第五話 無知の最後
特訓開始から数日後の夜、舘照美が自室で頭を抱えていた。
「どうしようかな……」
照美を悩ませているのは、路乃の言葉。そして蓮華と穂波の茶化しだった。
「特訓も順調ですし、明日はせっかくの週末ですので、一日休日とします。何か希望があれば、日付が変わる前に申し出てください。映画のチケットや遊園地の入場券など、可能な限り用意しましょう。それと、今いる六人の他に一緒に出掛けたい相手がいる場合にも申し出てください。都合を付けます。こちらは明日の朝までで大丈夫です」
というありがたい限りの言葉だが、それが照美を悩ませた。
せっかくの休日にどこへ行こうか?という軽い悩みだったのだが、蓮華と穂波の、
「寺岡でも誘ったら?」
「そうですよ。デートですよデート。チャンスじゃないですか」
という軽率な言葉によってとてつもなく重い悩みへと変わってしまった。
「映画や遊園地ってデートにはぴったりだけど……」
照美は映画館や遊園地に行く自分と寺岡共輔の姿を想像した。
「無理~っ!」
想像だけにもかかわらず、その恥ずかしさに耐え切れなくなって照美は真っ赤な顔を枕に押し付け、足をバタつかせた。
「うぅ……恥ずかしすぎるよぅ……」
照美は枕から顔を上げながら呟いた。
照美の中に恋という自覚は無くとも、共輔と対峙した際の恥ずかしいという感情は確かに照美の胸を締め付けていた。
「ハァ……どうしようかな……」
照美はデートの様子を想像しては恥ずかしさに悶え、また想像しては悶えを何度も何度も繰り返し、気付けば部屋に戻ってから二時間が経ち、日付も変わりそうになっていた。
照美も時計を見上げてそれに気付き、余計に焦ってしまう。
「ど、どうしよう……そろそろ決めないと、路乃さんのご迷惑になっちゃう」
照美はハードル下げた想像を巡らせる。
「喫茶店……ショッピング……綾乃さんに聞かないと、この辺りのお店わからないな……変なところに行っちゃって嫌われたら嫌だし……」
せっかくハードルを下げたにも関わらず、少し思考してはすぐに躓く。
地理自体は携帯端末で地図を表示すればわかるが、どの店がどんな雰囲気なのか、店から見える景観はどうなのか、といった情報は直に見なければわからない。
「でも、次はいつお休みがもらえるかわからないし……」
照美はその点が不安で仕方がなかった。
次の休みがいつになるかわからない。共輔と休みの日が重なるかもわからない。何よりも、休みを迎えられるかもわからない。
照美はもしも戦闘になれば、どんくさい自分が真っ先に死ぬと思っている。そう考えると、明日、明後日にも自分が死んでいるのではないかと思えて、次を考える余裕は無い。
それでも、勇気は出ない。出ないものは出ないのだ。
「うぅ……」
照美は、もう一度枕に顔を押し付ける。柔らかい枕が照美の顔を心地よく包む。
「どうしよう……考え……なきゃ……」
特訓の疲れもあって、照美はそのまま眠りに落ちた。
そして、照美は目を覚ましてから後悔することになった。申請するだけして、当日になってから考えてもよかった、と。
翌朝、玄関ホールは外出手続きをする人間で賑わっていた。ほんの一部の賑やかな人間によってだが。
「本当に私でいいの?」
「もちろんです。ここでは一番大人っぽいので、ぜひ色々教えてもらいたくて」
「ほら、今日はあたしが一緒だから、次の為にプラン考えよっ」
「はい……ありがとうございます」
「さぁ続け、我が僕よ!」
「なんでせっかくの休みに子守しなきゃなんねぇんだよ。めんどくせぇ」
といった明るい声が響く。
水無月蓮華が佐治夏海と並んで歩き、祖麗綾乃が舘照美を慰め、瑠璃川紗莉亜が上笠修也の手を引いて走っていた。
騒がしいと同時に、神殺しに所属している人間の多くが、まだ若い男女である事を再認識させられる。
騒がしさをそのままに全員外出手続きを済ませ、玄関ホールにいた三組は各々街へ繰り出した。
最初に門を出ていったのは瑠璃川紗莉亜と上笠修也だった。
「ほら、早くしろ。一日は貴様が思っているよりも短く、そして儚いものなのだ」
「走るなよ。店も何も逃げねぇだろうに」
本来指名する側である修也が乗り気ではないのは、紗莉亜の同伴が紗莉亜の逆指名によって決められたからだ。
前日、修也達の休みが決まった直後、それを聞きつけた紗莉亜が路乃に申し出て、街を案内するという名目の元に同伴することになった。
というのは紗莉亜の認識。実際は元々非番の予定だったのだが、紗莉亜は放っておくと部屋にいても騒がしい。一人で出掛けてもどこか危なっかしい。と厄介極まるので路乃が修也に押し付けたのだ。
「気を緩めるなっ!決戦の時は近い。火蓋が切って落とされれば、そこは血で血を洗う戦場となるのだ」
紗莉亜は鬼気迫る表情で言う。これが紗莉亜の言葉でなければ、誰しもが気を引き締めるだろう。
「あの場所はグレムリンが跋扈している。魂だけは手放さないことだ」
「グレムリンって、そんなのいるのか?」
若干呆れながらも調子を合わせてやろうか悩む修也。
こんな街中、何より現実にそんな生物はいない。紗莉亜の妄言だということはすぐにわかった。
「いるに決まっている……って敬語!」
紗莉亜は今更修也のタメ口に気付いて注意し、修也の手を引いて再度駆け出した。
駆けて行く二人の姿はどこか兄妹のようだが、安城兄妹修也の呆れと紗莉亜の空回りというぎこちなさを感じられた。
「元気ねぇ、羨ましいわ」
「夏海さんも相当元気だと思いますよ。運動量じゃ、あたしも勝てませんし」
二番目に門を出たのは水無月蓮華と佐治夏海だった。
「そうだとしても、あそこまではしゃぐなんて、今じゃもう出来ないわ」
夏海は悲しそうに言う。確かにはしゃぐなんていう言葉や行為は、既に落ち着き払った夏海には似合わない。
「確かに。でも、楽しみ方ははしゃぐだけじゃないですよ」
「お?蓮華ちゃんも結構いい事言うわね」
「いえ、そんな事……」
夏海が茶化すと蓮華は顔をほんのり赤くする。蓮華は少しクサい事を言ったと後悔した。
「じゃあ、私達は大人らしく、しっとりと楽しみましょうか」
「はいっ」
二人は揃って歩き出した。
二人が歩くその姿はまるでモデルのようで、まさしく美少女姉妹。歩いている歩道はランウェイの様にすら見えた。
最後に門を出たのは舘照美と祖麗綾乃だ。
「さぁ、おすすめのカフェを紹介するよ。あたしに付いて来なさいっ」
「は、はい、お供させていただきます」
照美は妙に緊張して返事した。それも当然。照美はこうして街に繰り出すなんてことは経験したことが無い。引き籠り前は中学生な上、親友の紗枝ちゃんも内向的だったのでそういう機会が無かったようだ。
「畏まらなくていいんだよ。楽しんでいくよっ。おーっ!」
「お、おー」
元気よく拳を突き上げた綾乃とは対照的に、照美はおずおずと右手を上げた。
二人は仲良く手を繋いで歩き出す。自然と繋がれたその手はお互いの信頼を表しているようで、とても仲睦まじい姉妹のようだ。
それぞれ全く趣の異なる組み合わせではあるが、兄妹姉妹のように見えるという共通点があった。
それは単に歳が近かったりするだけではない。仲睦まじさや整った顔立ち、そして何よりも根本の気質が似通っているのだ。
能力を持つ者同士、受けてきた境遇、周りにいた人物。様々な目に見えぬ類似点によって感じられるものだ。
こうして少年少女の最初の休日が始まった。
街に出掛けた三組の中でも一番騒がしい一組。
紗莉亜は未だに修也の手を引いて歩き続けている。
「まだ日は高くない。だが、悪しき者はどんな時間だろうと現れるものだ」
相変わらず、紗莉亜は意味の分からない言語をつらつらと述べる。
「さっきからどこに行こうとしてるんだ?」
「敬語」
「はいはい、どこに行こうとしているんですか?」
「グレムリンの跋扈する、供物の捧げられし祭壇だ」
指摘されてわざわざ敬語で言い直した甲斐も無く、またしても何を言っているのかわからない。ヒントと思える言葉が無いので尚更だ。
「は?どこだ……ですか?それ」
「そう焦るな。すぐに着く」
紗莉亜はしばらく修也の手を引っ張り続けた。
抵抗することを諦めて追従する修也だが心中は穏やかではない。
紗莉亜の向かう方向は駅とは逆方向。建物もビルではなく、一般住宅が多く見られる。普通の住宅地だ。
住宅地に何があるか。当然家がある。むしろ家しかない。そんな中でどこへ向かうのかわからない。紗莉亜の言葉でさらにわからない。そんな謎に満ちた行先に不安以外の何を覚えられようか。
「こっちだ」
住宅地を少し進んだところで紗莉亜が狭い塀と塀の隙間に入っていく。
「ちょっ、狭っ!おい待てって!こんな――痛っ、痛ってぇ!」
紗莉亜はヒラヒラした服にも関わらず、修也の前をスルスルと歩いていく。
一方、修也は紗莉亜とは年齢も性別も違うため、体の大きさや肩幅の広さから塀に体を擦ってしまい、それが気になってなかなか前に進めない。
それでも紗莉亜は手を離さないので、修也は立ちながらに引きずられていった。
「おい馬鹿っ、止まれっての」
「チィ……やはりか」
修也の文句を聞き入れたのか紗莉亜が立ち止まって呟く。しかし止まったのは隙間を抜けたその先。結局最後まで止まらなったのと変わりない。
「既にグレムリンが群がっている。このままでは我への供物が食い荒らされてしまうではないかっ」
そう言って紗莉亜は修也の手を離して駆けていった。
紗莉亜の向かう先には駄菓子屋があった。そこには近所の子供がたくさんおり、とても賑わっている。
「まさか、これが『グレムリンの跋扈する、供物の捧げられし祭壇』なのか?ガキがグレムリンってのは同意だな。あいつ含めてガキだらけとかめんどくせぇ」
グレムリンが子供、供物が駄菓子、祭壇がお店、といった具合か。ヒントがあって初めてわかる。難解な言語だ。
紗莉亜が駄菓子屋に近づいていくと、子供達が気付いて各々手を振ったりしている。グレムリンと呼ばれる割には歓待ムードだ。
「あっ、天使のお姉ちゃんだ!」
子供達の中でも一番小さい、小学一年生くらいの女の子が言った。
こう呼ばれるということは紗莉亜は子供達の前でも大天使サリエルを名乗っているのだろう。戦闘の為の自己暗示的な儀式などではなく、完全に素でそう思い込んでいるようだ。子供相手とはいえ、見ているこちらが恥ずかしくなる。
「元気か、神の御子野々香よ。此度の供物はどうだ?」
修也の前ではグレムリンなどと言っていたのだが、子供達の前では神の御子などと言っている。やはり本人の前では悪く言えないということか。
「えっとね、今日はお姉ちゃんの好きなコーラ飴の新しいのを取ってあるって」
赤いキャップを被った小学四年生くらいの男の子が言う。
「おぉ、そうか、レッドグレムリンよ。嶋婆には感謝せねばな」
と思っていたら、男の子と女の子で使い分けているようだ。男の子はグレムリン。女の子は神の御子。男の子の方がやんちゃ盛りなのは確かなのだろうが、流石に格差がひどいと感じる。
それにしても、赤いキャップを被っているからレッドグレムリンとは、いずれこの子が意味を知った時が可哀想だ。
「では嶋婆、紅蓮に抱かれた、泡沫を宿せし黒色の丸薬を頂こう」
「はい?」
紗莉亜が嶋婆と呼ばれる店主の老婆に話しかけるが、どうやら耳が遠くて聞こえていないのか、それとも紗莉亜の特異な言葉を理解できていないのか。どちらにしても紗莉亜の言葉があいてに届いていないのは明らかだ。
「だから、紅蓮に抱かれた、泡沫を宿せし黒色の丸薬を所望しているっ」
「黒色……?あぁ、黒糖飴ね」
再度、奇怪な名称を述べた紗莉亜だったが、案の定こんな言葉では伝わるはずもなく、嶋婆はまったく異なる駄菓子をゴソゴソと引っ張り出した。
「ち、違うのっ!コーラ飴が欲しいんだってばっ!」
「おや、そうならそうと言ってくれればいいのに」
今度はちゃんとした言葉を発したお蔭で、嶋婆は棚に置いてあった赤い包装のコーラ飴が大量に入った袋を取り出す。
「そう言ったのに……」
紗莉亜は小さく呟きながら、並ぶ駄菓子から好みのものを中心に手に取っていく。
「はい、嶋婆、これもお願い」
「はいはい、えっと、ひぃ、ふぅ、みぃ……こっちも合わせて、えっと……」
嶋婆は、紗莉亜からいくつかの駄菓子を受け取り、数を数えながら昔懐かしい算盤で計算をする。
「七拾三円と五拾銭だね」
「嶋婆、一桁違う」
「あぁ、本当だ。七百三拾五円だね」
「735円ね」
紗莉亜は袖から硬貨ばかりが入った重量のある財布を取り出し、そのたくさんの硬貨の中からお釣りが出ないように渡す。
奇怪な言葉を除けば対応はとても手馴れている。それでいて丁寧でお釣りの計算の手間を減らすためなのか多くの硬貨を持ち歩いていた。
何度も通っている上で気遣いも出来るというこの行動は子供達の良い見本となるだろう。行動だけ、その奇怪な言葉遣い以外はであるが。
「はい、えー……ちょうどね。ありがとう」
「うん、また来るね」
嶋婆が手を振って紗莉亜を送り出す。
紗莉亜は両手一杯に駄菓子を抱え、外でなるべく子供に絡まれないように睨みを効かせて待っていた修也の元へと戻ってきた。
「用事は済んだのか?」
「ああ、此度の供物は上質よ……」
紗莉亜はとても嬉しそうに駄菓子を左袖に仕舞う。
「あっ、おい」
修也は慌ててそれを止めるが、紗莉亜の買った駄菓子は袖の中へと吸い込まれていった。
「ん?どうした?」
紗莉亜はキョトンとした表情で聞き返す。止められた理由をまったくわかっていないようだ。
「それ、そのままだと下に落ちるだろ」
修也はそれを心配していたのだ。通常、袖に物を入れれば、そのまま袖から零れ落ちるなり、服の内側を通って地面に落ちるなりするだろう。だが、紗莉亜にその心配は無駄だった。
「ああ、その事か。なら、実際に見てみるか?」
そう言って、紗莉亜は右手で左袖を持ったまま左手を引っ込める。
「は?」
今度は修也がキョトンとする番だった。
「百聞は一見に如かずと言うだろう?」
紗莉亜は袖をフリフリと振って、修也に袖口を覗くように促す。
「お、おう……」
状況がさっぱり呑み込めない修也は言われるがままに恐る恐る紗莉亜の右袖口に顔を近づける。
「ん?」
覗き込む手前で鼻に甘い匂いが届いた。これが駄菓子の匂いなのか、紗莉亜の匂いなのか、修也には判別出来なかった。
それでも、修也は自分に言い聞かせる。
(これは駄菓子の匂いだ。じゃなきゃ、年下の女子の匂いを嗅ぐ変態になっちまう。そんなのめんどくせぇなんてレベルじゃねぇ)
修也は心頭滅却してなるべく嗅覚を働かせないようにして中を覗く。
視線がまっすぐ向いた先には黒い布地の中に白い部分が見える。
(ん?なんだこれ?…………っ!)
白いものが何なのか一瞬考えた後、修也は気付いた。
紗莉亜は現在左手を引っ込め、左手不在の左袖の中を修也が覗いている。改めて考えると実に変態的な状況だがそれは置いておき、つまるところ修也が目にしたのは紗莉亜の腕。袖から覗ける点から肩から二の腕辺りだろう。
黒の布地に映える白い肌。体は鍛えているのだろうが、重量操作で物を重いまま持たない所為か筋肉質にはまるで見えず、ぷにぷにとした感触が伝わってくるようだ。
そして嗅覚を遮断する為に視覚に意識を集中させていた修也にはその感触どころか、紗莉亜がわずかに身動ぎすることで揺れる肩の動きを的確に捉えてしまっていた。
(ち、違ぇし!別に年下の女子の肌とか興味ねぇし。いや、人並みには興味あるけど変態的とかそんなんじゃ)
修也は心の中で誰にともなく言い訳をしてしまう。
「ん?見当たらないか?下の方にあるとおもうのだが」
そんな修也の危惧とは全く異なり、駄菓子を見つけられていないと思い込んでいる無垢な紗莉亜がわざわざ駄菓子の位置を教えてくれる。
「お、おう」
修也は自分の心ごと誤魔化して言われた通りに視線を下に向ける。
視線を向けた袖の先の方にはさっき入れたばかりの駄菓子の他にもたくさんの駄菓子が収められていた。
「これって」
「ふっふっふっ、驚いたか?これぞ和洋折衷。洋服の袖を着物の袂のようにすることで、利便性を増すという。これぞ、大天使たる我がその身に纏うに相応しい聖衣よ」
紗莉亜はとても得意気にふんぞり返っている。
最後の言葉は理解しがたいが、その前に言っている事はもっともらしい。実際、これによって物を仕舞える場所が増え、大量の駄菓子を難なく持ち歩く事が出来ている。
戦闘に際しても重くした物体をここへ入れることで遠心力で絶大な力を発揮する鈍器となるという趣味と実戦の両方で活躍する優れものだ。
「なるほど」
修也が心底感心していると、駄菓子屋から出てきた子供が大声を上げた。
「ああーっ!天使のお姉ちゃんが彼氏連れてるっ!」
見たところ、小学三年生くらいの黄色いシャツを着た男の子だ。最近の子供は彼氏などという言葉を知っているようだ。知識ばかりが先行するのがいい事なのか疑問に思う。
「ブラウングレムリンよ。この者は違うぞ」
ブラウン?黄色いシャツにも関わらず、何故か男の子のニックネームはブラウングレムリン。しかし、よく見てみると男の子の履いているズボンが茶色だった。目立つシャツの黄色ではなくズボンの茶色を選ぶなんて、紗莉亜のセンスはよくわからない。
「嘘だぁ~、お姉ちゃんの彼氏だぁ~」
続いて出てきたレッドグレムリンが茶化す。
「騒ぐでない。この者は我の僕だ」
「しもべ?なにそれ?」
「手下だ」
「手下?なあんだ、じゃあ弱っちいんじゃん。やっちゃえ!」
紗莉亜の説明を聞いて睨まれて怖がっていた子供達が修也に襲い掛かる。
「お、おい、やめろよ」
突然子供達に取り囲まれ、修也は戸惑う。
その隙に子供達は揃って修也をペチペチと殴り始めた。それぞれの力は弱いのだが、何分相手は子供だ。修也も抵抗するわけにはいかない。
「そうだ、グレムリン達よ。そやつを叩き潰してしまえ!」
「お、おい!」
修也は子供達を差し向ける紗莉亜に反論しようと紗莉亜の方を向くが、紗莉亜は子供達の後ろで両手を合わせて修也に頭を下げていた。
どうやら、しばらく遊んでやってほしいとのことらしい。
(あぁ、めんどくせぇ)
修也は内心愚痴りながらも、しばらくの間子供達に遊ばれ続けた。
子供達と遊んだ――いや、子供達に蹂躙された後、二人は少し歩いた先にある公園で木陰のベンチに腰掛けて休んでいた。
「ハァ……疲れた」
修也は堪らず声を漏らした。
「よくやった、我が僕よ。グレムリン共も満足していた」
紗莉亜は袖の中をゴソゴソと探る。
「褒美にこれをくれてやろう」
差し出された紗莉亜の右手にはさっき買ったばかりのコーラ飴が乗せられていた。
「ああ、サンキュ」
修也はそれを受け取り、包装を開けて口の中へ放り込んだ。
「うん、美味い」
懐かしい甘さが疲れた体に沁みる。体の底から力が湧いてくるように感じられた。
だがそれはただの気のせい。体はすぐに気怠さに満たされた。
「そうか。それじゃあ、ほら」
紗莉亜が何を言うでもなく左手を伸ばす。
「なんだ?俺もなんかやらなきゃならんのか?」
「違う、ゴミを渡せ」
「あ、あぁ」
ケチくさい予想を見事に外した修也は右手に持ちっぱなしになっていたコーラ飴のゴミを紗莉亜に渡した。
紗莉亜はそれを受け取ると、右袖の中へと仕舞った。駄菓子を持ち歩くだけあって、ゴミの処分もちゃんと心得ているようだ。
それから、お互いに一言も発さずに休み続けた。
修也は何度かチラと紗莉亜の様子を窺ってみたが、紗莉亜は修也に気付きもせずにぼうっと空を見上げたままだった。
空を見上げている紗莉亜の横顔はとても可愛らしく、風に靡く青髪もとても綺麗で、奇怪な言葉を口にしなければただのしっかり者の可憐な少女のようだった。
(なんか放っておけねぇっていうのかな?戦闘に関しては先輩なはずなんだけど、守ってやんなきゃって思える。兄ちゃんってこんな感じなのかな?後で烈也にでも聞いてみるか)
「悪ぃ、ちょっとトイレ」
「うむ、しばし我の監視下を離れる事を許そう」
少し経ち、修也がトイレに立った。女子にそう宣言するのはデリカシーが――などと説教したくなるが、紗莉亜がそれを気にしていないのでよしとしよう。
「きゃああああ!!」
修也が用を足し終えて手を洗っていると、外から紗莉亜の叫び声が聞こえてきた。
「おいっ!どうしたっ?!」
修也が慌てて外へ出ると、紗莉亜はベンチの上に立って怯えていた。
「あのっ、あのっ」
紗莉亜はパニックになっていて言葉が出てこない。
「だから、どうしたんだよ」
駆け寄ったはいいものの、そこには何もないし、誰もいなかった。
「あ、あれ……」
紗莉亜は目を瞑ってあさっての方向に顔を向け、バタバタと腕を振りながら地面を指差す。
「ん?」
紗莉亜が指し示す場所を見ると、言葉にするのもおぞましい生物が横たわっていた。
「なんだ、けむ――」
「その名を口にするなああ!!!」
紗莉亜がより一層取り乱す。ぜひとも、女子の前でその名を口にするのは避けてもらいたいものだ。
「あぁ、怖いのか」
修也はそう言って近くの茂みに向かい手ごろな枝を見つけ、それを使っておぞましい生物を退けた。
「もう大丈夫だ」
「どこかに行ったの?」
「ああ、俺が遠くに持ってった」
「そ、そうか、大儀である」
紗莉亜はやっとのことである程度の落ち着きを取り戻し、ベンチに座りなおした。
「どうしてああなったんだ?」
「それは、悪魔が……悪魔が突然堕ちてきたのだ。そのおぞましい姿で我の視覚を奪い、我はその場に縛り付けられてしまった」
あの生物が木から落ちてきて、見たくないから目を瞑り、ベンチの上から動けなくなった。ということのようだ。今回は状況がすべてを物語っていたので、簡単に理解できた。
「なるほどな。やっぱ女子ってのは虫が苦手なんだな」
「に、苦手などではない。奴と我は決定的に属性相性の関係性が最悪で――」
「はいはい、そういう事にしとくよ」
「ぐぬぅ……」
紗莉亜は修也の態度にイマイチ納得がいっていないようだが、助けられた手前、文句は言えなかった。
「しかし、この度の勲功、称賛に値する。よって、貴様に褒美を与えよう」
「おっ、マジでか」
「あぁ、大天使サリエルに不可能も二言も無い。なんでも叶えてやろう」
紗莉亜は得意気に胸を張っているが、こういう場合に『なんでも』と言うのは、いささか危険すぎはしないだろうか。修也が怪しい要求をしないとも言い切れないのだから。
「なんでもかぁ……そんじゃあ……」
修也はとても嬉しそうに考えを巡らせる。その楽しそうな表情から紗莉亜に不安が過ぎる。
「敬語取り消しで」
「は?」
「だから、敬語取り消し。お前相手に敬語使うの、めんどくさくて」
あまりにも予想外の要求だった。理不尽でもなく、怪しくもなく、むしろその程度でいいのかと思ってしまう程だ。ましてや、駄菓子屋を訪れた時にはすでに、一切気にもせずにタメ口で話していたのだから。
「あぁ、わかった。その願い聞き届けた」
「よしっ、そんじゃ改めてよろしくな、紗莉亜」
修也はそう言って右手を差し出す。
「あ、あぁ、よろしく頼むぞ。我が僕――いや、修也よ」
紗莉亜はぎこちなく修也の手を取った。
ぎこちない握手だったが、修也はこの握手のお蔭で初めてちゃんとした形でお互い対等に、友人として言葉を交わせた気がした。
「ん?」
握手をすぐに紗莉亜が違和感に気付く。
「あ、悪ぃ、手ぇ濡れたままだった」
「まったく、仕方のないやつだな」
紗莉亜は悪態を吐きながらも、右袖からハンカチを取り出して修也に手渡した。
友情が育まれる一方で、こちらではちょっとした騒ぎが起きていた。
「あの、なんでこんな事になっているんですか」
「急にどうしたの?私よりも乗り気だったのに」
「まぁ、そうですけど……」
「はい、こっち笑顔くださーい」
「はい、次のポーズお願いしまーす」
蓮華と夏海はパシャパシャというシャッター音とフラッシュの光に包まれていた。
「あそこの読モの娘、すごい寂しそうですけど」
蓮華は申し訳なさそうに、ベースの端の方でドリンクを飲んでいる少女の方に目を向けて言った。
「仕方ないじゃない。カメラマンの人が、こっちがいいって言うんだもの」
何故こんな状況になっているかというと、二人が駅前を歩いていたところ、突然声を掛けられた。声を掛けてきた人物はファッション雑誌の専属カメラマンとのことだ。
それから、近くで行っていた読者モデルの撮影に飛び入り、それだけに留まらず元々いた読者モデルの子の仕事すら掻っ攫ってしまった。
すぐにギャラリーも集まってきて、ベースの外は人ごみでごった返していた。
「それじゃあ、青髪の子は直し入っちゃってください」
「はーい。それじゃあ、いってきます」
蓮華はカメラマンの指示に従ってスタイリストの控えるバスへ向かった。心なしか足取りが弾んでいるようにも見える。蓮華のように自信に溢れた人物は、これだけちやほやされたらさぞかし気分がいいだろう。
「すいません、お願いします」
「はいはい、お任せ~」
バスに入るとすぐにスタイリストの女性が迎えた。
「じゃあ、ちゃちゃっと直しちゃうね」
女性は手早く蓮華のメイクを直し始める。
「ある意味スタイリスト泣かせね。メイクがほとんど必要無いもの」
女性はほんの少しだけ手を加えただけで手を止めた。
「おしまい。次の衣装は四番ね」
「はい」
蓮華は指示通りの衣装を持ってカーテンの向こうに消える。
数分後、蓮華の服は指定されたカジュアルな服装へと変わっていた。
「いいわね、似合ってるわ」
「ありがとうございます」
蓮華は気分最高潮でバスを降りた。
「お待たせしましたっ」
「ちょっと待ってね~……よしっ、入って」
カメラマンは夏海の撮影に一区切りつけると、蓮華をカメラの前へと誘った。
「あら、似合ってるじゃない」
夏海は体を屈め、胸を強調するようなポーズを取りながら言った。
「ありがとうございます」
蓮華も手を体の後ろで組んで上体を逸らせ、夏海と対照的なポーズを取って言う。
「いいねぇ、ゆるふわとカジュアルの対照的な感じが生きるねぇ。飛び入りにしては心得てる感じじゃん」
カメラマンは二人のポージングを褒め、その手は何度もシャッターを切る。
「どうしてこんなことに」
蓮華は今度は腰に手を当て、少し上目遣いにするようにしてカメラの方を見る。
「まだ言ってるの?いい加減、楽しみましょうよ」
夏海は蓮華の肩に手を置き、長身の身体を折って顔の位置が並ぶようにする。
「そうですけど、せっかくのショッピングが……」
かれこれ何時間も拘束されて内心泣き出しそうになるが、蓮華は笑顔を決して絶やさない。ちゃんとカメラを向けられている自覚はあるようだ。
「大丈夫。心配しなくてもいいのよ」
「え?」
夏海が表情を変えずに言った言葉に、蓮華は疑問を感じながらも撮影は続けられた。
「はーい、お疲れ様でした。こんなにいい写真が撮れたのは久しぶり、よかったよ」
「ありがとうございます」
カメラマンの言葉に、夏海が一礼しながら返事した。
カメラマンが去った後、プロデューサーらしき男性が話しかけてきた。
「さて、思わず飛び入りしてもらったのはいいんだけど、何分急な話だったし、お給料の方はどうしようか」
プロデューサーも想定していなかった事態のようで、困った表情をしている。
だが、それでも夏海は笑顔のままだった。
「ものはご相談なんですが、お給料の代わりに衣装を何着か頂けないでしょうか」
夏海は少しだけ身を屈め、上目遣いでプロデューサーを見つめて言った。
「そ、そうかい?まぁ、現金を用意するのも手間だし、そっちがそれでいいなら助かるな」
プロデューサーは快く了承した。内心、後日振り込むよりも手間ではないし、普通に給金を支払うよりも安上がりだから占めたものだ、とでも思っているのだろう。
「えっ、じゃあこれ着ていってもいいんですかっ?」
「ああ、もちろんいいよ」
蓮華は着る段階で結構気に入っていた今の服を指して言った。
「じゃあ、私はバスの方を見てきてもいいですか?」
「ああ、もちろん。スタイリストにはこっちから一言知らせておくよ」
「ありがとうございます。さ、蓮華ちゃんも来て」
そう言って、夏海は蓮華の手を引いてバスの方へ向かった。
バスまで来ると、スタイリストの女性が二人を迎えた。
「あら、お疲れ様。プロデューサーから聞いているわ。感謝の気持ちだから遠慮せずに持っていってちょうだい」
女性は、二人に向かってヒラヒラと手を振りながらバスを離れた。
「はい、ありがとうございます」
夏海は女性の後ろ姿に一礼してバスに乗り込む。
「さて、物色を始めましょうか……」
乗り込んだ途端に、夏海が悪そうな顔をした。
「えっ、どういうことですか……」
蓮華は畳んであった私服を上に載せてあった紙袋に仕舞いながら聞き返した。
「ふっふっふっ……」
夏海はハンガーに掛けられて並べられた数々の衣装を眺め、手をワキワキとさせている。
その瞳は、演習の時とはまた違った意味で、殺気を放っていた。
「こっちも、こっちもいいわね」
「あ、あの……」
夏海は気に入った服を次々に紙袋へ叩き込んでいく。その姿を見て、蓮華も戸惑っていた。
「蓮華ちゃんももっと貰っちゃいなさい。何着か明言しなかったのに、決めなかった向こうが悪いんだから」
夏海が一層悪い顔になっている。意外にも悪知恵の働く人だったようだ。
「ま、まぁ……あ、これ可愛い」
どこか躊躇っていた蓮華も、可愛い服が欲しいという欲望には逆らえなかった。
「うん、いい感じ」
「ちょっと選びすぎたかな……」
二人は紙袋一杯に服を詰め込んでバスを出た。
「いいの、いいの。代わりにお給料は一円も貰っていないんだから」
「そうですけど……」
蓮華は後ろめたさを感じているが、実際は感じる必要なんて無い。中程度の紙袋に詰め込める量なんて三着が限度。今着ている服と元々の私服が互換し、計三着のお持ち帰り。金額を合計しても2万数千円。それなりの額にはなったが、あれだけの写真を撮られての日当としては少ないように思える。
これはプロデューサー側がしたたかだったのか、それとも夏海が優しかったのか、その点はわからない。
「さて、ちょっと休憩しましょうか」
「は、はい」
バスから離れ、少し歩いたところで喫茶店を指差して夏海が言った。蓮華もそれに従って喫茶店に入る。
席に案内され、夏海はアイスティーを、蓮華はミルクティーを、二人でサンドイッチのセットを注文した。
「まさか、あんな方法があるなんて思いませんでした」
注文したものが運ばれてきて、サンドイッチを一つ手に取りながら蓮華が言った。
「お金ばっかり貰ってもしょうがないしね。休みが少ないから、ああやって都心のお店で売っているような可愛い服を自分の目で見て、簡単に手に入れられる場は貴重なのよ」
夏海がアイスティーを一口飲んで言う。
夏海の言う通り、危険手当という名の給金は十分に貰っている。蓮華が昨日渡された分だけでも、高校生だった蓮華の感覚ならば、ひと月は遊べそうな額だった。
「わかる気がします」
蓮華は少し寂しそうな表情をした。夏海の言葉が、これからの自分達が今のように過ごす事が叶わなくなると言っているように思えたからだ。
「心配しないで。蓮華ちゃんがなるべく長く、普通の女の子でいられるように守るのも私の役目だから」
夏海が先輩らしい言葉を口にする。その眼は覚悟をした人間のそれだったのを見て、蓮華は一層の安心を得ることができた。
「はい、ありがとうございます」
蓮華はその言葉と今の状況を噛みしめようと心に決めた。
軽い食事を終え、喫茶店を後にした二人は道を歩いていた。
すれ違う人々は次々に振り返り、二人のオーラに圧倒される。一般人ならば、声を掛けるのすら恐れ多い。それ程の風格を備えている。
「ねぇ、今暇?」
一般人程度の知能すら持ち合わせない人間にはわからないようだが。
三人の男が二人と並んで歩きはじめる。二人の纏う清純な空気が、不躾な汚らしい空気と交る。
「聞こえてんでしょ?無視しないでくれよ」
二人がわかりやすく無視してやっているのに、男はそれでも引き下がらない。
「…………」
蓮華が痺れを切らし、肩に掛けたバッグの中のペットボトルに手をかける。しかし、それを取り出すより先に、夏海によって制止された。
「任せて」
夏海が横を歩いている男を睨み付ける。
「お?気の強い姉ちゃんだ。綺麗なバラにはなんとやらってやつか?」
夏海は即座に男の後襟を掴み、地面に組み伏せた。
「ぐえっ」
男は苦しそうな声を絞り出すが、夏海は容赦しない。男の右腕を後ろ手に回し、締め上げる。
「いでででで!!」
悲痛の叫びが木霊する。それ聞いて初めて状況を理解した他の男達が後退る。
「ふんっ、その薔薇の棘も、あなたの喉笛を掻き切る力がある事を理解することね」
夏海は立ち上がり、痛みで動けない男を踏みつける。
「根性無し……」
夏海は男を足蹴にし、吐き捨てた。
「お、おいっ!くそっ、覚えてろっ!」
声を掛けても反応しない男を他の男達が抱え上げ、その場を後にした。
「も、もっと……」
気味の悪い言葉が聞こえた気がしたが、夏海は聞こえなかったことにした。
「ありがとうございます」
男達の姿が見えなくなったのを確認した蓮華が、夏海に深く頭を下げた。
「いいのよ。言ったでしょう?あなたを守るのも私の役目だって」
この言葉は目の前の男から守るという意味と共に、周りの群衆の目から守るという意味が含まれていた。
私服である今、二人は神殺しの保護下にない。もしも、そんな状況で蓮華が能力を使って撃退をしたならば、能力者である事がバレ、烈也や穂波のように、嫌忌の目に晒される事になっただろう。
「ほら、調子狂っちゃったけど、ショッピングを続けましょ」
「はいっ」
二人は笑顔を取り戻し、歩き出す。
二人は一段上の雰囲気を纏った、普通の女の子に戻っていた。
「あむ、あむ、もぐもぐ」
淑やかな雰囲気の蓮華と夏海とは違い、綾乃は豪快にオムライスを頬張っていた。
「ふふっ、おいしそう」
その姿を照美が微笑ましく見守っていた。
「ん?照美ちゃんも一口食べる?」
「あっ、いえ、その……」
照美の呟きを聞き、綾乃がオムライスをスプーンに一口分掬い、照美に向ける。
「ほら、あーん」
「あ、あのっ……」
照美は戸惑う。同性なのだから、この程度は気にしなくてもいい。むしろ、気にすると潔癖、あるいは同性愛者ではないかと疑われるだろう。だが、照美はそんな事は関係無く、単にスキンシップが苦手なのだ。
「ほら、落ちちゃうから」
「は、はい」
綾乃に急かされ、照美は思わずオムライスを口にする。
「どう?」
「おいしい、です」
本当のところは味なんてわからない。照美は恥ずかしさから、顔が赤くならないように気を紛らわせるので精一杯だ。
「よかった。ここは普通に食事も出来るから、男の人でも安心して入れると思うよ」
ただオムライスが食べたかっただけのように思えたが、意外にも綾乃なのに色々と考えていたようだ。
「なるほど」
照美は携帯端末を取り出し、メモ帳機能を使ってメモを取る。
「さっきのあーんも、彼にやってあげたら喜ばれるかもね」
「えっ!?いや、でも、寺岡さんにそんな……」
照美はまた顔を真っ赤にする。
「あれぇ~、あたしは彼としか言ってないのに、すぐに寺岡くんになっちゃうんだ」
綾乃が意地の悪い笑顔を浮かべる。普段から考え無しの綾乃にしてはなかなかの誘導尋問だ。もしかしたら無意識にキレる頭脳を持っているのかもしれない。
「そっ、それは……」
照美は顔を真っ赤にしたまま俯いた。しかし、いつまでも黙っている照美では無かった。
「当然です。その、デ、デートのプランを考えに来たんですから」
明らかに墓穴だ。これでは、私は共輔をデートに誘います。私は共輔が好きです。と言っているようなものだ。
「あっ、そっか」
だというのに、綾乃は容易く納得させられてしまった。やはり、綾乃はどんな時でもただの綾乃のようだ。
もっと照美の恥ずかしがる姿が見られると思ったのだが、残念で仕方ない。
「と、とにかく、食べ終わったら次のお店に行きましょう」
照美は自分の発した言葉の意味に遅れて気付き、誤魔化すように話題を変えた。
「そうだね。どんどん行っちゃうよ~!」
「ちょ、ちょっと」
綾乃は周りの目など気にせずに大声を上げた。周りの客の目に晒されているかも、と意識してしまい、照美はさらに赤くなった。
二人が繁華街を歩いていると、とある看板が目に入る。
「あっ、あれ食べよっ」
綾乃がアイスクリーム専門店の看板を指差して目を輝かせている。
「いいですね」
人並みではあるが、照美も甘いものは好きな性質だ。照美の心が弾む。
「こう見えて私は、アイス(・・・)を愛す(・・)る乙女なのだよ」
「そうだったんですか、私も結構好きなんです」
「あ、あぁ、そうなんだ……」
いたって普通の受け答えだったのだが、何故か綾乃が肩透かしを食らったようなキョトンとした表情をした。
照美はチョコのシングル、綾乃はストロベリーとマンゴーのダブルを買い、それを食べながら歩いた。
「甘―い、冷たーい、最高―っ」
綾乃はパクパクとアイスを口にする。とても幸せそうな笑顔だ。
「はい、いいですね」
照美もチョコアイスに舌鼓を打つ。
「そういえば、どう?」
「どう?とは?」
またしても綾乃は言葉の足りない質問をする。
「こうやって出掛けてみてさ。誰かと一緒ってのもいいっしょ(・・・・)?」
「はい、楽しいです」
「そう、よねー。はははっ」
綾乃がぎこちない返事をする。さっきも同じことがあったことを考えると違和感を覚えるが、照美はまったく気にしていないようだ。
その後すぐ、綾乃はアイスをペロリと平らげた。先程オムライスを食べたというのに、感心する程の早食いだ。
「ん?あっ、あれ」
綾乃が前方を指差す。指差された方を見ると、そこには寺岡共輔がいた。
特に用事も無いようで、道路脇に並んだ店を眺めながらフラフラと歩いて来る。
「おーい!寺岡く――むぐっ」
「ダ、ダメですっ!」
照美が空いている右手で綾乃の口を塞いだ。
「ん?誰か呼んだか?」
辺りを見回す共輔だが、その目は照美と綾乃を捉える事は出来なかった。
「照美の声じゃねぇし、気のせい……か?」
疑問に感じながらも、共輔が二人の横を歩いて通り過ぎる。
(き、消えられている?なんでだろ、寺岡さんの前なのに……)
いつもとは勝手が違うことで照美の中での疑問が深まる。
「す、すみません、急に」
共輔が見えなくなった後、照美は恐る恐る手を離し、ペコペコと頭を下げる。
「はふぅ……いやぁ私こそゴメンね。心の準備が必要だったよね」
綾乃も照美に謝る。優しい子達だ。
「私も、その、あっ!」
下げていた頭を上げると、照美は異変に気付いた。
「ご、ごめんなさいっ!私、慌てて」
照美は、わたわたと綾乃と手に持ったアイスを交互に見た。
「え?」
綾乃が自分の着ているパーカーを見ると、そこにはチョコアイスが付着していた。
「あぁ、アイス、ダメにしちゃったね。買い直す?」
そうではない。綾乃は優しすぎる。故に、余計に相手に気を遣わせてしまう。
「それより、服が。その、ごめんなさい」
照美がまた頭を下げる。
「でも大丈夫」
綾乃はパーカーの裾を持ち、ガバッと持ち上げた。
「ダ、ダメッ!」
照美が綾乃の腕を掴み、パーカーの裾を下ろさせる。
「大丈夫だよ。中にノースリーブの服着てるから」
「あっ、そうなんですか。すみません、早とちりして」
照美がおずおずと手を離す。たとえそれを知っていたとしても、こんな街中で服を脱ごうとすれば誰しも一度止めるだろう。
「いいのいいの、いきなり脱ぎだしたら驚くよね」
そう言って、綾乃はまたパーカーの裾を持ち上げる。
胸辺りまで持ち上げたところで、照美がおかしな点に気付く。
「や、やっぱりダメですっ」
照美が離した腕をもう一度掴み、パーカーを下ろさせる。
「え?だってノースリーブ――」
「ただのタンクトップじゃないですかっ!」
照美の今日一番の大きな声が響く。
綾乃がパーカーの下に着ていたのは、ノースリーブの服などというオシャレなものではなく、下着として着るようなシンプルなタンクトップだった。
「え?袖無しってノースリーブって言うんでしょ?」
「そうですけど、これってただの下着で」
「おっかしいなぁ、薄着の時代が来たと思ってたんだけど」
綾乃は不思議そうに首を傾げる。
「ひっ、と、とにかく、ここを離れましょう」
周りの目が気になりだした照美は綾乃の手を取って走り出した。
照美は綾乃を近くの小さな公園のベンチに座らせた。
「もう脱いでもいいですよ」
「あっ、いいの?」
綾乃は嬉々としてパーカーを脱ぐ。
照美は自分が着ていたカーディガンを脱ぎ、少ない周囲の視線から綾乃を守るようにする。
「ふぅ、それじゃあ、次はどこに行こうか」
綾乃が能天気に話題を振る。
「これを着て待っていてください」
照美はカーディガンを綾乃の肩に掛け、走って公園を後にした。
「近くに洋服を売っているお店は……」
辺りを見渡すが、飲食店ばかりでそのような店は見当たらなかった。
少し歩いて、やっとのことで洋服を扱う店を見つけた。
初老の女性が経営する古着屋だ。しかし、この店には問題があった。
(あ、あまり可愛くない)
照美は店先に並んだワゴンにあったTシャツを手に取るが、胸側に『隼人』背中側に『薩摩』と書かれているTシャツ、所謂ダサTだった。文字プリントの服はおしゃれとは言い難い。それに、今の綾乃の服に似合うとは思えなかった。
「あら、いらっしゃい」
照美の背後から店主の女性の声がした。
「ひっ!」
照美の体が飛び跳ねる。頭の中を満たしていた『綾乃さんの為』という言葉が一気に吹き飛ぶ。
「あ、あの……」
助けを求めようにも、綾乃は近くにいない。
照美は声の出ない口をパクパクと動かし続けた。
「どうしたの?」
女性が心配そうに声を掛けるが、照美の耳には届かない。
照美は自分を叱咤する為に右手で自分の太腿を抓った。
「うぅ……あの……」
痛みで気を紛らわせ、やっとのことで言葉が口から出る。
「こ、これは……その……」
照美はこのままでは撤退も出来ないので手に持ったままだったTシャツを差し出した。
「これね、500円だよ」
女性はワゴンの中央に掲げられた紙を指差して言う。
どうやら買おうとしていると思われてしまったらしい。
今の照美には当然断ることも出来ず、その紙を確認する事も、手に持ったTシャツを戻して選び直す事も、している余裕は無かった。
照美は震える手で財布を開き、千円札を手渡す。
「はい千円ね」
女性はエプロンのポケットの中から500円玉を取り出し、照美の手に握らせた。
「あ、ありがとうございました!」
女性の手が照美の手に触れた瞬間に思考が停止してしまい、照美が逆にお礼を言って風のようにその場を去った。
「ハァ……ふぅ……ど、どうしよう……」
走り疲れて足が止まったところで照美は頭を抱えた。
停止した思考で思わず買ってしまった服は綾乃に似合うとは思えない。かといって、今更戻って交換してもらう勇気も無い。
照美は仕方なく、とぼとぼと公園に向かって歩いた。
「あっ、おかえりー」
照美を見つけた途端、綾乃が右手を大きく上げる。それによって肩に掛けてあったカーディガンがベンチの上に落ち、綾乃のタンクトップ姿が露わになる。
「ダ、ダメですよ」
照美はすぐに駆け寄り、カーディガンを綾乃の肩に掛け直す。
照美が気にしすぎる一方で綾乃は気にしなさすぎる。それによって照美は二人分以上の気力を消耗してしまっている。
「ん?それ何?」
綾乃は照美が手にしている珍妙なものを指して言う。
「あっ、これは、その……」
照美は例のダサTを広げて見せた。
「こんなのしか買えなくて……ごめんなさい」
照美は自責の念で今にも泣きそうになる。しかし、少し前まで引き籠りだった照美が綾乃の為に一人で買い物をしてきたのだから、相当勇気を振り絞った結果だ。照美を責めることは出来ない。
「おぉ!いいじゃん!」
綾乃が興奮した様子でベンチから立ち上がった。
「え?」
あまりにも予想と違った反応に照美は何が何だか理解できない。
「ナントカ――人?なんか意味はよくわからないけど、かっこいいじゃん。薩摩ってサツマイモの薩摩だよね?いいじゃん、あたし焼き芋とか好きだし」
綾乃は嬉しそうにダサTを受け取り、自分の体の前に持ってくる。
「うん、サイズも合いそう。ありがとね」
「あの、気を遣ってもらわなくても」
照美は不安そうに言うが、綾乃はハッキリと答える。
「正直が取り柄のあたしが嘘を吐いたら、世界の終わりだよ。だから、安心して」
綾乃の瞳は嘘を吐く人間のそれとは思えなかった。本当に嘘は吐いていないらしい。
綾乃はベンチにカーディガンを置き、髪が乱れるのも気にせず、乱暴にダサTを着る。
「うん、ぴったり。どう、どう?」
似合ってる?と言わんばかりに腕を広げて見せるが、そのダサTは誰であろうとそう簡単に似合って着こなせるものではなかった。
「似合……わない、です」
お世辞を口にしようとした照美だったが、あれほど正直に振舞ってくれた綾乃に嘘を吐くのは失礼だと思い、正直な感想を口にした。
「だよねー。でも、ダサくてもあたしはこの服大好きっ」
綾乃は苦笑いしたが、すぐに弾けるような笑顔に変わった。
「大事にするよー。初めて友達に買ってもらった服だもんね」
「今度ちゃんとした他の服を買ってあげますから、それまであまり見せびらかさないでください」
照美は恥ずかしそうに抗議する。自分が恥ずかしいというよりも、綾乃が恥をかくのが耐えられないようだ。
「嬉しいなぁ、もう次の話をしてくれるなんて。あたし楽しみにしちゃうぞ?」
綾乃は照美に抱き付きながら言った。
ネガティブな照美だったが、綾乃と接していると綾乃のポジティブさに引かれ、自然とポジティブな考え方が出来るようになっていた。
「ちょ、ちょっと、綾乃さん」
突然の事に照美は混乱する。
「あーあ、寺岡くんがいなければ、あたしが照美ちゃんの彼氏になりたいなぁ」
綾乃が急に変な事を口走り、照美は更に混乱した。
「あ、あのっ、え?え?」
照美はすっかり目を回してしまっている。
「でも、彼女になるのもいいなぁ、男の人にこんなに優しくされたらときめいちゃうだろなぁ」
綾乃は半分からかうように言葉を続ける。
「あう、あう……」
照美は顔を真っ赤に染めて喘ぐ。
「可愛い~、やっぱり彼女にした―い」
綾乃は照美をより一層強く抱きしめた。
「や、やめてください。私には、その、寺岡さんが……」
照美は綾乃を引き剥がしながら言った。
「もう、そんなに言うなら、すぐに告白しちゃえばいいのに」
「だって、その、もしもご迷惑になったりしたら……それに、は、恥ずかしいし……」
「もう、可愛すぎっ!」
公園は少女達の騒がしくも可愛らしい声で満たされた。
「へぇ、そんな事があったんですか」
「やっぱり、あたしと夏海さんの纏うオーラが違ったのかしらね」
その日の夜、蓮華の声掛けで神殺しの女子が数人、蓮華の部屋に集まった。
集まったのは、忙しい路乃と既に寝てしまった紗莉亜を除いた六人だった。
「オーラって、大袈裟よ。それっぽい服装の人がいたから、目立つようにして目の前を歩いただけなんだから」
想像以上に持ち上げられてしまって、気恥ずかしそうに夏海が言った。
「お前は……またそんな事をしていたのか」
横で姉の大和が呆れる。
やはり、今回が初めてではなかったようだ。あの慣れた様子を見れば、大体の察しは付くだろうが。
「またって、前からやっていたんですか」
「ああ、私もよく巻き込まれた。そのたびにフリフリした服を着せられて迷惑したものだ」
大和はうんざりした様子だ。相当参ったらしい。
「結構可愛いのよ?私と違って笑顔が下手だから、代わりにポーズとか衣装が際どく――」
「うるさいっ!あれはお前がそうしろと言ったから――」
「はいはい、それで、綾乃ちゃんのその服は何なの?」
夏海は大和を無視して綾乃に話を振った。
「ああ、これ?えへへ~いいでしょ?照美ちゃんに買ってもらったんだ~」
綾乃は誇らしげに例のダサTを見せびらかした。
「隼人……?背中にはなんて書いてあるの?」
「サツマイモだったかな?」
「薩摩だろうな。『薩摩隼人』。有体に言えば勇猛な九州の武人といったところだろう」
「おおっ!やっぱりかっこいい!!」
大和が正確な読みと大体の意味を教えてやると、綾乃はさらに興奮した。
「うぅ……着てこないでって言ったんですけど」
「ど、どうしてこの服を?」
蓮華が我慢出来ずに聞いた。確かにこんなものを買ってしまった理由はこの場の誰もが気になっているだろう。
「その、初めて一人で買い物をして……店員さんに声を掛けられて……私、パニックになっちゃって……」
「あぁ、そういう事ね。ドンマイ、次頑張りなさい」
「あ、ありがとうございます」
蓮華が照美を慰める。話していれば、照美が内向的な性格なのはわかる。その上、初めて買い物をしたと言うのだから、店員に声を掛けられたのが余程怖かったのだろう。と、その場の全員が察していた。察した上で照美を心配して気遣える辺り皆優しさに溢れている。
「そういえば、ずっと女子寮前で素振りをしていたのだが、安城妹の姿を見なかったな」
大和が思い出したように言った。
「はい、出掛けていませんから」
女子寮前にいた大和が見かけていないと言うことは、女子寮を出ておらず、外出はおろか、食堂を含む神殺しの施設の多くを利用していないということ。本人も出掛けていないと言うし、五人は穂波がどこで何をしていたのか気になった。
「え?じゃあどこにいたの?」
即座に蓮華が聞いた。意外と人の事情に踏み込む性質というか、疑問に感じると聞かずにはいられない性質のようだ。
「昨日の夜からずっと兄さんの部屋にいました」
穂波がさも当然のように平坦に言い放つが、周りがざわつく。
「まさか、男子寮に行ってたの?」
「はい」
夏海が恐る恐る聞いたが、平然とした様子で穂波が答える。
確かに昨夜から男子寮にいたならば、大和と会うこともなく食堂などを利用することができるだろう。しかし、わざわざ男女に分けられた寮である以上、当然問題がある。
「言ってなかった私が悪いんだけど、男子寮って女子は原則立ち入り禁止なのよ」
「知っています」
あまりの即答に、夏海は絶句した。知らなかったならまだしも、知っていて規則を破っているのだから。
「大丈夫です。兄妹ですから」
夏海と大和が顔を見合わせる。その後、夏海が穂波を見つめる。しかし、大和も穂波も何も言わない。やがて、夏海がため息を吐いた。
こういった男女を分ける規則というのはふしだらな行いを抑制するためにあるのだが、兄妹ならば大丈夫だとしても、男子寮にたびたび女子が出入りするというのは些か問題があるだろう。
それに、大丈夫とは言っているが、穂波の烈也への溺愛ぶりを考えると不安に思えてしまうのも確かだ。
「バレないようにね」
「はい、上手くやります」
上手くやるとかの問題ではないのだが、穂波はてこでも動きそうになかったので、早い段階で折れてしまうという夏海の判断は賢明と言えるだろう。
こうして、少年少女の最初の休日は終わった。
そして、本当の戦闘を知らない最後の休日となるのだった。