Act 14. 鍋と剣のノクターン
……これは、やばい。
私は世の同世代の女性よりは、喧嘩慣れ―――いや、逃走慣れか、修羅場慣れ?―――しているせいか、警戒の仕方が違うのか?
虚空に浮かぶ地図と『黄色の点』を眺める。
兄はこちらに向かってきているが、異変に気がついていないのか、もうひとつの青い点を引き連れて、歩いてきているようだ。
そして気がつきたくはなかったが、『黄色い点』がもうひとつ点滅している。
点がついたと思ったら、ふと消えてしまったが、こっちはかなり近く、数メートル先だと思われる。
不意打ちを狙っていたのか?
その効果はなくなっても、こちらに唐突に襲撃するような気配はない。人数でいうのなら、こちらのほうが勝っているからだろうか。
が、青にならないということは、やはり安全とは言えまい。
敵は正面の奴よりも、左横の奴の方が厄介だ。
全部を見渡す振りをして、見たがそこにはなにもなかった。
正面の奴のように上にいるわけでも、木々に隠れているわけでもないのに、ステータスだけが浮いている。
とういか、黄色い点が見えないだけで、囲まれているとかだったらマジ死ぬ。
警戒はするが、現時点で二つ。
他はあっても、どうしようもない……運任せは嫌だけど。
私が正面のやつに注意を促したせいで、騎士達は横の奴はノーマーク。
自業自得ともいえるけど。
「……まだ、いるのですか?」
「いる」
やっぱり、木の上のやつも距離が若干遠い為か、彼らには察知できていないようだ。
ジークの問いかけに私は即答し、細剣で火のついた鍋の側面を叩く。
ガンッ
響くとまではいかないが、結構な音なので届くであろう。
緩やかな音階で始まるせいか、判別がつくかどうかは完全に賭けである。
警戒しつつも、私はゆったりと鍋を叩いた。
曲名が分かれば、右手側から戻ってくる兄は容易に悟るだろう。
あの男は記憶力がいいのだから。
+ + +
『お前、もうちょっと、ぶわっとした曲が好きだったんじゃないのか?それに、これピアノの曲だろう』
『……他の楽器の勉強もしろって』
ノクターンを聞き終えた私は、目の前のキーボードと向かい合う。
楽譜読みは終わってるが、気は進まない。
なぜか通っていた音楽教室の先生は、ヴァイオリン専攻の私に、ありとあらゆる楽器を触らせた。
今なら、その理由がなんとなく分かるが、当時は若干不本意だった。
そんな暇があるなら、ヴァイオリンを弾きたい。
一音でも素晴らしい音を奏でたい。
願望というか、欲望というか、楽器に触れるというのは楽しいが、ヴァイオリンほど打ち込むものはないだろうと思ってもいた。
『音楽は音を楽しむことであるが、音楽家とは音を楽しむだけにあらず―――By先生』
『……いい先生に恵まれたな』
意味がわからず、眉根を寄せる私に、なんの用事だったのか、珍しく縁側で寛いでいた叔父が続けた。
『つまり、ミィたんはいいピッチャーになれるやろうけど、野球は一人でするもんやないってことや―――ミィたん、そこらへんボロボロやからな』
『あ、確かに、育て方を間違ったのか?』
『かもなぁ』
『兄&叔父に育てられた覚えはないわ!』
もし育てられていたら、今頃薄暗い裏路地で血で血を争うな抗争を誰かと繰り広げつつ、流れ彷徨うように生きているわい!
叔父がのっそりと起き上がって、私からキーボードを奪う。
すると、流れるように、先ほどまで聞いていたノクターンを『左手のみ』で奏でだした。
とても趣味で演奏してますってレベルじゃなく、キーボードなのに、かなり上手だったのが、いやに叔父らしかった。
傍若無人な叔父が弾いているとは思えないほど、優しい音に聞こえる。
『なんて曲なんだ、それ』
それに聞き入りながら、指の流れを眺めて、私は答えた。
『左手のためのノクターン』
鍋とお玉ならまだしも―――まさか、剣と鍋で、この音色を奏でる事になるとは。
夢にも思わなかったけどね。
+ + +
地図を見れば、数十秒を経て、兄の行進がぴたりと止まった。
隣の青い点も同様に。
こちらに直線で向かっていた兄は、地図の下のほうに―――つまり私の後ろへと迂回するように動き出した。
――――気がついた。
音痴の癖に音楽教養が深いとか、不思議なものだ。
左手のためのノクターン。つまり、音楽は別に肝心じゃなくてタイトルまでにいたれば、後は察しがつくだろう。
兄を普通に呼び寄せるために叩いているなら、ガンガン叩けばいいだけ。
それから、このタイトルで容易に悟るだろう。
こちらに、未戦闘だがにらみ合っている、敵が近くにいると。
正面の敵よりも厄介であろう左手の敵の虚をついてほしい。
奇襲をかけようとしていた敵に奇襲をかける。
相手が慌てるのが楽しみだぜ。
そして、自分でも器用だなと思いながら、姉の爪先を自分の踵で小突く。
姉も気がついたようで、微かに小突きかえしてきた。
爪先で線を引き、姉が狙うべき正面の敵の場所を示す。
たんたんたん、と足先で三回叩き、横に二度伸ばす。距離は400ないし、約300メートルまで迫っているであろう事を伝えた。
弓で威嚇できれば十分だろう。
姿さえ見せれば、騎士達が動いてくれる………はず。
緊迫した空気。
鍋を叩く音。
緊張で深くなる呼吸。
騎士達に視線を送ると、こちらの作戦をまるっと気がつかず、騎士達が互いに目配せをしている。
それって、もしかして――――
「そこ、だっ!」
――――ぎゃぁああああ!!!なにしてんねん!!!!!
姉への合図に気がついたのか。それとも自力で発見したのか。
恐ろしく間の悪いことに、兄が戻るより先に、騎士(目つき悪)が正面の敵に向かって、何かを投げる。金髪と騎士(目つき悪)が駆け出した。私が正面といったから、一人しかいないと思い込んで、戦力を分散しやがりました。
王子はスキンヘッドと料理長が守っているから大丈夫だろう。
投擲を避けるため、正面の敵が木の上を移動した。
今度は風も吹いていなかったし、誤魔化しきれない音と姿。
姉は目がいいから、見えたようだ。
背後で姉の弓を絞る気配を察知して、私も左の敵相手に走り出した。
側にジークがいるから姉は大丈夫だろう。
相手の右側を狙い―――つまり、敵から向って左側だ―――突き攻撃を繰り出した。
正直、敵の姿は見えていない。
地図との距離感と、ステータス画面の場所だけ、攻撃をくりだしたので、当たるとは思っていない。
見えない相手は、草を踏みしめる足音。
背後も戦闘中ということもあって、五感を強化していなければ分からないほど微かだ。
この見えない敵、私より2倍は確実に強い。
というか、もっと強い気がする。
ステータスの場所から判別して、バックステップで避けたようだ。そっちじゃない。
そこに追い討ちをかけるように、右側を狙って二度目の突き。
――――スマッシュ。
二回連続攻撃と判定されたようで、二回目の突きの際に細剣に力が乗る。
速度、威力と共に多少はあがっているのだろう。
その勢いのまま、私は細剣の柄から手を離した。
相手は私が自ら武器を手放すとは思っていなかっただろう。
意表をつくことでしか相手を移動させられない自分の能力が歯がゆい。
それも二回目の突きの威力を引き継いで、飛んでくるのだ。右側を狙ったことも功を奏して、敵は左側へと飛んだ。
内心、ガッツポーズ。
びぃいん、と、避けられた細剣が背後の木に刺さって揺れる。
「無限の棘」
追撃の手を休めぬまま、威嚇するように果物ナイフ二本と中華包丁を足元へ放った。
これは当たらなくても問題ない。
敵がもう一度、バックステップさえしてくれれば。
しかし、この時点で、薄っすら気がついていた―――相手が魔物じゃない、ということに。
それに友好的ではないかもしれないが、逆に命を奪おうとも考えていないのだろう。そうであったなら、未熟な私の剣筋を避けつつ反撃すればいい話。
他に理由がなければ、であるが―――可能性としては王子の身分的なあれとか?
だったらもっと、やり口が乱暴でもよかったような気がする。
正直、反撃されるのは覚悟していた。
敵が下がった、刹那。
怪しい輝きを放つ鈍い色の百人切呪詛刀の刀身が、私の期待通りのタイミングで敵へと振り下ろされていた。
まるで、ここまで追い込むのを待っていたかのように迷いがない。
相変わらずグッジョブである。
兄が到達するよりも先に、騎士が暴発したため、その距離をなんとかしないといけなかった。
私が相手の右側、敵からすれば左側を狙ったのは、このためだ。
少し時間と距離を稼げばよかったのだ。
ただひとつ。
誤算があるとするならば。
右上段から振り下ろされた兄の凶暴な刀が、突如現れた手に握られた白の閃光―――白刃に受け止められたことぐらいだろう。
兄の一撃が力負けして、弾かれる。
ビビッて私は下がった。
同時に、兄の体制が崩れたので時間稼ぎに投擲。
やはり白刃に弾かれる。
いくら必殺技を使っていないとはいえ、兄が一撃で倒せないどころか力負けするなんて。
刀身がぶれて見えるほどの速度の一撃、だ。
少なくとも先ほどまで狩っていた魔物レベルではない。ここにいる騎士クラスか―――最悪、それ以上ということになる。
反撃されなったのが幸運だったと思えるくらいだ。
「わ、わぁあ!スンマセンっ!スンマセン!!オラ、けして怪しい者じゃないっス!」
背後から聞きなれない若い男の声が耳朶に届く。
いや、自分が怪しくないとか言っている奴こそ怪しいだろう、そこ。
ちらっと視線をやれば、金髪と騎士(目つき悪)の攻撃を、剣で受けている青年の姿であった。
やっぱ、人間か。もしかして盗賊か?
二人の騎士の剣を受けるというだけでも、かなり強いのだろう。
「―――し、師匠!もうっ」
涙目の青年の視線は、兄と見えない敵―――ではなく右側。
やばい。
私は身の毛もよだつ思いをした。
地図を再確認すれば、色の変わっている黄色の点。かなり色が薄くて、ぱっとみ分からないぐらいの小さな点。
―――敵は3人。
ミスった。
これは私のミスだ。運任せにするべきではなかった。
ステータスは出ていなかったので、最初に全域を見渡した時に気がつかなかった。
「無限の棘」
「ミコっ―――」
兄の声を―――声の調子から静止だと思う―――聞くよりも反射的に、地図の薄い黄色だけを頼りに三人目へとテーブルナイフを放っていた。
予想通りというべきか。
ステータスも、地図の画面も隠蔽できるほどの三人目の敵だ。
三人目から細剣が現れて、テーブルナイフを弾かれる。
オマケにテーブルナイフはこちらへ。
反射神経だけで、身を捩って右肩と腹部へ向かった二本は避けてた、が。
―――最後の一本は。
「ミィコ殿ぉっ!!!」
焦ったような、ジークの叫び声。
ざしゅり。
不吉な音と共に、誰かの鋭い舌打ちが聞こえたような気がした。