Act 22. 岸田家黒歴史の1ページ 【8・17事件】
ムリムリムリムリ!!なんだよ、あの蜂!!
兄、ファイト―――とか、そんなレベルを余裕で超えているような気がする。たとえ兄でも、あれはマジないわー。
私が知る限り、対兄の最多数であった近所の暴走族の四倍か五倍ぐらいじゃね?
「………もしかすると竜とか巨大生物から見ると、俺たち人間が身を寄せ合っているって、あんな感じに見えるんじゃないか?もしくは蟻の巣みたいな」
あー、たしかに。
国とか、都市とかは、ドラゴンにとっては、人間の巣のように見えるかも知れないね――――って、いきなり、どこからの視点で物事を語ってるの!?
しかも、まさかの微妙にのんびりした発言は!
え、あれくらい余裕なの兄??
「あ?そんなわけない。あのままの状態なら、今の俺一人で特攻かけても、もって10分がいいところだな。逃げ回るだけなら、もう少しいくだろうが」
………10分は、粘れるんだ。
恐らく私なら、数分で即死であろうが、そもそも戦闘にならない。
なぜなら、私に戦う意思などない!
只管逃げるに限る!
背後で姉が『密集してキモイ』と連呼しているが、言葉を発しているだけ、まだマシというやつだろう。
チャラ男の顔面なんぞ、蒼白だし、心なしか震えている。
これは蜂的なトラウマ持ちではなかろうか。
「………王宮に報告へ、戻るべきです」
小さな沈黙の後、ジークは頬を引き攣らせて、沈んだ声色で告げた。
マドレーヌ姫の滋養強壮のご飯の材料を狩り隊+αは、なぜか木陰に隠れるように、しゃがんだまま頭を付き合わせている。
ユニコーンが何かメールを送っているがガン無視で、全員が弟王子を見る。
ステータスをあげたからではないだろうが、顔色は悪い。
「策も、道具も、人手も足りない。これでは、挑んだところで死者がでるのは逃れられません……全員で向かっても、救出の援護の時間すらも作れないでしょう」
全員が王宮へと戻り、人数と対策を考えてから、戻ってくるのが最善である。
しかし、その場合、ユニコーンの友の安否は考えるまでもない。
移動だけでも、早くて半日程度はかかる。
これから帰還して、再び戻ってくるまでに同じ時間は最低かかるのだから………とはいえ、夕方に到着したところで、日は沈むのだ。
灯りの確保ができなければ無謀でしかない。
蜂は夜行性じゃないはずなので、それを狙ってもいいと思うが、一気に片付けなければ、反撃を食らうのは必至である。
助けてあげたいなーとは思うが、正直家族が危険に晒されるなら選択にすらならない。
目覚めは悪いだろうがなんだろうが、家族一択である。
ついでに自分の身も、そこそこ可愛い。
痛いのやだし。
だが、それでも弟王子は――――……迷っていた。
噛んだ薄い唇から血が滲んでいるほど。
じっと地面を見つめ、弟王子の蒼い双眸は揺らめき、苦痛げに伏せられている。
全員の身の安全か。
助けを求める他人か。
そもそも、ユニコーンの友が善良とはいえない。
蜂蜜狙って、蜂襲ったら返り討ちという状況も考えられるわけだ。
ま、あのユニコーンを見る限りではないとは………ろりぃな女王蜂をナンパとかではなければ、だが。
いくら強くなったとはいえ、すぐに他の騎士たちと互角とまではいかないだろうし、この集団であるなら、弱い部類に入る。
最弱の私が言うのもなんですが、私は戦闘になれば逃げれる。
超安全な兄の背後にへばりついていればいい。
敵意を一身に集めて囲まれそうなので、超危険になる可能性もあるけども。
弟王子は、決断を迫られている。
たぶんではあるが――――弟王子が賛成しても、反対しても、ジークは帰還を優先させるのではないかと思う。
静かに細められた視線の先は、同騎士団仲間のスキンヘッドと金髪だ。
応じる様に、小さく頷いたのが見えた。
それを見ても、騎士も、他の者たちも何も言わないのだから、黙認していると言うことだろうか。
彼らが弟王子に求めているものは蛮勇ではなく、その身の安全ではないか?
兄王子、あんな素敵な熊だし。
あのままならば、世継ぎは弟王子になるであろうし。
冒険者達も冒険者達で、なにか話し合っている。
なにやら、近場であるのに聞こえないのは、師匠が魔法でも唱えたのだろう。
………が、こんな窮地になると、大抵口を開いちゃうSKYな奴がいるわけだ。
読めないのではない、読まないのである。
眉根を寄せた弟王子が、瞼を閉じて、口を開きかけた刹那である。
「ゼル王子、知っているか?」
兄がたとえ前世が人を唆す悪魔だったとしても、驚かないであろう。
むしろ安心安全、納得の胡散臭さである。
「我が家の家訓には『諦めたら最後』という言葉ある」
たぶん撤退の決断を下そうとしていた弟王子の口が閉じられて、縋るように兄を見つめている。
すると横から軽やかに、もう一声続いた。
「あら『敵は強い程、燃えるわよね~』じゃなかった?」
「それでもいいけどな」
え、両方初めて聞いた家訓ですけど!?とか、ここでいっちゃ駄目なんだろうな。
燃えるって、どんだけの戦闘狂なお言葉なんですか、姉よ。
しかも『燃えるわよね~』って―――母か!その緩いしゃべり口調から察するに、家訓を作ったのは母なのか!?
叔父は『強い相手は弱るまで甚振るに限る』だったであろうし。
「お二人ともっ」
苦渋を浮かべたジークの嗜める声に、兄は苦笑を浮かべた。
ちなみに姉は動じずに、つらっとしている。
「我らとて、ユニコーン殿のご友人を助けたいとは思う――――しかし、王子の安全も、貴方達の安全も我らには守る義務がある」
誰だって目の前で見殺しにするのは、普通に嫌であろう。
特に彼のように、守るべき職務につく者は。
「あれが半分ほどの数なら?」
「―――っ、それは」
喉を鳴らしたジークの目が揺れて、細められる。
ああいったということは、もはや兄の中では決定事項なのだろう。
兄の微笑みは姉に向いて、実に嫌そうに姉が眉根を寄せて、唾棄するように呟く。
「………なにすればいいわけ?」
「叔父の戦法を拝借するのは、どうかとおもうが、由唯の結界と、ユニコーン友の結界の強度が確かなら――――」
…………叔父の戦法。
彼が得意とする戦略が多くあるが、おおよそ豪快で、かつ死なない程度に残忍であることは間違いないだろう。
兄は相変わらず、洗濯用洗剤のCMが似合いそうな、爽やかな笑顔を浮かべた。
「―――8・17、だな」
いや、それ、戦法とかじゃないから。
引き攣った私と青ざめた姉が、同時に嘆息を零した。
+ + +
――――少々、我が叔父の話をしよう。
私から見た叔父というのは、兄と同じくらいの凄まじいチートっぷりを発揮する化け物で、年を重ねている分、兄よりも上手という印象だ。
万能や全能という言葉は、兄と叔父にこそ相応しいのだろう。
まぁ、人間として限界はあるだろうが―――……あるよね?あるんだよね?と可愛い岸田の末っ子は、常々疑っている。
後は、父の故郷であるらしい田舎の山の中で、仙人のように暮している。
正直な所、仕事は何しているのか知らない。
だが気まぐれのように時々、山から下りてきて、我が家でご飯を食べていったり、いい年してどこぞで喧嘩しているらしく、怪我をして帰ってきたり、怪我人を連れてきたり、私にマドレーヌを作らせたり、作らせたり、作らせたりしている。
そう、最後が問題である。
他のチートは知らないが、岸田家のチートには不思議なことに、ひとつだけ弱点がある。
それも壊滅的なほどの弱点、だ。
前にも言ったが、兄は音楽知識も楽器もいうことなしだが、極度の音痴である。
カラオケに行って、採点機能で点数を云々以前に、歌いだし三十秒で機材を壊した。
本当の話である。
岸田姉妹は、初めて兄の弱点に気がつき、同時に鼓膜が破れそうだった。
兄の鼻歌は聴いたことがあるが、普通だ。
可もなく不可もなく――――って、よく考えてみれば、チートな兄が普通の時点で、可笑しいと疑ってかかるべきだった。
かなり油断していた。
真面目に『超能力です』とかいわれても、信じたであろうほど、酷い。
たぶん、これをリアルジャ○アンと呼ぶのだろう。
声はさして大きいわけじゃない。
だが鼓膜がびりびりと振るえ、耳から血が出なかったのが不思議なくらいだったし、脳みそをシェイクされるほどの頭痛である。
ちなみに私は横隔膜を揺さぶられたような眩暈に嘔吐して気絶したが、薄れる意識のなかで、姉が兄にお菓子パーティコンボの皿を投げつけて、勇猛果敢に叫んだのだけは覚えている――――『この、人害級音痴がっ、死ねっ!』と。
対して兄は『え?』である。
そう万能チートではあるが、兄は自覚のない音痴だった。
この頃は、自覚があるので歌わないけども。
そして、同じ岸田チート系列の叔父は、極度の料理音痴であった。
某私の大好きなカップラーメンであるレッドフォックスを作ろうとして、タレと具の袋をカップから出さずに、おまけに水を入れるなんて、可愛い話だ。
カップラーメンの蓋を開けて、水を注ぐだけだから被害らしい被害はない。
叔父は兄と違い、私が物心ついた時には、音痴であるという自覚があるようだった。
玉子焼きを作ろうとすれば、あまりの緊張に卵を握りつぶし、かき混ぜようとして力加減を間違っては箸をへし折り、恐れのあまり火を小さくしすぎて焼けないことに業を煮やし、油を注ぎ込むような、料理音痴である。
そのくせ、意外とグルメでめんどく――――ごほんっ、グルメだ。
気に入らない食事をするくらいなら、りんご一個でいいわい!という感じの強情なグルメである。
だからこそ、異世界でもそのグルメっぷりを発揮して、サラダとか果物とかにしか手をつけずに、がりがりになっているのだろう。
ともかく、叔父は基本山での食事は生らしい。
大根洗って丸かじりとか、キャベツむしって洗って食べるとか、精々缶詰とか、マヨネーズ等の調味料を野菜につけるとか、単調な感じの食生活らしい。
動物を山で狩ることもあるが、それは岸田家に叔父が来るか、岸田家が叔父の所に行くというのが前提である。
だって、肉、一人で焼けないのだ。
動物一体解体できるけど、焼肉すらできないのだ。
極度の料理音痴の叔父が、焼く煮る揚げるとか、そんなのできようはずもない。
後は生か炭かの究極の二択である。
できれば寄生虫が怖いから、ぜひ炭でも食ってろ!といいたいが、やはり微妙な所でグルメなので、結局、究極の自然栽培の野菜中心生活なのである。
栽培に関しては一流だ。
そこらへんもチートなのか、こだわりなのか。
鶏も飼ってたけど、卵は生で……という恐ろしい図式だ。
え?せめて、ご飯にかけて食べれよ?
ふ、甘いな諸君よ――――叔父は何度言ったって『米を洗う』という言葉に対して、洗剤ぶっこむから、炊くこともできないのである。
もしくは暗殺にうってつけの、殺人米が出来上がるか。
叔父の料理音痴は呪いの領域であった。
これではいかん!
そう思ったのは、何を隠そう私であった。
高校二年の夏休みを利用して、たまたま来ていた叔父に料理を教えようと考えたのだ。
せめて、一品まともなものを作れるようになれば、こっちに来る回数が減る=マドレーヌ作りから開放!という極々優しい理由からだ。
前に叔父が、我が家で小火を起こした記憶も新しいので、廃屋にした。
実家からバイクで三十分ほど、市外に進むと、市の都市開発途中で放置された工事現場があり、周囲も似たり寄ったりで、人気がないのが決め手だった。
周囲は空き地がほとんどで、人も少ない。
長いこと放置されているので、埃っぽくて、多くの機材丸投げであるが多少だ。
ちょっと治安が悪いのだけが、心配だったが叔父がいるから安心である。
命題は、ホットケーキだ。
すでに配合されたお手軽な粉を、牛乳と卵を混ぜて、焼くだけ。
小学生の高学年になれば、火傷に注意すれば、できる簡単なお菓子から始めた。
ガスコンロ、ガスボンベと、絶対に泡だて器を壊すと思ったので、ダンボールひとつの泡だて器。後は毎日、スーパーの卵を半分ぐらい買い占めたのではないかという卵。二十本も要らなかったかなと思いつつ牛乳。そして、業務用のホットケーキの粉の袋が三袋。
最初の二日間はまともに材料を混ぜることもできず、泡だて器と、私の読みが甘く、ボールも握力だけで破壊した。
即、ガラスのボールはやめた。
ちなみにホットケーキを作ろうとして、ガラスのボウルを握力で割って、怪我をする人間を私は叔父以外にみたことがない。
三日目から、絶対、卵の殻入っている!と思いつつも、焼きの工程に進み、フライパンをだめにして、小火を起こし、消火活動し、それでもあきらめずに五日ほどが過ぎた。
私もひたすら、牛乳とホットケーキの粉を計量していた。
わんこ蕎麦を盛るおばちゃん並みの手合いぐらいのスピードであっただろう。
計測した粉を素早くキッチンペーパーの上に乗せ、会議室にあるようなテーブルの上に、いくつもの山を築き、牛乳もいくつもの計量カップで図り続け、準備万端にしていた。
一秒たりとも無駄にせず、炭を量産した。
泥まみれなら、子供の頃に経験したが、全身粉まみれというのは、お笑い芸人さんぐらいしか経験したことがないのではないだろうか。
特にホットケーキの粉なんて。
「ど、どうや!ミィたん!傑作やないの!!」
あからさまに表面、真っ黒くこげこげで、半分にした真ん中はちょっぴり半生であることが伺えるが――――叔父の料理人生における最高傑作であっただろう。
なにせ、炭でも、液状でもない中間だ。
ついでに卵の殻もうっすら見えるが、この際、目を瞑ろう。
カルシウムとして、摂取してやろうじゃないか。
……―――たぶん腹を壊すが。
地球に優しくない料理を量産してきた叔父にしては、素晴らしい出来栄えだ。
今日は叔父がホットケーキを作ることができた記念日として、岸田家に長く伝説が残るであろう。
いや、もう休日にしてもいい。
叔父ホットケーキ作成成功記念日なので岸田家祭日、とかで。
紅茶でも入れながら食べるかということになり、お湯を沸かしていると、スキップしそうなほど、ご機嫌にホットケーキ生誕の賛美歌を歌う叔父が何かに躓いた。
いつもなら、絶対にそんなことしないのに、浮かれていたのだろう。
換気のために開けていた窓から強い風が吹いた。
「あ」
叔父の間抜けな声が届き、置きっぱなしの脚立ががん、と音を上げて、何かにぶつかったような音がした。
私が振り返るよりも先に、叔父が突進。
叔父が私を抱えて、窓を突き破り隣の空き地へ飛び出して、着地し転がったのと、ほぼ同時。
どんっ。
背後で、音と認識が遅れるほどの爆発音が轟いた。
びりびりと肌が震える。
空き地を転がりながら、廃屋が赤く染まっているのがわかった。
「………わての、ホットケーキたん9872号が……」
ようやく止まったが、何が起こったか理解できぬまま、私は横たわったまま。
耳はキーンとなっているせいで、音が聞こえないはずなのに、悲嘆に暮れる叔父の唇が呟いたのが、読み取れた。
先ほどまで私と叔父がいた室内から、炎と黒煙が上がっている。
察しのよい方々にはわかっただろう。
――――そう、その日こそが8月17日。
叔父が生まれて、初めてホットケーキを完成させた記念日になるはずだった日。
しかし残念ながら、岸田家の数多ある伝説的な黒歴史の1ページとなって、『あ、叔父に料理させようとした私が馬鹿だった』と私の心に深く刻まれた【8・17事件】である。