Act 04. その病の名は
いまさらな話ではあるが、母が気がついた。
こうして、弟王子が食事に顔を出すのに、母親―――つまりは叔父さんの奥さんが来ていないということに。
私は横に首を、姉は手を振って、兄は両手で罰マークを作る。
岸田三兄弟全員で、空気読めと合図を送るが、母はきょとんとしている。
くそう、可愛いよ母。現役18歳のピチピチな私よりも七倍ぐらい―――て、違っ!触れちゃいかん話題だよ、それきっと、叔父さんが話し出さないんだから、察してそっとしておこうぜ!
王子もなんか言っているの聞いたことないし。
辛うじて、熊王子クイズ大会で、高い高いって、空中に弟王子を放り投げたら、うっかり天井に当たって、母親に花瓶で殴られたってぐらいしか。
あの時は、その人が叔母になるとは、まったく思ってなかったから流してたよ。
熊王子のうっかり話として脳内処理してるし。
「姉上は……」
イベ叔母は、意味ありげに言葉を区切る。
その形のよい柳眉を歪めて、小さくため息を零した。
悲しげな顔の弟王子。
ほら!禁句だったんだよ!イベ叔母どんよりしちゃったよ!弟王子は俯いてるし!
ここは一発、暗い空気を吹き飛ばすために、私が適当に話題を変えようと口を開いたが、気の抜けた叔父の声。
「あ~……まだ、部屋や。アイツのところから出てきへんわ」
そうそう、もう他界されているんじゃなかろうか―――って、生きてるの!?
え?まじで??叔父さんの妻なのに!?
「なんや馬鹿面三兄弟―――わての嫁ならなんや」
顔に出ていたのか、叔父は髭を弄りながら、鼻の頭に皺を寄せている。
「何処かの誰かのせいで心労で他界」
「まぁ、誰かさんせいで精神的苦痛から離婚か不倫でしょうね」
「恐らく、誰かのせいでストレスで胃痛だろ」
真顔で兄も姉も私も似たようなことを発すると、叔父Aは低い声で唸る。
叔父で遊んでいた勇者である我ら岸田三兄妹は冷や汗を流す。
どうやら、戯れすぎたらしい。
「お前らが可愛い叔父さんをどんな風に思っとか、よぉ~く、分かった!」
兎を野に放したがごとく全速力で逃げるが、同時に叔父が椅子を蹴り、ものの数分で全員が捕まり、全員が殺人でこピンを食らう羽目になった。
可愛い叔父どころか、悪魔の形相である。
っつーか、なにあの跳躍力!滞空で柱蹴って飛ぶ方向変えるって、でこピンするなんて、どんだけの身体バランスだよ!兄、吹っ飛んだし!しかもなに、あの電気バチバチっての!魔法、魔法だよね!大人気ない!大人気ないぞ叔父よ!
うん、世の中正直者が馬鹿を見るようだ。
私に至っては、二日連続だよ。
「元気な…お子のようだ、な…」
「そうなのぅ、もう皆いい年なのに元気いっぱいで困っちゃうわー。ねーお父さん」
「ねー」
父、母に合わせて、小首傾げなくていいから!
朝から食欲なくすわい!
げんなりした様子で、『さすが、レジィーの……』とつぶやく叔母に無言で頷く叔父Bを、床に転がりながら、眺めていた。
いつか、岸田兄弟のお茶目が過ぎて、額がでこピンで割れそうな気がする。
+ + +
「いえ、母は健康そのものです」
「つまり、ゼルの弟だか妹だかが、体調よろしくないのか?」
「もう…お耳に入ってましたか…」
弟王子の言葉に、ただの推測だけど、と加えて額を摩りながら兄が苦笑する。
―――ってか、もう一人いたのか!
叔父の家族はどうやら、叔父、嫁、熊王子、弟王子、末姫の五人家族だったようだ。
昨日の今日で叔父は加減を覚えたようで、爪は切ったようだし、流血はしなかったがあまりの痛さに姉に回復してもらった。
勿論、姉は真っ先に自分の赤くなった額を回復してたよ。
兄は自力で回復してたし。
いいなぁ、即効性の回復魔法。
親切?に叔父が地面に死屍累々と転がる兄弟たちを片手で持ち上げて、椅子へと戻してくれた―――戻す親切があるなら、最初から追い回さないで欲しい。
たぶん、叔父の性格を考えるとノリで追いかけてきたのかもしれないけど。
「ゼルは、薬効のあるシュルルの実を欲していただろう。かなりの必死さだったから、親しい者―――肉親なんかが、病気に犯されていたのかと思っただけだ。父親、母親が健在ということは他に兄弟ぐらいだろう。親友とかもあるが、それなら母親が部屋に篭る理由がない。大方、看病のために共にいるのだろうし、だとしたら幼い子だろうと、な」
息継ぎなしの長台詞。
しかし、それだけの情報でよく分かるもんだな。
でもまぁ、母親の友人や親しい人とも考えられなくもないけど、それだとやっぱり母親は部屋に篭らず、看病を任せるだろうし、弟王子や、熊王子が直接、森にあの実を求めて入るということはなかったんじゃなかろうか、といったところか。
食事が並び、朝食。
そういえば、弟王子に上げた実はどうなったんだろうか?
生で…食べる気だろうか?
運ばれてきた食事を口にすると、マヨネーズは進化しており、大体の料理が美味しく―――って飽きるわ!どれにフォーク突っ込んでもマヨネーズ味って!
いや、そうじゃなくて、病気なのか末っ子。
脳裏に『食事療法』という言葉が浮かんで、ちら、と母を見ると、こちらの考えを知ってかしらずか、小首を傾げている。
風邪をひいた時は母の食事に救われたものだが……王宮料理がこれなら、怪しいものだ。
「嫁の名前が、エレアノール。雅美ちゃんが言ったとおり、末の子の看病しとる。長女で12歳や。名前がマドレーヌ」
ルイと年が近い。
しかも、同じように病気だなんて、嫌な感じの偶然だ。
食事を開始していた岸田一家全員がぴたり、とその手を止めた。
まず、間違いなく長女の名前をつけたのは叔父だ。
うん、100%間違いない。
「叔父さん」
「叔父」
「玲二叔父さん」
「玲二くん」
「玲二」
岸田家族全員がつっこんだ。
「「「「「お腹すいてた(のね)(んでしょ)(んだな)(ろ)」」」」」
なにせ、叔父さんのお菓子ナンバーワンに輝く大好物だ。
一人で30個は普通に平らげるぐらいだし。
私がマドレーヌを作った時は叔父が、レンジの前で待機しており、家族の口に入るまで、九回も焼き直ししたのはいい思い出―――って、そんなんあるかい!
一日をなぜマドレーヌに費やさなければならない!
焼き時間が短いからといって、マドレーヌを舐めるな!卵とバター買いにコンビニに泣きながら走ったんだぞ!最終的には私は母に泣きついたんだぞ!もうマドレーヌ作りたくないって!せめて作った私に一つぐらい味見させろや!そして、『あかん、焼きすぎや』とか『駄目や!こんなん究極のマドレーヌじゃないわ!』って、文句を言うなら食うな!
他のお菓子は、普通に美味しいって食べるのに、なんでマドレーヌだけスパルタ!?
おかげで、私のマドレーヌ作りの腕前だけはプロ級だと自負している。
……そのため一時期、マドレーヌが嫌いになったが。
でも、その後普通にご飯食べて帰ったから、恐ろしいものだ。
後に聞いたところ『マドレーヌは別腹』とか女子高生みたいなことをほざいていた。
「だぁああああ!ちゃう!ちゃうねん!誤解やで!別に嫁が出産後にちょい体調崩したから名前付けが俺に回ってきただけや!その時は別に腹なんか、空いとらん―――って、なんや、皆して俺を見る冷たい視線わ!」
つまり、妻が寝ている隙に、勝手に長女の名前をつけた、と。
そして猛烈に腹は空いてたんだな。
「さすが外道だな、叔父さんは」
「しかたないわよ。玲二叔父さんだし」
うん、それもそうか。叔父だもんね。
そのくらいアンフェア上等な人―――いや、人ってか鬼だね、鬼。
「だから、誤解やて!?」
ちょっぴり涙目で弁明する叔父。
きっと今、眼鏡をかけていたら、叔父に刺さる矢印が見えていただろうに、もったいないなぁ。ぷぷぷ。
「あの、マドレーヌとは食べ物なのですか?」
話の内容から、察したらしい弟王子に母が頷いてみせる。
「そうなのよぅ。玲二くんが好きな焼き菓子なの」
「お、お菓子、だと!?」
って、お菓子はイベ叔母が反応するんだ。
「一人で三十個ぐらい食べるのよねぇ」
「さ、三十個!?」
しかも審査はやけに厳しいけど、よく食べるのだ。
てか、もう出てきたフレンチトーストの三枚目を食べているイベ叔母が涎を垂らさんばかりの表情で―――といっても、美人は美人だな――瞳をギラギラさせて、私を見つめている。
……どうやら、今日の貢物はマドレーヌをご希望らしい。
+ + +
叔父の話を聞くかぎり、末姫はどうやら重い病気のようだ。
この魔力がある異世界特有の奇病。
常にというわけではないが、発作のように突然起きるようだ。
人が元々持っている魔力が―――つまりはMPが突然、減りだしたりする病気。MPが0になると意識不明となり、体力であるHPが減りだす。
MPが急激に減っていく感覚が蘇る。
頭痛、貧血、倦怠、それらが強まるのだろう。
実際MPを消費して経験しているからこそ、その病気がどれほどのものかわかる。
発生率は子供が高く、昔から存在はしていたが、極稀で国に数えるほどいるかどうかぐらいだったのに、年々数が増加傾向にある。
原因は不明、だから明確な治療方法や薬が存在しない。
根本的な治療ができず、せいぜい対処法として、HPやMPを回復するぐらい。
軽い症状なら問題はないし、大きくなると治ることもあるらしい。
「まぁ、回復さえすれば、死ぬことはないんやけどな」
表面上は変わらないが苛立ちの滲む叔父の言葉は、そのまま私の中で裏返る。
―――回復を怠れば死に至る病。
食事の手が止まり、私は真剣に話を聞いていた。
たぶん、兄も、姉も、両親も。
うちの家は幸い、大きな病気とかしたことがないので、その感覚はよく分からない。
でも姉が怪我をして入院した時も三日で退院できるし、治るって分かってたけど、すごく心配した。
叔父には、その心配がずっと続いている。
あの自分が僅かとはいえ体感した苦しみ。
治療法のわからない病。
いつ起きるか分からない発作。
私は会ってもいない幼い従兄弟を思うと、なぜかルイの姿と重なった。
勿論、彼女は他国の姫なのだから、違うのだけど。
自分では普通にフォークを置いたと思ったが、考えていたよりも乱暴だったらしく、静かな室内に、やけに大きく響いた。
たぶん、間違いないだろう。
「ミコ?」
姉の呼びかけに私は眉根を寄せて首を横に振り、その病名を告げた。
ため息のように小さな音だったが、自分の声がよく透る。
「―――マガツ、病」
病名を告げていない叔父が、驚いたように両目を見開いた。