Act 24. vsイシュルス女王蜂 1
――――蜂が攻撃を中止した。
それも一斉に。
激闘を繰り広げていた全員が警戒しつつも、呆けたように女王蜂を見ていた。
それほどの存在感である。
まるで、女王蜂の出現に驚いたのは人間だけではなく蜂たちも同じだったようだ。
複眼で視線はわからないが、ほとんど蜂の体が女王蜂へ向いている。
女王蜂は、蜂の巣の真上に留まったまま動こうとはしない。
まるで死した蜂に、黙祷するようにバスケットボールはありそうな頭部を伏せた。
停滞しているが、少なくとも巣穴と共に落ちて、巣がクッションになってしまったのか、ダメージを受けた気配がないようにすら思える。
「ま、さか……イシュルス、女王、蜂」
誰かの掠れた絶望的な声色に、ひしひしと嫌な予感を抱く。
【イシュルス女王蜂】 Lv25
HP:2431/2787
MP:403/423
ざっと見、平均的な蜂のレベルが、8~12程度なのだから、破格のレベルだ。
MPはさほど無いが、HPの多さは郡を抜いている。
兄よりも多いとか尋常じゃない。
外見的にはよくわからないが、一応、落下時のダメージは多少受けているようだった……うん、本当に多少だけども。
「まずいの?」
我が家の女王様が不機嫌そうに眉根を寄せると、料理長が戦士の顔つきで、静かに頷いた。
彼が剣を握る手が、僅かに強張ったのがわかる。
ドラゴンと戦ったことがある料理長ですら、余裕をなくすほどなのだから、よっぽどの相手なのだろう。
「……現戦力では、全員が、五体満足では、生き残れはしないでしょう」
ちなみに、隣で王子は顔色は真っ青で、唇を戦慄かせていた。
己の決断を後悔しているのかもしれない。
いつもなら、ここで王子が説明してくれるのだが、恐怖しているのか、女王蜂を見つめたまま、口を開かない。
王子のせいじゃないのだ。
最終的に決断したのは、それぞれ一人一人。
そうじゃなかったら、誰か彼かは離脱していたはずなのだ。
「師匠と白刃ならば、やるかもしれませんが――――女王蜂があれほど育っているとは……女王蜂は、大きければ大きいほど強いのですが、それ以上に厄介なのが『知能』なのです」
「知能?頭がいいってこと?」
隣で流れる会話を余所に、私は王子の肩を掴んだが、どれほどの慰めになっただろうか。
掴んだことすら気がついていないのかもしれない。
反応もなく、ただ指先が震えている。
「はい。人語を解するほどではないでしょうが、知能ゆえに女王蜂は魔法も使えます。それに女王蜂が強いと、働き蜂の忠誠は大きく、まるで――――」
確かに、10人がバラバラに挑んでくるより、統率のとれた10人が挑んでくる方が恐ろしい。
顔を上げた女王蜂は美しい羽を動かし、他の蜂同様に低い羽音を立てるが、六枚もの羽を持つためか、一層低く、風圧すら感じるほどの大きい音を上げた。
ききゃ、と、他の蜂よりも甲高い警戒音が、周囲に染み渡るように響いた。
「――――ひとつの軍隊です」
まるで女王蜂の命令を聞いたかのように、一部の蜂たちが女王の姿を隠し、他の大半が兄たちに見せ付けるように、視線の高さまで上昇した。
人間目の前で動くものがあれば、目で追う。
女王蜂に気を取られていたからよけい、唐突に動いた蜂に反応した。
全員が身構える中、視界の隅で、止まっていた戦闘ログが動いた。
=== イシュルス女王蜂の【ウィンドーカッターウェーブ】発動準備!
=== 【ウィンドーカッターウェーブ】発動、5秒前
やられた。
同時に、イシュルス女王蜂の方面から緑色の光。
兄たちの方からでは蜂に隠れて、ほとんど見えていないのだろう。
離れた場所からだから、戦場を見渡せているが、ど真ん中にいる彼らは上昇した蜂に気を取られたせいで、身構えたまま動かない。
蜂たちも自分たちの役目をわかっているようで、思わせぶりな動きだ。
「由唯姉、ここにいて」
思わず木陰から飛び出し、声の限り叫びながら駆け出していた。
蜂の羽音が大きくて、届くかどうかがわからない。
=== 【ウィンドーカッターウェーブ】発動、4秒前
ウィンドーカッターウェーブとかいいつつ、攻撃魔法じゃなかったら、私、フルぼっこかもしれなんと思いつつ、姉が付いてこれぬように、爆走した。
もう殆ど魔力のない姉は、前線につれていけない。
チートである結界を失っては防衛の手段がないし、弓も回数制限付だ。
本物の矢は持ち歩いていない。
姉の制止の声が聞こえたが、小声で告げて、後ろ髪をひかれる様な感覚を振り切った。
たぶん、叫べば私の存在に、蜂達が気がつかないはずがない。
戦闘の渦中へと、身を投じることになる。
わかっている。
そんな事、私が、一番よくわっている。
皆気が付いているのだろうか。
もしかすると、私のやっていることは無駄になるかもしれない。
それに、兄が気がついて叫ぶかもしれない――――だけど、叫ばないかも、しれないのだ。
確実に叫ぶとわかっていれば、私は走り出さなかっただろう。
無詠唱を姉がバンバン使っているから錯覚してしまうが、パターン的に魔術は威力が大きいものは、その分タメがあると思われる。
即座に魔法が放たれないということは、逆に危険さを孕む。
=== 【ウィンドーカッターウェーブ】発動、3秒前
蜂と戦っている皆が、騎士も、兄も、師匠達も、眼前の蜂との戦闘で精一杯なのだ。
料理長と王子を姉の護衛に回せば、私の護衛にまわせる戦力などない。
だが、あそこで叫んで、無駄に敵の注意を姉たちに引き寄せる必要もないのだ。
ならば、犠牲は最小限でいい。
いや、戦えずとも私の蜂と互角の速度ならば、逃げ続けられるはずだ。
ただ体力が持っている間に、戦闘の終わった兄達の誰かが援軍にこれるかどうかにかかっている。
「蜂は囮っ!!女王蜂から魔法っ!!!」
=== 真実子の音響拡大が発動
=== 【ウィンドーカッターウェーブ】発動、2秒前
次のログが流れたのが早かったか、私が叫んだのが早かったか――――だが、遠くにいるはずの兄と、一瞬目が合ったような気がした。
微かに唇が動き、聞こえないはずなのに『馬鹿野郎』と。
女王蜂に視線を戻し、俊敏に動きだす。
幕が開くように女王蜂の前の蜂達と思わせぶりな行動を続けていた蜂が上昇しきるのと、ほぼ同時だった。
=== 【ウィンドーカッターウェーブ】発動、1秒前
木々に隠れる寸前、巨大な緑色の光を発した魔方陣が出現し、イシュルス女王蜂の前方から、無数のカマイタチのような風の刃が乱舞していた。
+ + +
たぶん、全員に私の声が奇跡的に届いたのだろう。
元々気がついていたのかもしれないが。
避けたのか、結界を張ったか、木々の後ろに隠れた様子で、放たれる魔法に直撃した奴はいなかった。
範囲はわからないが、木陰に身を潜めた私もすぐに走り出した。
群れにさほど近寄ったわけではないが、それでも声で気が付いたのか、群れから蜂2匹がいらっしゃった。
招かざる客である。
ざっと戦場を見渡す限りは、怪我を負っただろうが、致命傷はなかった。
魔法直後に、上空から急襲した蜂に元気いっぱい反撃している。
すごい速さで、戦闘ログが動きだした。
うん、主に兄と爺師匠のがな。
二人の近くでは、なんか光ったり、燃えてたりと、やたら蜂が落下しているのが目視できる。
その見渡す最中に、一瞬だけ女王蜂の視線を感じたような気がした。
複眼だから、瞳の動きなどわからないはずだというのに、走る足を止めそうなぐらい絡みつき、正直ぞっとした。
戦闘には不釣合いな女王蜂の音階を刻むような羽音。
言葉のように発せられる警戒音が蜂に命令しているには、やたら柔らかい。
なにか不味いような気がしたが、すぐに、別の事に気を取られた。
きん、と硬い金属音と、呻くような悪態と舌打ち。
「――――く、そっ!」
視線を向け、私も思わず舌打ちして、金髪騎士に方向を変えた。
魔法は辛うじて直撃を避けたようだったが、輝かしい金髪が一部赤く染まっているのが、遠めでわかる程度には出血している。
おまけに、彼の細剣が、折れていた。
半分とはいわないが、三分の一はない。
鞘と先端のない細剣で応戦しているものの、複数の蜂との均衡が徐々に劣勢へと傾きだしている。
蜂の攻撃を鞘でいなすか、牽制程度で、致命傷を与えられない。
一番攻撃を当てやすいのは蜂の腹か羽だが、蜂は主に上空に逃げるため、羽は回避率が高く、腹は鞘で致命傷を与えることはできない。
短い細剣では届かない。
「無限の棘―――使って!」
己に向かってきた蜂の攻撃を回避しながら、作り上げた私の短剣を牽制のために、金髪騎士に向かう蜂を牽制。
この期に及んで、果物ナイフ三本とか、軽く泣くけどね!
だが、威嚇には十分だ。
叫んだ私は細剣を、金髪騎士の足元に投げつけた。
本当はカッコよく地面に刺して、とりやすくしてあげたかったが、正直、こちらも蜂二匹―――あ、一匹増えた―――に追い回されている。
もう、いっちょ、顔面狙うぞ、と。
金髪騎士が相手にしている蜂に短剣を投げつけて、隙を作ったら、見事にごろんと地面を転がって、立ち上がった時には、抜刀していた。
ナイス金髪。
最も、兄とか爺師匠の中央付近だったら、密集していて無理だっただろうが。
「アホかっ!」
「どこに戦場で、武器手放す奴がいる!」
「何してるんですか!ミコ殿っ!?」
「死ヌ気カ!」
ついでに近場にいたらしい方々の野次、半端ない。
使い慣れてない私よりも、金髪騎士使ったほうが、殲滅早い―――ひぃい、蜂の腹蹴ったけど、マジで硬い!―――んで、よろしく。
つーか、そっちにお返事できるほど余裕がないのでございます。
作ったパンきりナイフで、牽制しつつ逃げます。
後、魔石を拾って、投げて逃げます。
うむ、完璧なプランである。
ただ時折、針を避けるために作ったナイフが、包丁とテーブルナイフだった時は、死にそうになるけどね――――なにせ、テーブルナイフと蜂の針と一緒の長さだから!
そんな周囲地図、真っ赤な区域を逃れるように戦線離脱と背を向けた。
長居をすればするほど死亡率が高い。
主に私の。
そうして、走り出したが――――私は再び舌打ちして、戦場に戻った。
蜂に行く手を阻まれているというのもあるが、この後の及んで戦闘ログの中にイシュル女王蜂の名前である。
しかも、なんか発動40秒前って!
華麗に蜂を避け、地面ごろんごろんしていたせいか、泥まみれで戦闘ログに視線を戻すと、恐ろしい文字にぶち当たった。
=== イシュルス女王蜂の【命育の子守歌】発動準備!
=== 【命育の子守唄】発動、35秒前
さっきの魔法の名前もなんとなく理解できたが、今回は理解したくはない。
混乱の中でも素敵に働く、己の直感が、今は憎かった。
見遣れば、新たなる黄金がかった緑色の魔方陣――――それが、女王蜂の足元で輝きを放っている。
地面に落ち、割れた巣の六角形の中の、白いものが蠢く。
今にも突き破りそうな、何十もの、数の。
――――蜂の蛹、が。