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第14話 軍人というもの

 初日の勤務を終え、借りてまだひと月と経ってないアパートで寛ぐコスタンティア。シャワーを浴びバスローブに身を包み、ソファに腰掛けている。眼の前のテーブルの上には近くのスーパーマーケットで買ったフレッシュ・サラダ、チーズ、それにグラスには赤ワインが注がれている。


―― 勤務の後にゆっくりとワインが飲めるなんて、本当に夢のような生活だわ。


 だがそれも地上勤務ならでは。

「本物」の野菜を使ったサラダなど、艦内では望むべくもない「贅沢品」だった。

 一応、宇宙艦艇でも飲酒は認められていたが、緊急の第1急支援要請に備えて飲んだことは数えるほどしかない。食事に至っては全て合成食と言ってもいい状態だった。

 それからすればまさに夢のような生活である。


 だが、そんなことよりも重要なのは、結婚を現実的に考えられる。そのことだった。


 宇宙勤務だと新婚早々離れ離れで暮らすことになる可能性が大だった。だが地上勤務ならそういうことはない。

 せっかくまた同じ部署になれたことだし、本来ならやはり慎重に行くべきだろう。

 だが今度の勤務は結婚しても直ぐに配置転換になるかどうかはわからない。それほど特殊な任務だからである。


―― これはまたとないチャンスだわ。


 基地の直ぐ近く、見晴らしの良い高層アパートの一室で、コスタンティアは不敵な笑みを浮かべていた。



 初日から何やら先が思いやられる、そういった気分にはなったものの、残業することもなく皆さっさと定時で帰宅した第101研究室の研究員とアシスタントたちだった。


 元々宇宙勤務者は残業する、もしくは、しなければならないという感覚をあまり持っていない。それは通常は完全なる3交代制勤務だからである。

 時間がきたらさっさと次の勤務者に引き継いで持ち場から去る。それは各部の部長であっても同じ。

 第1級支援要請や、最後にはアレルトメイア軍との戦闘もあった。第4種配備、すなわち戦闘配備が敷かれれば戦闘終了までは24時間のフル勤務。だがそれは軍人にとって当たり前のこと。

 緊急事態に備えて休める時に休んでおく。それも重要な事だと認識しているからであった。


 ところで、聞き取り調査後、下着購入と並んで最初にしたことは住む所の確保である。

 調査中は一時滞在者用の官舎を利用できた。だが調査終了とともにそこは出なければならない。まあ次の落ち着き先が決まるまでは多少は大目に見てもらえるがそれも数日のこと。愚図々々はしていられない。


 それでコスタンティアは管理部の厚生局に物件を依頼した。


 新任の時も中央総司令部勤務でその時は官舎住まいだった。コスタンティアの実家は第四管区、しかも仲違いまでしていたから当然のことである。

 もっとも官舎住まいは新任なら当たり前のことで、たとえ実家が直ぐ側にあっても官舎に住むことは半ば強制だった。

 そうしてその後は艦艇暮らしだったからとにかく世間のことに暗いのである。


 だがこれは軍人にありがちで、兵でも士官でも若くして入隊し宇宙勤務になると、とにかく社会の常識に疎くなってしまう。したがって民間人とトラブルを起こすことも少なくない。

 また、まさか大の大人がいいように騙される、ということはさすがに少ないが、それでもハメられ上に脅されて犯罪に加担させられる、ということがないこともない。

 そういうことから守るということもあって軍は基本的に兵士に対して何でも用意する、という傾向にある。もっとも名目上は「お国のために戦う人に便宜を図る」というものだが。

 それ故、基地の中には広大な敷地の兵士のための住宅街まである。



 管理部厚生局はその基地内の家をコスタンティアに紹介した。

 全員休暇で暇だからか同じ第101研究室の皆が下見についてきた。実家がこのトニエスティエにあり、その自宅から通うことにもう既に決めていたクローデラやアニエッタもである。


「貴女たち、他にすることないの?」


 呆れ顔のコスタンティアである。

 もっともエメネリアとネイリの二人は、とにかくイステラのこと全てに疎い。それで見学させて欲しいということだったのでそれは了解したが。


 それで管理部厚生局の示した物件というのが、それなりの広さの庭付き5LDK一戸建てというものだった。


「これはちょっと……」


 一人暮らしには広すぎると思えた。

 だが管理部厚生局の兵士が言った。


「ですが、最高幕僚部にお勤めの大佐殿となりますと……」


 通常、地上勤務の大佐ともなれば既婚で子供がいてもおかしくない。そういう者のための物件だった。


「佐官で独身の方のための集合住宅は今、空きがなくて……」


 申し訳無さそうに言う。


 この時代、略してHASハスと呼ばれるホーム・オートメーション・システムがどの家にも備わっているから、いわゆる家事というものをしないでも済んだ。

 24時間空調が回っており、これは空気清浄機を兼ねているから放っておいてもホコリが溜まるということがない。したがって自ら汚しでもしない限り掃除をする必要はほとんどなかった。

 ランドリー・マシンには乾燥機も付いているからボタン一つ押すだけで済んでしまう。

 料理に至っては、食材から用意して調理するのは最早趣味の領域とさえ見做されていた。

 それに基地内に住む既婚の下級兵士の妻で子供がいないという場合、アルバイト代わりに高級士官の家の家政婦をしている、というのも多かった。

 だから大きな家に一人暮らしでも別段困るということはない。


「でも、やっぱり大き過ぎるわ……」


 狭い艦内暮らしが身についているから落ち着かない、というのだった。



 ところがその同じ家を見てネイリが嘆息した。


「お嬢様にこんな小さな家に住んでいただくのは……」


 それを聞いて誰もが「はあ?」という顔をした。

 だがネイリは続けた。


「それに屋根裏部屋もないし……。わたくしはメイドですから、夜露がしのげれば軒先でも構いませんが、それではお嬢様の沽券に関わりますし……」


「そうね。私もそんな人非人のような真似はしたくないわ」


 とエメネリアまで頷いている。


 そのツッコミどころ満載の会話に、アンタ達一体何を言ってるの? という顔を一同した。


「やはり最低でも6つは部屋が欲しいですね」


「そうね。でも贅沢は言えないわ」


「でもわたくしが申し訳ないことに一部屋使わせていただくとなると、お嬢様の部屋は寝室に、書斎……、あとはお着替えのお部屋とお召し物の部屋になってしまいますが、いかが致しましょう?」


「仕方ないわね。それでもいいわ」


 エメネリアとネイリの会話はまるで宇宙人の会話のように聞こえた。「お着替えの部屋?」「お召し物の部屋?」何それ一体? と。


「読書の部屋とお茶のための部屋はリビングで代用できるでしょう」


「申し訳ございませんがそうしていただけると助かります」


 さすがに誰もが尋ねた。


「エメネリア、あなた一体どんな家に住んでたのよ?」


「どんなって、ごく普通の家よ?」


 だがネイリが否定した。


「いいえ、お嬢様。ミルストラーシュ公爵家の表屋敷でしたから他所様よりはやはり大きかったはずです」


「そうかしら?」


「ええ。他所様のお宅は大抵部屋数はせいぜい40ほど。でも、お家の表屋敷は53はありましたから」


「ご、53って部屋の数よね?」


「ええそうです。

 あっ、使用人の部屋は含まれていません。もちろんですけど」


 エメネリアは本当に貴族のお姫様だった。


 結局コスタンティアはその物件をエメネリアに譲り、自分は民間の不動産斡旋会社を利用して今のアパートの部屋に決めたのだった。



 ちなみにエレノアとアリュスラの2人は基地の独身者用官舎にした。

 士官学校出とは言え一般科のアリュスラ、早期任官組のエレノアはコスタンティアのような高給取りではない。

 宇宙艦艇勤務だと衣食住全ては軍から支給されるが、地上勤務だと官舎住まいでも家賃は取られるし、朝夕の食事は自腹である。

 リンデンマルス号ではそれなりに役職にもついていたからその手当もあったが、いくらエリートと看做される戦術研究所。その研究室の研究員補では給与はさして上がらなかった。持ち出す分が増えたので実質目減りしているので、安い官舎しか選択肢がなかったと言える。


 ところでレイナートである。

 聞き取り調査中はもちろん一時滞在者用官舎にいたが、さすがに将官用ともなれば、高級ホテルのスイートルームとは言わないまでもかなり豪勢である。

 そこから出る際、管理部厚生局の担当に聞いた。


「あんなに豪華でなくていいから、独身者用の小部屋はないかな?」


「閣下がお住まいになるので?」


「そうだが」


「ありません」


 担当者はにべもなかった。

 と言うか腹の底で「将官が独身者用の集合住宅なんて、他の者が迷惑だろうに」と思っていたのである。


 そうしてこのことはモーナを憤慨させた。


「閣下、中将ともあろうお方が情けない!」


 大きな庭付き一戸建てに住まなくてどうするんだ! というのである。

 だが本音は別のところにあった。

 将官でも中将以上となると別格扱いで、日頃の通勤にも運転手付きの高級車を軍が用意してくれる。モーナはこれが狙いだった。

 基地のセキュリティ・ゲートの通過待ちの渋滞を尻目に公用車は優先的に、しかも顔パスで通れるのである。

 副官である自分は送迎の名目で同乗できる。公共交通機関の不便さとも無縁で過ごせるのである。

 だがレイナートが官舎住まいとなったら公用車は用意されない。逆に自分が基地内の連絡用小型車両 ― リンデンマルス号艦内で用いられていたのと同型車 ― で送り迎えしなければならない。冗談じゃない! という訳だった。


 だがレイナートとすればどうしても官舎が良かった。というのは夜這い対策である。

 研究員となった女性たちが自分に気があるというのは感じていた。だが艦艇暮らしではそこまで積極的なアプローチはなかった。だが地上勤務となるとどうなるかわからない。ヘタをすれば毎日押し掛けて来られるかもわからない。

 だが官舎住まいなら他人の目がある。ガードも付く。寝込みを襲われることもないだろう、という訳である。


 ところが厚生局の担当は将官用の官舎はないと言って取り合わない。

 結局レイナートも基地の外に民間のアパートを借りた。ただし入り口のセキュリティはかなり強固で、単に電子ロックというだけでなく民間の警備会社のガードマン付きというものだった。従って本人が許可しないと入り口の暗証番号を知っていても中には入れないという、ある意味、頭の固い頑固なアパートであった。

 当然ながら家賃はかなりする。「面倒なことだ」と思わないでもない。


 レイナートとしては、士官学校時代の諸費用の支払い免除の代わりに15年の軍役に付くという、このシステムのために軍人になったのである。従ってその期間が過ぎれば除隊するつもりでいる。

 否、今支払えば直ぐにも除隊できる。ところが士官学校予備校に予科、本科と7年分の授業料を始め教材費に生活費、その他諸々。それがかなりの額ですんなりとは払えない。給与のほとんどを仕送りしてしまっていたから蓄えがないのである。

 まさか借金してまで、という気はないし、それとなく実家に除隊の話をしたら困るから止めてくれと言われてしまった。

 逆に、そこまで出世したのだから、どうせなら総司令長官目指して頑張れ、とさえ言われる始末である。


 どうしてこうなった? と思わざるを得なかった。


 とにかく住む所一つ探すだけで悲喜こもごもあったのである。



―― ちょっと酔ったかしら?


 コスタンティアは、普段飲みつけないワインを飲んだせいか酔いが回っていた。

 学生時代は実家の命令でパーティに出ることも多かったから、付き合いもあって酒は強い方だと自負していた。だが艦艇暮らしですっかり弱くなっていたようだ。

 コスタンティアは立ち上がるとサラダとチーズを冷蔵庫にしまい、グラスを食器洗浄機に入れた。そうしてバスローブを脱いで裸のままベッドに潜り込んだ。


―― 早くあの人の腕の中で眠りたい……。


 そう思いながら夢路に付いたのである。



 それぞれ思い思いの初日の夜を過ごした翌朝。

 朝8時の始業に合わせて研究室に向かう。

 ここでも色々と差があった。


 コスタンティアはアパートの近くを通るルートがあったので軍の巡回バスを利用することにした。これなら面倒がないからである。


 クローデラは実家の用意してくれた自家用車。

 祖父が政治家で両親兄弟が高級官僚なので実家はかなり裕福だったし、特に孫を猫可愛がりする祖父がそう命じたのである。


「大佐が公共交通機関? 軍の巡回バス? みっともないから止めなさい」


 それでご厚意に甘んじることにしたのである。


 アニエッタは実父の大将閣下の公用車にちゃっかり同乗である。


 レイナートも軍が用意した公用車。もちろんモーナも一緒である。

 渋滞を尻目にさっさと基地内に入ることにすっかりご満悦である。


 その他は皆、官舎住まいなので基地内の巡回バスを利用する。


 そうして全員が揃ったところで朝礼がある。


「諸君、おはよう」


「おはようございます、閣下」


 そうやって一日が始まる。


「本日のご予定を確認させていただきます」


 モーナが言う。研究員とアシスタントたちは休めの姿勢で聞いている。


「一〇〇〇 (10時のこと)、第2会議室にて定例の研究室長会議。特に議案はないとのことなので、おそらく閣下の着任のご挨拶で終わるものと思われます」


 頭の痛い話である。


「次いで、一二〇〇、食堂第13番個室にてトァニー提督、シャーキン提督、ヌエンティ提督、ギャムレット大佐とのご会食」


 かつてのリンデンマルス号の各部長だった人物たちである。今では方面司令部の幕僚やその支配下の駐留艦隊基地司令になっている。


―― それがわざわざ一同に集まるなんて、戦時下だというのに……。


「わざわざ示し合わせて、ということではないようです。たまたまだとか……」


―― たまたま、で勢揃いするか、普通?


「さらに一六〇〇、第一士官学校で特別講義『こうして私は一般科候補生から中将まで登った!』です。よって本日はお酒はお控え下さい」


―― いや、昼間から飲まないし! というか元々飲めないし!


「一五〇〇に迎えの車が参ります」


―― 全く勘弁して欲しい。大体『こうして私は一般科候補生から中将まで登った!』って、偶然と手違いと隠蔽主義の産物じゃないか! なのに一体何を話せと?


「ちなみにこの講義は他の士官学校全校にも超高速度亜空間通信で同時配信されます」


―― 候補生には迷惑な話だろうに。


  CST16時は中央総司令部のあるイステラ・シティーはまだ夕刻、第一士官学校のあるカリエンセス・シティーは時差が3時間あって昼間だからいいだろう。

 だが他の士官学校はCST16時の時、その星の自転周期を1日とするDSTで何時になるのか。真夜中とか早朝ということもあるのではなかろうか? 日頃の訓練で疲れている身には酷な話だろうに。


―― だったら録画を適当な時間に見せればいいだろうに。


「ですが、そうしますと質問などがあった場合、一度では済みませんが?」


―― いや、それは面倒だな。仕方ない。候補生には我慢してもらうか……。


 とそこまでで予定の確認は終わりのはずだった。なので解散しようとしたレイナートにモーナが尋ねてきた。


「ところで、閣下。昨夜はシュピトゥルス閣下とご夕食を共にされたとか」


「ん? ああ、よく知ってるね。一応、閣下の指揮下を離れたので送別会ということだった」


―― 内緒にしてたのに!


「副官として当然です!

 それでお味はいかがでした? 最近話題の男鹿亭は?」


「うん、いや、あまり良くわからなかった」


「それは緊張されていたからですか? シュピトゥルス閣下の奥様と目に入れても痛くないほどかわいがっていらっしゃるお嬢様がご一緒だったとか……」


 そこで室内の空気が凍りついた


―― お嬢様がご一緒?


 そうしてそのお嬢様、アニエッタは燃えるような真っ赤な髪にも劣らないほど顔を赤くして怒りを露わにしていた。


―― 何バラしてんのよ! いいじゃない、プライベートなんだから!


 そう思いながらモーナを睨みつける。

 だがモーナは少しも動じることなくつり目の三白眼で睨み返す。


―― 波風立てないでよ! 出世に響くじゃない!


 モーナにとって誰がどこで何をしようと関知するものではないが、今のこの研究室では室長のレイナート争奪戦が一気に激化しそうな勢いである。

 立ち上げ早々人間関係の問題で研究室が解散、なんてことになったらどうするのか。とにかく余計な真似はしないでくれ、仕事に専念してくれ、というのがモーナの本音だった。


 他方、コスタンティア、クローデラ、エメネリア、エレノアにアリュスラがアニエッタを睨んでいた。


―― コイツ、抜け駆けしやがった!


 男鹿亭は閑静な住宅街に一般住居を改造したレストランである。アットホームな雰囲気、センスのいい美味な料理と相まって最近人気急上昇中の店である。席が多くないということもあって予約は3ヶ月待ちが普通になっている。


―― ということは急な話じゃないわね。何よ! 興味なさそうなフリしてて、親のコネ使うなんて!


 とんでもない伏兵がいたものである。



 だがレイナートの方も堪ったものではなかった。

 シュピトゥルス提督からの食事のお誘いがあったとき、当然提督と2人だけだと思っていた。

ところが直前に突然言われたのである。


「妻と娘も同席させるが構わんだろう?」


 まさか嫌だとは言えない。


「それと、別に正装して来いとは言わんが制服はヤメてくれ」


 そう言われて大いに困った。何を着て行けばいいんだ? と。

 これがドレスコードがはっきりしてれば悩まずに済む。タキシードだろうが燕尾服だろうが、借りるなり何なりして指定されたものを着て行けばいい。いや、そういう堅苦しい席もゴメンだが。

 だが私服で、しかも上官とその家族と食事するのに相応しい格好などてんでわからない。


 レイナートはミドル・スクールまでは親が買ってくれたものを着ていた。まあ、当然のことだろう。その親はと言えば開拓農民だから作業着姿しか覚えていない。

 そうして士官学校予備校からずっと軍隊暮らしである。つまり常に制服着用が義務だった。なので衣服に関してさっぱりわからないのである。


―― それで、どうすればいいんだ?


 だが身近に相談できる相手がいなかった。


―― とにかく適当に見繕って買うしかないか。


 ということで買い物に出かけることにしたレイナートである。もちろん軍服以外に持ってないから制服を着ていくしかない。


 基地や艦艇内で勤務時間外ならある程度はラフな格好でも許される。時間外だと所属を示すスカーフは外している。上着も着ないでいい。

 ただプロテクト・スーツは肌着のようなものだからそれを晒すのはみっともないとされている。だから制服のズボンにTシャツかタンクトップで良しとするのが一般的である。


 だが基地の外へ出る時はそうはいかない。「軍人としての矜持を忘れるな」と、制服は正しく着るように義務付けられている。したがってスカーフも着ける。拳銃も提げるように決められている。そういう格好をして出かけなければならない。

 レイナートの場合、さらに両肩に十字型四点星が3つも並んでいる。だから注目されやすい。


 研究室の正式な立ち上げ前、しかも一応名目上は休暇中ではあっても責任者ともなれば呑気に休んではいられない。なので毎日総司令部に出てきていたレイナートである。


―― 休暇はどこへ行ってしまったのだろう?


 そうは思うのだが仕事があれば致し方なかった。


 そうしてさすがに日中は買い物に出かけにくかった。

 なにしろ基地の周辺には紳士服の店がない。なので街の中心部まで行かなければならない。

だが私用、それも私服を買いに行くのに公用車を使う訳にはいかないだろう。だが日中、基地の外へ出ようとすれば必ずセキュリティ・ゲートで聞かれるだろう。「何故お車を使われないのですか?」と。

 結局一旦公用車で帰宅してから、今度は公共交通機関で出直すことにしたのだからご苦労様なことである。


 これが子供服の店なら基地の近くに何件もある。アパートから歩いて行けるところにもある。

また女性向けの店も多い。ランジェリー・ショップ、コスメティック・ショップ、美容院などは軒を連ねている。

 これらで扱う物は基地のPXでは買えないからである。


―― なのに何で紳士服の店はないんだ?


 単純に、利用者がほとんどいないからである。



 イステラ連邦の主星トニエスティエ、その首都であるイステラ・シティーは人口およそ2千5百万人。巨大な街である。

 中央総司令部は宇宙港を隣接するので街の郊外にある。レイナートのアパートは基地に近いのでやはり郊外である。

 街の中心には政府機関が集まる区域があり、商業地域はその外側である。そこまで地下鉄に乗っていく。

 地下鉄は地下埋設された減圧チューブ内を超電導モーターで走り最高時速千kmに達する。

したがって乗っているのはものの数分である。


 地上に上がると、自分がとんだ田舎者だと思い知らされる。

 とにかく街の灯はきらびやかであり、人々は忙しなく行き交う。さて店はどこかとキョロキョロなどしていると通行の妨げとなって嫌な顔をされる。


 事前にある程度下調べはしてきたものの目当ての店が見つからなかった。

 情報端末を持っているからそれで調べれば良さそうなものだが、仕事でしかも艦内でしか使っていなかったので、例えば現在地から店までの地図を表示させる、ということを思いつきもしない。


―― どうしたものかな。


 悩んでいると、やはり軍服を着た若い兵士と目が合った。

 兵士が急いで敬礼した。「何処においても上官を見掛けたら敬礼しろ」という規則だから当然である。

 もっとも階級章までは見えなかったろう。だがレイナートは30代半ば。兵士はまだ20代そこそこ。おそらく歳上だから上官だろうくらいにしか思わなかったに違いない。


 だがレイナートは助かった思いがした。

「そうだ、彼に聞いてみよう!」と。兵士にすれば本当に堪ったものではないだろう。

 何せ敬礼をしたらそのまま立ち去るつもりが相手が近づいてくるのである。

 そうしてレイナートの階級章を見て肝をつぶした。まさか中将閣下とは。

 レイナートは楽に、普通にしていいと「命じ」た。単に「休め」では、それこそ「休め」の姿勢で、人前であろうが何であろうが大声で返事しかねない。いやするだろう。そういうように訓練されているのだから。


「君は休暇かな、一等兵?」


「はい、いいえ。本日は休日であります、閣下」


 緊張して答える。


 軍は基本的に24時間、年間を通してのフル操業である。そうして階級が上がれば上がるほど世間とズレない生活ができる。なので下級兵士は世間で言う平日が休日であったり夜勤が多かったりするのである。


「そうか。休日のところを悪いが……」


 そう言って店までの道順を聞いたのである。

 聞かれた兵士は拍子抜けした。と同時に思うのである。


―― 士官学校出はモノを知らないってのは本当なんだな……。


 士官候補生でも高校も大学も普通に通っていた者と違って、特にレイナートのような予備校出身者は10代前半から寄宿舎暮らしである。

 だから普通の高校生、大学生が見て聞いてやってみて経験することを授業で教わった知識としてしか知らない、ということが多い。

 つまりとても歪な育ち方をしている、と言えよう。

 そうして宇宙勤務になれば狭い閉鎖空間が自分の世界の全てになってしまう。


 だから軍人は一般社会に馴染めない。軍隊以外のことにどう対処していいかわからない。

 軍服以外のものを着ろと言われると途端に悩んでしまう。


 紳士服の店で店員に勧められるままに、取っ替え引っ替えスーツに袖を通している己の姿に「情けない」とは思っても、少しの異常さも感じていないレイナートの姿がそこにあった。

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