第二話 見えない完成形
第二話 見えない完成形
村田浩司によって六人の男女が全員『神殺し』に誘われてから三日後。新たな土地に足を踏み入れる者が四人。
都内の駅の改札を出たところで途方に暮れた声が聞こえる。
「えっと……神山療養所。どこだ……」
呟いたのは寺岡共輔だった。神山療養所の住所の書かれている村田の名刺を握りしめているが、その住所の指す場所がさっぱりわからず、駅前で渋い顔をしていた。
そして神山療養所とは、神殺しの仮の姿。能力者を精神病患者として処理し、施設で預かる。社会奉仕という名目で、各地で神判者に関する活動などを行う。そんな穴だらけの施設なのだが、国の審査を難なく通っている。いや、通している。それが神殺しの持つ権力というものだ。
そんな物騒な施設のスカウトマンと名乗る怪しい男の名刺を、逆さまにしてみたり、時には太陽にかざしてみたりしながら考えていた。
しかし、村田がいくら怪しい男だからといっても、そんな事をしてもただの名刺に何かが隠されていたりなんてしない。それは共輔もわかっているだろう。
普通なら交番を尋ねればいいのだが、喧嘩ばかりしていた共輔が警察官を頼るなんていう考えに至るはずも無かった。
「駅名は合ってる。ここが最寄り駅なはずだ。ならここからどうやって……」
共輔が悩んでいると前方から堅い物同士がぶつかるようなカランという軽い音がした。目を向けると小石が一つ転がっていた。別に何の変哲も無いただの小石。
誰かが蹴ったのだろうか?しかし周りには共輔以外の人影はほとんど見当たらない。
共輔が何かが変だと思い近づくと、その小石はあまりにも不可解な動きをした。
そこにあったはずの小石は忽然と姿を消したのだ。
「あれ?どこ行った?」
共輔が辺りを見渡すがどこにも無い。音もしなかったし転がっていったなんてことも考えられない。すると、突然小石が空中に現れて前方へと飛んでいった。そしてまたカランという軽い音を立てた。
「どうなってんだ?」
見知らぬ土地に来て、早速意味のわからない出来事に遭遇した共輔は首を傾げながらも小石の元に近づく。そうするとまたしても小石が姿を消し、空中で現れて前方へ放られる。
「なんだ?そっちに行けってのか?なんか漫画みてぇだな」
共輔は早くも少し楽しくなってきていた。こういった怪奇現象でも、能天気な人間は楽しいと受け入れてしまうものらしい。
そして、共輔は謎の小石に導かれるがまま、道を進んでいくのだった。その小石が共輔を助けようとしている誰かさんの優しさだと知っての事か、知らずの事か。
件の施設、神山療養所の前に見知った人影一つ。
「思ったよりも早く着いたな。ほぼ始発で出てきたし当たり前か」
誰よりも早くたどり着いたのは上笠修也だった。出発の時刻の関係上、乗っていた電車が寺岡共輔や舘照美の電車よりも早く到着したのだ。
「ここ、だよな?思っていたよりもマトモな見た目してるな」
神殺し基神山療養所の外観はシンプル。二階建てに白い壁。横に体育館のような大きな建物も建てられていて、まるで規模を小さくした学校の様だった。
「この前で待てって言われたけど……おっさんがいねぇ。仕方ねぇ、待つか」
修也は背負ってきたリュックサックをその場に置いて村田を待つ事にした。だが、じっとしているなんて律儀な事はせず、リュックサックを中心として辺りをフラフラと歩き始めた。
そんな修也を影から見つめる者がいた。その者は都会でも珍しい青髪の少女。その瞳はまるで恋をした乙女のような眼差し――などでは決してなく、邪魔だからどこかへ行けという怨念に近い感情をひしひしと感じるような瞳だった。
「何なのよあいつ、邪魔なの。あたしはあそこに用があるのに」
見つめているのは水無月蓮華。整った顔を見事台無しにしてしまう程に鋭く憎しみに満ちた目をしている。
「というかなんでこんな外れの方なのよ。人なんて全然いないじゃない」
辺りを見渡して愚痴を漏らす。言葉の通り、神山療養所前に修也がいる以外に人影は無い。それもそのはず、療養所が都会のど真ん中に建てられているはずが無い。建てられているのは都市の郊外。住宅街から一歩出れば辺りに森林が広がり、野鳥の鳴き声すら聞こえてくるのどかな場所だ。
「これならあたしの地元の方が……いや、どんぐりの背比べね。所詮田舎は田舎」
蓮華は故郷を思い出してため息を吐いた。とてもこの辺りを田舎などと見下せないほどに自然に溢れた風景が蓮華の脳裏を巡る。
「それはそうと……」
蓮華は首を振って雑念を振り払い、再度邪魔な男に注目する。
「もしかしてあいつも勧誘されたとか?いやいや、あたしのような特別な人間しか勧誘しないはず。なら、いかにもぐうたらそうな冴えない男が勧誘されるはずが無い」
そんな思考を巡らせる蓮華。しかし蓮華の願望に反して、修也もその特別な人間の一人である。
「とにかく、荷物置いちゃったし接触してみるしかなさそうね」
蓮華は待つのを諦めて物陰から姿を現した。だが、修也は空を見上げていて蓮華にはまったく気付いていない。
「もし、そこのお兄さん?もしかしてこの施設に御用ですの?」
蓮華の口調と声色が突然変わった。見た目も相まっていかにもお嬢様といったような雰囲気だ。しかし、不自然さが溢れ出ている。現実にこんな口調のお嬢様なんていないのだから当然だ。
「あん?誰だ?あんた」
声をかけられてようやく気付いた修也がそっけない態度で蓮華に訊ねる。それに対して蓮華はほんの少しだけ動揺を見せた。
(何こいつ、偉そう。というかあたしを見て何とも思わないわけ?)
蓮華にとっては初対面で自分に見惚れない男なんて年寄りか子供くらいだと思っていたのだから動揺もするというものだ。そんなものは思い上がり、見惚れない男なんていくらでもいる。修也みたいに何もかも無関心な男がいい例だろう。
「わたくしの名前は水無月蓮華と申しますの。こちらの施設に用があって来ましたのよ」
「なんだ、あんたもか。俺もここに呼ばれてるんだが、俺を呼んだ奴が来ねぇ」
「あなたも呼ばれていたのですか」
蓮華の心中はあり得ないと言いたいようだが、決してそれを表情には出さない。
「ああ。しかし、あった時もそうだったがいい加減な男だな」
そう言って修也は蓮華から目を離し、神山療養所の方を向いてしまった。まったくもって会話を続ける気が無いようだ。
「そうですわね。確かにあのお方はいい加減な方でしたわ」
今のうちに相手がどのような人物なのかを詳しく把握しておきたい蓮華は必死で食らいついていくが修也はまるで気にしていない。それどころか、まったくもって友好的でない、精神を逆撫でされているかのようにイライラとした雰囲気が漂ってくる。
「あんたさぁ……」
「なんでしょうか?」
(なんでイライラしてんのこいつ?とにかく、根に持たれても困るし下手に出るしかないか……)
刺々しい雰囲気を感じつつも、敵対化だけは避けたい蓮華はさらに物腰を柔らかくする。
「その喋り方やめてくれよ。イライラする」
ついに修也が自分の意志に基づいた言葉を口にした。
(ちょっ!?どうしよ……キャラ作ってましたなんて言いにくいし、押し通すしか……)
「そう言われましても、染みついた喋り方ですから」
予想外の展開に混乱しながらも、どうにかお嬢様キャラを取り繕っている蓮華。しかし、一度ブレたキャラを再度安定させるのは至難の技だろうから頑張る他にない。
「嘘吐け。あんたのブスな面に合ってねぇからやめろって言ってるんだよ」
「ブッ!?」
ただでさえ一杯一杯な状態で、今まで一度たりとも真っ向から言われたことの無い言葉を浴びせられ、蓮華の頭にはどんどん血が上っていく。
そして、パァンという乾いた綺麗な音が響いた。
一方その頃……。
変わらず前方で消えては飛んでいく小石を共輔は追いかけていた。しかし、共輔もいつまでも能天気というわけにはいかなかった。
(やっぱおかしいよな、小石が道を教えるなんて)
流石の共輔も違和感を覚えたようだ。むしろ遅すぎて周りからすれば、早く気付けよ!と言ってやりたくなるだろう。
そしてそう思い始めると、ある部分が目に付いた。
それは、共輔の前方。小石の消える辺りを注視して初めてわかる。その辺りの地面が妙にチラつくのだ。感覚としては、何もないはずなのに何かがキラキラと光っているように見える。そのような感覚だ。
それに気付いた共輔は今まであまり使ってこなかった頭を捻る。
(何かがいるのか?だとすれば、そいつが石を投げて俺を誘導している。多分身を隠す能力を持っているのか?都会ってのはゴロゴロと能力者がいるのかね)
共輔の考察は当たっていたり、外れていたりというところだ。謎のチラつきと消える小石。これらを見れば誰かがいるのは大体見当が付く。だが、世界各地に神判者が確認されてから数年経っているとはいえ、都会だからといってゴロゴロといたら、世界は今頃神判者に支配されている。
そして共輔が頭を捻っているうちに、また小石が消えて前方へ放られる。
その瞬間、何を思ったのか共輔が急に駆け出した。一目散に放られた石の方へと走っていく。
どうやら、そこにいる誰かに拾われる前に小石を拾ってしまおうという魂胆のようだ。しかし、拾ってどうしようというのかさっぱりわからない。
そして共輔が小石に手を伸ばし、それを拾い上げようとした時、
「きゃあっ」
共輔の背後で女性の小さい悲鳴が聞こえた。
それを聞いた共輔は小石の事を頭の中から放り投げ、即座に背後を確認した。すると、そこにはうつ伏せで突っ伏し、転んだ反動で長い黒髪をぼさぼさにさせた少女がいた。
「お、おい、大丈夫か?」
目の前で人が転んでいれば放っておくなんて事は出来ない。そんな男である共輔は何の迷いも無く駆け寄る。
「うぅ……」
少女は地面に軽く打った頬を擦りながら顔を上げた。その顔を上げた少女は舘照美だった。姿を隠す能力を持ち、見知らぬ人間を助けるお人好しといえば照美以外にはいないだろう。
照美は髪が顔にかかって見えず、まるで幽霊のような風貌だ。どこか負のオーラを感じるのも相まり、こんな姿を見たら例え昼間でも多くの人が逃げ出すだろう。
「立てるか?怪我はしてるか?」
しかし、人は見た目じゃないとでも思っているのか、幽霊なんていないと思っているのか、共輔は何も気にせずに倒れた照美に片膝を突いて手を差し伸べる。
「ぁ……ぁぅ……」
それでも、照美は共輔の手を取らなかった。正確には取れなかった。幸いにも周囲に人の姿は無かったが、あまりにも急に信じられない事態が目の前で起きたことで手が震えてそれどころじゃなかった。
「ん?怪我したか?」
心配そうに共輔が聞くが、照美は答えられない。それどころか首を横に振る事すらままならない。
あまりにも何も反応を返さない照美を見て、仕方がなく共輔は立ち上がった。そして、倒れている照美の脇の下に手を差し込み、一気に照美を持ち上げた。
「ひゃあ!」
またしても照美が悲鳴を上げる。それも当たり前だ。突然女性の体に触れるだけで犯罪の成立する世界。それが道端で行われたとなれば一種の痴漢事件に発展し得る。それに、ただでさえ人に耐性の無い照美が急に男に体を触られれば卒倒してもおかしくない。
長身の共輔によって持ち上げられた照美の足は地面から軽く30cmは浮いていた。しかし、その浮いた足はすぐにもう一度大地を踏みしめる事になった。
「ん~……」
持ち上げた照美を降ろしてきちんと立たせた後、共輔はあろうことか照美のスカートの裾を持ち上げた。
この男はこれでもかというほど犯罪に手を染めようとしている。普通に考えればそう見えてしまう。
もちろん、共輔にそんなつもりは無い。共輔は中学からずっと男子校。女子の扱いなんかまるでわかっていない。今だって子供に接するのと変わりなく接している。それが年頃の女性相手だと犯罪になる事も知らずに。
「よし、擦り剥いてもいないな。手も大丈夫そうだし、怪我は無しっと」
共輔はスカートの裾を照美の膝が見えるところまで捲った所で怪我が無いことを確認してすぐに離し、安心した様子で言った。
「しっかし、泣かないなんて偉いな、お前」
そう言ってぐしぐしと照美の頭を乱暴に撫でる。撫でられるのが好きな女の子が一部いると噂されるが、こんな乱暴に撫でられては髪が乱れるだけで何も嬉しくないだろう。
照美も例外ではなく、ぐわんぐわんと頭を揺さぶられて目を回してしまっている。
「てか、近くに人なんていたか?石が人のいない方にばっかり飛んでいくから周りには誰もいなかったと思うんだが……」
共輔がまたしても頭を捻る。今の発言の時点でほぼ結論に辿り着いているだけあって、すぐに答えが出た。
「もしかして、お前が案内してくれてたのか?」
覗き込むようにして共輔が照美に聞いた。そんな風に顔を近づけられては、照美がまともに答えられるはずも無く、そのまま俯いてしまった。
ただ俯いただけなのだが、さっきから散々答えを待っていた共輔にはそれすらも返答に見えてしまった。
「そうかそうか、お前だったのか。いやぁ助かったよ。神山療養所の場所がさっぱりわからなかったんだ。そこに連れて行こうとしてくれたんだろ?」
共輔が笑いながらポンポンと軽く照美の肩を叩く。共輔としては本当に軽く叩いたつもりだったのだが、ただでさえひ弱な照美にとってはそれすらも少し痛かった。
「んで、結構歩いたし、もうすぐなんだろ?せっかくだからそこまで案内してくれよ」
中断させた原因はほとんど共輔にあるのだろうが、それにしては図々しいお願いだ。しかし、照美はその言葉に対して明確に自分の意志で頷いた。
「おお、そうか。なら頼んだぜ」
そう言って共輔がもう一度肩を叩こうとした瞬間、照美の姿がその場から消えてしまった。
「あれ?また消えちまった」
共輔がさっきのようにチラつく場所を探して辺りを見渡していると、置きっぱなしにされていた小石のある方からまたカランという軽い音が聞こえた。
(またそれで案内するのか。姿くらい見せてくれてもいいのにな)
そんなふうに思いながらも小石の放られる方へ導かれて歩いていった。
その近くにチラついて見える場所は無かったが、共輔にはそこにさっきの子がいるという確かな感覚があった。
そんな和やかな場面とはまるで違い、とても騒がしい神山療養所前。
その原因は修也と蓮華の口喧嘩だった。
「手ぇ出すのはおかしいって言ってんだよ!」
「女子に、ましてやこのあたしに向かってブスだなんて何度死んでも償えない大罪なのよ?!ビンタ一発で許してあげようって言ってるのに、わかってない奴ね!」
蓮華の化けの皮も完全に剥がれ、お互いに譲らない不毛な争いが繰り広げられていた。
そんな中に不意に響くカランという軽い音。それに少し遅れて共輔が歩いてきた。
「なんかそれっぽい建物だな。ここが神山療養所なのか?」
共輔が聞くと石が消える。そして少し浮いた場所に現れてさっきあった場所と同じ場所に落ちた。
(肯定……なのか?うん、多分そうだな)
言葉を交わさずともそれとなく察する共輔。それと同時に目の前の事象が目に付く。
「ん?あれって……」
共輔がぼそりと呟いたと思うと即座に歩き出した。その足が向かう先は修也と蓮華のいる方向だった。
共輔の背後で小さくカランと音がする。共輔の突発的な行動に驚いて石を取り落したようだ。
「おいてめぇら!喧嘩してんじゃねぇ!」
共輔が修也と蓮華の肩を掴んで引き離す。
お前が言うなっ!とツッコミを入れたくなる。共輔の事情を知る者ならば共輔が喧嘩を止めるなんてまさにお前が言うなと言いたくなる状況だ。
「お前何――」
修也は文句を言おうとしたがすぐに言葉を飲み込んだ。肩を掴んだ男、共輔の目つきとその手の力から明らかに敵わない相手だと察したからだ。
「ちょっと、離しなさいよ」
一方、蓮華は共輔の手を払った。決して蓮華の力が強かったわけじゃないが、共輔の手はスルリと蓮華の肩から退けられた。
「よし、喧嘩は止まったな」
共輔はどこか満足げだ。どこからかやってきて二人を引き離し、勝手に満足。どこからどう見てもおかしな男だ。
「あんた誰なんだよ」
警戒しつつも少し呆れながら修也が聞いた。
「俺は寺岡共輔。ここの神山療養所に用があって来たらお前らが喧嘩していたから止めに入ったんだ」
それを聞いて二人揃って目を丸くする。自分以外に二人も呼ばれた人間がいた。能力者がこんなにいたのかと驚いている。二人とも自分以外に能力者なんて見たことが無かったのだから当然だ。
「んで、なんでこんなところで喧嘩してたんだ?」
共輔が聞くと怒りが蘇ったようで蓮華が声を荒げた。
「こいつがあたしをブスって言ったのよ!」
「あぁ!?ブスにブスって言って何が悪いんだよ」
またしても小学生のような口喧嘩が始まる。それを見て共輔はため息を吐いた。
「わかった。わかったから落ち着け」
共輔は今にも飛び掛かりそうな蓮華を押さえながら修也共々諌める。
「おぉ、集まってるな」
このままだと面倒になると思った時、共輔の向かい側、神山療養所の方から声がした。
一同がそちらを向くとそこには村田の姿があった。
「ああっおっさん!遅ぇよ、待ってる間に変なのに絡まれたぞ」
「変なのってあたしじゃないでしょうね。だとしたら許さないわよ」
まさに一触即発。ちょっとした一言で何度でも喧嘩を始めそうだ。
「だっはっはっ、すっかり打ち解けたようだな」
村田はこの二人が仲良くなったように見えたのだろうか。喧嘩するほど仲がいいというが、この二人は明らかに相性が悪い。
「六人全員来てるな」
村田の言葉に三人揃ってハテナを浮かべる。それもそのはず。この場には三人しかいないのだから。
「おっさん、ここには俺達しかいないぜ?」
「いや、ちゃんと六人いる。二人はただ気付いていないだけだ。ほれ」
そう言って修也達の背後を指差す。その先には壁にもたれかかっている男とその横に佇む少女の姿があった。その二人は安城烈也と安城穂波だった。
「あいつらもっ?!じゃあ、あと一人はどこだよ」
「もしかして……」
疑問をぶつける修也に対し、共輔はどこか思い当たる節があるようだ。そう、共輔は姿を隠す能力を持った少女を知っている。
「そこにいる。姿を見せろ。こいつらは安全だ」
村田がそう語りかけると、村田の目線の先が歪んだ。そして、その場に黒い髪の少女が現れた。
「そんなところに人がいたなんて……」
「お前も呼ばれてたのか……」
驚く点は違えども、修也と蓮華、共輔は揃って唖然としていた。
「これで六人。全員揃った」
ニカッと村田が笑う。第一段階完了といったところなのだろうか。
「とりあえず自己紹介から始めようか。修也、お前からだ。おーいお前らもこっちに来い」
村田は一番に修也を指名し、遠くにいた烈也達を呼び寄せた。
呼ばれた二人が近くに来たのを確認してから修也が喋りだした。
「上笠修也です……よろしく」
面倒な上にムカつく相手が目の前にいるとあってふて腐れた様子で言う。さっきの蓮華との一件に加え、自己紹介もこの有様では人の恨みを買いやすいというのもよくわかる。
「能力の紹介もしてくれ」
一本調子で村田が付け足した。修也はそれを聞いて「めんどくせぇ」と言いながらも自己紹介を続ける。
「能力は風操作。風を吹かせられる……おしまい」
「まぁいいだろう。次はお前だ、蓮華」
明らかに手抜きな自己紹介だったが、村田は適当なところで妥協して、次に蓮華を指名した。
「はいはい、水無月蓮華です。能力は水操作。そこの馬鹿と似ているっていうのが気に食わないけど、細かい操作もできる有用な能力よ」
修也との初対面では猫を被っていた蓮華だが、いまさら無理だと判断して素の口調で自己紹介をする。それに重ねて、蓮華は修也の方を見ながら、わざと挑発するように言った。
「んだと――」
「そこまで、長引かせる余裕はない。人を待たせているんだ。次は共輔」
村田は喧嘩を再開しそうな二人を止め、即座に共輔を三番目に指名した。どうやら時間に余裕がないのは本当らしい。
「おう、俺は寺岡共輔。能力は分身ができる。ってことでよろしく」
修也と蓮華に習って簡潔に自己紹介を進めていく。村田からそれとなく漂ってくる『急げ』という雰囲気を察しているからだ。
「よし、次は照美、お前だ」
「は、はいっ!」
いつかは順番が来るのはわかっていただろうが、それでも照美は飛び上がってしまう。
「うぅ……舘照美、です。の、能力は光の操作です。お願い、します……」
六人もの人間に注目された照美はすっかり萎縮してしまっていたが、何とか自己紹介を終えることができた。
「よし、次はそっちの兄妹だな。どっちから言う?」
最後は安城兄妹を同時に指名した。この順番、途中からわかったが、村田が六人をスカウトした順番だ。意識してか、せずしてか、この順番を辿ったようだ。
「では、兄さんからどうぞ」
穂波は兄を優先し、オオトリを自ら買って出ることで兄の負担を減らそうと考えたようだ。
「安城烈也。物体を破裂させる能力」
それだけだった。かなり低いトーンで言ったのでどこか怒っている様にも聞こえる。
「随分だな」
修也がわざわざ突っかかっていく。ただでさえ修也は蓮華との喧嘩でイライラしていたとはいえ、二人とも人を怒らせるのが得意な男だ。
「お前――」
「私の名前は安城穂波です。安城烈也の妹で、能力はハッキングができます」
穂波が修也の言葉を無視して自己紹介を挟んだ。どうやらこの展開は読めていたらしく、遮ることで無理矢理終わらせるつもりだったようだ。
兄の性質を理解したうえでフォローをしっかりとしていく。流石は妹といったところだろうか。
「よし、終わったな。次は俺だ。全員にそれぞれ一度は言っていると思うが、俺は村田浩司だ。それじゃあさっさと付いて来い」
それだけ言って村田は神山療養所の方へ歩いていく。あまりの説明不足に戸惑いながらも六人は村田に続いていった。
村田は入口の門を開けてずんずんと進んでいく。足元には石畳。左右にはたくさんの木々が植えられた森とすら思える庭が広がっている。かなり環境は整った施設のようだ。療養所と名乗るだけのことはある。
そして石畳に沿って歩いた先にある校舎のような大きな建物の両開きの扉を開ける。
すると中には――
「なんだよ、これ……」
「うわぁ……すごい……」
それぞれ驚きの声を上げる。白い天井に白い床。とても綺麗でまるで……
「まるで……普通の病院じゃねぇか!」
修也が堪らずツッコんだ。
「当たり前だろう?療養所をなんだと思ってるんだ?病院の延長として、患者が療養をするのに最適な環境を提供するもんだ」
村田はあたかも当然かのような反応を返す。
表向きがどうであれ、都市伝説の組織といえば機械的な雰囲気の秘密基地を想像していた男共にとってはかなり肩透かしを食らったことだろう。
「くっ……なんで秘密基地じゃないんだよ……」
いつも冷めている修也が珍しく熱くなる。どうやら男というのは秘密基地というものに憧れを抱く生き物らしい。
「バッカみたい。そうやっていつまでも子供みたいに」
わざわざ蓮華が修也を煽る。確かに男は大人になっても子供の心を忘れないなどと言われてはいるが、女子には男共の抱いている浪漫というものがわからないようだ。
「いちいち喧嘩するな。それどころじゃないんだから」
村田がやっと苛立ちを見せた。流石にここまで繰り返されると大人の対応というのも限界が来るようだ。
そんな風にしていると奥の方から女性が歩いてきた。
「やっといらっしゃったんですね。あれほど遅刻は厳禁だとお伝えしたと思うのですが」
「いや、すまん。俺が遅刻したんだ」
村田が正直に名乗り出た。実際、共輔と照美も度重なる遠回りの所為で遅刻していたのだが、二人ともどうにも名乗り出れずにいる。
無理に言葉を挟むのもどうかと思われるので、このまま黙っているのが得策だろう。
「村田さんが遅刻しちゃダメでしょう。指導者として自覚をですね――」
「はいはい、わかった。遅れてるんならさっさと始めよう」
村田は女性のお説教を無理に切るようにして話を進めた。どうにか押し切って遅刻の件をあやふやにしようとしているようだ。
「ハァ……そうですね、早く始めましょう。まず、私は路乃美亜といいます。ここで表向きはコール係。本職はオペレーターの仕事をしています」
女性、路乃は軽く自己紹介を済ませた。そして、耳に着けた機械に触れる。
「すぐ来ると思いますよ」
路乃がそう言ってすぐ、
「かれこれ四十分。長かったな~」
「散々待たされた。いい加減怒るぞ」
路乃がやってきた方と同じ方向からぞろぞろと同じような白い服を着た四人の男女が歩いてきた。
「いやぁスマン、俺の遅刻だ。勘弁してくれ」
「村田さんの遅刻ですか。それじゃあ文句も言うに言えないじゃないですか」
「だっはっはっ、スマン、スマン」
「しょうがないッスねぇ」
そう言って村田は笑い飛ばした。村田は他の五人に比べてかなり立場が上なのだろう。だからこそ取れる態度だ。
「いったい何が始まるんだ?」
共輔が村田に訊ねる。だが、答えたのは路乃だった。
「これから演習――模擬戦を行ってもらいます。試験とは言いませんが、皆さんの実力を見ることになります。どちらも怪我をしないように、気を付けてください」
「え?どういう事?」
あまりにも突然のことに声を上げた蓮華を始めとした六人全員が理解出来ていない。
「まさか……説明もしていないんですか?村田さん」
「だっはっはっ、時間が無かったんでな」
「……上に報告します」
「やっぱダメか……遅刻までは許されたんだがな」
「……遅刻も報告します」
「ちょっと!路乃!いや、美亜ちゃんよぉ、それは無いんじゃないか?」
「いえ、不手際を見逃しては二度、三度と繰り返しますから」
まるで打ち合わせをしたかのようにスムーズな受け答えだ。落としどころがどこかは見えないが。
「あなた方に責任はありませんからね。ちゃんと私から説明させてもらいます」
路乃は村田を振り払うようにして修也達に向き直って説明を始める。
「これより二人一組になってこちらの四人と演習を行ってもらいます。計測機器の関係上、演習はそれぞれ時間をずらして行います。誰も怪我をしないように細心の注意を払って行ってください」
皆がふむふむと頷いて内容を噛み砕いている一方で照美は絶望していた。照美を絶望させた言葉は『二人一組』という言葉だ。人とコンビを組むというのは自分の失敗が直接相手に係わる。照美にとってはこれが恐怖でしかない。決して相手が見つからないという理由だけではない。
「その二人一組ってのは自由に組めるのか?」
修也が質問すると答えは即座に返ってきた。
「こちらで組んであります。上笠修也さんと水無月蓮華さん、寺岡共輔さんと舘照美さん、安城烈也さんと安城穂波さんがそれぞれ組んでもらいます」
「ええっ!!!」
「嘘でしょ!?」
修也と蓮華が同時に声を上げた。喧嘩するような相手と組まされるのだから当然だ。
「嘘ではありません。男女に偏りが無く、能力や演習相手を考慮した上での判断です」
「くっ……」
「はぁ……」
二人は路乃の毅然とした態度に返す言葉も無く意気消沈してしまった。
残りの四人はというと、そっと胸を撫で下ろしていた。
共輔は道案内をしてくれるような親切な相手だと、照美は優しい人が相手だと思い、それぞれある程度心の許すに値する相手だと安心した。
烈也と穂波もお互いに十二分に信頼している為に最高のペア組だと思っている。
「そして演習相手についてです。上笠水無月ペアは佐治大和さんと佐治夏海さん。こちらへ」
路乃が手で指した方に四人が揃って歩き出す。
修也と蓮華の目の前に現れたのは黒髪長身の女性二人だった。その身長は修也よりも高く、威圧感がある。
「佐治大和だ。よろしく頼む」
佐治大和と名乗る女性はとても凛然としていて修也よりも男らしい印象すら受ける。揺れる長いポニーテールがある種侍のような気質を纏っている。一つ気になるところと言えば、腰回りに異様にチェーンを付けているところだ。少し動くだけでもチェーン同士が触れ合ってジャラジャラと音を立てている。
「佐治夏海といいます。よろしく」
一方、佐治夏海と名乗る女性は柔らかい物腰で口調も丁寧だ。バレッタで纏められた黒髪とそこから覗くうなじが色気と呼べる雰囲気を醸し出す。
「大和とは双子なの。私の方が少しだけ妹なんだけど、いつも勘違いされるのよね」
目元や鼻などの基本的な顔立ちは似ているので双子なのは頷けるが、勘違いされるというのは少々疑問が残る。大和は姐さん。夏海はお姉さんという印象だからどちらが姉とも見られるだろう。
姉の大和と違って夏海の方には一風変わった特徴は見られない。精々、姉妹揃って胸が大きい事ぐらいだろうが、こんな情報では男共が喜ぶ以外に意味は無い。
「次は寺岡舘ペア、矢澄川小太郎さん」
路乃が指したところに三人が歩み出る。
二人の前に現れたのはボサボサの髪の超長身の男だった。その背丈は180cmを超えている共輔よりも大きい。
「矢澄川小太郎ッス。お手柔らかに頼むッスよ」
なんとかッスという軽い口調の男が矢澄川小太郎のようだ。人懐っこい笑みとその雰囲気から、まるで大型犬のような印象を受ける。
そんな印象を受けた上で何よりも気になるのはその首だ。変わったチョーカーなどと擁護は出来ない。完全に首輪だ。ご丁寧に鎖まで付いている。犬のような印象だからといってもそこまで求める人はいないだろう。ソッチの方の趣味を持っている人間なんだろうか。
「…………」
案の定、共輔も照美も度肝を抜かれてしまって言葉を発せていない。
「最後に安城兄妹ペア、陽本圭さん」
その場に残っていた安城兄妹と陽本圭が向かい合う。身長は烈也よりも小さい。他の三人が長身なのでどうしても小さく見えてしまうが決して低い身長ではない。
「よう、陽本圭だ。やるからには全力でかかってこいよ」
陽本圭はいかにもな好青年だった。爽やかで清潔感のある雰囲気。整った顔立ち。口調や声質も爽やかだ。そんな反面、燃えるような赤髪や全力で来いという発言などの熱血と思わせる一面もある。
「それでは、各自必要な物だけを持ち、案内の元で演習場へ向かってください」
「よしお前達、この私に付いて来――」
「私に付いて来てね」
意気揚々と拳を振り上げた大和の言葉を遮って夏海が先導しだした。
修也と蓮華は大きな荷物はその場に置き、夏海の後に付いて行った。それに並んで大和が「何故だ……」などと呟きながら歩いていく。
そして、これから行うことを考えるのであれば、処刑台とすら言えるであろう場所へと扉を開いて向かっていった。
しばらく歩くと、修也一行はフェンスで囲われた場所に着いた。扉の上の看板には『第一演習場』と書いてある。
扉を開けて中に入ると、想像していたよりも広い空間が広がっていた。入ってすぐに開けた場所。奥には深い森が、手前には澄んだ池もあってまるで公園のようだ。
「それじゃあちゃんと間合いを取ってね。初手からゼロ距離なんて味気無いと思うし」
夏海の発言はきちんと指導をするお姉さんとも取れるが、近距離に絶対的な自信があるとも取れる言葉だ。
修也と蓮華はそんな言葉を受け、相手との間を30m、味方との間を20m程空けた間合いを取った。敵の動きを見てから行動するのにはちょうどいいか少し足りないかといった間合いだ。
味方との間合いが広いのも気になる点だ。これでは味方へのフォローがしにくいが、元々この二人がお互いを助けるなど期待するだけ無駄だろう。
対して大和と夏海は完全に隣り合った状態で準備の体勢に入った。
そしてそこらの支柱に取り付けられたスピーカーから音声が聞こえてくる。
「それでは第一演習場から演習を始めます。準備に取り掛かってください」
それを聞いて四人が揃って身構える。大和のチェーンがジャラリと鳴り、蓮華はハンドバッグからペットボトルを取り出してバッグを足元に置く。
演習場一帯の空気が張り詰める。わずかな風が木を揺らし、葉が擦れ合うザワザワという音の中に大和の腰に下がったチェーンのジャラジャラという音が異様に大きく聞こえる。
「それでは3、2、1、開始!」
告げられる開始の合図。だが、誰もその場から動かない。
蓮華はペットボトルから水を取り出し、手元に宙に浮かぶ水玉を作る。修也は様子見だ。能力の準備時間的に自ら近づくだけ無駄なのだから当然だ。
そして大和と夏海も戦闘態勢に入る。
さっきまで鳴っていたチェーンのジャラジャラという音が途端に消えた。チェーンは既に原型を留めておらず、大和の手元に鉄塊として収まっていた。
「ふんっ」
大和が気合を入れて鉄塊から手を引き出す。するとその手には鋭利な剣が握られていた。
「なっ!?」
「武器って、反則じゃないの!?」
修也と蓮華は、剣の放つ鈍い光を見て戸惑った。
世界中の国が武器を放棄した現代。一般家庭用の包丁や特殊な包丁などの一部の物を除いて剣や銃の類は全て姿を消した。そんな世界に住んでいる修也と蓮華にとって剣などというものはゲームなどの創作の世界にしか存在していないのだ。
「戦いにルールは無い。反則なんぞ存在しない」
大和は鋭い瞳で二人を見据える。二人はまるで蛇に睨まれた蛙のように恐怖で動けなくなった。
「ほら、夏海」
大和が取り出した剣を夏海へと手渡す。
「うん、今日も綺麗」
夏海は剣の刃に見惚れている。その様子はとても妖艶だが、今の修也達にとっては不気味でしかなかった。
「ふっ」
そして夏海は手にした剣で近くにあった木の枝を切りつける。当然、木の枝は切り落とされ、地面に落ちる。
真剣であることを目の当たりにした修也と蓮華は同じように自分達も斬り捨てられるのでは、と思い背筋が凍る。
「怪我をしないように、よね?」
そう言って夏海が鍔から剣先に向かって刃の腹を撫でる。そしてそのまま剣を大和へ向かって振り下ろした。
もはや狂気の沙汰としか思えない。修也と蓮華は堪らず目を瞑った。
しかし、修也達の想像したような事態は起こらなかった。いや、起こりえなかった
剣はポスッという音を立てて大和の頭に激突する。
「全然痛くないな。それで大丈夫そうだな」
先程木の枝を切り落としたはずの剣は、人を斬り捨てるどころか、まったく痛くないという玩具に変わってしまっていた。
修也と蓮華はそっと胸を撫で下ろす。すっかり相手のペースに飲まれてしまっている。まるで弄ばれているようだ
先程から修也と蓮華の行動と感情がリンクしている。初めての戦闘という戸惑いから、素の反応が出てしまっているようだ。どうやら元は似た者同士、喧嘩をするのは同族嫌悪なのかもしれない。
「ならばっ」
大和が手元の残った鉄塊で剣を作り出す。その剣を夏海が持っていた剣と何故か取り換える。
「それじゃあ、戦闘開始ね」
また夏海が刃を撫でる。そしてその刃が太陽の光を反射して閃き、夏海が駆け出した。
まさに電光石火。
向かう先は修也。あっという間に距離を詰めてくる。
「ちょっ、速っ」
慌てて空気の球を掴むようにして空気砲の準備に入る。しかし、所詮は30m。ほんの数秒で夏海の姿が目の前に迫る。
「ほら、いくわよっ!」
わざわざ宣言をし、更に大袈裟に振りかぶる。
修也の背に冷や汗が流れる。現在大和が持っている剣は確認をした結果、安全な剣だった。しかし、夏海が持っている剣は確認をしていない。もしも普通に切れる剣だとしたら?触れた瞬間に修也の皮膚を切り裂き、肉を、場合によっては腕の一本すら切り落とされかねない。
「うおおお!!」
修也は目の前に感じる尋常ではない殺気に震える足を無理矢理動かしてその場から飛び退く。
夏海の振り下ろした剣は確実に修也のいた場所を捉えていた。もしもその場に残っていたならば左肩から右の脇腹にかけて袈裟斬りにされていただろう。
「夏海も始めたか、私も行こう」
大和はゆっくりと駆け出す。そして徐々にスピードを上げ、距離を詰めていく。
「こっちも早い。対応は早めに」
蓮華は手元の水玉から更に小さな水玉を作り出し、迎撃の為に大和へ向かって飛ばす。
意外にも蓮華の頭は冷静だった。しかし、その足は恐怖に震え、地面に縫い付けられてしまっている。
「ふんっ、その程度」
蓮華の抵抗も空しく、大和は剣を振り、容易く水玉を撃ち落とす。その間にも大和はどんどん蓮華に迫っていく。
ついに大和も蓮華の目の前まで距離を詰めた。
「ほら、いくぞっ!」
夏海と同じようにわざわざ宣言してから大袈裟に振りかぶって剣を振り下ろす。
しかし、恐怖で反応が追い付かず、蓮華はその場から動けなかった。
そして剣が蓮華に――当たることはなかった。水によって作られた小さな盾が大和の振り下ろした剣を防いでいた。
防いだと言うよりも、水の盾の内部で水流が作られており、その水流の力によって、ほぼ自然落下してきた剣をどうにか支えていたと言った方が正しいだろう。
「ほう、手を抜いたのが原因だろうか」
受け止められたことで少しだけ驚いている大和。なるべくダメージを与えないように振り下ろし始めた直後に力を抜いていたお蔭でほぼ自然落下程度の勢いになり、受け止めることが出来たようだ。完全に手加減をされている。それでも、蓮華は手加減をした一撃防ぐのが精一杯だ。
「これは水流か、受け止めただけ大したものだな。だが、この程度なら」
大和が剣を振り下ろす腕に力を込める。すると剣はいとも簡単に水の盾へと入り込む。
だが、ほんの少しだけ時間を作ることができ、その間に蓮華は二歩だけ退く事が出来た。
そして、剣が水の盾を容易く断ち切り、振り下ろされた。剣は蓮華の上体を掠めただけだった。もしも剣が真剣で、蓮華にわずかにでも胸があれば傷を負っていただろう。
当たってはいないのだが、その太刀筋は既に怯えている蓮華の脳内を完全に恐怖で支配しきるには十分な攻撃だった。
大和はそのまま剣を投げ捨て、蓮華に胴体に掴みかかる。
思考が停止し、放心してしまっている蓮華はいとも簡単にホールドされてしまった。
「軽いな、小娘」
「えっ?ちょっ」
蓮華は何の抵抗も出来ずに大和に軽々と持ち上げられる。そして、そのままぐるぐると振り回され、その勢いのままに近くにあった池へと投げ込まれた。
着水と同時に大きく水飛沫が上がり、水面には波紋だけが残る。そのまま水面は静かになり、蓮華が上がってくる気配は無かった。
一方、修也は命からがら逃げていた。大振りなお蔭で太刀筋を見切りやすく、振り下ろす時は宣言をしてくれる。手加減をしてもなお、防戦一方。ここまで親切な敵はいない。
「次、いくわよ」
剣が今度は縦に真っ直ぐ振り下ろされる。修也はそれを右に跳んで避ける。しかし、砂に足を滑らせ、転倒してしまった。
「痛っ、やっべ」
ここまで逃げてばかりだった修也がとうとう逃げられなくなった。修也はやられる事を予感した。
「さぁ、どうするのかしら?」
夏海が剣を振り上げる。修也はその場から動けない。
絶体絶命のその時、修也は奥の手を出すことにした。
空気の球を夏海に向かって打ち出す。しかし、空気の球は即座に拡散してしまい、辺りに暴風が吹く。
「くっ」
突然の暴風に夏海さんは剣を構えた腕を降ろして体を庇った。
ガタイのいい不良を吹き飛ばす程の暴風。夏海も当然吹き飛ばされる。しかし、不良のように背中から地面に打ち付けられるような無様な真似はしなかった。見事に受け身を取り、ダメージを軽減し、すぐに体勢を立て直す。
吹き荒れる暴風の中で修也は地面に押し付けられて固定され、身動きが取れない。使用者諸共影響を受けるのが難点。地面や壁を背にしないと自分も吹き飛ぶのだから仕方がない状況だ。とはいえ、夏海のリカバリーが早すぎる。風が止まないうちに体勢を整え、止むと同時に突撃を仕掛ける。
結局状況は変わっていない。修也が無様にも自分の暴風で動けなくなり、立ち上ろうにも間に合わない。むしろ状況は悪くなっているとも言える。
今度こそ万策尽きた修也は何の抵抗も出来ない。そして、剣が修也の脳天目がけて振り下ろされる。
「はい、おしまい」
剣がポコッと修也の頭に激突した。どうやらこちらの剣もちゃんと玩具になっていたようだ。お蔭で修也は死んでいない。
修也は手加減をされた挙句、負けるという情けない自分の姿に憤りを隠せなくなり、拳で地面を殴りつけた。
修也は死んでいないが、蓮華の生死は怪しい。
あれからおよそ二分が経過している。不意に投げ込まれた水中で何分も潜っているなんて常人には無理だ。
「もしかして……マズイか?」
投げ込んだ張本人の大和も不安になってきてしまっている。大和としては地面に叩きつけるよりマシだと考えて池に投げ込んだのだが、もしかしたらマズイ選択をしてしまったのかもしれない。
水中にいる蓮華は溺れているのではなかった。
投げ込まれた時に作った気泡が蓮華の口元に張り付き、呼吸自体は出来ている。しかし、現在の蓮華は水中に投げ込まれた時のショックで気絶している状態に近かった。
蓮華はカナヅチだ。幼少とはいえ、溺れた過去があるのだから当然だろう。そして、もちろん水が怖い。水を操作する能力を持ちながら、なんという皮肉だろうか。
「え?何?」
蓮華の意識が戻った。どうやら少しだけ記憶が飛んでいるようで投げ込まれる瞬間の記憶は無い。だが、大和によって池に投げられた記憶は鮮明に刻み込まれていた。
「み、水!?」
体を包む水の感覚を感じて拒絶反応が起こる。
意識が再び薄れると同時に、蓮華の中からグツグツと熱湯の様に煮え滾る感情が湧き上がってくる。
「そ、そろそろマズイよな」
蓮華の不意打ちを警戒していた大和だが、本当に溺れている可能性を考え、救助に向かおうと一歩踏み出す。しかし、踏み出そうとしたその足は前方から放たれる異様なまでの威圧感によって止められた。
池の中に蓮華の姿があった。水深は蓮華の腰辺りまでしかないようで、平然と立っている。しかし、池の水に濡れ、顔に張り付いた髪が不気味さを醸し出していて、まるで池に潜む霊のようだ。
蓮華の脳内は怒りで満たされていた。水中に投げ込まれたことでトラウマが刺激され、感情のタガが外れたようだ。
蓮華がゆっくりと右腕を上げる。右手の指が大和を指し示す。すると、蓮華を濡らしていた水諸共蓮華の周囲の水が拡散して無数の水玉となって浮かび上がり、大和へ向かって飛んでいった。その途中、水玉は形を変え、針のような形を取る。
「これは……些かやりすぎたかな」
大和が手をかざすと地面に転がっていた剣がひとりでにその手に収まった。よく見ると剣の鍔から持ち手の代わりに細い紐のようなものが伸びており、大和の手首に繋がれていた。しかし、大和は紐を手繰り寄せるような動作はしておらず、ひとりでに手に収まるというのは不可解だ。
だが、状況はそれどころでは無い。暴走状態に陥っている蓮華を止めるのが最優先と言えるだろう。
大和が先程の水玉と同じようにして剣で水の針を撃ち落とす。しかし、元となる池の水が多いだけあって、水の針も数が多く、流石の大和も捌ききれない。
遂には水の針のうちの一本が大和の肩を掠める。針が服諸共表皮を切り裂き、服に僅かに血が滲む。
「大和!」
修也を負かした夏海が駆けつけ、大和に向かって剣を放る。大和がその剣を受け取ると、途端に剣は鉄塊に変わる。そして手にしていた剣もまた鉄塊となり、大和の前方へと薄く広がっていく。先程まで剣だった物は一枚の盾へと姿を変えた。
盾は駆けつけた夏海ごと大和を針の雨から守る。そうしている間にも次々と針が突き刺さっていく。しかし、夏海が盾を撫でると、途端に盾は針を弾いた。
「どうする?」
大和の声色や瞳は真剣なものに変わっていた。夏海の瞳もまた、真っ直ぐに大和を見つめ返している。
突然の事態にも関わらず、実に冷静だ。流石は実践を積んだ現代の兵隊と言ったところだろうか。
「左右に展開して意識を逸らしましょう。どちらかに集中すれば占めたもの。錯乱状態ならば少しでも衝撃を与えればショックで気絶するかもしれない。もしもダメならもうちょっと手荒い方法を使うかも」
「了解した」
夏海の提案により考えは纏まった。そして、もう一度夏海が盾を撫でた後、
「散!」
大和の掛け声で二人は同時に左右へと走り出す。その瞬間、盾は二本の剣となって二人のそれぞれの手に収まっていた。
蓮華の目は一瞬迷った後、大和を追った。針の雨は大和の方へ向き、蓮華は夏海の方へ背を向けた。どうやら投げ込んだ大和に怒っているだけで夏海には興味が無いらしい。
針の雨は走る大和を追いかける。針の雨が大和に追い付き、大和の脚に数か所の傷を付ける。大和の体に痛みが走るが、その顔はそのようなものは感じさせない程冷やかで、蓮華と水の針の一本一本を見据えている。
その間に回り込んだ夏海は池へと突入した。水とぬかるんだ池の底に足を取られてなかなか近づけない。
そしてようやく剣の攻撃範囲内まで近づく事が出来た。踏ん張りが効かない中でも剣を振りかぶる。
「ん?」
グングンと大和へ迫っていた針の雨が一瞬だけ止んだ。
針の雨は一瞬だけ止んだ後、大和の進路を予測して大和の前方目がけて降り注いだ。
「そう来るか。単調な行動を取っていた私のミスだな」
まさに八方塞。前後左右、上下ですら逃げ場がない。どこへ逃げようとも針の雨。針の密度から考えても十分に人を死に至らしめる出血となるだろう。
しかし、大和は逃げようとしなかった。夏海を信じて。
「落ちなさい……」
氷刃のような冷たく鋭い言葉と共に剣が蓮華の後頭部目がけて振り下ろされた。パコンという軽い音と軽い衝撃。それでも錯乱した蓮華に気絶するだけのショックを与えるには十分だった。
途端に操作者を失った水の針は大和に当たることなく地面に落ちた。
意識を失った蓮華の体も前のめりに倒れこむ。蓮華の顔が水面に付く寸前、夏海が蓮華を抱き留めた。
演習は終了。結果は修也と蓮華のボロ負け。実践経験を積んできた人間と、一般人だった人間の戦いだ。当然の結果と言えるだろう。
「良い面としては、上笠修也は反射神経がある程度優れていると見られます。とはいえ、逃げに徹した挙句あの悪手。その場での適切な判断能力が足りていません。現状では結果通りに佐治大和と佐治夏海、どちらの足元にも及ばないでしょう。水無月蓮華は能力の操作に関してかなり精密な操作が出来そうですが、操作する水の容量が圧倒的に足りていません」
巨大なモニターを前に路乃が分析をしている。良い面と言っている割には悪い面が漏れなく付属する。褒めているのか貶しているかわからない。
「見ての通りですが、悪い面が多く、上笠修也は能力自体が不完全。基本的な身体能力も平均程度。水無月蓮華はまだトラウマを克服出来ておらず、精神が不安定で、身体能力はほとんど無いものと見られます」
「前途多難だな。だが、操作系の能力はかなり伸びしろがある。今後どれ程の成長をみせるのか楽しみだ」
横で見ていた村田が共に考察をする。
村田の言うように能力は成長する。修也の能力もより有用な能力へと成長する可能性がある。
あくまで可能性の話。このようなザマでは将来的に未来を変えられるとは到底思えない。いつまでもめんどくせぇなんて言っているようではもちろん無理だ。もっとも、今回の一件で修也もやる気を出さざるを得ないだろう。蓮華ですら汗水流す努力を惜しむわけにはいかない。それ程の大敗なのだ。
敗北の経験はより上を目指す励みになる。それと同時に、戦うという事がどういう事なのかを知っただろう。これから命のやり取りをするのだという事を。