彼と居酒屋
一方、彼は、今日もまたパチンコで散々にすった。
午前にすって、
一旦、昼食で家に帰って
午後に再びすった。
こんなことをもう何度も繰り返している。
いくらすってすっても、懲りずに日がな一日、
特に怒るでもなく、坦々と千円札を消費していく彼の姿は、店員にも、薄気味悪く映っていることだろう。
が、彼にとっては時間つぶしが目的なのだから、今日も十分ノルマ達成ともいえる。
そんな、はたから見れば散々な夕暮れどき、一人、濡れる小道を、とぼとぼとバイト先の居酒屋に向かって歩いていると、傘をさした元気な小学生に追い抜かれる。
そのはつらつとした後ろ姿には、眩し過ぎるほどの輝かしい未来を感じる。
何を急ぐのか、雨に濡れるのも構わず、一心不乱に走るその姿は、とても美しいと思った。
実は、何の目的もないかもしれない。
でも、何も考えずに突っ走っていたら、いつか思いもしないゴールのようなものに辿りつくこともあるのだろうか?
それならば俺も!
とはならないのが彼の現状である。
あの小学生には、これからがある。
彼にはこれからなんてありそうもない。
彼には、走って駆けつけなくてはならない用事なんてものとは無縁だ。
これから向かう居酒屋のバイトだって、別に少しくらい遅刻したっても何てことないのだから。
だからもう、1年近くは走ってなんかいない。
こんな感じで、走りもせずにあと何十年過ごすのだろう。
走ればすぐたどり着くかもしれない目的地に、たらたらと歩いていては、なかなかつかないもどかしさ、めんどくささを、彼は、人生そのものに感じていた。
店が開くのは、夕方の5時だが、仕込みやらなにやらの料理の手伝いは出来ないので、開店前に椅子を並べたり、食器や調味料をテーブルに並べる程度の準備を手伝う。
「こんな天気じゃ客も来ないな・・・」
勝手にそんな期待してのんびり準備していると、いつかの間、開け広げた入り口から店内に光が差し込んできていた。
夕暮れの時の傾いた日差しが、遠慮なく店内の奥まで差し込む。
『お酒は楽しく、肴は美味しく』
いつの頃からか座敷席の柱に掛かっている掛け軸の文言が茜色に照らし出される。
掛け軸といっても、父親が自分で半紙に書いたものを、それらしく掛け軸風にしただけのものであった。
カウンター席が6席。
あとは座敷席が2テーブルの狭い店内である。
彼が来るまで母親が丹念に掃除していた店内は、清貧な空気に満ちていた。
開けはなれたドアから入りこんでくるちょっと冷たい外の空気もすがすがしい。
パチンコ屋で隣の客の吸うタバコの煙をめいっぱい吸いこんだ肺を清浄化してくれているようだ。
「今日は、何だかいいことあるかも・・・」
具体的に期待している、期待したいことがあるわけでもなくても、何だかそんな淡い、漠然とした期待を、可能性を感じる感性を、彼はまだ持ち合わせていた。
が、そんな感性を打ち砕くかのように、開店時間早々に、近くのマンションに住む一人の老人が早速入店してくる。
正直彼は、その老人が苦手だった。
日がな一日中暇を持て余しているその老人は、見境なく店内の客を物色し、あれこれ詮索するのが趣味なのだ。
客が居ないときの標的は当然彼である。
「どうだ、もう就職はきまったか?」
決まっていたらこんなところでバイトなどしているわけがない。
「うちの孫は、まだ大学3年生なのに、もう東京のどこそこに内定をもらった」
「彼女は出来たか?」
「俺がお前の歳の頃は、もう結婚していた」
「親父さんも大変だな。いい年してまだ一家全員養わなきゃなんだから」
「俺は、息子が買ってくれたマンションで悠々自適に一人暮らしだ」
こちらの返答などおかまいなしに、矢継ぎ早に質問しては、勝手に自分の話を始める。
悪い人ではないかもしれないが、至極面倒である。
「ええ、まぁ」
愛想笑いでごまかし、店の奥に引っ込む。
別にこんなことで傷ついているわけではない。ただめんどくさいのである。
「あとは親父が適当に相手をしてくれるだろう。」
この老人が居る時はいつもそうしていた。
客が一人なら父親一人で十分なのである。
が、さすがに6時を回る頃になると客も入り始め、彼も店に顔を出さざるを得ない。
6人連れの家族が座敷席に座る。
何かのお祝いであろうか。
小さな子ども2人と、両親、そしてその祖父母。
田舎町の典型的な家族構成である。
カウンター席に年配のサラリーマンの二人連れと年老いた見慣れぬ女性一人。
さらに、ここ最近月に何度か来店する若くもない3人組が入ってきた。
「おや?」
と思った。
いつもなら奥のカウンター席の角席を挟んで座り、注文から何からすべて父親におまかせの客である。
父親も調子にのってか、毎度毎度、研究中の新作を彼らで実験しているようだった。
「これは真っ赤に熟したトマトに香辛料とパン粉をまぶして、さらにオーブンで焼いてみたものです」
とかなんとか、いっぱしのシェフ気取りで説明している。
そんな彼らが座るはずの場所はもうない。
どうするのかと、ぼーっと眺めていると父親が
「お座席にお通ししろ。あと、今日はお前が担当しろ」
めずらしいこともあるものだ、と思ったが、逆に彼にとっては幸いだった。
なぜならカウンター席には、あのうるさい老人がまだ居座っている。
その3人組の客にとっても幸いであったことだろう。
なぜならそのうちの一人は、老人の興味を引くに十分な事情を抱えていた。
つづく




