第12話 初日
―― ヤレヤレ、一体全体どうしてこうなったのかな……。
レイナートは内心ぼやきつつ新たな職場へと向かっていた。
ここはイステラ連邦の中心であり主星たる惑星トニエスティエ。その首都近郊にあるイステラ連邦宇宙軍中央総司令部の統合作戦本部棟。その地下4階に向かうエレベータ内である。
中央総司令部統合作戦本部の最高幕僚部は、シェルターを兼ねた本部棟地下4階にメインフロアがある。ここにレイナートの新たな職場、最高幕僚部戦術・作戦局戦術研究所第101研究室のオフィスがある。
最高幕僚部の戦術・作戦局戦術研究所に自らの研究室を持つなど、作戦参謀としての頂点を極めたと言っても良いほどである。
だがレイナートにすればどうも場違いな感じが強くて気分はどうにも超低空飛行であった。それ故、今日はその初出勤日なのだが足取りは重くなってしまっていた。
―― 確かに士官学校一般科候補生から将官まで昇った人はいるが……。
でもそれは戦時に後方支援部門において、難しい補給作戦を成功させた、厳しい兵站をやり繰りさせた、という功績によってである。最近のイステラ軍ではあまり聞かないことである。
―― どころか、一般科候補生から戦艦の艦長、それで将官まで出世なんて聞いたことがないんだが……。
この点については副官のモーナも同意している。
かつて、同じ統合作戦本部の記録部にいたモーナ。士官学校を優秀な成績で終えて記録部に配属された彼女の記憶力には目を瞠る物がある。
ある事柄について尋ねた際、モーナがちょっと記憶を確かめるようにして、多少自信なさげでも「それは多分ないと思います」と言えば、99%以上の確率で存在しない。逆に「あるかもしれません」と言えば、やはり99%以上の確率で存在する。
もちろんモーナだって軍の全ての記録に精通している訳ではない。だが「一体彼女の大脳はどういう内部構造をしてるんだ?」と思わせるほど、モーナはその頭脳に数多の事柄を記憶しているのである。
そのモーナがイステラ軍の過去100年間に「一般科候補生から戦艦の艦長になった人物はいない」と言うのだから多分そうなのだろう。
どころか過去において一度も一般科候補生から最高幕僚部で研究室を持った人物はいない。
そもそも一般科候補生から最高幕僚部に配属された人物も数えるほど、と言われると「ではどうして自分が?」と思ってしまう。
―― そんなに優秀じゃないはずだが……。
我ながら自分のことをそう思うのだが。
だから今度の辞令にはどうにもすんなり納得できないでいた。
もっともこの年令で中将という階級にあるくせに何をか言わんやなのだが。
一方のモーナはエレベータを降りて廊下を歩くレイナートの背後に付き従いながら、やはりあれこれと考えていた。
―― 私はもしかして歴史的瞬間に立ち会ってる? 歴史の証人になってる?
そう考えて頭を振った。「イヤイヤ、それは大げさ過ぎる。あり得ないだろう」と。
ただ、軍は変わりかけている。そうは言えるのでは、と思うのだった。
軍は、どこよりも実力主義の組織である、と自らを表する。
だが、実態はどうか?
そこかしこに旧態依然の古い考えが残っている。因習に囚われた前例主義。それが軍の実態ではないか、と思っている。
それが変わりかけている、と思える今回の人事である。だがそれはこれを決断したもっと上の人達の功績なのではないか。
ということは? 自分の役回りは一体何なのか。先の見えない、予測の付かない未来に少し不安であった。
2人はエレベータを降り研究室に充てがわれた部屋に向かう。
充てがわれたというのは語弊があるだろう。元々研究室と使用することを前提に設えてある空き部屋を用意されたのだから。
―― どこも手狭で部屋が足りないというのに……。
随分と贅沢なことだと思う。
中央総司令部は各管区を担当する方面司令部を統括する。
そうして時代が進むに連れて軍はその規模が膨れ上がり、中央総司令部も従来施設では収まりきらなくなり、新しい基地施設を必要とするようになる、ということを繰り返してきた。したがって中央総司令部は広大な敷地にいくつもの低層階ビルが余裕を持って配されており、およそ100年を目処に建て替えられている。内部設備の老朽化、というよりも最先端の設備に入れ替える工事の手間を考えれば、手狭になっていることだし建物ごと新しくしてしまえ、という発想である。
それはすなわち、軍縮・予算削減という憂き目を見ながらも、軍そのものは決して縮小化されていないという証左でもある。
新たな「第101研究室」とプレートの付いたドアの前にレイナートが立つ。ドアの両側には監察部憲兵局から派遣された憲兵が歩哨として立っている。その2人はレイナートに対し捧げ銃の姿勢をする。
モーナがパスワードを入力してドアを開ける。ドアは防弾措置が施されており重い。だが自動開閉するからそれと気づくことはない。
ドアを開けて中に入るとカウンターがあって若い軍服姿の女性が2人腰掛けている。その背後には天井まであるパーテーション。受付嬢が軍服を着ていなかったら、まるで「民間企業の受付か?」と思うような作りである。
その2人は立ち上がってレイナートに敬礼する。
「おはようございます、閣下」
受付の2人はにこやかな笑顔で声を揃えて言う。
だがその笑顔に騙されると痛い目に遭うだろう。この2人も憲兵局から派遣されている白兵戦に長けた歩兵であり、研究室の研究員ではない。
カウンターの内部には自動小銃、拳銃、高周波ブレード、コンバット・ナイフを隠し、敵が侵入の際には身をもって室内の人間を守る、という役目を与えられている。
一説には、通常歩兵最強はブルー・フラッグスという超エリートの歩兵特殊部隊か、もしくは中央総司令部の各要所を守るガードの憲兵と言われている程である。
その2人に敬礼を返し、パーテーションを回り込んで進むと中央に通路があり、その両側には低いパーテーションで仕切られた各研究員のブースがある。このブースは研究員とそのアシスタントが作業できるようそれなりに広く、広々としたデスクに2つの端末がゆったりと配されている。
そのブースの幾つかを通り過ぎると大きな長方形の会議デスクがある。これは一見何の変哲もない事務用だが、天板は外敵が侵入した際の盾とするべくやはり防弾措置が施されている。
そのデスクの向こう側に小部屋があり、これが副官の控室。さらにその奥が室長室、つまりレイナートのオフィスである。
そこへモーナを従えて入っていくと、中には12名の女性たちが既に2列横隊で整列している。前列が研究員、後列がそのアシスタントである。
その内の1人、主任研究員のコスタンティアが号令をかけた。
「気をつけ!」
そうしてレイナートが女性らの前に立つ。
「フォージュ室長に敬礼!」
レナートが敬礼を返す。
「直れ!」
いつもは理知的ながらも穏やかな口調のコスタンティアも、こういう時にはいかにも軍人らしい声の出し方をする。
レイナートが穏やかに言う。
「皆、楽にして下さい」
全員が肩幅に足を開き、腕を後ろで組んで休めの姿勢を取る。まさに、一糸乱れぬ、と言っていいその動きは、全員が訓練された兵士であることを物語る。
「さてこの研究室は今日、正式に発足しました。今後与えられた課題について検討し、論文としてまとめ上げて提出しなければなりません。
特にこの研究室は、過去の軍にはない研究課題を設定されています。色々と難しい問題もあるでしょうが、皆の努力を期待します」
「「「はっ!」」」
全員が声を揃えて返事をする。
6人の研究員、コスタンティア、クローデラ、アニエッタ、エメネリア、エレノア、アリュスラと、そのアシスタント ― 秘書の扱い ― 全員が元のリンデンマルス号の乗組員。旧知の間柄であるが、そこに馴れ合いはない。
各自1人アシスタントを付けていい、と言われた時、6人全員が驚いた表情を見せた。
「それは専属の秘書を持てるということでしょうか?」
コスタンティアの問にレイナートは言った。
「ええ、そうですね。さすがに副官という訳にはいかないので秘書という形になりますが、一応その人選は皆さんに委ねられています。これは、という人物が見つかったら至急人事に報告して辞令を出してもらって下さい」
それを聞いた6人の顔が思わず緩んだ。
イステラでは将官以上でないと正式には副官を持つことが出来ない。ただし艦隊司令などは基本は大佐だが副官を置くことが許されている。これはその職責の重さ故にである。
そうしてその業務上、専属のアシスタントが不可欠という場合は、佐官や尉官であっても秘書を持つことが認められている。
この戦術研究所の研究員などもそうで、膨大なデータベース資料の中から必要な情報を探し出すのまで自分でやっていると仕事が追いつかなくなる。そのためである。
ただし副官とは違い秘書の場合、その職務に特別な権限が付与されることはなく、また給与を含む待遇面でも一般と変わることはない。
それでも自分を助けてくれる専属の部下がいるというのは心強いし、階級は変わらずとも、自分が出世したということを実感させてくれる。
というので皆早速これはと思う人物に連絡した。
『ご機嫌いかがかしら? と言っても調査委員会からまだ幾日も経っていないけれど。
確か貴女は休暇中は実家に帰省すると聞いていたのでメールします。
実は新たな職務の内示を受けました。それにはどうしてもあなたの力が必要なので助けてはもらえないかしら。
もし既に異動先の内示を受けているのなら強制はできないけれど、可能であれば協力して下さい。
ただあまり時間に余裕はないので、このメールの発信日時より CST24時間以内に連絡を下さい。詳細はその時に。
24時間以内に連絡がない場合は、その意志がなかったものとして諦めます』
皆、若干言葉遣いは人それぞれだったが、概ねこのような内容でメールを送っている。
皆、上官として信頼されていたから直ぐに受託の返事が来て ― 一部ゴネたのもいるが ― 1週間後には勢揃いしたのである。
第101研究室の概要は以下の通りとなった。
室長:レイナート、副官:モーナ
主任研究員:コスタンティア、秘書:リーデリア。
同:クローデラ、秘書:ナイジェラ。
主任研究員補:エメネリア、秘書:ネイリ。
研究員:アニエッタ、秘書:エミネ。
研究員補:アリュスラ、秘書:ビーチェス。
同:エレノア、秘書:イェーシャ。
コスタンティアが秘書に選んだリーデリアは元リンデンマルス号作戦部、クローデラの秘書のナイジェラは元船務部で、共にMBで勤務もしていたからレイナートもそれなりに知っている。
エミネというのは新任の空戦パイロットで、彼女の着任の時に顔は合わせいるがほとんど知らない。
アリュスラが選んだビーチェスという者はレイナートよりリンデンマルス号は長かったが、基本は技術部で製造した物品の管理業務が主体だったからやはりよくは知らないと言える。
まあ、3千人もいた乗組員全員を細かく把握していられるほど艦長というのは暇な仕事ではなかった、というのは言い訳である。
「差し当たって、当研究室に与えられている課題は、今後増えるであろう女性兵士の前線配備に関して、予測し得る問題点の洗い出しとその対策を講じることです。早速取り掛かっていただきたい」
そう言ってレイナートは皆を解散させた。
半ば丸投げのようだが、レイナートとしては積極的には口を挟みにくい、ということがあった。
艦長という職にあった者として、特に女性比率の高かったリンデンマルス号だったから、指揮官としてどうだったか、という意見は出せる。
だが女性たちに向かって、男の自分から女性の生理のことなど話題にしにくい。そうでなくても男性と女性では思考も判断も全く理解できないくらい違うことがある。
ヘタなことを言えば集中砲火を浴びて撃沈するのが落ちである。
この研究室の目的は、あくまで軍として、女性兵士をどのように前線部門に組み込んでいくか。その方策を模索するということになる。それを男の側からではなく、女性側から発案させるということにこの人選の意味があるのだから、逆に発言は控え、実務レベルはもちろん取りまとめも任せて、最終責任だけは自分で取ろうか、などと考えていたのである。
とにかく、優秀な女性たちである。自分の出る幕はおそらくないだろう、などと呑気なことを考えていたということもあった。
だが、集められた女性たちの内、エレノアは当初、やはり至極場違いな感じを抱いていたのだった。
コスタンティアやクローデラ、エメネリアのような優秀な、しかも艦の中枢部門にいた人間はいいだろう。でも自分は一介の陸戦兵。そういう御大層な問題を考えるところにはいなかった、というのである。
「でも徴兵された兵士の前線配属先としては歩兵が一番多かったのではなくて?」
そう言われれば確かにそうと言えなくもない、というのは重装機動歩兵が導入される前の話で今となっては昔話である。
艦隊戦主体の現在の戦争でも歩兵が必要とされるのは、地上に降下を図り敵重要施設 ― 軍・民問わず ― の制圧や占領のためである。こればかりはどれほど高性能の宇宙艦艇をもってしても成し遂げ得ない。
逆に宇宙艦艇で、例えば惑星制圧を行うなら、砲撃によって完全に地上を焦土と化し一切を無に帰す、ということくらいしかできない。つまりそれは戦争ではなく単なる大量破壊、虐殺と言うものだろう。
それ故歩兵という兵科は何時の時代になってもなくならない。それが設置されるのが陸軍と呼ばれるか否か、だけの違いである。
そうしてイステラ軍で歩兵というと普通は重装機動歩兵を指す。一般に陸戦兵と呼ばれる部隊は全てこれに分類される。
それはパワード・スーツを発展・進化させた強化外装甲と呼ばれる装備をまとって戦う部隊であり、その発想は「歩兵のように動き回れる戦車」もしくは「戦車のような火力と装甲をまとう歩兵」である。
ちなみに重装機動歩兵が宇宙空間での戦闘に投入されることはほとんどない。それは機動速度が艦載機に比べて格段に遅いためである。
もちろん通常歩兵と呼ばれる昔ながらの歩兵もあるにはある。だがこれは今では軽装であることを活かして敵重要拠点に突入、無力化、制圧を行う特殊部隊を指すか、もしくは白兵戦に長けた憲兵部隊である。
いずれにせよ、どちらも徴兵で集められた新兵なんぞに出番のない兵科である。
だから自分が呼ばれたことに違和感を拭えない。一体私に何をしろと言うのだ? ということである。
なのでアシスタントを自由に選んでいいと言われた時も、一旦は喜んだものの誰にすればいいか皆目見当がつかなかった。
そこで似たような経歴を持ち、コンビを組むことも多かったイェーシャを選んだのだった。
もっとも話を持ちかけられたイェーシャも目を丸くした。
「センパイが戦術研究所の研究員? もしかして、軍のお偉いさんはみんなボケちまったんですか?」
口は悪いがイェーシャの言う通りにしか思えなかった。
「アタシもわからんのさ。まあそういう訳で1人で悩むのはゴメンだから、お前も付き合え」
「ええ~、ヤダ! 冗談じゃないですよ」
「冗談じゃない、マジメな話だ」
「イヤですよ。そんな堅苦しいところ」
「何だオマエ、アタシを見捨てるのか?」
「ええ、見捨てます。我が身がカワイイもんで」
「薄情者」
「なんとでも言って下さい」
「じゃあ、命令する。イェーシャ・フィグレブ少尉。エレノア・シャッセ大尉の秘書を務めろ」
「真っ平ゴメンですよ」
「いいから黙って命令に従え」
「イヤですってば……」
「話は人事に通しておく。直ぐに荷物まとめてやって来い」
「汚っ!」
「いいから、さっさと来やがれ!」
それで渋々エレノアのところにやって来たイェーシャである。
なのでこの2人、最初の話し合いからどうしていいのかわからずにいた。
一体全体、自分に何をしろ? と。
「まさか徴兵された新兵率いて施設制圧とか想定してんですか? 何時の時代の戦争です? そんなの死体の山しかつくれませんよ? もちろん敵のじゃないですよ?」
イェーシャは物怖じせずに言いたいことを言う。
そうしてそれを言われると誰も何も言えない。だが、それで終わりにするほどコスタンティアも甘くはない。
「なら、補助要員はどう? サポートする人間は必要ない?」
「サポート?」
「そう。何も部隊全員が出撃する訳ではないでしょう? サポート要員だって部隊にはいるはずじゃない?」
「まあ、いますけどね。でもそれだって訓練された整備兵がするから、新兵の出番なんてないですよ」
イェーシャも譲らない。普段は寡黙なエレノアも言葉を添える。
「陸戦部隊は投入時期が計算されてるからな。突発的な遭遇戦でもなけりゃ、猫の手も借りたくなるような状況にはならんのさ。
参謀のアンタが知らない訳ないだろ?」
年が近いこともあって階級差も何のその。口の悪いことこの上ない。だが確かに言われる通りである。
コスタンティアは士官学校戦術作戦科卒業。リンデンマルス号では補給計画の立案に終始したが、様々な作戦を立案をする参謀という職務が本義である。
士官候補生の時は、それこそ、度重なる図上演習での制圧戦において、どのタイミングで陸戦兵を投入するか、に神経を尖らせたものである。
「まあ、ワープ直後に接敵でもしなきゃ、ありえないですよね」
イェーシャが重ねて言う。
「ワープ直後に接敵? そういう場合だとどういうことになるの?」
アリュスラが尋ねる。後方管理部門の人間にはちょっと思いつかないからの問だった。
「え? う~ん……、例えばワープ直後に敵艦もワープアウトしてきて、それで距離が近い、艦砲の準備もできてない、なんて場合かな。
そういう時だと慌てて装備変更しなきゃなんないだろうから、それこそ手助けしてくれる人はありがたいと思うけど……」
ワープ中は第3種配備で宇宙服着用が基本である。そうしてワープ直後は艦内諸施設の復帰に時間がかかる。そこへ敵艦がワープアウトしてくれば、しかも距離が近く突入による強襲白兵戦が可能、ということにでもなれば、確かに慌てて宇宙服から強化外装甲に変更することはあり得るだろう。そうしてそういう時に手を貸してくれる人間は貴重であるに違いない。
「でも、そういう状況の方がありえないでしょうね」
クローデラが言う。
「まあ、確率的にないことではないけれど、そんな偶然、それこそ天文学的確率だと思うわ」
別々の地点から艦艇がほぼ同一地点にワープして来るという可能性は高くはないだろう。確かにありえないことではないが。
「ワープ前の安全確認で、目標地点に天体、艦艇、その他、艦に大きな支障を与える危険性のあるものを発見すば目標地点の変更、もしくはワープ自体を行わないから。
先にワープした方はしょうがないとしても、後からの方はわかっててすることになるのだし、直後に衝突の可能性のあるワープなんて自殺行為以外の何物でもないわ」
船務士官としてもっともな見解である。
ワープ先の座標のズレは大宇宙のスケールからからすればないに等しいが、それでも、人間のスケールからすれば無視できるものではない。敵を急襲するためとしても、そんな危険なワープは命令する方もする方だし、従う方も従う方で、とても正気の沙汰ではないと言える。
「ならワープじゃなくて、敵を見落としてたら?」
アリュスラが再び尋ねる。
だがクローデラは「それこそありえない」と頭を振る。
「見落とすということは索敵システムが正常に作動していないか、でなければヒューマン・エラーしかないわ。
システムの異常なら、艦はその場で停止させ、船務部員が暗視双眼鏡を持って監視に立つわ。システムが正常に回復するまでね。当然艦内には第3種ではなく第4種配備が敷かれるはずよ。
それだと陸戦部隊は初めから強化外装甲を着用するでしょう?」
「確かに」
エレノアが頷く。
そうしてそれまで無言だったアニエッタも同意する。
「そうね。戦術部長としては当然その指示を出すわ」
「そういう状況だと逆に船務部の方で人手が欲しいくらいだわ。全天を目視での監視なんて、それこそ人海戦術じゃないと無理だもの。
それに、ヒューマン・エラーの場合は、そんなことが起きないように、船務部では常に複数の担当を置いてるわ。
二人して見落としてたらしょうがないけど、そうならないように組み合わせの人選は船務部としては最重要項目の一つ。
シフト表を作ってた管理部なら知ってるでしょう?」
「それもそうね」
アリュスラもようやく認めた。
「各部からのシフト作成への注文の多さったらなかったもの」
傍観者よろしく会話を聞いていたレイナートも、初日からこの調子なら意外と幸先はいいかな、などと考えていた。
そこで急にネイリが立ち上がった。
「ん? どうかしたのかな、リューメール准尉?」
レイナートが尋ねるとネイリは首を振った。
「いえ、皆さんにお茶でも、と思いまして」
ただお茶汲みを買って出ただけだった。
エメネリアの士官交換派遣プログラムに伴ってリンデンマルス号に乗り込んだネイリだったが、15歳の誕生日を迎えた日に亡命の申請を出した。
これはイステラでは15歳未満の者には自分で判断する能力がない、とされているからである。
ところでこのネイリの処遇は常にレイナートを悩ませた問題の一つだった。
エメネリアは亡命、イステラに帰化しても、ネイリは年齢が満たず、法律上の保護者の承認がなくては亡命が認められない。
と言ってネイリ1人を帰国せることなど不可能だった。そこでエメネリアを後見人にしてリンデンマルス号艦内に滞在させるという、本来ならありえないような方策を取った。もちろん運用責任者のシュピトゥルス提督の許可は取ったが、これは重大な軍記違反であることに違いはなかった。
そうしてネイリが15歳を迎え亡命の申請をした。そこまではいい。
だが今度は別の問題が生じた。
すなわち民間人は緊急事態を除き、宇宙基地、及び宇宙艦艇に滞在させてはならないという別の規則に引っかかったのである。
民間人を軍の艦艇に乗せなければならないような状況。それは例えば民間船が何らかの事故、もしくは海賊の襲撃等で航行不能になった。その救助のため、というのは想定されている。
だがそれは一時避難のためということであり、民間人が軍艦内で定常的に生活することを軍は許可しないのである。
したがって宇宙勤務の既婚者の内、配偶者が民間人の場合は単身赴任を余儀なくされる。
これが地上基地の場合なら民間人の家族も軍属扱いで基地内で生活することを許される。子供のための義務教育機関まで基地内にあるほどである。
だが宇宙勤務はそうはいかないのである。なのでネイリの処遇をどうするか、という問題が発生した。
とりあえず帰化申請は受理されており却下される心配もなかった。そうして最終決定が出るまでの数ヶ月間は待機期間として艦内に留まっていられる。だが今のままではそれ以降は艦から降りなければならない。15歳では軍に入隊できる規定年齢にも達していなかったのである。
当時まだリンデンマルス号の保安部長だったサイラはその鉄壁の無表情を崩ししかめ面をした。「これ以上は黙認できません」と。
帰化してイステラ人となったとは言え民間人では艦から降ろさなければならない。だがエメネリアも地上勤務であったならまだしも、ネイリを1人で放り出す訳にはいかないだろう。
元々、帰化直後のエメネリアは中央総司令部で閑職に就かされるところだった。それを半ば強引にリンデンマルス号に引っ張ったのはレイナートである。したがってこの件に関してはレイナートにも責任の一端があるので頭を悩ませたのである。
ところがこの問題を解決したのは、実はネイリ自身である。
ネイリが提出した帰化申請の書式を見ていたサイラはネイリに尋ねた。
「ネイリさん、この生年月日ですが、これに間違いはないですか?」
サイラの口調は穏やかで詰問するようなものではなかった。それでもネイリは緊張を隠せなかった。
「はい……」
「本当に?」
「……はい……」
消え入るような声で答えるネイリ。
そこでサイラは予想外のことを言った。
「となると貴女は、もうすぐ18歳、正確には17歳と6ヶ月少々ということになりますね」
「ええっ?」
その場の誰もが驚きの声を上げた。
そこでエメネリアがはたと気づいた。
「ネイリ、あなたもしかして、イステラ歴に換算してなかったの?」
元々、同じ惑星を源とするヒトという種族。
だが宇宙に展開し、それぞれの母星を定めた時点で暦をその母星のサイクルに合わせて変えた。イステラの母星トニエスティエは、元々の人類発祥の惑星とかなり近いサイクルで自転周期は24時間ほどだが、公転周期は366日である。
ところがアレルトメイアはこれとは違った。そうしてネイリはアレルトメイア歴で生年月日を記入してしまっていたのだった。
「これだとあと数日で志願できますね」
サイラが言う。その表情は感情を一切読ませぬ無表情なものに戻っていたが、声は温かみのあるものだった。
イステラ軍への志願は、高校卒業もしくはそれと同等以上の経歴を有することとされている。年齢で言えば17歳と7ヶ月以上でなければならないのである。
「だったら志願しなさいよ。軍人なら艦内にいても何も問題ないんだから」
早速ネイリは軍に志願したのである。
だが、ネイリのアレルトメイア宇宙海軍幼年学校の最上級生という経歴は無視された。
士官交換派遣プログラムの随員ということで、特例の休学扱いである。したがって卒業している訳ではない。
しかもイステラには幼年学校という制度そのものがない。したがってそれと相応するものがないのである。
だがネイリは意に介した風はなかった。
「一から頑張ります」
それで一般の志願兵と同じ、全く初歩の初歩から始まったのである。
イステラ軍に志願するとまずは仮入隊扱いである。そうして2週間に渡る初期訓練と称する入隊選抜試験を受ける。
初期訓練では身体能力測定の他に、異なった環境へ放り込まれたことに対する柔軟性、上官に対する従順性、その他一般常識など、志願者が軍の要求する水準に達しているかどうかを2週間に渡って見られるのである。そこでB評定以上の結果を出すと正式に入隊となる。
そうして正式に入隊した後は3ヶ月間の基礎訓練を受けて正式に部隊配備となる。宇宙勤務はそこからさらに1年の地上勤務を必要とする、というのが大まかな流れである。
この初期訓練をリンデンマルス号艦内で行うことになった。そこで中央通路に基礎体力を測るためのコースが設置された。ここで定められたメニューに挑戦し、端末を使った基礎知識のテストは保安部のオフィスで行われた。
もちろん全て正規のものが可能な限り用意されたのである。
ところでこれを面白がった乗組員たちは、自分達もその特設コースにチャレンジしてみたのである。
結果は、最優秀の成績だったのはやはりと言うか陸戦科、次いで空戦科。体力勝負には強いことが証明された。
意外と健闘したのは作戦部。単なる頭でっかちの頭脳集団と思いきや、兵士として有能であることを示したのである。
逆に最下位は管理部。いくらデスクワーク主体の部署とはいえ結果は散々だった。管理部長のご機嫌はしばらく回復しなかったほどである。
ところで当のネイリはと言えば、1週間目にはB評定相当の結果を出し、最終試験の結果はB+という文句のないものだった。だが正式に帰化が済んでいない。なのでしばらくは仮入隊のままだった。
ちなみにB-だと、仮入隊扱いのまま基礎訓練は受けさせてもらえるが、そこで結果が出せなければ除隊となる。その後、徴兵でもされない限り軍に入る道は閉ざされたと言っていい。
逆に滅多にはいないが、A評定なら将来の幹部候補として士官学校へ進むことを勧められる。中学までの義務教育さえ終わっていれば予備校制度があるので何も問題はない、とされてである。
「ネイリ、あなた、私と離れたくないからって手は抜いてないでしょうね?」
エメネリアの問に、最後まで沈黙を通したネイリである。
そうしてネイリは帰化が済むまで仮入隊のまま基礎訓練が実施された。
ネイリの仮入隊後、エメネリアは特別室から佐官用の一人部屋に移り、ネイリは一般兵士用の大部屋に移った。従卒という立場は一時保留にされたのである。
そうしてネイリは積極的に訓練を受け、座学も率先して受けた。
のみならず、情報端末を手に食堂へよく足を運んだ。そこで誰かれ構わず聞いて回った。
「……に詳しい方は誰方でしょう?」
食堂利用時間は皆限られているし、勤務中の者、勤務時間外の者とまちまちである。そこで教えて欲しい事柄に詳しい人物を紹介してもらい教えを請いに出向いたのである。
特にアレルトメイア人であったネイリにとって、イステラ人には常識であるイステラ連邦憲章や、軍人としては避けて通れないイステラ連邦宇宙軍基本法といった法律の基礎知識すら全くない。つまりスタートラインが普通よりも遥かに後ろなのである。さらに軍人として身につけることは山ほどあるから遊んでいる暇は全くなかった。
それがわかるから頼まれた方も快く応じ、名目上18歳、実際には15歳の少女に先生役を買って出たのだった。
もっともこれは元々艦内では様々な勉強会、研修会が開かれているということも背景にあった。
イステラ軍の下士官・兵には昇級試験制度が設けられていた。これは今の階級・職務にあぐらをかかず、より上を目指すべしというものである。
やる気のない者、能力のない者を飼っていられるほど軍に余裕はない。だが平時においては軍功を立てる機会がなく、入隊年度以外にはわかりやすい目印がなかった。そこで決められた年限内に昇級試験を受けさせ、それを突破できない者は予備役に組み入れたのである。
また様々な資格所得に対しても軍は後押しをしている。
資格というのは知識や技術の有無を測る物差しとして非常にわかりやすい。
それでもさすがに医師免許や教員免許、司法試験等は無理だが、それ以外なら大抵の資格を現役中に取ることが可能なのである。
そのためリンデンマルス号艦内でもそういった資格のための勉強会が定期的に開かれていた。毎週のものもあれば月に一度程度のものもある。ネイリはそのどれにも積極的に参加したのだった。
そうして正式に帰化が認められ、本入隊とされたネイリは早速昇級試験を受け始める。
「あれ、あなた、ついこの間兵長になったばかりじゃない? もう伍長の試験受けるの?」
「はい。まずはせめて下士官になっていないと……」
アレルトメイアでは宇宙海軍幼年学校にいた。
卒業後は下士官となって士官学校に進む予定だった。最終的には士官大学校まで行き高級士官となってエメネリアを助ける、というのがネイリに課せられた使命だった。
それはイステラに来ても変わらない。己にとって最優先事項だと考えていたのである。
とは言うものの昇級試験は上へ行くほど難しくなる。伍長から軍曹、軍曹から曹長となると簡単にはいかなくなった。本入隊後は本来の従卒としてエメネリアの世話もあった。訓練だけ勉強だけをしていればいい、という訳にはいかない。
それでも、リンデンマルス号を降りる時には准尉になっていた。すなわち一兵卒からわずか4年でそこまで昇ったのである。
もっともアレルトメイア宇宙海軍幼年学校は後の高級士官を育成するための入り口でしかない。
したがってこの程度のことは、ネイリにすれば大したことではないのだった。