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僕と姪の平日の昼下がり(前篇)

午後3時半頃になると、玄関の戸が勢いよく開く。


「ただいまおなかすいたっ!」


姪の帰宅である。


別にたった今お腹が空いたという意味ではない。

随分前からお腹が空いてはいたが、とにかく帰宅したことの「ただいま」、

と一刻も早くおやつをくれと言う意味の「おなかすいた」、が一つの単語として発声されただけのことである。


「おなかすいただいまっ!」


ならば一文字省略出来るから、より効率的なのだが、さすがによく躾けられているだけのことはある。

まずは、「ただいま」から、という点も付け加えておきたい。


それにしても、びっくりするくらいのこの田舎では、最寄りの小学校まで片道2km以上もある。

学校の終了時刻から考えると、小学2年生にして2km以上の道のりを約15分ほどで駆け抜けてきたことになる。

この調子でいけばきっと今に日本一、いや東海一、もといこの町一番のすばしっこい娘になれるかもしれない。


なったからどうだと言う話ではある。


ところで、一体何を急いで帰って来たのかと言へば、どうやら母親、つまり僕にとっての姉と夕食前の買い物に一緒に出かけたいが為だったらしい。


「私もいく!」


が、だめ。


「あんたは、夕飯までに宿題を済ませて、おじちゃんとお散歩に行っておきなさい」


一喝。

おじちゃんとは僕のことである。

ここ最近、日がな一日中家に引きこもっている僕を少しでも外に連れ出そうと夕飯前に散歩に連れて歩くのが姪の役目になっている。

実は子守をされているのむしろ僕の方なのだ。ここだけの秘密である。


「宿題は夜やるから・・・」


食い下がる姪と、却下し続ける姉。

姪の言い分としては、今日買ってもらう約束をしていた色鉛筆を自分で選びたい、とか。

まぁ、よくある母娘の一コマではある。


「この前見てた24色のでしょ。わかるから。あんたは宿題と散歩」


が、引き下がらない。


「私が一緒に行かないと駄目なの。違うの選んじゃうかもじゃん」


が、駄目!


「まずは、自分のやるべきことをやりなさい!」


もうひと押ししてみる姪


「でも、ただの24色のじゃなくて・・・」


「いい加減にしないとお母さん怒るよ」


あまりのしつこさにかなりピシャリと姉。

なんだか申し訳なくて、恐る恐る助け舟を足してみる僕。


「散歩なら今日はいいよ。天気悪いし・・・」


「あんたは黙ってて!」


ついでに僕までピシャリとされた。


「お母さんと約束したよね。

新しい色鉛筆買う代わりに、これからは毎日、夕ご飯前に宿題を済ますこと。その後、おじちゃんと弟を連れて散歩にいくこと。この前、ちゃんと約束したよね?」


約束を守ることの大事さを躾けているらしい。

しかしそれにしても、この容赦なく厳しい条件は一体?

これだと友達と遊ぶ時間がないんでは?


親子とはいへ女同士の戦い。

一言一句をも聞き逃さないようなピリッとした空気。

失言は命取りである。


男はこの空気の緊張をニュータイプの感で察知する能力を併せ持つ。

TVに集中してみたり、急激に睡魔に襲われたりしてみる。


その後も、もごもごと繰り返されるやり取り。

が、姉による圧倒的正論。

この正論に抗するほど言葉を、小二の姪は持ち合わせてはいなかった。


「わかったよ、もういいよ・・・やればいいんでしょ、やれば!」


ついに投げやりな応答になる娘に対し、さらに追い打ちをかける母


「なあに?その言い方。あんたから自分でやるって言いだしたんじゃない」


沢山の色がある色鉛筆に憧れる気持ちはわからないでもない。

が、それにしても自分からわざわざそんな過酷な条件を言い出しすとは?

奇特な姪である。


「もういい!、うるさいなぁ。早く行けばいいじゃん」


どちらかと言へば、かなり聞きわけの良いはずの姪が、この日、何故そんなにもごねたのかは不明である。

が、とにかく、姉はそれ以上何も言わずに出かけて行った。

むしろ無言のプレッシャーである。

が、逆にこれが恐ろしい。

女の武器は涙だけではない。


無言というもう一つの鋭い刃をもっている。


姉の去った後、未だ憤懣やる方ないのは姪。

むしろ最後の暴言とも言える言葉にたいし、何の反撃もなく無言でやり過ごされたことが、どうにも不安で、逆に腹が立つらしい。


ドスドスと二階に上がると、勉強道具をもって降りてきた。

どかっとリビングのテーブルに筆記用具をぶちまける。


「いっつもこう・・・」


一人で怒っている。

僕と甥の二人は、怒りの矛先がこちらに向かないよう、TVの電源を消し、ひっそり息を潜めている。

しとしと降る雨の音が沈黙の室内を支配し、柱時計の振子の音が、コチコチとこだまする。


「何で私にばっかり・・・」


お姉ちゃんやお兄ちゃんというものは、大概いつもこんな我慢をしいられる運命なのである。

が、小二の姪にはそんな運命を甘受しなければならない道理などわかるはずもない。


このピリピリした空気を如何に弛緩させようか?


などと一人密かに思案していると、まるで棚から花瓶がするっと滑り落ちるかのように冷っとする一言が、姪の口からこぼれ落ちた。


「帰ってこなくていいのに・・・」


ああ・・・それ以上は・・・

それ以上は言っちゃだめだ・・・


僕が咄嗟に心で思っても、滑り落ち行く花瓶を拾い上げることなど出来るはずもなく。


「いなくなっちゃえばいいのに!」



ドキっとした。



つづく

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