Act 08. 戦士と盗賊
熊を先頭に兄、私、と森に続く。
王子の血は途中で消えた。
逃げてる途中で怪我をしたらしく、血が続いていなかったらしい。
私たちは鼻が利かないから、ありがたい限りだ。
さて、ステータス画面で、戦闘ログを眺めていて気がついたのだが、私がパニックに陥りかけたときに、妙に冷静だったのは、どうやら技能が発動したかららしかった。
あの役に立つのか分からなかったゲーマ技能の『一枚の壁』である。
どうやら混乱を軽減する作用があるようだ。
兄は繰り出した五打撃のうち、二つがクリティカルヒットを出している。
これは、かなりの奇跡だろう。
ついでに、弓のゴブリンは逃走したのではなく、真っ先に援護に入っていた黒熊によって、一撃で撃沈していたらしい。
恐ろしい熊手だ。
兄の高い数値を出したクリティカルヒットの約四倍が、普通の攻撃である。
そりゃぁ、ゴブリンも一撃だよね。
なんか熊化してるせいで、基本的な能力も上がってるんじゃなかろうか。
獣人化のパターン的に。
それがなければ、私たち、特に兄は生きていなかっただろう。
改めて、黒熊が参戦してくれてよかった。
兄に掻い摘んで話すと、兄は「そうか」とひとつ頷いた。
「助かったよ。ありがとうな、カルム王子」
びく、と黒熊が驚いたように、足を止めた。
振り返ると、じっと兄を見つめていたので、聞こえなかったのかと、私も付け加える。
「雅兄助けてくれて、ありがとう」
数秒置いて、こくり、と頷いた。
黒熊は、もう口を開いても、こっちに話が通じないことは悟ったらしく、うがうがと熊語で長文を喋ることはなかったが、感謝は通じたようだ。
黒熊はすぐに進み始める。
私は戦闘ログに視線を戻して、最後に兄のレベルが上がり、魔石を回収したログが残る。
「あれ?」
違和感を感じて戦闘ログを戻すと、レベルアップしたはずの兄のレベルが下がっている。
レベルが17だったはずなのに、レベルが上がって、1から5になっているのだ。
ステータスのほとんどが、最初に見たよりも、全体的に上がっているのに、レベルが下がっている。
私はあわてて、兄のステータス画面を表示した。
そこで、驚きの事実がわかったのだ。
「っ、戦士?」
兄の本職が変わっていた。
サブ職業だったゲーマーがなくなり、サブ職業が上級国家公務員になっている。
魔法使いと戦士で悩んでたんじゃないの?
兄が戦士になったことを気がついたのがわかったらしく、小さくため息をこぼした。
「――俺だってな、本職を魔法使いにしたかったんだが、ありゃ、防御が紙装甲だからな」
妙に哀愁の漂う背中だ。
葛藤に葛藤を重ねて、泣く泣く魔法使いを捨てたのだろう。
いい気味――かわいそうに。ぷくくく。
魔法使いと戦士は、ステータス的に対極に位置する。
サブ職に魔法使いをするともっとも効率の悪いステータスの上げ方となり、序盤に苦しむ。
だからこそ、普通は戦士のサブ職に向かない――ということは、あきらめたのだろう。
「よし、ナイス兄。壁ファイト」
「うぐっ」
戦士の最もたる仕事は敵を打ち倒すことではない。
それは、副業といってもいい。
一番は壁。
つまり背後の魔法使いや、弓使いに敵を近づけないための壁役が本職だ。
実にじみーで、やりがいがありすぎるのだ。
兄が魔法使いになったときは、壁役は間違いなく私に回ってくると思っただけに、ガッツポーズを思わずとってしまった。
「後々考えるさ。頑張れ、盗賊」
「やだ、私は弓―――」
うが、という黒熊の促しに私たちが、沈黙する。
ステータス画面の警報が鳴り出したのは、数十秒ほど後だった。
1キロ圏内に敵。
「雅兄」
「わかってる」
低く声をかけると、兄は要領を得ているように、身構えた。
今度は、遠くから叫びや金属音が聞こえるので、はっきりと分かったらしく、気合を入れなおしているのが背中越しに分かる。
3人で(黒熊は一人でいいのだろうか?)足音を忍ばせて近づく。
あのゴブリンの血の特有の異臭が、風に乗って流れてきて、思わず顔を顰めた。
進むにつれて、数体のゴブリンの死体が転がっている。
ついでに、狼みたいなのと、巨大な緑色の塊のようなものも転がってる。
尋常ではない数だ。
眼前には未知の領域が広がっていた。
そこは―――現実の戦場だった。
満身創痍の3人の騎士を、10以上はいるであろうゴブリンの群れが取り囲んでいる。
しかも、1人の騎士は肩に弓が刺さっており、膝をついている。
顔色もひどく青ざめていた。
それを2人がかばうような体制で、本物の戦場を知らない素人の私だったが、状況が不利であるのは一目瞭然だった。
弟王子と同じ型の鎧を着ていることから、彼らが私たちの目当ての人物なのだろう。
しかし、まだ戦闘中だとは思いもしなかった。
一番弱っているであろう矢の刺さった騎士のステータス画面を見つめると、HPの横に紫色のどくろマークがついている。
ということは、普通に考えれば。
「毒にやられてるっぽい」
言葉は少なかったが、兄は弓の刺さった人間だとすぐに察したようだ。
「残存HPと、減少の速度は?」
「HP137――っ、早い、10秒に1ぐらい」
いつになく険しい顔をした兄が、珍しく鋭い舌打ちをして、己の腕時計を眺めた。
それだけ、状況が悪いということになる。
え~と、1分間に6ダメージ受けるから、137を6で割って―――
「あと22分、あるかどうか、か」
―――早。兄、計算早。
これだから、理系は――とじゃれあう暇もなかった。
黒熊が突然走り出し、その方向に視線を向けると、彼らの騎士の後方から近づく巨大な狼へと向かっていった。
その塊に繋がる鎖を手にした2体のゴブリンがいたが、黒熊の熊手で一撃で葬られた。
勢いのまま、咆哮をあげるがまま、黒熊よりも一、五倍もの大きさもあろうかという塊に飛び掛る。
【ビックウルフ】 Lv19.
HP:611/632
MP:20/23
「雅兄っ」
ゴブリンが飼いならしたのだろう。
その横にいるゴブリンよりも数倍のレベルをしている。
「ミコ。アレは、今の俺たちじゃ無理だ。こっちに集中しろ――俺たちには、俺たちにできることをするんだ」
真剣な声色の兄に、黒熊が気になりはしたが、私は頷く。
黒熊とビックウルフと取っ組み合いになると、周囲のゴブリンを巻き込みながら、すごい咆哮と音を上げて転がっていく。
「いいか、1体3分でも、全部倒すには30分かかる。間にあわない」
あの騎士は、死ぬだろう。
それに、あれだけの数で瀕死の騎士を庇いながら、1体3分で倒せるはずもない。
2人の騎士の攻撃はけん制だけで、体力を削られているだけだ。
兄にもそれが分かっているだろう。
私は唇を噛む。
目の前で、また生のあるものが死んでいく。
まだ、生きているのに―――まだ、呼吸をしているのに。
「だが毒をもってるやつは、必ず解毒剤をもってる。お前は、メガネでアイテムが何なのかわかる」
そう、背後から騎士たちを狙っている3体の弓矢をうつゴブリン。
その誰かが、解毒剤をもっている可能性が高い。
兄は苦しそうな顔をして、私の目を覗き込んだ。
「できるか」
「―――やる」
さすがに逡巡したものの、真っ直ぐに見返すと、やはりいつものように、から、とした笑みを浮かべると私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「それでこそ、俺の妹だ。やってこい、盗賊」
「絶対、サブ職は魔法系にするんだから!職業選択」
ステータス画面の職業欄に移行して、上から二番目の、盗賊を睨みつけた。
「盗賊、決定」
―――職業を『盗賊』にしますか。 はい いいえ
「はい!」
やけくそで、声をあげた。
ステータス画面に変動が出たのか、妙に体が軽くなったような気がする。
やるか、やらないか、ではない、やらなくてはならない―――頭の中で、誰かの言葉が浮かぶ。
昔、誰かがそういったような気がするのだが、誰なのか思い出す前に、私はレンチを片手に、ゴブリンの背後に回るべく迂回して走り出した。
一歩踏み出すと、強い加速がかかって、前につんのめる。
どうやら、足の速さが増したらしく、その感覚に体がついていかなかったようだ。
慌てて、それを調整して、身を低くして、駆け出した。
背後で、兄も走りだした気配がした。
ちらり、と振り返ると、兄の横顔は鬼気迫るものがあり、鋭い犬歯を覗かせて――笑っていた。
家族には滅多に見せることのない好戦的な一面。
負けず嫌いで、不平には容赦のない、頑固なのは母親譲りなのだろう。
私にはないものだ。
数十秒後に大気が震えるような咆哮が響き、兄は金属バットを片手に、ゴブリンの群れのど真ん中に踊りだしたのが分かった。