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もう一つの小石(前篇)

「あの親父が、あのお客さんの為に?」


彼は驚いていた。


「てめぇのことは、てめぇでなんとかしろ」


の親父が、である。

頼まれもしないのに、一人の客の為に、色鉛筆で色の勉強?

じゃ、あの自称創作料理自体も、あのお客さんの為?

小鉢で食べやすい盛り付けにする為に・・・


いやいや、まさか・・・

彼は、なかなか信じられないでいた。

自分の息子には、なんの関心も見せたこともないような父親が、客とはいへ、赤の他人にそこまでするもんだろうか?


ちょっと、わけがわからない。


でも、もしかしたら・・


などと動揺していると、ちょっとしたもめごとが起こっていた。

居酒屋では、よくあるささいなもめごとだった。

あの客が、目の見えないというあの客がトイレに立とうと座敷席から降りた際、足をおろした場所に、たまたま座敷用サンダルが横に倒れていた。


それを綺麗に並べておくのは、彼の仕事だ。


ガタっという音とともに、その客は倒れ込み、はずみですぐ近くのカウンター席に座っていた客の肩に手を掛けた。

よりによって、あの老人の、である。


「なにすんだ!?」


突然、肩を掴まれた怒りからか、思いのほか激しい声で老人は怒鳴った。


「す、すみません・・・ 大丈夫ですか?」


その客は、申し訳なさそうに、小さくなって老人に謝る。

が、当然そんな謝罪を易々受け入れる老人ではない。


「見りゃわかるだろ。見ろここ、酒がこぼれてびしょびしょだ」


ちょうど呑みかけていたおちょこの熱燗が少しだけこぼれた。

確かに多少は濡れているようだが、はっきり言って大げさである。


「あ、すみません。よろけちゃって。」


彼としてはひたすら謝るしかない。


「すみませんじゃないだろ、ほらここ、ズボンまで濡れちゃって」


「あ、あの失礼じゃ無ければクリーニング代を出させていただけませんか?」


あんな安もののズボンなんて、ドロ水で洗えば十分だろ。


「クリーニング?金出しゃいいってもんじゃないだろ。だから見ろって、ここ。

 シミになるなこりゃ。洗ってもだめだだな、これは」


彼には見たくても見れない。


「ええ、すみません、ちょっと見えなくて」


「見れないってどいうい・・・ん?なんだ?おめー、目が見えないのか?」


老人もようやく、その状況に気付いたようである。

彼には、そのときの老人の目が妖しく光ったように感じた。

絶好の獲物を見付けたときのハイエナのような、厭らしいよどんだ光を。


「ええ、そうなんです。だから、どれだけ濡れてしまったのかわかりません」


そもそもサンダルをちゃんと揃えておかなかった彼の責任でもある。

彼も、自分が間に入るべきだろうかと思ったが、何となく躊躇した。


「目が見えないんじゃ仕方がねぇか、とはならないよ?兄ちゃん。わかるよな?」


さっきよりさらに陰惨で、下卑た顔の老人。


「もちろんです」


「それにしても・・・・」


老人は、その客の頭のてっぺんからつま先まで、舐め回すように眺めてから

ポロっと口走った。


「大体、目が見えないんだったら、こんなとこ来ちゃだめだろう?」


「え?」


彼でさえ、え?と思った。

何の話だ?と


「だって、そうだろ?ただでさえ、みんなに迷惑かけてんだから。

それが、こんなところで呑気に酒なんか呑んでちゃいけない。」


「ちょっと!」


3人連れの女性の方が、気色ばんで立ちあがる。

老人はその女性の方を振り向いて話し続ける。


「家族だって大変だろ?親だって迷惑してるはずだ」


「そ、そんなこと、あんたには関係ないだろ!」


もう一人の友人も、立ち上がり一歩前に踏み出そうとする。


「関係ないことないだろ?実際俺はずいぶん迷惑かけられている」


険悪な空気が充満してきた。

が、その時、その二人の友人を手で制し、父親が語りかけた。


「お兄ちゃん、トイレ行く途中だったんだろ?

もういいから、はやく行ってきな。次の料理が待ってる」


老人のことは無視のようだ。


「え、でも・・・ 」


その客も困惑する。

このまま老人の件をほっといて行けるわけはないと。


「昨日の晩に思いついた、『サメとワニの合挽き肉団子』を試してもらいたいんだよ。」


食物連鎖の頂点目指すにも程がある。


「すみません、僕、やっぱり帰ります」


・・・帰った方がいいかもしれない。


「どういう意味だよ?」


苦笑しながら突っ込む父親。


「い、いへ、そういう意味じゃなく・・・ 騒がしてしまったので、その・・・」


「なんだ、そんなこと。気にすんな気にすんな。はよトイレ行ってきな。」


「で、でも・・・」


「だから、いいって」


こっちはこっちで新たな押し問答が始まる。


「親父さん、この兄ちゃんが帰るってんだからいいじゃないか。」


ないがしろにされていた老人が口を挟もうとする。


「じいさん。あんたは黙っててくれ。俺はこの兄ちゃんと話をしている。」


「え?」


「さっきから聞いていりゃ何だ? ちょっと酒がこぼれたくらいでギャーギャー騒ぎやがって」


思わぬ攻撃的な親父にたじろぐ老人、

そして、彼とその客も固まる。


「な、何言ってんだ?悪いのはこいつだろ?」


「いいか、この店のルールは、そこにある張り紙に書いてある。見ろ。

『酒は楽しく、肴は美味しく』

 だ。」


また、トンチンカンなことを言い出す・・・

良い歳したおっさん達ばかりがあつまるこんな居酒屋に、なんとも相応しくない幼稚な言葉の張り紙・・・


その時、不意に中学三年の春にあった、ある出来ごとを思い出した。

彼も、まだ夢と希望に満ちていた頃。

受験の学年を迎え、少し大人になった気がしていた、

期待と緊張の入り混ざる新学期初日。


午後のホームルームでクラス委員やらなんとか係やがら大方定まったあと、そのクラスの、ちょっとひょうきんで、やたらポジティブだった担任教師が決めたクラスの標語が、


『給食は楽しく、授業は真面目に』


だった。


「中三にもなって、なんて幼稚な標語!」


あざ笑いながらも、それでもどこか痛快な気分も入り混じり、夕食のとき家族に、ちょっと自慢げに話した。

母親は、


「楽しい先生ね」


なんて笑って答えてくれたが、果たして父親はどうだったか・・・


・・・どうせいつもの無関心だったはずだ・・・


否。


ちゃんと聞いていてくれていた。

聞いていてくれたどころか、その標語が気に入って、ちょっともじってお店の壁に掛け軸にして貼ってあった。


今頃ようやくその掛け軸の意味がわかった。


なんだ、ちゃんと見ていてくれてたんだ・・・



「この店に来る客は、若かろうが歳よりだろうが、

 おしゃべりだろうが、無口だろうが、

 目が見えようが、見えまいが、

 そんなのまったく関係ない。

 ただ、酒を楽しく呑んでくれて、

 俺の料理を美味しく食べてくれたらそれでいい。

 ただ、それだけだ」


あとお勘定もニコニコ現金払いなことも付け加えよう。


「今の、あんたの酒は楽しくないな・・・」


じろりと老人を見て言う。


「だ、だから、楽しくなくしたのはあいつ・・・」


狼狽する老人。

さらに畳みかける父親。


「俺はな、

 他人のささいな非を見つけては、

 高みから糾弾するような奴が大っきらいだ。

 てめぇは、大した被害も受けてないくせに、

 周りを見渡して、誰にも文句を言われないことを確信してから、

 相手が反撃してこないことを確信してから、

 圧倒的に有利な立場に居ることを確認してから、

 めったくそになじる。

 ぼろくそに叩く。

 そういう奴が本当に大っきらいだ。

 そいつらは他人から諌められると決まって言う、

 

 『だって、あいつが悪いんじゃないか』

 

 ってな。」


静まりかえる店内。

カウンター席の客も、

座敷の家族連れも、

彼と、そして当の本人とその友人達も、

一体、どうなることかと固唾を呑んで見守るほかない。

子供達さえ、ただ黙って座っている。


「あんたもそのくちか?」


普段無口なだけに、押し殺したようなその声には妙な凄みというか、迫力があった。

そう問われては返す言葉もない。


「別にそういうわけじゃ・・・、ただ・・」


口澱む老人。


「この子は、これからトイレにいって、特製肉団子を食べる。」


言いながら老人の席にあった冷めた徳利を、程良く燗された新しい徳利に、そっと交換する。

もちろん、音をたてないように。


 「それでいいですね?」


これは内緒のサービスで・・・

の意味で唇に人差し指をかざす。

緊張からの緩和。

気勢をそがれた老人が白旗を上げる。


「ああ、いいよそれで・・・

 兄ちゃん、悪かったな。少し言い過ぎた。」


必ずしも悪い人ではない。好きにはなれないが極悪人というわけではない。

他人のことに口出ししすぎるのだ。

勝ち馬に乗った途端に調子に乗りすぎるだけなのだ。

もう少し、黙っていてくれたら彼もビールの一杯くらい注いであげても良いのに、と思う。


「い、いへ、こちらこそ本当にすみませんでした」


その客も状況がよくわからないまでも、何とか場が収まったことに安堵したようだ。


・・・見事な大岡裁きとでもいうのだろうか。

言いたいことを言うだけ言って、

何故か丸く収めてしまった父親を、

彼はこれまでとは違った目で見ていた。


一気に店の空気がなごんだ。

みな、各々の料理に手を付け始める。

その客の友人も親父に一礼して、再び座敷に座り直す。


「パチパチパチ」


突然、家族連れの二人の子供が、拍手をし始めた。

あわてて止めにはいるその両親。

だが、みんな同じ気持ちであったことだろう。


「どうもお騒がせしました。」


店内にむかってお辞儀する父親。

彼もそれにならって、お辞儀する。


「お詫びに皆さんにビール1本づつサービスします。」


今度は、皆が拍手する。

それまでの沈黙を取り返すべく大喝さい。


「ビールなんかいらな~い」


笑いながら、遠慮なく文句を言う子供達。

親父が満面の笑みで応える。


「お子様には、特製しらすプリンを進呈します」




つづく


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