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僕と姪の平日の昼下がり(後篇)

その言葉の鋭さに、

冷たさに、ドキッとした。


何の遠慮もない子供の言葉は、時に大人の心を深く、深くえぐる。


無為に出た、本当は何の意味も持たない言葉なのに。

ただただ一時の感情にまかせてこぼれた、本心とは程遠い言葉なのに。


もし大人の口から出た言葉ならば、まだ救いがあるかもしれない。

きっとその言葉の真意が他にあるに違いないと思い直すこともできる。

だが、子供の言葉にそれを期待することはできない。

赤裸々に出た正直な言葉。

言った本人にそんなつもりはなかったとしても、そう捉えてしまう。

それが本心だと。


結構、大人もギリギリのところでやっている。


唯一安心して、ほっとしていいと信じ切っていた相手から、突然こんな鋭い刃を付きつけられたならば、いくら気丈な姉であっても、いや、気丈に振舞っている姉だからこそ他の誰よりも余計にあっさりと心が折れてしまうかもしれない。


ただの甘えと言ってしまえば済むのかもしれない。

だけど親も子も、ときにその余りにも固い絆に甘え、寄りかかってしまう。

本来何の条件もいらない無償の愛で繋がっている唯一のもののはずなのに、 自分の要求を、希望を、相手が受け入れることがその絆の、愛の証なのだと錯覚する。

そして、その要求が通らなかったとき、ポロっと甘えが出る。


言わなくてもいい一言。

言うべきでない一言として・・・


ときに、その強烈な一言で、相手の意思を自分よりに捻じ曲げようとし、

ときに、その作戦は成功する。

いや、成功したかのように見える。

だが、実際には、修復し難い深い闇を、亀裂を二人の間に生じさせてしまうこともある。


「果たしてこの人は私のことを愛してくれているのだろうか?」


それまで不要だったそんな心配を、疑問を、まるでその他多数の他人との関係性と同じように、親子の間に生じさせてしまう。


冷や汗がでる。


今、そこにある当たり前の幸せだけど、でもそれは、だからこそとても儚く、もろいものなのかもしれない。

僕たちが想っているより、もっとずっとずっと大切に扱わなければならないもののはずだ。


怒り心頭の人間に、口出しするのは勇気がいる。

骨が折れる。

そもそも、人を言葉で説得などしたこともない。

出来るとも思わない。


それでも、僕は今、彼女に対して何かを言わなければいけない。

伝えなければいけない。


だが、母のありがたみとは何たるか、などと説得する気などさらさらない。

ただただ、事実を、彼女の身の回りで起こった出来ごとを、そのまま伝えることにした。


出来るだけ穏やかに、

出来るだけ何事でもないかのように語りかけてみる。


「でも・・・」


何故かこちらが胸をドキドキさせる。


「でも、お母さん、毎朝、ご飯作ってくれるよね」


トンチンカンな事を言いだしているのかもしれない。

姪も、一体何の話しだろう?といった怪訝な空気で鉛筆の動きを一瞬止めるが再び何か、おそらく漢字の練習を続ける。


「今朝だって、誰よりも早起きして、

 冷たいキッチンで一人、

 朝ごはん作ってくれたよね」


確かにこの朝、3月だというのに随分冷え込んだ。


「う、ん・・・」


鉛筆の動きがとまる。


「でも、どんなに寒くたって、どんなに朝早くだって、

 お母さんは、いやいや作ってなんかいないよ。

 絶対に」


「なんで?」


「だって、みんなに、美味しい朝ご飯を食べてもらいたいから。

 だって、みんなのことが大好きだから。」


「私のことも?」


不安そうな声で尋ねる姪。


「当たり前じゃん!

 この前の遠足のときだって、すっごく可愛いお弁当作ってくれたじゃん。

 えっと、確かパンダさんのおむすびとか、タコさんウインナーとか、えぇ っとあとは・・・」


「リンゴのうさぎさんと、熊さんハンバーグ」


即答する。

姪にとっても、よほど嬉しかったのだろう。

あの夜は、夕食の席で何度も何度も姪から聞かされた話だ。


「美味しかった?」


「すっごく! すっごく可愛くて、すっごく美味しかった。

 先生も友達も、みんなすごいって誉めてくれて・・・」


あの夜は、姉も空っぽになったお弁当箱を洗いながら、


「ちょっと作りすぎちゃったと思ったけど、綺麗に食べちゃって!」


なんて嬉しそうに呟いていたのを覚えている。


「そか、お母さんもお弁当作るのがすっごく楽しかったんだよ。

 お弁当開けた時、どんなに喜んでくれるだろうか?なんてわくわくしなが ら作ったんだよ、きっと」


「・・・」


「秋に風邪引いて熱が出た時は、だっこしてお医者さんに連れて行ってくれ たね。」


100mほど先にある、車で行くには近すぎ、小学生の子供を一人抱えて歩くにはまぁまぁある町医者であった。

インフルエンザやらノロやら流行っていた時期だけに、みなそれなりにあわてた事件であった。


「・・・夜は、ずっと手を握っ・・・」


最後は震えるような小声になってよく聞き取れなかった。


「お母さん、すっごい心配してたよ。

 だって、あんなに熱が出たの久しぶりだったもん」


「・・・」


返事は無い。

再び静寂の時が訪れる。

今、この部屋で聞こえるのは

雨の音と、時計の音。


パタパタと小雨が屋根を打ち、コッチコッチと時計が時を刻む。


それはほんの数秒だっただろう。

だけど僕には永遠に感じた。

永遠につづく沈黙。

その沈黙が姪のかすかな声で破られる。


「・・・おかあさん・・・」


鼻水混じりの声だった

消え入りそうな小さな小さな声で、姪が呟いた。


「おかあさん帰ってくるかな?」


果たして僕の伝えたかったことが伝わったのか、それはわからない。

でも、それまで部屋を支配していたピリピリとした感情が消え、なにかこう、胸のそこから湧き出でるような、暖かく、熱い感情でだんだん部屋が満ちていくのを感じる。


僕に出来るのはここまで。


「すぐ帰ってくるよ。夕飯の買いもの行っただけだし」


「ほんとう?」


「うん。ほんとう、心配だったら、お母さんが帰ってきたら抱きついちゃ  え!」


びっくりする姉の姿が目に浮かぶ。


「・・・うん」


素直か。


「よし、じゃあ、それまでに宿題済ましちゃおう」


「うん!」


とたんに元気な声に変った。

いつもの調子が戻ってきたようだ。

鼻水をするる音に混じり、再びリズミカルに鉛筆の滑る音が聞こえ出した。


甥も安心したのか、途端にTVの電源を入れる。


「いやいや、宿題終わるまで待とうよ」


二人で突っ込む。



つづく


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