死神の足音
「………!」
俺が『何か』と手を繋いで道を歩く。
「………………」
しかしその目から見える景色は漆黒の闇に包まれていた。
「…………?」
俺が顔を上げる。するとやはり『何か』の顔は無かった。
「………――」
「――来ないで下さい!」
ハッと目が覚める。辺りを確認すると塗装が剥がれてねずみ色がむき出しのコンクリートの壁があった。窓の外からは真っ黒な景色が続くが、夜明けは近いだろう。
クレアは間に合うかな? ふと、なぜか心配になってしまう。
……妙な夢を見たな。
頭に手をやって、気持ちを落ち着ける。あの夢には俺の心を惑わせる何かがある。
「この、獣!」
「なん…だと!? このクソ猫がぁぁ!」
バチンバチンと音がする。
それが鞭の音だと気付くのに、数秒を要した。まだ頭が冴えていないが、どうやら右側の五番目に入っている亜人が抵抗しているのだろう。
豚―もとい、ラドルが『猫』と称したから、獣猫族か? 尻尾から紫色が見えてたし。
「黙れ! さっさと来い!」
「嫌ァァァァァァァァ!」
首輪に鎖が繋がれている。それを引っ張っているようだ。
「黙らせろ」
「「「ハッ」」」
背後に控えていた衛兵の三人が、獣猫族を押さえ込み口に布を巻いた。
「んー! んーんーんー!!」
「さあ行くぞ」
「ラドル様の朝のお相手をするんだ!」
ズリズリと引きずられながら牢屋から出そうと引っ張る。
「豚、うるさいんですよ。黙らせて下さい」
「分かっておるわ! ……? 待て、貴様なんと言った?」
獣猫族の檻から飛び出て、俺の牢屋の鉄格子の前に立つ。
「なんでもございませんよ。ラドル=レモンティー様」
ニッコリ笑顔で対応する。
「貴様、今。『豚』と言わなかったか?」
「ええ。言いましたが、それが何か?」
「そんなに死にたいか!」
衛兵の一人が鍵を渡そうとする。
「ま、待って下さい!」
それを俺が焦った声で止める。
「勘違いは止めて下さい! 俺は、あの叫んでいた亜人に言ったんです! 豚みたいな鳴き声だったでしょう?」
「む」
そこでラドルが少し怪しい笑みを浮かべる。
キモイ。
「なかなか分かってるな。亜人のメスなど豚に同じよ! どいつもこいつも――」
「それとも」
得意げに話すラドルの言葉を遮って問う。
「『豚』に関して、何か自覚する事でもおありで?」
「――ッ!!」
ラドルの顔が真っ赤に染まる。
「衛兵。鞭でこの男を叩き続けろ。」
「ハッ」
鍵を開けて、鞭を持った一人が入ってくる。容赦無く鞭が振るわれる。
うん、変な属性に目覚めそうだ。まぁ、叩いてるのが美人なお姉さんだったら良いのだが、残念な事にイカツイおっさんだ。
って、何も良くねぇよ!!
「コイツにはたっぷりと自分の言ってしまった罪を償わせてやる。さっさとその亜人を連れて――」
「あれ? やっぱり自覚があるんじゃないですか」
「――ッ!!!!?」
ラドルは鞭を持った衛兵を突き飛ばして落ちた鞭を拾うと、俺にたたき出した。
普通に痛いが、鍛えた体から繰り出される鞭よりは、この巨体から振るわれる鞭の方が何倍もマシだ。
……俺の感覚って麻痺してきたのか?
「あの、ラドル様。この亜人、いかが致しま――」
「そんなもの、牢屋にぶち込んでおけ! ワシはこれから、コイツにたっぷりと教育してやるわ!」
朝食を取ると言って、『教育』を終わらせて館の方に引っ込んだ。
全身の鞭に打たれた箇所が熱を帯びたように、自己主張してくる。
熱い。焼け死にそうだ。
「お礼は、言いませんよ」
「……」
牢屋の向かい側から聞こえる声は幼かった。
想像以上の痛みだった為に何も答えられない。
「私を豚呼ばわりしましたから」
「……」
とりあえず、地面に寝転がったまま、親指を立ててガッツポーズをとっておく。
「あの、大丈夫ですか?」
壁の向こう側からリーサの声が聞こえるが、返答できる気力は無い。
因みに、この牢屋にいる衛兵も朝食の為に席を空けているようだ。無用心な。
「え? 生きていますよね!?」
「…ぁ…」
なんとか声を上げるが、それ以上はかなわない。
「全く。仕方が無い人ですね!」
やや怒った声が向かいの牢屋から聞こえてくる。
「んっ……!」
妙に艶やかな声を出す。
おぼろげな目で視線をやると、手のひら(というより肉球?)をコチラに向けていた。
「ぁに……を……」
「黙ってて下さい。集中力が乱れますから」
「え。だ、大丈夫なんですか!?」
「大丈夫です。だから貴女も黙ってて下さい。邪魔です」
全身が温まってくる。
「寝てて下さい。お礼は言いませんが、お礼はします。少なくとも……私みたいなのを守ってくれましたから」
やがて、眠りにおちた。
「……」
目が覚める。まだ頭がポーッとしていて、どこかの夢にいるみたいだ。
全身の痛みはまだとれないが、それでもかなり和らいだ。
「あの……、ごめんなさい」
隣の牢屋から突然リーサが謝ってきた。
「残念です。貴方の相棒さんは間に合わなかったみたいです」
外の景色を見る。日が上がっていて既に昼辺りとなっていた。
「そう……ですか」
まぁ、仕方が無い。
俺の推理が外れていただけかもしれないし。
カツンカツン……と妙に静かな牢獄に響く死神の声。
「ごめんなさい」
「いえいえ。リーサさんにはどうにも出来ない事です」
その足音はだんだん大きくなる。
「素敵な来世を」
「まだ死んだと決まってませんよ」
やがて階段を下り終え、鉄格子を挟んで、青い髪の裸の女性を連れつつ俺の前に立つ。
「やあ。気分はどうだね?」
「最高ですね。さいっこうに最低です」
汚い笑みにせめてもの笑顔で返してやった。