いている。危ないから遠ざける、という発想ではない。
要するに至極現実的に考えているということである。
―― となれば、こちらも腹を括るしかないか……。
与えられた任務は最早避けようのないものである。ならば己の考えは封じ込めてでも実行しなければならない。
だがそうなると、別の意味で人手が足りない。それは自分の参謀である。
リンデンマルス号には作戦部という優秀な頭脳集団があった。それこそ艦長があれこれと考える必要のないくらいに綿密な作戦を立案していた。
だが艦隊ということになれば、艦隊全体を掌握しその行動を決定する参謀チームが必要である。
モーナは確かに優秀な副官である。だがモーナ1人に全てをやらせる訳にはいかない。
となるとレイナートはレイナートで、自らの参謀となる人物をスカウトしなければならない。
―― 問題は誰にするか、だが……。
ところがレイナートにはこれと言ったコネクションがなかった。
普通は転属を繰り返しながら人脈を作り上げていく。だがレイナートは一処に長くいた例がない。したがって同僚との関係も「知己を得る」というところまではいかなかったのである。
となると周囲の評判とか、人事評定とかを参考に探すしか手はないように思う。
―― いや、ただ1人、アテがない訳じゃないが……。
その人物は女性で清廉潔白、有能だと記憶している。そういう意味では願ったり叶ったりでもある。ただし、苦手という印象を拭えない人物だった。
―― とりあえず彼女にあたってみるか。
そう考えたレイナートは別室のモーナに内線で告げた。
「セーリア・リディアンという女性の所在を確かめてくれ。
年齢は自分よりも確か3~4歳上だったはず。
第六方面司令部管内で建造中だった、AZ型基地の物資受け入れを担当していた部署の調査に来た大尉だ。
ただし注意してくれ。彼女はいわば内部捜査官のような立場で、正式な肩書はおそらく公表していなかったと思う」
『表向きの所属もわからないのですか? たとえ本当に内部調査官であったとしても、何らかの表向きの官職名を名乗ったのではありませんか?』
モーナが聞き返してきた。
「当時聞いた気もするが、すまない、あいにく失念した」
『わかりました。了解です。あまり珍しくない名前ですが何とかなると思います』
モーナはそう請け負った。
そうして1時間もしない内にレイナートの元へ報告をしにきた。
「わかりました。
セーリア・リディアン中佐。
第465期、第二士官学校戦術作戦科出身。39歳、独身。
現在は第二方面司令部査閲部に勤務していますが、閣下の仰る当時は中央総司令部の監察部に所属していました」
「やはり監察部の人だったか……」
「どういうお知り合いか伺っても?」
「私がRX-175基地から異動で輸送艦隊に移った際、その輸送に関連した軍事物資の横領・横流し事件というのがあった」
「初耳です」
「だろうね。事件は解決したが完全に隠蔽されたから」
「それは聞き捨てならないことですね」
モーナが眉をしかめた。
「だよね。だが事件の関係者には当時の軍上層部、退役軍人のお偉いさん、民間企業の役員、さらに政治家も関わっていた」
「だから公表しなかったのですか?」
「だと思うよ」
「許せない話ですね。でも、どうして発覚したのですか?」
「何度かその建設中の基地に建設資材や補給物資を運んでいる内に、積み荷の量が送り状と微妙に違うことに気づいた」
「閣下が、ですか?」
「うん、まあね。それで密かに自分なりに調べてみた。結果、誰かが横領しているかもしれない、ということがわかった」
「それで、どうしたんですか?」
「どうするも、こうするも、報告しようと思ったよ。だって軍の全ては国民の血税で賄われているんだからね。
だけど誰に報告しようか悩んだ。とにかく誰が横領しているか定かではなかったし、信用できる人物が周りにいなかった」
「それで?」
「それで、士官学校時代の弱いつながりだったけど、ある提督に相談した」
「ある提督?」
「ああ。当時、准将になったばかりで特別講義に来たシュピトゥルス閣下だよ」
「えっ、そんな昔からのお知り合いだったのですか?」
「だったんだよ。
もっとも、私がリンデンマルス号の艦長になった時は、向こうはこっちのことををすっかり忘れてたけどね」
「それでどうなったんですか?」
「閣下と連絡を取った後、接近してきた女性がいた」
「それが……」
「そう、それがリディアン大尉だった。
あとは彼女に全て話し、それで終わりだ」
「終わり? どういうことですか?」
「自分の知っていることを一切口外しないと約束させられて、それでいつの間にか少佐になって記録部に異動になった。
後で関係者と思われる人物全てが何らかの処分に遭ってる。政治家もね。
まあ彼は別件のスキャンダルで失脚したけどね。それだって真相はどうだか……」
「えっ! じゃあワタ……、小官と出会ったのは……」
「そのちょっと後のことだね」
「何と言うか……。
誰にも喋ろうとしなかったんですか?」
「思う訳がないじゃないか、常に監視されてたんだから」
「監視!」
「そうだよ。口外したら命の保証はないと言われた。実際にそう言われた訳じゃないけど、そういう意味だったと思うよ。
記録部にもいなかったかな?
私の直後に配属されてきて、私が異動になった後に直ぐいなくなった人は?」
「そう言えば確かいましたね」
モーナは首を傾げ思い出した様に言う。
「それがそうだったとは確信を持って言えないけど、多分そうだったんじゃないかな……。
ああ、済まない。つまらないことを聞かせたね」
「いえ。
ですが大丈夫なんですか? 私に話してしまって」
「大丈夫だと思うよ。
私の個人情報の機密指定が解けているだろう? それに公式発表こそなかったけど、今では事件そのものは記録にちゃんと明記されてるよ。矛盾も甚だしいが、いつの間にか、ひっそりと、誰の目にも触れないようにきちんと公開されてるよ」
「それで、そのリディアン中佐にはどういった用件が?」
「彼女に参謀を頼めないかと考えている」
「参謀を、ですか。軍大学校を終了をされてるんですか?」
女性艦長の実績が軍の過去にない以上、軍大学校終了者というのは艦隊参謀の必須条件であるから当然のモーナの問である。
「終了者にその名があった記憶がありませんが」
「イヤ、ないと思う」
軍大学校には定員があるが、昨今では常に定員割れの状態が続いている。すなわち一定以上の成績要件を満たさないと入学が認められないからであり、近年では数えるほどしか終了者がおらず、その名を知らないというのは一兵卒でもない限りありえない。モーナやレイナートの言葉の背景にはそういう事情がある。
「それに中佐だと難しいかな」
「それは無理ではないでしょうか」
モーナはにべもなくそう言った。
艦隊司令の幕僚チームに入るには艦長としての経験がある、もしくは軍大学校の終了者という不文律がある。しかもその主席参謀は、その艦隊を構成する艦艇の艦長と同等以上と定められている。確かに艦長より格下の参謀では色々と問題が起きかねないからの規則である。
この新設部隊の場合、新たに艦長となる2名が大佐という高位のため中佐では参謀就任も難しいだろう。まして軍大学校を出ていないというのは無理にも程がある。
「シュピトゥルス提督に掛け合ってみるかな」
「ええっ!? まさか昇進をお願いするんですか? それに軍大学校の終了資格はどうするんです? まさか捏造……」
「いや、そこまでは考えてないよ。でもまあ、それを考えるとさすがに無理かもしれないね。でも掟破り、というか例外ばかりの部隊だからね。もう一つ二つ増えても問題ないだろう?
とにかくこの部隊を成功させるには有用な人物が一人でも多く必要だよ」
「それはわかりますが……」
呆れ顔のモーナだった。
だがレイナートから話を聞かされたシュピトゥルス提督はもっと呆れ顔だった。
だがレイナートは、とにかく部隊の成功に必要、の一点張りで押し切ったのである
「全く貴官は、一般科候補生だったとは思えないほどの押しの強さだな」
「恐れ入ります」
殊勝に頭を下げてみせる。
「それで、何故彼女なのだ? 優秀な参謀ということであれば、他にも候補者はいるのではないか? それこそ軍大学校を出た女性大佐は皆無ではないんだぞ?」
「確かにそうですね。
まあ、多少は為人を知っているから、というのが初めだったんですが」
その時の印象はとにかく「できる女性」というものだった。
あの時はまだ任官1年目だったし、ほんの2ヶ月足らず一緒だったに過ぎなかった。それ故何も見えてないということがあったかもしれないが。
それでも全く知らない人間を「有能だから」と紹介されるよりはまだましだろう、という考えから彼女を思い出した程度だった。だがその後その経歴を調べて「この人物ならば」と思うようになっていたのである。
「しかし随分昔のことを覚えているもんだな、貴官は」
「そうでしょうか?
まあ彼女は印象深かったですからね。何せビクビクしながらこれはと思う人物に相談したら、その人物の名を出して接近してきたんですから。随分と警戒しました」
「だろうな。
こちらとしては、士官学校時代の旧知の監察部の人間に頼んだだけだったからな」
「その時のことは多少は思い出されましたか?」
「いいや、それだけだ。詳細は今でも全然覚えておらん。
本当に貴官とは士官学校で会っていたか?」
「……」
今度はレイナートが呆れ顔である。
「そんな顔をするな。
こちらでも彼女のことは調べてみたが貴官の言う通りだった」
そのセーリア・リディアン中佐については、その後もモーナにできる限り調べさせておいた。 いくらなんでも、多少引っかかりのあった昔の知り合い、というだけでは提督を納得させるのは難しいと思ったからである。
そうして、候補としては最有力とまで思うに至っている。
「貴官の5期上で、元々は戦術作戦科だったが法務部、監察部と渡り歩いている。参謀としてよりそちらに向いていると見做されたのだろう。まあ、戦術作戦科の全員が参謀になれる訳でもないしな」
「そうですね」
レイナートが頷く。
全士官学校の士官候補生の内、戦術作戦科に籍を置くのは700名。だがその全員が参謀職に就けるとは限らない。法務関係は法務科の候補生が多いが、監察部などは専属の養成機関はない。したがって様々な科から配属となるのである。
「そろそろ中佐にという頃に査閲部に異動になっている。
彼女の査閲は手堅く公平だというもっぱらの噂だ」
「なのに、何故いまだに中佐なのでしょう?」
「まあ地方の考えることだ。中央 にはよくわからんが、どうも上がつかえているらしい」
中央総司令部はまさにエリート中のエリートの集り。どうも方面司令部を見下しているところがある。それが提督の言葉の端にも出ている。
だが今それは関係のない話である。
「上? 上司がですか?」
レイナートが尋ねる。
「そうだ。
査閲部は優秀なエリート集団の教導隊に、唯一ケチを付けられる部署だからな。他人をいじめるのが好きな連中には堪らん部署だろう」
部隊の練度を見るための演習。その勝敗判定をするのが査閲官であり、査閲官の属するのが査閲部である。教導隊が教育した兵士の練度に対し「教導がなってない」という評価を下すことも可能な部署である。
「だから異動したがらない? 何だか嫌な話ですね」
「全くだ」
イステラ軍の場合、階級に応じた相当職という制度がある。これは厳格に守られているところもあれば、レイナートのようになし崩しになっているところもある。要するに人事に影響を及ぼす上層部のさじ加減ひとつ、ということである。
だがそれであっても、士官学校出は何らか理由で階級を上げてもらえるし、それなりの職を用意してもらえるものである。
「まあ階級を上げるだけなら、勤続年数だけでも出来るからな。それすらないというのは余程上に睨まれたか、さもなくば無能ということだが、少なくとも記録を見る限りでは前者だろう。
いずれにしろ、細かいことまではわからんよ」
「ですが査閲官というの願ったり叶ったりですね。40前で独身というのも非常にありがたい」
レイナートはそう言った。
査閲官が軍事教練や作戦、部隊運用に通じているのは当然である。そうして45歳宇宙勤務定年制ということからすれば、30代というのは本当にありがたいことだった。もし彼女が40代になっていたら、そもそもこの話はないものとしていたレイナートである。
「まあ、特例中の特例ということでなんとか周囲の了解は得た。好きにするがいい」
「ありがとうございます。それで彼女に会えるようにしていただけますか?」
あとは直接会って話をしてみて、というところまでレイナートの考えは決まっていた。
「ああ。だが貴官自身でもそれは可能だろう? 何のための三ツ星だ? こういう時にこそ、その権力を使え」
素気なく言われてしまった。
ということでレイナートはセーリアに会いに行くことにした。将官がわざわざ自分から足を運ぶ、というのにモーナは反対したが、呼び寄せて面談して不採用、ということになったのでは申し訳ないからとレイナートは譲らなかった。それにそのつかえているという上司とやらも見てみたかったのである。モーナは渋々連絡艦の手配をしたのである。
だがその前に、それこそ最優先でやらなければならないことがあった。
それは職場の引っ越しである。
何せ正式に辞令が発効すると、所属が最高幕僚部から作戦部に変わる。ということは現在の本部棟地下4階にある研究室が使えなくなる。
艦隊が正式に編成され出航する迄はどこかにオフィスがないと事務処理に支障をきたす。
旧リンデンマルス号も総司令部直属だったが、地上降下できなかったからトニエスティエまで来た例がない。それに独立艦だったから一旦就役してしまえば後の事務処理は全て艦内で済ますことができたのである。
だが6隻からなる1個艦隊ともなると、その装備も人員も数が多い。この編成準備をするためには専属スタッフを数名でも用意する必要がある。その仕事場が必要なのである。
ということでまた提督に相談事が出来たのだった。
ところがこれが簡単ではなかった。
何せ中央総司令部には様々なセクションがあり、多数の人間が働いている。そのどこのセクションも手狭になっているほどで空き部屋などあるはずもない。
逆にそちらでもっとスペースがほしいという始末である。
それでもなんとか見つかったのが、中央総司令部の敷地に隣接する宇宙港の使われていない航空機用ハンガーで、一応事務室として使えそうな小部屋は付属していた。
「いや、無理でしょう」
全員が口を揃えてそう言ったのである。
第一、中将閣下ともあろうお方のオフィスがハンガー内の簡易プレハブの小部屋では部隊の沽券に関わる、ということで却下になった。
次に見つかったのが総司令部の敷地内にある古い消防機庫である。
中央総司令部は広い敷地内に大小様々な低層ビルが建っている。これらは設備の更新という意味も兼ねて100年程度を目処に建て替えられており、最新の消防システムを備えている。
だが敷地内で、たとえば植えられた樹木等の火災発生の場合、消防車による消火活動が必要になる。そのため基地の各所に消防機庫が建てられ消防車が用意されていた。
だがそれも、いわゆる可燃物のあるところには、自動制御の地下埋設の消火散水栓が設置され、消防車自体が不必要になって使われなくなったのである。
それで幾つかの消防機庫は倉庫代わりに使われていたが、その内一つだけ、基地に勤務するものの駐車スペースのはずれに、何にも使われていないものが残っていたのである。
その古い消防機庫を見た皆の第一声は「ボロっ……」だった。
だが古いことは確かに古いがそこそこ頑丈な作りだし、2階部分には結構な広さの消防分隊員の控室がある。別個の分隊長室というのはなかったが、24時間火災発生に備えての当直室があり、ベッドを取り外せばレイナート用の個室することが可能と思われた。他にトイレと小さなキッチンも完備されており、まあ余り使うことはなさそうだがシャワー室もあった。なので作りとしては申し分なかった。
だが外壁も薄汚れているし、中はと言えば、とにかく何年も使われていないからホコリだらけだった。
「まさかここを使うの?」
アニエッタなどは真っ平ゴメンと言いたげだった。
「まあ、掃除すれば使えるんじゃない?」
というのはアリュスラ。管理部門一筋の彼女は施設・設備にはそれなりに長じている。
「管理部にメンテナンスを依頼できないんですか?」
とレイナートに尋ねる。
そこでモーナが中央総司令部の管理部に問い合わせた。
管理部は総司令部の施設・設備の全てを文字通り管理しているセクションである。
「ダメです。来週後半までスケジュールが一杯だそうです」
端末を使って交渉していたモーナの報告にアニエッタがまた言う。
「来週早々には辞令が出るのよ? メンテが済むまでどうするのよ!」
「休出してくれないかしら」
と言うのはクローデラ。
「無理じゃないかな、管理部はお役所だから」
と、ボソリとエレノアが言った。
宇宙艦艇や基地の勤務は7日に一度の休日、というのが基本である。その休日が日曜日とは限らない。まあ、実働部隊というのはそういうもので、日曜日には敵が攻めてこない、という絶対の保証でもない限りこのシフト形態は変わらないだろう。
司令部の場合も似たようなもので、一応、作戦部や戦術部といった前線部門は週末が無人になるということはない。
だが管理部や法務部といった統合作戦本部外の部門だと日曜日、緊急用の当直以外は全員きちんと休む。それ故、休日出勤させるとなると、正式に文書で依頼を出し人事始め労務管理部門との調整も必要となる。という訳でそれはまさにお役所仕事、というものに近い。
「では、自分達で掃除します? これくらいなら簡単だと思いますが」
と言ったのは不断は物静かに控えているネイリだった。
「ネイリ、本気なの?」
エメネリアが尋ねると、ネイリは胸を張った。
「こんな掘っ立て小屋、直ぐに終わります」
いや、確かに40も50も部屋のある大邸宅でメイドをしていたことからすれば、こんな消防機庫は掘っ立て小屋みたいなものだろう、と誰もが考えた。
「ええ、ワタシはイヤよ!」
「アタシも! やったことないもん!」
アニエッタの言葉にイェーシャも賛同した。
だがこれを一概に責めることもできなかった。
アニエッタやイェーシャに限らずValkyries of Lindenmars隊の女性全員、家事はほとんどしたことがない。
HASと呼ばれるホーム・オートメーション・システムのお陰で、日々の炊事・洗濯・掃除はほとんどやらなくて済むのがこの時代である。それこそ、趣味でならやる、という事がある程度なのである。なので男女を問わずそういうことができる人間自体が実はごく少数派である。
「大丈夫です! メイドのわたくしがおります! 皆さんにきちんと掃除の仕方を伝授いたします!」
胸を張るネイリに、はたとモーナが気づいた。
「ネイリ、あなたまさか!? アレを着るつもり?」
そこでネイリはニッコリと笑って頷いた。
「ええ、もちろんです!」
「そんなのダメよ!」
慌てたモーナが大声で言う。
「何なの一体? 何を騒いでるの?」
アニエッタがモーナに尋ねた。
そこでモーナは叫ぶように言った。
「この子はメイド服を着るつもりです!」
それを聞いて誰もが唖然とした。
「メイド服ぅ?」
だがネイリはきっぱりといい切った。
「わたくしにとってメイド服こそが本来の戦闘服。さればこれを着ずして任務の遂行はありえません!」
背後では、エメネリアが「よくぞ言った」と満足そうに頷いている。
―― やっぱり関わりを持ちたくなかった……。
モーナは頭を抱えていた。
―― 全くこの人たちは……!
調査委員会の後、部屋探しの一件でエメネリアとネイリの、そのあまりに貴族のご主人様とメイドぶりに唖然としたモーナは、二人に深く関わるまいと心の中で密かに決意していた。
だが、そうは言っても相手から接触してこられたらそういうことも言ってはいられない。「お願いがあるのですが、少佐殿」というネイリを無視したり、無碍に遠ざける訳にもいかなかった。
「何かしら、リューメール准尉?」
内心、嫌ではあるがそれをおくびにも出さずに応じた。
「はい、実は……」
そう言ってネイリが情報端末を差し出した。
「……メイド服を探しているのですが、いいお店をご存じないでしょうか?」
それを聞いてモーナは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「はあ? メイド服?」
「はい。見てください、これ」
憮然とした表情で見せられた情報端末にはメイド服を着た若い女性が映っていた。どうやらネット通販会社のサイトだった。
それで、映っているのは確かにメイド服ではあったが、いわゆるソレ系であった。胸元は大きく開いていて胸の谷間が見えているし、スカート丈はギリギリ下着が見えないと言うほど短いものだった。
「こんなのメイドの着るものではありません! ちょっと屈んだだけで下着が見えてしまうではありませんか! こんな、こんな……」
ネイリは怒りに肩を震わせていた。
ネイリのメイドは「本物」である。本物の貴族に仕える「本物」のメイドである。それからすればこんなコスプレ衣装は許しがたい冒涜だろう。
モーナもその気持は多少は理解できた。その時までは。
「ええ。だってこれコスプレ衣装でしょ?」
「なんですか、その『こすぷれ』と言うのは?」
モーナはそこで頭が痛くなってきた。なんで私がコスプレの説明をしなければならないんだ? 私は「そっち」の趣味じゃないぞ? なんで私に聞くの? と。
だが相手はイステラに帰化したアレルトメイア人で、しかもずっとリンデンマルス号の艦内暮らしだった。イステラの風俗・習俗を知らなくても無理はないだろう。
そこでかいつまんで説明したのだった。
「そんなの理解できません! なんですか『メイドのふり』って。メイドの仕事は『神聖』なものです。『ふり』なんて許しがたい冒涜です」
益々興奮するネイリだった。
「神聖」と言うほどのものなの? というツッコミは事態を悪化させそうだったので言わなかったモーナである。
「それで、あなたはどうしたいの、リューメール准尉?」
モーナは内心頭を押さえつつ極めて平静を装い尋ねた。
「わたくしは『まともな』メイド服が欲しいんです。ちゃんと本職の着る……」
「いや、それは無理でしょう」
思わず言ってしまった。
「だってイステラには本職のメイドさんがいるとは思えないもの」
「じゃあ、わたくしはどうすればいいんですか!」
泣き出しそうなネイリだった。
「ごめんなさい、力になれなくて」
モーナはそう言って話を切り上げようと試みた。
だがそうはさせないネイリだった。
「だって少佐殿は新任の時この基地勤務だと伺いました。ですからこの町には詳しいと思いまして」
イヤイヤイヤイヤ、それはない。
確かに中央総司令部勤務とはなった。だが少尉とはいえ新任は深夜の当直もあったし、休日ごとに好き勝手に遊びに行くなんてできなかった。だからトニエスティエの街に詳しいなんてことは少しもないし、そもそも自分にはそういう趣味もなかったのだ。
確かに士官候補生の時、同期に「キャリエル候補生にメイド服着せて、あのきつい目つきで見下されながら足で踏まれて『この豚野郎!』と罵られたい」と陰で言われたことはあったが……。
嫌なことを思い出してしまった。それで落ち込んだモーナはネイリの力になる気になっていた。
「……それでどういうのがいいの?」
モーナの言葉にネイリの顔がぱっと明るくなった。
「襟はハイネックです。もちろん胸元はしっかり隠れてるので、透けててもダメです!
それとスカート丈は床から15cm。これは絶対譲れません!」
それを聞いても突っ込まなかったモーナは自分を心の中で褒めた。よくぞ自制した、と。
だが確認は必要だった。
「裾が床から15cmって随分細かいのね?」
「はい」
ネイリが胸を張った。
20歳になったネイリは随分と女性らしい体型になり、同性からも注目を浴びるほどふくよかな胸を持っていた。
「私は第7391回、帝政アレルトメイア公国全国メイド総覧大会において、準中級の部で優勝しました! 最年少記録を更新したんです!
ですから床上15cmは絶対に譲れません!」
「はあ!?」
さすがにマヌケな声が出てしまった。
ツッコミどころ満載すぎて、逆にどこから突っ込んでいいのかわからなかった。
「第7391回?」「全国メイド総覧大会?」「準中級の部?」「最年少記録更新?」「床上15cm?」
目の前のネイリがやはり宇宙人に見えてきた。
その後ネイリが滔々と語ったところによると、アレルトメイアのメイドはその技を競う大会があり、厳正公平な審査の結果で最下位は初級から最高位はメイド長級までの階級に分けられるという。
そうして階級が上がるほどスカート丈が長くできるのだとか。
そうして床上15cmは準中級メイドの証。当時のネイリ、13歳でというのは史上初の快挙でとても誇らしい、名誉のことだとネイリは言った。
「そうなんです! メイド長級になると床を引きずるほどスカート丈を長くできるんです!
わたくしもいつかは、と心に密かに誓っていました!
生憎、お嬢様の従卒としてイステラに参りそのまま帰化してしまいましたから、これ以上の昇級は望むべくもないのは承知しております。ですからなおのこと床上15cmは絶対に譲れないのです!」
興奮するネイリに対しモーナは冷めた口調で言った。
「それはわかったけど、そんな、メイド長になれたとしても、床を引きずったら裾が汚れるじゃない」
モーナの言葉にネイリの声のトーンがいきなり下がった。
「少佐殿、メイドを侮辱なさるおつもりですか!」
ネイリがモーナに負けず劣らず目を吊り上げた。
「床は丹念に掃き清められ、磨き上げられます。それこそ舐めても何も問題ないくらいに!
ちょっと引きずったくらいで汚れるような、そんなヤワな仕事などしません!」
「……」
もう本当に何も言う気になれなかった。
そうしてモーナは、黙々とネット上を探し、ネイリのようやく妥協できるギリギリのメイド服を見つけたのだった。
「ありがとうございました、少佐殿! ご無礼の断、平にご容赦下さい」
「どういたしまして」とモーナは力なく言い、ネイリは喜々として立ち去った。
モーナは再び決心した。
―― あの二人にはやはり必要以上に関わるまい……。
その後エメネリアがネイリ共々他の研究室に「連行」された時は本当に胸を撫で下ろした。
―― やっと平和が訪れた……。
だが現在のモーナは、再び自分の前途に暗雲が立ち込めたと感じていたのだった。