晴れは似合わない
「いい天気ね」
快晴。
午前の仕事が終わったお昼時。職場のビルの屋上。
空になった弁当箱に蓋をし、私は空を見上げた。
「ホントだね」
同じく弁当の中を空っぽにし、取り出したスマホを弄っていた音葉は下げていた視線を上に向け、いつものゆったりとした口調のままぽかんと口を開けた。
私は視線を音葉のスマホに向ける。仮面ライダーのようにスカーフをまいた茶色い小熊がちらちらと揺れていた。
「ホント好きだね」
私がそう言うと音葉は「あ、ヒーローベアー?」と私のほうに挨拶するように小熊をつまんでひょいひょいとかわいらしく動かして見せた。ヒーローベアーは今彼女が一番お気に入りのキャラだ。
「にしても、暑くなってきたわね」
「だねー」
「とろけちゃうね」
「ちゃうねー」
気のない返事だなと思ってみれば、音葉はすいすいとスマホを指でなぞっている。
「何してんの?」
「窓ふき」
「指紋べったりだよ」
「あらら、こりゃいけない」
――見れば分かるでしょうが。
なんとも間抜けな子だ。慣れてしまえば何てこともないが、間抜けである事に違いはない。
そして、この子がわりと嘘つきである事も。
「ゆうき君?」
そう言うと音葉はびくりと分かり易く肩を動かした。
「あ、えーと」
「やめなよ、嘘下手なんだから」
「あ、うん。そうなの」
とは言っても、だいたいの所見当はついているのだが。
「うまくいってないの?」
「んー……」
肯定の反応。
あーあと、私はため息をつく。
ゆうき君。音葉の彼氏。私も何度かあった事がある。
決して男前ではないが、虫も殺さないような優しくほがらかな、ほんわりとした音葉とはぴったりな男の子だ。
「返事、返ってこないんだよね」
「無視?」
「むっしんぐなの」
ふーん、それは困ったねと他人事全開に私は口にする。
「ゆうき君がねえ」
あまり人の連絡を無視する彼の姿は想像出来ないが、何もなしにそんな事をするような子ではおそらくないだろう。
「おと、何かしたんじゃない?」
「ええ? みづき、敵側?」
目を薄めて音葉は私を睨みつける。
「図星?」
「違うし!」
ぶんぶんと音葉は首を横に振る。
それはそれはもう、そのまま頭が吹っ飛んで屋上からロケットダイブしそうな程に。
「そこまで否定すると逆に怪しいわよ」
「違う! 違う! 違―う!」
「もうそうとしか思えないわよ」
まあなんでもいいかと思う。実際この子は何かした。
それはもう十分分かってる。この子はそういう子だ。
「あのさ」
「ん?」
なんとも平和な日常だ。
青い青い空。
どこまでも突き抜けるように、嫌な事も悩みも何もないぞと言わんばかりの青。
「ヒーローベアー」
「ん? これ?」
再び音葉はスマホのヒーローベアーを手にする。
「違う違う。私が前にクッキーと一緒にあげたやつ」
「あ、あれ! すっごくかわいかった! ホントありがとうね」
「こちらこそ、大事にしてくれてありがとう」
私が手作りのクッキーを音葉にあげた時。
クッキーのバスケットに少し大きめのヒーローベアーを添えてやった。
気に入るだろうと思った私の予想は簡単に的中し、あげたその時も音葉は大いに喜んでくれた。
――ちゃんととっておいてくれたんだね。
「気に入ると思ったんだよね」
「いやーもうかわいすぎだね、あれは」
うんうんと頷く音葉を私は見つめる。
――そろそろ、休憩時間終わるな。
「あのさ、来週の土曜って空いてる? 買い物行こうよ」
「あ、来週はごめん。先約あり」
「あっそ。んーじゃあ、その次の日曜」
「ごめん、そこも駄目。もー美月、狙ったようにあたしの予定あるとこばっか狙い撃ちだね」
晴れ。
「うん、狙った」
青空。
「え、嘘?」
――晴れてんじゃねえよ。
「だって両方とも、信也とデートに行くんだもんね」
「……え?」
音葉の空気が固まった。
――ホント、分かり易い女。
「気付いてないと思ってた?」
「へ……え、みづ――」
絵にかいたような狼狽がおもしろくもあり、たまらなく腹立たしくもあった。
「バレてないとでも思ってたの?」
舐められたものだ。
いや、単に頭が足りないだけなのか。
嘘をつく頭があっても、それがバレないようにする頭はないのだ。
「全部知ってるよ」
全部。ぜーんぶ。
信也の様子が怪しい。音葉の様子もおかしい。
女の勘が働くのはいい事だが、その結果がもたらすのはいつでも幸運ではない。
「気に入ってくれると思ったんだよね、あのヒーローベアー」
「……?」
「ちゃんと部屋に置いてくれてたから、全部ばっちり聞こえたよ」
足りない頭でもさすがに分かったのだろう。
音葉の目は大きく見開き、私から少し体を遠ざけた。
「……嘘」
「嘘ついてんのはてめえだろ」
こんな汚い言葉遣い久々だ。
でも、なんだか。
とっても心地いい。
「人の彼氏と浮気してんじゃねえよ」
こいつは割と、嘘つきだ。
「あ、もう時間だ」
時計の針が13時を指そうとしていた。
その前に、教えてあげないと。
「それとさ、あんたがさっきからずっと待ってるの、信也の返事でしょ」
「……」
「よくもまあ、私の真横でそんな事出来るわね」
「……、あ、あたし」
私は先に立ち上がり、座っている音葉を睨み下ろす。
「待っても無駄よ」
「……え?」
雨の中、怯える子犬のような目で音葉は私を見上げた。
私はわざとらしく、思いっきり口角を上げて見せてやった。
――こんな日に、晴れは似合わないね。
雨でずくずくになって、ぐしゃぐしゃになって絶望する音葉がそこにいない事だけが残念だ。
「信也、もういないから」