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第四話 磨かれる原石

 第四話 磨かれる原石


 翌日、上笠修也、水無月蓮華、寺岡共輔、舘照美、安城烈也、安城穂波の六名は本館の玄関ホールへと招集された。

 そこでは既に村田と路乃が待っていた。

「よし、集まったな」

 珍しく村田が真面目そうな表情をしている。どうやら、それなりに重要な事を伝えるようだ。

「ふぁ……んで、こんな朝早くに何の用だよ、おっさん」

 修也がだらしなく欠伸(あくび)をしながら訊ねる。時刻は朝七時。決して早すぎることは無い。多くが学生の年頃である六人にとって、この時間は普通起きている時間だろう。

「欠伸って、あんた寝てないの?」

「いや、寝たぞ、九時前には」

 九時前、大体の睡眠時間は九時間から十時間辺り。十分に寝ている。

「それで眠いってどんだけよ……」

 蓮華は呆れてため息を吐く。これは蓮華でなくても呆れるだろう。しかし、この中では半数が気にしていない。いい加減な村田と共輔、寛容な照美、無関心な穂波。意外にも多い事がこのチームのいい加減さを物語っているようだ。

「初日ということで、この『神殺し』の活動についてから説明します」

 修也達の私語を完全に無視して路乃が話し始めた。

 その言葉と真面目な雰囲気に反応して全員が居住まいを正す。

「この『神殺し』基『神山療養所』についてですが、世間的には精神病患者の療養施設ということになっています。そのため、皆さんはそこの患者として処理されていますので、そのことを頭の片隅にでも入れておいてください。そして、今後行う活動は慈善事業と称した警備や警護の任務になります。日頃の任務では基本的に戦闘はありませんので安心してください。もしも神判者が出現した場合は、他のメンバーが対応しますのでこの点も大丈夫です。ここまでで質問はありますか?」

 慣れた様子でスラスラと説明を終えた路乃が修也達に問いかけるが、修也達にとっては何もかもが新しいことなので疑問の感じようが無く、誰も質問をしようとしなかった。

「それでは次に、本日から始めるカリキュラムについて説明します」

 路乃が手元の資料に目をやりながら次の話を始めようとする。それと同時に聞こえた言葉に修也と共輔に不安が過ぎる。

「カリキュラム?勉強でもするんスか?」

 共輔がおずおずと路乃に聞く。

 共輔は勉強なんて一切やらなかった。それ故に机にじっと座っている事も、その状態で寝ないという事も出来ない。

 修也も授業は基本寝ていた。だが、説教や居残りは勘弁なので宿題はやる。そんな程度で最低限の点数を確保していた。

 そんな二人にとって、勉強は恐怖でしかない。

「勉強もありますが、基本は特訓です。昨日の演習の結果、実力が不足している事は自分達が一番わかっていると思います」

 その言葉に六人全員が黙り込んでしまった。

 先輩達相手とはいえ、手も足も出せずに大敗を喫した事に少なからずショックを受けている。中でも、今まで不良相手に勝ち続けていてどこか慢心していた修也と共輔はそのショックが大きかった。

「そこで、特訓です。それぞれに先輩のメンバーを教官として付け、能力の扱い方や体術などを始めとした戦闘の基本を学んでいただきます」

 教官が付く。先の道を示す者がいるというのはこの上なく心強い。ましてや、平和な日常から突如戦闘の中に放り込まれた六人にとっては願っても無い手助けだ。

 そして、路乃が手に持っていたバインダーを見ながら内容を告げる。

「上笠修也さん、水無月蓮華さんは共に第一演習場にて陽本圭さんの監督の元、操作系の能力の基本を学んでください」

 告げられた言葉に蓮華の顔が引きつる。

「またこいつとなんですか?」

「はい、操作系と分類される能力を有するお二人は同じ操作系を有する陽本圭が担当するのが妥当だと判断しました」

「くぅ……」

 一応の上司に対して控えめに質問した蓮華は、路乃のキッパリとした物言いに完全に押し負けてしまった。

「基本ねぇ、能力が違うのに基本も何もあるんかね」

「あります。炎、風、水と扱うものは違えども、操作系の分類である以上、学ぶことは大いにあります」

「え、あぁそう……」

 蓮華に続いて修也も言い負かされてしまった。路乃の語気は人を従わせる強さがあるのかもしれない。

「次に、寺岡共輔さんは二階の第一演習室にて国府田(こうだ)将樹(しょうき)さんの監督の元、体術の基本を。舘照美さんは同じく二階の第二演習室にて祖麗(それい)綾乃(あやの)さんの監督の元、能力に関する話を聞いて下さい」

(体術か……当然俺なんかよりもずっと強いだろうな。その技術、盗んでやる)

(お名前からして女の人かな?うぅ……悪い人じゃありませんように……)

 六人にとって昨日聞いた中に無い人物の名前が出される。その名前に不安を感じながらも共輔と照美は気合を入れた。

「安城烈也さんは三階の第三演習室にて佐治大和さんと佐治夏海さんの監督の元、戦闘に関する総合的な指導を受けてください」

 烈也は二対一の状況に疑問を感じるでも無く頷いた。

「最後に、安城穂波さん。あなたは私が指導します」

 バインダーから顔を上げ、穂波の方をじっと見つめて路乃が言った。

「はい、よろしくお願いします」

 穂波は路乃と目が合うと同時にゆっくりと頭を下げた。

「教官に関しては、後日変更される場合がありますので、その場合は追って指示します。それでは各自、指定された場所へ向かい、教官となる者の指示に従ってください」

「了解」

「はい」

 六人はバラバラながらもそれぞれ返事をし、解散した。




 解散後、村田もどこかへ消え、玄関ホールには穂波と路乃だけが残された。

「それでは付いて来てください」

「はい」

 穂波は路乃に導かれるままに廊下を進み、路乃がカードキーと思われるもので開けた部屋へと入る。

「な、なんですか、これ……」

 その中に広がっていた光景に驚くと同時に穂波の中での疑問が一つ解消された。

「明らかに容量が大きすぎると思ったらこんなにすごいコンピューターがあったんですね」

 部屋の中には昨日、路乃と村田が演習の様子を見ていた巨大なモニターがあった。他にも壁面すらCPUと思われる機器で埋め尽くされ、神殺しに存在する機器がどれ程高性能かが計り知れる。

「やはり、システムに侵入した時に気付いていたようですね」

「あ……すみません、ハッキングなんて。でも、演習以外ではやっていないですし、監視カメラの映像以外は――」

 路乃の発言に穂波が必死で弁明する。

 穂波は昨日演習でハッキングしていた時点で薄々気付いていた。神殺しに存在するデータの量があまりにも膨大すぎる事を。それが通常のコンピューターで処理しきれるとは思えない量である事を。

「ふふっ、謝らなくてもいいですよ。あなたの能力を知った上であのように監視カメラを利用させる形を取ったんですから」

 ずっと事務的な話し方をしていた路乃が初めて笑った。その自然な笑みは穂波を仲間と認めたと思っていいのだろうか。

「それでは早速、あなたにはこれからの為にも能力の基礎について知ってもらう必要があります。能力についてあなたが知っていることはありますか?」

 路乃の唐突な質問。それでも穂波は冷静に返答する。

「操作系をはじめとした複数の分類が存在すること。能力が働きかけるものは人それぞれ違うこと。自分の中で拒否反応が起きる場合、能力を使用できないこと。怒りに身を任せた場合、通常以上の能力が使用できること。それくらいでしょうか」

 穂波はいくつかの事象を並べたが、穂波が能力について学んだという過去はまったく存在していない。すべてがここに来てからの記憶の考察によって得られた見解だ。

「なるほど、後半は当たらずも遠からずと言った感じですね」

 路乃はまるで語調に変化は生じていないが、穂波の分析能力に内心とても感心している。

「まず、分類に関してはご明察です。主に操作系、影響系、変化系の三つに分類されています。操作系は基本的に手を触れずに能力を扱うことが分類条件です。逆に影響系は手に触れているもののみに能力が適応されるものが分類されます。そして変化系は己の体などに変化をもたらすものが分類されます。以上のことから、現在あなたが知っている能力を分類できますか?」

 路乃は懇切丁寧に説明してくれる。お蔭で理解の速い穂波の頭にはすんなりと情報が入り、考察に利用できる情報として蓄積されていた。

「まず、私の能力は影響系と思われます。主に手に触れた電子機器を操作する能力なので」

「そうですね。端末の電波を利用することで機器同士を繋ぎ、能力の影響距離を伸ばしていると考えるのが妥当です」

 路乃は穂波の考察を肯定する。己の能力を把握するのが第一歩。大切なことだ。

「兄さんの能力は操作系?でしょうか……」

「手を触れずに物体を破裂させる能力。そう分類するのが妥当ですね」

 穂波の考察は正解を射抜いていく。やはり分析能力は目を見張るものがある。

「上笠さんと水無月さんは操作系。舘さんも操作系。だけど寺岡さんは……」

 最初に能力を聞いた時点でハッキリしている三人はすぐにわかった。だが、分身を発生させる能力はいったいどこに分類されるのか。穂波には見当もつかなかった。

「影響系の可能性は切れますが、操作系と変化系のどちらとも見ることが出来ます。離れた地点に分身を発生させるのは操作系の能力。ですが、持ち物や動きなどを分身が参照するのは寺岡共輔さん本体の状態ですので、己の体に分身という変化を与えるとも考えられます」

 路乃にとっても共輔の能力の分類にはひと苦労するようだった。確かにわかりにくい能力であるのは確かだ。

「そもそも学術的な分類というよりも、認識する上でわかりやすいという理由で付けられている分類ですから、大まかにで構いません」

「そうなんですか……」

 てっきり公式的な分類だと思っていた穂波は少し呆気にとられた表情をする。これだけ自信満々に分類されていれば誰しもがそう思うだろう。

「では、陽本さんは操作系。佐治大和さんと佐治夏海さんは……おそらく影響系。矢澄川さんが変化系ですね」

「ご明察です。佐治大和さんの分類には困りましたよね?まるで操作系の様に自在に鉄の形状を変化させる。影響系とは思えない汎用性です。それに、演習で見せたのはほんの一部。彼女の戦闘の本質はその柔軟性にありますから」

 路乃はとても楽しみだという表情をしている。昨日の演習の時点で修也と蓮華があれだけ翻弄されたというのに、それ以上に蹂躙される様を想像して愉しんでいるようだ。

「それはさておき、あなたが挙げた他のこと。拒否反応を示した場合と怒りに身を任せた場合、ですね」

 大和の話に適当に区切りを付けて次の話題へと転換する。

「前者は『使用者がイメージ出来ないことは能力によって起こり得ない』という大前提の話になります。『人の想像できることは、必ず人が実現できる』という言葉がありますが、能力においてもその通りなんです。拒否反応によって己の想像を否定してしまうと、能力は発現しなくなってしまいます」

「なるほどです」

 穂波の自分の中で路乃の言葉を噛み砕いていく。そして着実に己の知識として身に着けていく。

「次に怒りに身を任せた場合ですが、これは少し違います。正確には己の身を守ろうとした場合。それも自己防衛本能が働く場合が主です。詳しくはわかっていないのですが、無意識に自分を危険から守ろうとした場合に能力が限界を超えて発現する場合があります。ですがこれは不確定で、意図的に危機的状況に陥った場合などには発現せず、先程言ったような無意識の状態でも確定での発現は認められません」

 非常に残念そうな表情をする路乃。同じく穂波も難しそうな表情をして苦悩している。二人とも揃って理知的な思考の持ち主らしい。己の理解が届かない範囲を徹底的に究明したいという知的好奇心に満ちた思考の。

「むしろ限界を超えているのではなく、それが本来の力で、普段私達が行使している力が制限されたものだとしたらどうでしょう?それでもリミッターが外れる条件がわかりませんが水無月さんも水量が跳ね上がりましたが、本来の水量が少なすぎるのが不自然なくらいで――」

 そこまで考察を述べた穂波は言葉を止めた。目の前に見たことも無いような嬉しそうな表情をした路乃がいたからだ。

「やはりあなたを選んで正解だったかもしれません。こうやって語り合える仲間が欲しかったんです。村田さんは知っての通りガサツですし、もう一人のオペレーターは無頓着ですので。あぁ……久しぶりですよ。こんな感覚」

「そ、そうなんですか……」

 路乃は感激のあまりに穂波の手を取り、自分の胸の前で強く握りしめた。強く握りしめ過ぎたため、穂波が少し痛そうにしているがそんな事はお構いなしだ。

「コホン、失礼。取り乱しました。能力について大方理解をしてもらったところで、次の段階に進みたいと思います」

 路乃は照れ隠しに咳払いを一つして話題を変える。というよりも無理矢理台本に戻したと言う方が正しいだろう。

「試験と捉えてもらっても構いません。あなたにはこのPCにハッキングをし、『特訓用』という名の動画ファイルを開いてもらいます」

 そう言って路乃が一台のノートPCを取り出す。それを見た途端に穂波の目の色が変わった。

「あ、あの……そのロゴは……」

 穂波がノートPCに刻まれたMとLを模したロゴを指差す。その指先は小刻みに震えている。その震えは畏怖や感動、驚愕などの様々な感情が混ざり合った複雑な感情によるものだった。

「やはり知っているんですね」

「知っているも何も、PCを齧った人間なら誰しもが知っていますよ。だって、それって『Mia(ミア) lady(レディ)』じゃないですか」

 『Mia lady』。それは五年前に業界に突如現れ、一年と経たないうちに姿を消したオーダーメイドのPC製造会社の社名であり、製品名である。

 その性能は革命的と言える代物であり、『Mia lady』を光速とするならば、従来のPCはカタツムリにすら劣ると言わしめた。

 その処理速度もさることながら、容量も桁外れであり、100(エクサ)(バイト)いう謳い文句と、一説によると、世界のすべての情報を収めてもなお、余裕があると言われている。もっとも、前者はあくまで公表されている数値上。あまりにも膨大なため、実際に確かめられていない。後者も根も葉もない噂にすぎないので、どちらにしても信用足り得ないが、その容量が膨大な事には違いない。

「そうね。だけど、それだけじゃない」

 路乃は穂波に見えるようにロゴの右下部分を指差す。そこには『xyz』のアルファベットが刻まれていた。

「『xyz(エクシーズ)』……『Mia lady』の最終形……」

 『xyz』が指し示すのは『Mia(ミア) lady(レディ) xyz(エクシーズ)』という『Mia lady』が姿を消す直前に製造した世界に五つも存在している『Mia lady』の事である。

 世界に五つも存在ししているといわれているのは、『Mia lady』の製品は基本的に唯一無二なので、『Mia lady』が製造した製品の中で唯一、複数同一のものが存在するものであるからだ。

「そんなすごい物がどうしてここに……」

「神殺しの権力というのはそれ程ということです」

 路乃は『Mia lady xyz』をテーブルの上に置き、起動する。即座に画面に『Mia lady』のロゴが表示され、ホーム画面が映される。

「さて、それではこのPCに直接手を触れずにハッキングをしてもらいます」

「あの『Mia lady』の世界を覗けるなんて感激です」

 張り切る穂波だったが、それを見つめる路乃の目は何とも冷やかなものだった。まるで、鳥籠から出られない小鳥を見つめるように。




 一方、第一演習場。相変わらず仲の悪い修也と蓮華だったが、比較的おとなしく圭の説明を受けていた。

「操作系に限らずだが、能力を扱う上で重要なのはイメージだ。操った結果その物がどう動くかをイメージしろ」

 そう言って圭は手元で小さく炎を発生させる。その炎はとても小さく、まるで蝋燭の炎のように繊細だった。能力のコントロールに関して、圭はかなりの手練れのようだ。

「俺の場合は、小さい炎は実際に見られるし、大きい炎もゲームとかアニメでよく見るからかなりやりやすい。とりあえず、習うより慣れろだ。お前達も、まずはやってみるといい」

 圭の指示と同時に蓮華がペットボトルから水を取り出して手元で浮遊させて見せる。

「あたしのイメージは水晶玉。水って思わなくて済むならそれでいいし、自然と丸くなるんです」

「いい感じだ。イメージが出来なければ、能力はそうやって発現する事は無いからな。修也はどうだ?」

 圭に話を振られ、蓮華に負けじと、空気の球を掴んで見せる。すると僅かな風が蓮華の長い青髪を揺らす。

「俺はアニメで見たビームを撃つ技が元です。いつか能力を手に入れたら絶対に使ってやるって思ってたんで」

 妙に自信満々な顔で言って見せる修也。しかしその言葉に二人の表情が曇る。

「ビームって……風操作だっけ?その能力で出せるとは思えないんだけど」

 蓮華が嫌味たっぷりに言う。

 蓮華が言う事はもっともだ。基本的に風操作でビームが出るとは思えない。実際、出ないだろう。それを無理矢理に出そうとするものだから、修也の能力は本来の力の半分も発揮出来ずにいるのだ。

「考え方を変えてみろ。そうしたら能力の使い勝手も良くなるかもしれない」

「考え方?どういう事ですか?」

 圭の言葉を噛み砕くうちに修也の気が緩み、手元の空気の球が不安定になる。

「ちょっと!それ爆発させるなら向こうでやりなさいよ。あたしに向けたら承知しないからね」

「はいはい、わかりましたよ」

 修也は渋々手を保ったまま二人から離れていった。

「水無月は能力の操作が上手いな」

「ありがとうございます」

 蓮華は小さくお辞儀をしながら言った。心なしか手元の水玉が弾んだように見えた。

「だが、問題はその容量だと聞いている」

「うっ……」

 既に路乃から伝わっているようで、弱点を指摘されて唸る蓮華。

「もしもの時の為にも、きちんと身に着けておかないと……死ぬよ」

 圭は目一杯に溜めて言った。あまりにも不釣合いな言葉に違和感がある。それもそのはず、この言葉は村田の受け売りだからだ。しかし、それを知らない蓮華には十分効果があったようだ。

 蓮華は圭の言葉を真摯に受け止め、唾を飲み込んで覚悟を決める。

 昨日、演習で錯乱状態になり、実践ならば自他共に無事では済まない状況に陥った事を悔いての事だった。

「うわっ!」

 突然、真面目な雰囲気を引き裂くように風が吹く。そして、蓮華の足元に修也が飛んできた。

 どうやら、溜めた風を解放したところ、無様に吹き飛ばされてきたようだ。

「痛ってぇ~」

 修也は軽く地面に打ちつけた頭を擦りながら目を開ける。すると、目の前に見慣れぬ模様が目に入るが、視界はすぐに真っ白になった。

「何やってんのよっ。変態っ」

 蓮華が修也の頭を蹴ったのだ。それもつま先で。加減をしていたとはいえ、相当痛いだろう。

「てめぇ、すぐに暴力振るいやがって!」

 修也が飛び起きながら反論する。だが、今回も蓮華に分があるだろう。

「暴力?当然の報いだと思うのだけれど」

「お子様みてぇな柄して一丁前に――」

「水玉のどこがお子様――って何言わせるのよ!」

 またしても口論に発展してしまった。この二人は揃ったら喧嘩をせずにはいられないのだろうか。しかし、今回もまた、喧嘩は長続きしなかった。

「うっ」

「きゃっ」

 突然二人の間に炎が現れ、二人は熱から顔を庇うようにして後退りした。

「喧嘩はそこまでだ。さっさと特訓を始めるぞ」

 実力、立場共に敵わない相手である圭に反論する事も出来ず、二人は圭に従って特訓を始める事にした。




「うぅ……くぅ……」

 苦しそうな声を漏らすのは特訓を受ける者、皆共通してのことだ。

 ここでは運動を一切していないにも関わらず、息を荒げている穂波の様子を路乃が見守っていた。

「そろそろ見えてきましたか?」

 路乃は心配するでもなく、冷やかに穂波に聞く。

「少しだけですが……」

 穂波はノートPCを睨み付けて言う。その画面は起動した状態から一切変化していなかった。

「もう一度、いきます」

 そう言って穂波は携帯端末を持つ手に力を込める。すると、穂波の意識が電子の海へと溶け込んでいく。

 穂波の電子の体は携帯端末を経由し、電波に乗ってノートPCの元へと向かう。

 プログラムと思しき数字や記号の羅列が穂波の意識と並走する。これが、普段穂波がハッキングをしている際に見ている風景だった。

 順調にPCへ向かっていると思った矢先、目の前に電気の様に細かに揺れる網が現れる。穂波はそれの隙間をするすると抜けていく。

 網に触れないように細心の注意を払いながら進む。すると、網目が複雑に重なり合っている部分に辿り着いた。

 穂波は一層気を引き締めて電子の海を突き進む。

 すり抜ける途中、足先が網に触れそうになるのに気付き、咄嗟に足を引く。それと同時に前方への意識が薄れ、眼前にまで網が迫っている事に気付けず、網は既に避けきれない位置にあった。

 穂波は咄嗟に目を瞑る。そして、穂波の体が網に触れる。それと同時に穂波の意識は本来の体に引き戻された。

「うっ、くぅ……」

 穂波の額には汗が浮かんでいる。しかし、現実の時間は二秒と経っていない。

 普段のハッキングでは穂波はここまで疲弊しない。そもそも、意識のほとんどすべてをハッキングに割かなければならない程、複雑で精密さを要するセキュリティは触れた事が無かった。

「もう少しですよ。頑張ってください」

「は、はい」

 路乃の激励に答え、穂波は再度ハッキングを試みる。

 同じように意識を溶かし、網を掻い潜って進む。そして、先程ミスを犯した、網目の密集した地点まで辿り着く。

 再び気を引き締めて網目に挑戦する。穂波の学習能力は見上げたもので、二度同じミスは犯さなかった。先程失敗した地点も難なく突破した。そこからも、綺麗に網の隙間を縫っていく。すると、網で覆われていた視界がついに開けた。

 穂波は電気の網を抜け、ノートPCの元へと辿り着いたのだ。

「よし」

 喜ぶのも束の間、穂波はノートPCの内部へと突入した。

「これが『Mia lady』の内部。凄い容量……」

 ノートPCの内部はあまりにも広大で、そこに保存されている情報の膨大さが窺える。更に、白い壁面の所為で壁の最果てがどこなのか、まるでわからなかった。

 穂波が呆気にとられていると、どこからか獣のような息遣いが聞こえてくる。そちらを見上げると、そこには白色に発光する狼のような姿をしたものがいた。

 その狼は穂波の姿をじっと見据え、頭の先から足の先まで視線が一往復する。その後、狼は警戒を解いてどこかへと去っていった。

「このソフトも対応していないようですね」

 白色の狼は対ウィルスソフトで、穂波をウィルスとして認識しなかったようだ。

 穂波は一安心して動画ファイルを探し始めた。

 穂波が壁面に触れると、その場所が光り、その光がどこかへと向かっていく。穂波はすぐにその光を追いかけた。

 その光は壁面のとある一点で止まる。穂波がその部分に触れると壁面から数字や記号の羅列されたデータが引き出される。そのデータは一カ所に纏まり、一枚の板のような形を取る。

「これで完了」

 穂波はそう呟いてその板を指先でチョンと突いた。

 板は一度弾けた後にどこからか飛んできたデータと交わり、より大きな板となった。それを確認すると同時に穂波の電子の体は、本来の体へと戻っていった。

「ふぅ……」

 ハッキングを完了した穂波は一息吐いた。それに反応するようにノートPCの画面に映像が映し出される。

「見事。合格のようですね」

 その様子を見た路乃が穂波に言った。

 再生された動画から音声が聞こえてくる。それはついさっき聞いた声。路乃の声だった。

「合格です。当日の私がどれ程の加減をするかはわかりませんが、現時点では難しい課題にする予定です。そして、それをクリアしたあなたの実力はかなりのものだと評価します。そこで、このノートPCをあなたにお渡ししようと思っています。ぜひ、お役立てください」

 そこで動画ファイルは終わっていた。

 穂波は極度の疲労と、想像以上に意味を持った動画に対する驚きから目をパチクリとさせていた。

「これって……」

 穂波は辛うじて言葉を発した。

「はい、すべて動画の通りです。しかし、あなたの能力が想像以上の代物でしたし、あなたの分析力などを踏まえた上で、むしろ試験は撮影時に考えていたよりも難しくしました。その点は誇っていいことですよ」

 路乃が簡潔に答える。しかし、その簡潔な言葉ですら、今の穂波には噛み砕くのに少しの時間を要した。

「ということは……」

 先程まで膨大なプログラムを見事に捌いていた人物と同じ人物とは思えない程に現実での情報の処理が遅い。

「この『Mia lady』はあなたに差し上げます」

 路乃の言葉を聞いて数秒、ぼうっとした後で穂波が飛び跳ねた。

「そ、そんなっ、いいんですかっ?!」

 穂波の表情は半信半疑な様子だ。伝説と呼ばれるようなものを無償で進呈するというのだから、当然疑いもするだろう。

「もちろんです。あなたはこれを生かす能力がありますから、あなたが持っているのが妥当だと考えました」

 その言葉を聞き、穂波は路乃の傍に駆け寄ってその手を取る。

「あ、ありがとうございますっ。きっと、きっとお役に立ちますからっ」

 穂波は握った路乃の手をブンブンと振った。大人しい穂波がこれ程までに興奮するとは、相当感激しているようだ。

 それからおよそ五分間、穂波の感謝の雨霰は止むことはなかった。




 第二演習室。ここでは他とはまったく異なる風景が広がっていた。

 照美と茶髪のポニーテール、その顔に浮かぶ笑顔がトレードマークの祖麗綾乃が向かい合って座り、楽しそうに会話をしていた。

「それでさぁ、その喫茶店のケーキが美味しいの」

「そうなんですか」

「甘いものが好きならぜひ行ってみて」

 特訓を思わせる気配など欠片も無く、祖麗綾乃による一方的なガールズトークが繰り広げられていた。

 始めた当初は能力に関して話していたのだが、どこからか話が逸れ、今のガールズトークへと移行してしまったようだ。

「他にもね、駅前にアクセサリーショップがあるんだけど、そこの品揃えが不思議でね」

「はい」

「兎とか熊とかの普通のばっかりじゃなくて、蛇とか蝙蝠とかの一風変わったのもあるから全体的に充実してるんだ」

 このような調子でガールズトークがしばらく続いていた。

「あの……」

「ん?どうしたの?」

 話の切れ目、綾乃のマシンガントークに気圧されてまったく発言しなかった照美が遂に自ら発言した。

「祖霊さんって――」

「綾乃でいいよ」

「そ、そうですか?じゃあ、あ、綾乃さんはとても明るい人ですね。もしかして私の性格を直す為にお話しされているんですか?」

 照美は疑っていた。ネガティブな所為で性格面に難のある自分が、厳しい特訓もせずにこれ程までに明るい人物と延々と会話をしている状況は、性格を矯正するというような意味合いのある行動だと予測してしまうのだ。一種の被害妄想にすぎないのだが、照美にはそう思えてしまって仕方がない。

「性格を直す?なにそれ?そんなの聞いてないけど、そっちは指示された?」

 綾乃は素直に答える。というより、そこまで考えて話をする人物ではなかった。

「あ、いえ、勘違いならいいんです。すみません」

「いいのいいの、謝らないで。あたしの方が謝っちゃうよ?」

 委縮してしまっている照美に対して茶化すように綾乃が言う。

「すみま――いえ、何でもないです」

「ははっ、じゃあ場も温まったし、そろそろ始めようかな」

 そう言って綾乃は椅子に座り直し、急に真面目そうな表情をする。

「こういう話はどうも苦手でね、ちょっとだけ助走を付けさせてもらったの」

 急に雰囲気の変わった綾乃の姿に照美が少しだけ怯む。

「あたしがされた指示はこう。お互いの身の上話をしてくれってね」

 照美が緊張する。あまりにも急角度だったからだ。

 綾乃がこの手の話が苦手なのは本当らしい。ガールズトークの時点ではまったく無かった無茶な会話運びから推察できる。

「路乃さんから聞いているけど、いじめられて引き籠りになったんだってね」

「…………」

 照美は返事が出来なかった。あまりにも急な上、自分の中でも思い出したいとは思えない事なのだから当然だ。

「よかったら話してもらえないかな?」

 照美はどうしても話す気にはならない。話しても共感なんてしてもらえない。たとえ、綾乃が本当に心根の優しい人物でも、その場合は綾乃に迷惑になると考えてしまう。

「じゃあ先に少しだけ……実はあたしもね、いじめを受けてたんだ」

 綾乃の突然のカミングアウトに照美は驚いた。今の綾乃からは、まったく想像できない姿だったからだ。

「そんなにハードなやつじゃなかったと思うんだけどね。学校に置きっぱなしにした物は基本無くなったり、ちょっとでも可愛い柄の服を着てたら脱がされたり、そんな程度だったよ」

 そんな程度と言っているが、それなりにハードないじめだと思える。もっとも、実態を知る者は少ないだろうが。

「…………」

 照美は何とも言えない感情を抱いていた。

 照美が受けたいじめは比較的軽いと照美自身は思っていた。その内容はあらゆる人物からの無視、いじめの中心人物による軽い暴力。これらも十分だと思えるのだが、照美には自分以外の受けているという時点で、自分のものよりも悲惨であると判断してしまう。

「そんなあたしでよければ聞かせて。照美ちゃんが嫌なら他の誰にも話さない。それでどうかな?」

「わ、わかりました……」

 照美は少しだけ、綾乃に心を許してもいいと思った。自分と同じような境遇であり、現在こうして明るく振舞っている綾乃ならば、信用できると判断したからだ。

「ありがとう、照美ちゃん。あたしを信用してくれて」

 綾乃はテーブルの上の照美の手を軽く握る。綾乃の手が触れると同時に照美の中に安心感が広がっていった。

「じゃ、じゃあ、始めます。いじめを受け始めたのは中学に入ってからです。原因は私が人をイライラさせるからだと思います」

 照美が静かに話し始めた。綾乃はそれを黙って聞いている。

「いろんな人に無視されたり、一部の人に、その、暴力を振るわれたりしました。あっ、でも軽くですっ、ちょっと叩かれたりしただけです。怪我は、しませんでしたから……」

 照美はいじめの主犯を庇うような言動を取る。どんな相手でも、そのお人好しは治らないようだ。

「でも、親友の子、紗枝ちゃんだけはずっと一緒にいてくれました。だから耐えられたんです。でも、ある時を境に紗枝ちゃんまで私を無視し始めました」

 綾乃が少しだけ身動ぎする。それは心の中の不安を表しているようだった。

「ある日、いつものように叩かれそうになったんです。私は頭を庇うようにしてしゃがみ込みました。そうしたら、突然クラス中がざわつき始めたんです。声を聞くと、私がどこかに消えたって。その時が能力に目覚めた時でした。また叩かれるって思ったから姿を隠して逃げようとしたんだと思います。でも、それは逆効果だったんです。それから、その……化け物って言われました」

 化け物、それは神判者の名が定着した今こそ、神判者自体を知らない者にしか言われないが、その前までは能力者全般がそう言われていた。

「それからなんです。紗枝ちゃんが私を無視するようになったのは。それから、唯一の味方だった紗枝ちゃんがいなくなって、私は学校に行かなくなり、引き籠りました。やっぱり、能力を持った化け物には誰も近づかないんです」

 そこまで言って照美は俯き、その目には涙が浮かんだ。

「そうかもね」

 綾乃が意外な言葉を口にした。それに驚くと同時に悲しくなり、更に俯いく照美だが、その言葉には続きがあった。

「でも、化け物同士ならどうかな?少なくともここにいる人間は皆その化け物だけどね」

 確かに綾乃の言う通りである。神殺し所属している人間は、一部の事務員を除く、多くが能力者だ。そして、能力者全体を見ても、神判者を含む能力者の多くが化け物扱いを受けたと言ってもいいだろう。

「あたしは照美ちゃんのこと大好きだよ。能力はあたしだって持ってるから関係無い。照美ちゃんはちゃんと話を聞いてくれたからね。あたしお喋りが大好きだけど、話してばっかりだからさ。ずっと聞いてくれる照美ちゃんは一緒にいて楽しいから大好き。へへっ、ちょっと勝手すぎるかな?こんな理由だけど、照美ちゃんのことを好きじゃダメかな?」

 照美は真っ直ぐに向けられる好意に戸惑った。だが、照美の心に温かいものがふわりと広がるのがわかった。

「いえ……その、ありがとう、ございます」

 照美は袖で零れそうになっていた涙を拭い、照れながらお礼を言った。

「じゃあ、今度はあたしの番」

 せっかくいい感じに纏まろうとしているのに、綾乃がわざわざ話を戻した。路乃からの指示がお互いの身の上話なので、それを素直に実行しようとしているのだろう。馬鹿正直と言える程、真っ直ぐだ。

「いじめを受けたのはさっき言った通り、それである日ね、あたしに身に覚えの無いキーホルダーに文句付けられて、鞄を奪われそうになったの。その時だった」

 綾乃はそこで言葉を区切り、次の句を溜める。

「いじめっ子の体が浮かんでさ、壁に向かってポーンって飛んでいっちゃったの。クラス中が大騒ぎ。その後、逃げ出した他のいじめっ子を追いかけるように机とか椅子がガシャンガシャーンって飛んでいった。幸い怪我人は出なかったけど、それ以来化け物扱いされてね。学校に居場所無くなっちゃった」

 綾乃は重い話を明るく語る。そのおかげで先程までの雰囲気はほとんど崩れなかった。だが、場合によっては雰囲気ぶち壊しである。

「そこからは多分照美ちゃんと同じ。村田のおじさんが来て、あたしを神殺しに連れてきてくれたんだ」

「はい、同じ……です」

 照美は村田が来た時の状況を思い出しながら言った。

「それで、どう?」

「どう?とは?」

「やっていけそうかな?これから」

 綾乃の言葉は心配ではなく、確認のようだった。

「は、はい、大丈夫そうです」

「そっか、あたしでよければいくらでも話しかけてね。多分話すのはあたしの方ばっかりになると思うけど」

「ふふっ、はい、ぜひお願いします」

 二人は笑いながら話す。照美はすっかり打ち解けたようだ。

 新天地で早速、友人と言える存在と出会えたのは大きいだろう。ましてや、同じような境遇。性格は正反対だが、相性はいい。そんな大切な存在はなかなか出会えない。

 照美の生活は神殺しに来る前よりも確実に明るいものへと変わっていた。




「ぐぐ……」

 修也が力む。辺りにはそよ風とも呼べない程の弱い風が吹く。むしろ風とも感じられないだろう。

「くっ……ハァ……」

 蓮華が息を吐くと同時に持ち上げられていた水塊が池へと落下する。

「どっちも難航しているな」

 両者に目を向けながら圭が呟く。圭はどこか楽しそうな表情をしている。昔自分が経験した苦労を新人が経験しているのを傍から見ているというのは気分がいいようだ。

 反面、圭は頭の中で二人の改善策を練っていた。

(水無月は映像を見る限りでは、本来扱える量はあの程度の量ではない。もっと違う方法を考えるか。修也は明らかに力みすぎているな。ここら一帯の大気を操ろうとでもしているのか?)

「よしっ、もうちょっとイメージを変えてみよう。水無月は方向性を変えよう。出来るだけ多くの水を持ち上げるんじゃなくて、何かを作る為に必要なだけの水を持ち上げてみよう」

「どういう事ですか?」

 蓮華はさっぱり理解できなかった。その考え方の切り替えが意味を成すかは未知だからだろう。

「たとえば、何か……道具とか、動物とかを水で作ってみるんだ。俺も火の鳥を作ろうと練習したもんだ」

 圭は軽く笑いながら言った。

 圭の言う事は正しいかはわからない。能力の操作は個人のやり方がある。このやり方が蓮華に合っているかどうかは、やってみなければわからないのだ。

「道具……動物……」

 蓮華がブツブツと呟いて答えを探る。そして、ある答えに辿り着いた。

「一応水だし……魚、とか?うん、いいかも」

 蓮華の中で、なんとなく合点がいった。

「じゃあそれでやってみよう」

「俺もお願いしますっ」

 蓮華ばかりがアドバイスを受けていては納得のいかない修也が圭を急かす。

「修也は力みすぎだ。もっとスマートに、うーん……こう、何だっけ?布……あぁ、マント、マントだ。あれをバサッてする感じにしたらいいんじゃないかな」

 圭は半分直感でアドバイスした。流石の圭も不可視の風の操作はわからないようだ。

「なるほどっ、やってみます」

 そうとも知らず、実践に基づいたアドバイスだと思い込んでいる修也は嬉々として駆けていき、言われた通りにやってみる。

「こう、バサッと」

 修也は言われた通りに、見えないマントを翻すように腕を振るう。

 すると、辺りに強い風が吹く。それはまるでドラゴンの羽ばたきのようで、あまりの強風に圭と蓮華は堪らずよろけた。

「おおっ!すげぇ!出来たっ!」

 修也は飛び跳ねるように喜ぶ。修也は調子に乗って何度もバサバサと風を起こした。

「ちょっと!調子に乗ってるんじゃないわよ、この馬鹿っ!」

 蓮華がスカートを押さえてしゃがみ込み、イライラと文句を言う。ただでさえ立っているのがやっとの強風が何度も吹き付けていれば、特訓なんてしていられないし、スカートが捲れてはそれ以上の惨事だ。

「あ、あぁ、悪りぃ」

 修也はやっちまったといった表情で風を起こすのをやめた。今回はちゃんと止め時はわかっている。これ以上蓮華を怒らせたらマズイという事もわかっていればいいのだが。

「ハァ……よしっ」

 蓮華は気合を入れ直して池の水面へと目を向ける。

「魚……魚……」

 蓮華が水面に手を向けると、水が持ち上がっていく。そして、それが徐々に魚の頭部分のような形になっていく。腹部分まで出来たところで、蓮華の本来の限界量である500mlを迎える。しかし、水は持ち上がり続けて魚を形作り続ける。

 数秒後、蓮華のイメージした通りの魚の形をした水塊が出来上がった。

「ぷっ、くっ、ははははははっ!ダッセェ」

 修也が腹を抱えて笑い出した。それは蓮華の作った魚が原因だった。

 まんまるの胴体に大きすぎる尾びれ。金魚と言えばそう見えなくもないが、それにしては形が歪だ。背びれも腹びれも存在していないので、魚という前提がなければ、平面で見れば丸と三角を、立体的に見れば円柱と円錐をくっつけた図形にしか見えない。

「ちょっ、どこからどう見ても魚でしょうがっ!」

 蓮華は反論するが、圭も擁護出来ない程、下手だった。

 蓮華の美術的センスは小学生。場合によっては幼稚園生レベルだと言えるだろう。本人が整った見た目をしているだけあって、その作品の歪さが際立つ。

「頭きたっ。ジャックス!やっちゃいなさい!」

 蓮華が修也の方を指差す。

 もう名前も付けていたようだ。相当愛着も湧いていただろうに、笑われれば頭にもくるだろう。

 そのジャックスと呼ばれた魚?の形をした水塊が修也に向かって飛んでいく。

「ひーっ、ひーっ、ちょ、ちょっと待てって」

 笑いすぎて息も絶え絶えになっていた修也は避けることも出来ず、水塊をモロに顔に食らった。バチンと大きな音がして修也の体が後方へ飛ぶ。

「痛ってぇ……」

 修也の顔は真っ赤になっている。水面に思い切り顔を叩きつけたのと同じなのだから当然だろう。

「当然の報いよ。あんたはその人を馬鹿にする態度を改めることね」

 蓮華は水塊――ではなく、ジャックスを池へと戻しながら言った。

 蓮華の言う事はもっともである。ここに来て以来、その態度の所為で蓮華を怒らせたのはこれで三度目だ。正直、一度目で懲りるべきだろう。

「これは修也が悪い。たとえ、歪で魚に見えないどころか、異世界、中でも魔界にでもいそうな見た目をした魚に見えたとしても、それを笑ってはいけない」

 確かに圭は笑ってはいない。しかし、もっと言葉を選ぶというか、オブラートに包むべきだろう。見事に地雷を踏み抜いていた。

「あの……陽本さん?」

「案ずるな水無月、俺は笑ったりしないぞ。こういうセンスは人それぞれだからな。神殺しに所属している小学生みたいな中学生も似たような絵を描く。まぁそっちの方が、幾分か可愛らしさがあるが、気にすることはない」

 なんて馬鹿正直な男だろうか。わざわざ地雷原で走り回らなくてもいいだろうに。

「小学生みたい……ハァ……もういいです」

 あまりにも正直すぎる圭の言葉に、蓮華は呆れて怒る気も失せてしまったようだ。

「そうか?まぁ今は遠征に出ているから、紹介はまた今度だな」

 圭は小学生のような中学生の人の方に喰い付いたと勘違いしている。

 それから、蓮華はすっかり意気消沈してしまい、ジャックスが姿を見せることは無かった。

 一方、修也の方もそんな蓮華の姿が気になるのもあってか、どうにも特訓が上手くいかなかった。




「だぁああ!疲れた……」

 特訓を終えて、演習場から寮まで戻ってきた修也が玄関の扉を開けると同時に言った。

「あぁ、お疲れ……」

「…………」

 寮のロビーのソファに共輔と烈也がへたり込んでいた。どうやら二人も相当キツイ特訓を受けたようだ。

「お前らも相当みたいだな」

「明日はきっと筋肉痛だぜ」

 共輔はうんざりした、それでもどこか楽しさの感じられる言い方をする。

「どんな特訓を受けたんだ?」

 修也が聞いた。見た感じでも自分以上に身体的に疲弊している二人がどんな特訓だったのかが気になった。

「終始組手。教官がさ、なんか……衝撃を再現する?みたいな能力で、一度殴られたら、また殴られた感覚になるんだ」

「は?」

 修也には共輔が言っている言葉が理解できなかった。

 共輔の教官である国府田将樹は神殺し内で戦闘班と呼ばれる第二班の班長を務める男。特訓といえども、共輔が圧倒されるのも当然だろう。

 共輔の言う通り、衝撃を再現する能力。触れた相手に与えた衝撃を任意のタイミングで再度発動させる。一度殴れば二回分、場合によってはそれ以上の意味を持つ。近接戦闘においてはかなり有用な能力で、戦闘班の班長に相応しい能力と言えるだろう。

「とにかく、とんでもなく強かった。狼男と大差無いぜ」

「狼男?」

 また修也が疑問をぶつける。申請すれば他の演習場の動画は公開されるのだが、それをチェックするような勤勉な人間は、新人では穂波だけだったようだ。

「昨日の演習相手だ」

「へぇ~とんでもないのと戦ってるんだな。敵だったらと思うと、めんどくせぇ」

「まったくだな」

 そこまで会話したところで、修也は空いているソファに倒れ込んだ。

「んで、お前はどうだった?」

 修也は、今度は烈也に聞く。すると、意外にもすんなりと烈也が口を開いた。

「散々、戦闘術の基本を叩き込まれた。初期の位置取り、体術、攻撃の理想的な避け方。どれも単純なのに複雑で、慣れないと実践で使うのは苦労しそうだ」

 今までまったく喋らなかった烈也が急に饒舌になったので修也と共輔はお互いに顔を見合わせていた。

「組手をした時のあの二人の強さも大概だ。普段使う武器を使わず、一人ずつ相手をすると言っていたが、二人同時に、それも本来の力を発揮した状態で相手をするとなると、多分数秒ともたない」

「恐ぇ……」

 修也は堪らず身震いする。昨日、散々夏海に痛めつけられたのだから当然だろう。

 一人でも十分な力を持つ佐治姉妹と二人同時に戦うとなれば、圭だろうと苦戦は必至だ。

「修也はどうだったんだ?」

 今度は共輔が質問し返した。

「俺はずっと能力を使わされた。最初は簡単だったのに、感覚を意識した途端にすっげぇ難しくなるんだよ」

「へぇ~そんなもんか」

 共輔にはイマイチわからない。この感覚は操作系特有のものだからだ。感覚的に操作できれば楽なのだが、考えるようになると途端に針に糸を通すが如く、繊細なものになる。

「細かい作業をしてるのに、めちゃくちゃ力もいるみたいな感じ。頭痛くなりそうだったぜ」

 修也の感覚通り、力も相当必要とする。あくまで感覚的にではあるが、それぞれ3kg相当の針と糸を使用しているのと同じと言える。そんな特訓を延々と続けていたのだから、疲労も溜まるというものだ。

 そこまで話したところで、ロビーの奥から声が聞こえてくる。

「おーい、何やってるんだ?」

 その声の主は陽本圭だった。

 三人を見つけて、近づいて来る。

「いや、疲れたんでここで休憩を」

 修也が答えると、圭の表情が急に険しくなった。

「それはよくないぞ。湯に浸かって筋肉を解さないと明日に響くぞ。明日も引き続き特訓なんだからな」

「うぅ……わかりました」

 修也達は重い体をソファから起こし、上の階に上がるエレベーターへと向かってゾンビの様に歩き出した。




 翌日、昨日と同じ場所で特訓をすると知らされた他のメンバーと違い、一人だけ違う場所へと呼び出された修也は指定された場所へ向かっていた。

 向かう場所は第二演習場。ここで新しい教官が待っているとのことだ。

「あぁ……狼男の人だったら嫌だな……」

 修也は昨日共輔から聞いた話を思い出していた。狼男なんて童話でしか聞いたことは無かったが、それでもどんな姿か、どれ程脅威かを想像するのは容易かった。

「こんちわー」

 修也はおずおずと闘技場の扉を開けた。中は初日の演習前と変わらない空間が広がっていた。それは誰もいないことを意味していた。

「誰もいないじゃん」

 修也が呆れたように呟くと、どこからか声が聞こえてくる。

「ふはははははっ、よく来たな。神の力に魅入られし者よ」

 妙に芝居がかった言葉が少し上の位置から聞こえる。

 修也が声のする方を見上げると、観客席と思われる椅子の上に黒い服を着た青髪の少女が立っていた。

「今宵もまた、神の命の元、我は地上へと舞い降りた。我が名は大天使サリエル!」

 あまりにも不可解な言葉が並ぶ。今宵などと言っているがまだ昼間だ。大天使を名乗っているが、どう見ても人の子である。

「あの、あんたが教官なのか?」

 修也は背丈から年下だと判断してタメ口で話しかける。

「いかにも!雷光の如き司令塔。路乃お姉さんから命を受けたのだ」

 さっきは神の命などと言っていたが、結局は路乃の指令らしい。

「そうですか。それじゃあ、天使らしくさっさと飛び降りてきて指導してくれ」

 修也はやれやれといった様子で言った。このようなホラ吹きの子供を相手にすれば、うんざりもしよう。

「ま、待ってくれ。階段を使う」

 そう言って少女は椅子から飛び降り、どこかへ走っていった。

「あれで大丈夫なのか?」

 修也は不安になった。よりにもよって、あの圭から引き離されて指導を受けるのだから、相応の実力があると思いたいが、あの少女にその実力があるとは思えなかった。

 少し経って、修也が入ってきた扉から少女が入ってきた。

「ハァ……ハァ……ちょっと待って、休憩」

 階段を降りてきただけなのに息を切らしている。本当に大丈夫なのだろうか。

「ふぅ……ポケットから飴が、いや、天から授かりし甘露の丸薬が我の手を離れ、この土地を侵そうとしたのでな。それを防いでいたので遅れた次第」

 少女は息を整えた後で言った。

 言いかけた言葉から察するにポケットから飴が落ちてしまって、それを拾っていて遅れた、と。なぜわざわざ回りくどい言い方をするのは理解できない。

「はいはい、まずお前の名前はなんていうんだ?」

 修也が単刀直入に聞く。それも、とてもめんどくさそうに。

「我が名はサリエルであると言っただろう。あっ、本名……じゃなくて、秘せられし名を知りたいと言うのだな。仕方がない。本来ならば己が身をゆるせる相手にしか明かさないのだが、今回は特別だ」

 本当に回りくどくて疲れる。もっと簡潔に伝えられないのだろうか。

「我が真名は、瑠璃川(るりかわ)紗莉亜(さりあ)という。しかし、この名は秘匿されている故、我の事はサリエル様と呼ぶがいい」

「そっか、紗莉亜ってんだな。よろしく頼むよ」

「だから真名は秘匿されていると言って――」

「わかったから、さっさと特訓しようぜ」

「ぐぬぬ……」

 修也が容易く紗莉亜を言い負かした。

「よかろう。そこまで言うのならば、我を打ち負かしてみよ」

 そう言って紗莉亜は数歩下がって身構えた。

 それを見て、修也もその場で戦闘態勢に入る。

「3、2――」

 そこまで数えて紗莉亜は駆け出した。

「ちょっ、反則だろ」

「反則ではない。これは演習ではないのだからな」

 紗莉亜は袖から玩具のハンマー、通称ピコピコハンマーを取り出した。

(なるほど、初日と同じで、まずは玩具で小手調べって事か)

 修也は完全に油断してピコピコハンマーを受ける体勢を取る。しかし、そんな油断が命取りである事をすぐに知ることになった。

「裁きの鉄槌を受けるがよい!」

 紗莉亜は裁きの鉄槌を右手に振りかぶり、思い切り振り下ろした。

 修也はいい加減に右腕で受けようとする。

「ぐぅ……はぁ!?」

 修也はその裁きの鉄槌の一撃のあまりの重さに驚いた。素材の柔らかさがあるので、直接的な打撃にはなっていないが、まるで大量の布団にでも押し潰されるかのようだ。

「ぐあっ!」

 修也はそのまま地面に叩きつけられた。

「我を甘く見た事を後悔するがいい」

 紗莉亜は倒れた修也の足元に立ちはだかって言った。

「油断は、お前もだっ」

 修也は倒れたまま腕を振るう。すると、強風が吹き、紗莉亜が体勢を崩す。

「くっ、小癪な」

 紗莉亜はすぐにその場に伏せ、強風を耐える。その間に修也は立ち上がるが、距離を離すのは困難な上、強風を起こすだけでは打点にならないと判断し、再度打ち合いの体勢を取る。

「ほう、我の絶対領域(テリトリー)から逃げ出さないとは、余程自信があるのか、それともただの阿呆か」

 紗莉亜は一歩踏み出す。

 修也は紗莉亜のヒラヒラした服を掴んで拘束しようと試み、腕を伸ばすが、その手は空を切った。

 紗莉亜はスライディングをして、修也の腕をすり抜けていた。そして、修也の背後に回ると同時に修也の足を手で軽く叩いた。

「待ちやが、ん?」

 修也が疑問を持った時には既に遅かった。

「ぐっ……」

 突然、修也の足が震えだす。立っていることもままならず、遂に膝を突き、座り込んでしまった。

 ベルトを主として、修也の足にかかる重量が突然増加し、それに耐えられなくなったのだ。

「ふっふっふっ、さぁ跪け。そして頭を垂れて許しを請うがいい」

 紗莉亜は勝ち誇った表情で座り込んだ修也を見下す。

「我の有する能力は触れた物の咎を操り、その咎に応じて大地へ縛り付ける能力だ」

 大仰な言い方をしているが、触れた物の重さを変化させる。それだけの単純な能力。

「そして、咎の枷に縛られ、大地に伏せ」

 紗莉亜が修也の背中をパンッと叩いた。すると、上半身にかかる重量もまた増加し、修也の体は前に倒れ、地面に伏した。

「チッ……」

 修也は舌打ちをする。むしろそれくらいしか出来なかった。服の重さによって、腕や脚は自由に動かせなくなったからだ。

「さっさと降伏するがいい」

 紗莉亜がうつ伏せになった修也の背中に腰かけた。

「降りろよ、重いんだから」

 修也はこうなっても態度を軟化させなかった。すぐにあきらめるというのは納得がいかないらしい。

「なっ!?我が重い筈が無かろう!」

 紗莉亜はそう言うが、修也の上半身にかかる荷重は明らかに軽くなった。意味の分からない言葉遣いをしていても、れっきとした女子のようだ。

「ほれほれ」

 紗莉亜は体を弾ませ、修也に体重をかけていく。だが、それによって生じる荷重は修也を地面へと伏させた重さよりも遥かに軽く、意味が薄いようだったが、修也には意外にも効果があったようだ。

「いいから早く退けよ」

 修也が珍しく必死に言う。

 修也が焦っているのは、紗莉亜の体の所為だった。蓮華に対してあのような態度を取っていたとしても、直接体が触れ合えば勝手が違う。

 体を弾ませるたびに、紗莉亜の小さな尻が修也の背中にぐにぐにと押し付けられる。

「降参したと言うまで退くものか」

 紗莉亜は修也の言葉などまるで気にせず、体を弾ませ続ける。

「ハァ……ふぅ……苦しいか?苦しいか?」

 紗莉亜は楽しそうに体を弾ませ続けるその表情と、運動のお蔭で少し乱れた息が、歳に見合わぬ淫靡な雰囲気を醸し出す。

「わかった、わかった。降参するからさっさと降りろ!」

 修也は半分自棄になって声を荒げた。

「ふっ……わかればよいのだ」

 紗莉亜はスッと立ち上がる。それと同時に紗莉亜の手が修也の服に触れ、修也の服の重さが通常のものに戻った。

「さて、それでは、どちらが上かを理解したところで特訓を始めるとしよう」

 紗莉亜は先程のスライディングで付いた土埃を軽く払いながら言った。

「はいはい」

 修也も立ち上がって服に付いた土埃を払った。

「力の関係上、貴様は我の部下になったのだ。だから、敬語で話すがいい」

 紗莉亜は偉そうにふんぞり返っている。とはいえ、修也が負かされたのが事実である以上、逆らえない。

「わかりました」

「サリエル様、と」

「サリエル様」

 修也はせめてもの抵抗として出来るだけ抑揚の無い声で言ったが、紗莉亜はそれでも満足できたようだ。

「うむ、我の教示を受けるに値する心構えはできたようだな」

 そして、紗莉亜は修也の方に向き直り、言った。

「我が貴様に授けるのは頑強な岩石をも超える堅牢さ、そしてあらゆる力を己の力と換える手立てだ」

「あ?つまり?」

「戦闘における身のこなしを教えるって言ってるんだってばっ」

 すぐに言葉を理解しない修也に痺れを切らし、紗莉亜は普通の言葉を発した。

「あぁ、なるほど。んで、どうするんだ?」

「それは……って敬語!」

「はいはい、どういたしますればよろしいでございましょうか」

 修也はいい加減な敬語、逆に失礼な言葉で答えた。

「むぅ……紗莉亜……いや、我が攻撃を仕掛けるから、それを捌け」

 紗莉亜は修也の言葉に少し機嫌を悪くしながら言った。

「ほら、いくぞ」

 紗莉亜は早速ピコピコハンマーを振り上げる。

 二度も同じ手は食らうまいと、一歩下がってピコピコハンマーの軌道を見切る。しかし、衝撃は予想外の方向からやってきた。

 紗莉亜の左手の掌底が修也の腹に打ち込まれていた。

「ぐっ……」

 意外にも紗莉亜の力は強く、修也は腹を押さえて膝を突いた。

「わかっているとは思うが、敵は攻撃する場所を宣言しない。騙し討ちなど、当たり前だ」

「わかってる、次だ!」

 修也はすぐに立ち上がり、紗莉亜に相対する。

「うむ、いい気概だ」

 それから、紗莉亜は修也に攻撃をし続けた。

 修也の成長は目覚ましいもので、すぐに紗莉亜の攻撃を避けられるようになった。

 それからかなりの時間が経ち、すっかり日も傾いて、演習場が橙色に染まっていた。

「ハァ……ハァ……貴様はなかなかに大天使の素質があるようだ」

 すっかり疲れた紗莉亜が肩を揺らしながら言った。

「そりゃどうも。ふぅ……」

 修也も同様に肩を揺らしていた。休憩を挟みながらも、かれこれ六時間は打ち合っていたのだから当然だろう。

「貴様のその肉体が、我を翻弄する。それは我の体を熱くする」

 妙な言い方をしているが、修也が攻撃を避けると、疲れて体温が上がると言っている。

「つ、疲れた」

 堪らず紗莉亜が座り込んだ。

「んっ!」

 紗莉亜が両腕を前に突き出す。

「え?」

「んっ!!」

 紗莉亜は何を言うでもなく、両腕を突き出し続ける。

「まったくわからん」

「おんぶしろと言っているのだっ」

 修也が部下になったとはいえ、なんというわがまま放題だろうか。

「はいはい」

 とはいえ、逆らえない修也は早々に観念して紗莉亜の前にしゃがんだ。

「ふっふっふっ、素直に従うとは、貴様もようやく大天使との契約を理解したようだな」

 紗莉亜は、修也の背中にピョンと飛び乗った。

「は!?」

 途端に修也が紗莉亜の重さに耐えきれずに前のめりに倒れた。

「なんだお前っ!重すぎんだよ!」

 女子に向かって二度も重いと発するなんて、相変わらず無礼な男だ。

「だから我が重いなど――あっそっか」

 反論しかけたところで紗莉亜が何かに気付いたようにしゃがみ込んだ。

 紗莉亜はしゃがみ込むと自分の靴の底に触れた。

「いや、今回は我が悪かった。普段から鍛錬の為に靴を重くしているのだ。片方5kgで両方合わせて10kg。我が4……30kgだとして40kg。本来の体重よりも10kg重くなってしまっているのだから、重いと言うのも仕方があるまい」

「はいはい、そうですか。軽くなったんならさっさと乗ってくれ」

 紗莉亜がいくら子供のような見た目だからと言っても30kgは明らかにサバを読んでいる。重いと言われたことがどうしても気になっているらしい。

 それでも修也は大した疑問も持とうとせずに適当に流す。

「やっぱ重いわ」

 靴の重さを元に戻した紗莉亜が再度飛び乗ると、修也はまたしても重いと口にした。

「なっ?!わ、我はこれでも軽い方だと自負しているっ!」

 何度の重いと言われて流石の紗莉亜も怒りの様子を見せる。

「いや、確かに軽い方だと思うけどよ、自分の体は軽く出来ねぇのか?」

「もっともな疑問だがそれは出来ない。どうも生物には適応されないようでな」

「へぇ~そんなもんか」

「ふふっ、まぁ、そんなものだ」

 二人で他愛のない会話をしつつ、紗莉亜が修也の背中でパタパタと足を振っているのを何とか押さえながら、修也は本館へと戻っていった。




「調子はどうだ?」

 村田が路乃に聞いた。

「いい感じですよ。元が良かったので、諜報の仕事ならすぐにでも――」

「穂波以外はどうだ」

「む、上笠修也は、能力は整ってきました。イメージさえ出来れば、それなりの事は出来るでしょうが、それでもまだ荒削りです。水無月蓮華も扱える容量はかなり増えてきましたが、今のところ安定するのは1ℓまでです」

 路乃が少し不満そうな表情を覗かせながら、現状を説明する。

「寺岡共輔は、国府田将樹相手にそれなりに打ち合っています。もっとも、国府田将樹には加減をするように言っていますからまだまだです。舘照美は、仕方がないので祖麗綾乃がある程度の隠密行動術を教えていますが、祖麗綾乃は現場での隠密行動の経験が少ないので不十分です。安城烈也は佐治大和と佐治夏海相手にかなり優位に立ちまわっています。この調子なら、実戦投入も近いかと」

「なるほどな。流石に、空っぽの中に詰め込めば、それだけ伸びるってもんだな」

 村田の言う通りではあるが、六人の成長は目覚ましいものがある。優秀な教官が付いているのもあって、かなりのスピードで実力が伸びている。

 この調子ならば、十分に視野に入る。ぜひとも、順調に成長してもらいたいものだ。

 この世界の行く末の為に。




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