ミクラエドからの来客
招き入れた老婆は語る。
「私が住んでいるのはミクラエドというところですじゃ」
ミクラエド、か。確か王国の東の端の方の村だったか。
「それはそれはわざわざ遠いところから、よくぞおいで下さいました。して、用件はなんでしょうか?」
そう言うと若干躊躇った顔をした老婆だが、右手に握りしめたティーカップを持ち上げて紅茶を飲み干す。それが決め手となったのか、少ししわのいきだしている頬を上下に動かし始めた。
「実は、村の端の祠に眠らされたメデューサの封印を解いて欲しいんじゃ」
封印を解く? 封じられるような理由があった魔物――あるいは、モンスターをわざわざ蘇らせるのにどんな意味がある?
俺の心が表情に現れていたのかもしれない。老婆は慌てた様子で口を更に動かした。
「ま、待って下さい! じ、実は深い訳がありますじゃ!」
「失礼。別になんとも思ってはいませんよ」
老婆はホッと胸をなで下ろしていた。
嘘だが。
「ええと、どこから話せば良いのじゃ?」
どうやら、頭の中で整理が付いていないらしい。やや深刻そうな話みたいだ。
老いが見え隠れする……とか思ってないだからねっ!
「悪いが、老婆の話は長いぞ?」
「一般的にはそうでしょう。急ぎですか?」
肯定の意を表しかけたが、考え直したようで首を横に振った。
「封印されていては一日も二日も同じ。それに、急いで勇者様をまくし立てて不信感を抱かれては元も子もありますまい」
「確かに、そうですね」
王国からの優遇が剥奪されていようと、俺の肩書きは『勇者』だ。そんな俺を説き伏せる事が出来そうな話だろうな。
「時間に対しては気にしないで下さい。こちらも急ぎ足なら、と思い立っただけでして」
話を続けながら、紅茶を注ぎ直す。
老婆は入れられた紅茶を直ぐに飲み干す。どうやら緊張しているようだ。
更に注ぎ直したが、次は手を付けなかった。
「時代は七十年前になります」
「七十年前!?」
どんだけ古い歴史から始まるんだよ!? しかも、中途半端!!
取り敢えず、失礼。と会釈した。
「今の魔王……幼い娘と聞いておりますが、それよりももう一世代前の――歴代最強の魔王が君臨していた時代ですじゃ」
今の幼女魔王より先代魔王が歴代最強だったという話は良く聞く。
それが物理的に最強だったとかではなく、人界の侵略に、歴代以上に積極的だったからである。知性が高く、慢心もせず、ただひたすら町を破壊し、村を焼き、城を吹き飛ばした。
天災、現れた悪夢、とも異名を持つ魔王――ナイトメア。
以上、学校の教科書から。
「魔王ナイトメアは世界各地で猛威を振るったのじゃ。幾万もの人が殺され、幾千もの生活を破壊した。勿論、我が故郷ミクラエドとて、例外ではない」
薄く目を閉じた老婆の手は震えている。当時を思い出しているのだろうか。
「徴兵と言って村の若者は王国へ連れて行かれ、残った娘や年寄りは明日死ぬかもしれない今日を生きておった」
「……」
「食糧の余裕も余り無かった。殺される前に、餓死で死ぬかもしれなかった。そんな死と隣り合わせな生活を送ってきたが、やがて村にモンスターが見かけられるようになった。王国も東の端を見捨てて周囲を固める事にしたらしく、私達の話に耳を傾ける事はなかった。そして、ミクラエドは襲われたのじゃ」
震えは最高潮に達していた。
流石に口を挟もうとした時、突然目を見開いた。
「その時、私たちを救ってくれたのは、『虹の勇者』様じゃった!」
虹の勇者は『世界中に存在する勇者』の中で、唯一別枠として扱われる存在だ。『神』と同格として扱われている。
それは圧倒的な力と誠実な優しさを胸に戦った……と言われている。
以上、教科書から。
テストに出るからな!
そして、唯一魔王ナイトメアが畏怖した存在である。
「虹の勇者様は、王国に見捨てられたミクラエドに現れて誰一人犠牲を出すことなく敵を追い払ったのじゃ」
そう語る老婆の目は、歳に似合わず乙女のような目をしていた。
あ、『似合わず』とか言っちまった。
「更に、虹の勇者様は『妖精』と契約を交わしてメデューサを創り出し、ミクラエドを守護するように仰せられたのじゃ」
「成る程。しかしそのような経緯があるなら、何故、封印する話にまとまったので?」
「実は数年前に、町から出ようとする人をメデューサが襲う、などと嘯く輩がいたようですじゃ。あるいは、襲われた魔物をメデューサと勘違いしたのかもしれませぬ」
「まさか。死人が出た訳で?」
「それこそあり得ませぬ! 絶対あり得ませぬが、もし襲ったとしても守護をする契約が破綻してしまいます」
「では、なぜ?」
「それは……」
老婆は下を向いた。
「村で村長を務めておった爺がおってな。私の幼なじみじゃったが、そいつが数年前に逝きおってな。村の筆頭が若いものに渡ってしまったのじゃ。それに加え、『あの瞬間』を見届けた者は、爺が死んだ今、私一人のみじゃ」
成る程。迷信だと思われて迫害されたわけだ。
「それでも私が匿って生活をしておったんじゃが。あのクソガキが憎い手を使いおってな」
「はて?」
「『勇者』じゃよ。それもかなりの手練れの」
まさか、他の勇者とぶつかることになるのか?
「いや、その勇者はもう町を去っておる。何でもここらでギルドを張ってる巨大な盗賊団を捕らえる旅の途中だったらしい」
ファーリ、乙!
「分かりました。その願いを聞き入れましょう」
「……ですが、じゃ」
バツの悪そうな顔で老婆が良い淀む。
「余り、礼などは期待しないで欲しいですじゃ。身よりもいない私には……」
「まぁ、考えておきます」
「体ぐらいしか払えないわい」
「結構です!」
「ほぅ、そうかい! そいつは儲けたな」
ニヤリと笑った老婆。
……や、やりやがった!
「それでは行くとするかな、勇者様」
「……少しお待ち下さい。そろそろ帰ってきますので」
「お仲間が?」
「ええ、まぁ。僕よりも優秀な」
その本人は、ちょうど玄関を開けて入ってきた。
「行くよ、クレア」
「へ?」
家に入った途端、見慣れない老婆が目の前に立っていた。動揺したのだろう、目の瞳孔が大きくなったり小さくなったりしている。
老婆はクレアの手をとり、頭を下げる。
「どうか、お願いしますじゃ!」
「う、うん」
あ、クレアも頷いちゃった。