Act 02. 超朝食
兄は血泥まみれのシャツで台所に入るには不衛生と判断され、入場をやんわりと料理長に拒否られた。うん、まったくもって妥当な判断である。
むしろ、もっとガミガミ言ってちょうどいいぐらいだと思う。
きっと右から左に高速で流れていくだろうけど。
コックの一人から予備のシャツを手渡され廊下で着替えているようだ。
気が利くことに、濡れたタオルも手渡されていたから、堂々と体を拭いているだろう―――たぶん、廊下で。
なにやら、シャツを貸したコックの戸惑いの悲鳴が聞こえるし。
どうやら、部屋に戻るというのは面倒と考えたようだ。
この露出狂め。
兄は家ではパン一なので、慎みという言葉とは程遠い。
相変わらず、見たこともあるやつも、見たこともない食材が並んでおり、食材のチョイスからはじめるのが面倒で、結局フレンチトーストに思い至った。
パン、卵、牛乳、砂糖―――バターとメープルシロップか蜂蜜があればなおよし。
ワンランク上を目指すなら、牛乳じゃなくて生クリームね。
っつーかー、こっちのパンはフランスパン並みに固すぎるので、フレンチトーストにして丁度いいような気がする。
作るのは簡単。朝食前の朝食には丁度いい――ってあんまり甘いと、胸焼けするだろうか?ま、いっか。
卵一個。
牛乳・砂糖は基本、勘でボールに投入。
液体じゃないバニラは昨晩見つけてたので、香り付けにちょろっと――まぁ、十分甘い匂いするから別に入れんでもいいもんだけどね。
んで、食べやすいサイズに切って混ぜた液体に投下。
あんまり浸しすぎると、かなり食べずらいぐらいぐちゃぐちゃになるから、心なしかささっとしたほうが、外がカリッ、中はぐちゃと食べやすい――って、これは好みか。
これは緻密さのいらない料理?いや、料理ってほどでもないんだけどさ。
この液体にパンを浸して、フライパンを暖めて多めにバター投下。あーいい匂い。
バターが薄く狐色になったらパンを焼いて、焦げ目がついたら完成。
弱火とか中火とかなくて、自分でフライパンを火から遠ざけたり、避けたりしないといけないので、妙に疲れるけど。
蜂蜜があったので、バターと、上からお好みでかければいいんじゃない。はい、兄―――って、なんでジークお前が受け取り運ぶのだ!そして、なぜ当然のように兄の隣に並んで座っている!?な、なに、期待に満ちた顔で見るな!く、くそうっ!作ればいいんだろ!作れば!
見た目がぐっちゃだから、料理人は遠巻きなのに、ジークはめっちゃ食う気満々だよ。
材料は多めにあるから使っていいって言われたけどさ。
驚いたけど、この国には基本的に白い砂糖なのだが、ごろんとブロック――レンガぐらいの大きさの角砂糖?――になってて、それを削って使うのが普通なんだとか。昨日見たときは威圧的でびびった。
なんて面倒な。ガチガチだから、普通に凶器だよ。あれは。
「ふ、普通に上手いじゃないのさ!!甘いパンだなんて、アタイ食べたことないよ!」
隣で一緒に教えながら作ってた女料理人が、声を上げた。
その言葉が合図だったように、赤毛の女料理人の皿に料理人たちのフォークが無遠慮に伸びていく。
ここはお菓子文化がほとんどないらしい。
菓子パンもないな、こりゃ。
オヤツといったら、食用花弁の砂糖漬け、金平糖みたいな砂糖の塊、素上げのサツマイモとか、干した果実っぽいものなどなど、かなりシンプルな甘さのものが多い。
砂糖は塩や香草に比べて調味料にしてはお高いぐらいだけど、なんと蜂蜜は馬鹿高いらしく、貴族しか使わないんだとか。メープルシロップはあるけど、値段は砂糖よりちょいお高く、市民にはメジャーではないらしい。
貴族=蜂蜜。中流階級=メープルシロップ。市民=砂糖。らしい。
フレンチトーストは、蜂蜜がなかったら、砂糖をかければいいだけだからね。
人様の台所だから、あんまり使わないようにしよう。
食べてから聞いたから、兄普通に使ってるよ。
私もホットミルクに入れちゃったし。
なんと!牛じゃなくて羊のミルクだったらしい!想像の中ではさらっとしてるんじゃなかろうかと思ったが、結構濃くて驚いた。
しかし、なんとなくこっちが料理文化?に乏しい理由が分かった。
たぶん、一つ一つの素材がそこそこ美味しいのだ。
特選無農薬野菜、自然の恵みたっぷりみたいな。
簡単に火を通す程度で十分食べれる―――うん、ただ飽きるんだけどね。
ニンジンの味そのままスープとか。
サラダのドレッシング、塩のみって。魚は香辛料つけて焼いて、塩って。スープの出汁がなくて、塩胡椒て……まぁ、食べれないことはいけど。
だからじゃないかなぁ、と思ってみたり。
だから料理の味より、盛り付けとかの見た目にこだわった、とか?
いや、ただ料理研究家の数がすくないとか、美味しいレシピがあっても情報の流通が遅くて広まらないとかかもしれないけど。
ただ飽きる。
現代人の肥えた舌?では。
そう考えると、叔父がガリガリになっていたのも頷ける。
「こ、これなら、固いパンが暖かく、しかも柔らかい状態で食べられる!な、なんてことだ―――今まで、誰も思いつかなかったなんて」
……深刻そうな顔されてますが料理長よ。髭に蜂蜜が。
この異世界では――というか、この国は――パンは石鹸よりも固いからなぁ。柔らかいパンがないなんて……あ、涙が。
「美味しいですよ!ミィコ殿!」
そりゃよかったね、ジーク。
取り合えず、たぶん誰も取らないと思うから、皿を抱え込むな。
がちゃ!がちゃがちゃん!!
うんうん、左門番よ。食べる速度が尋常じゃないので、なんとなく気に入ってくれたのはわかったから。だからフォークと顔部分の鎧と当って、煩いからはしゃぐな。
器用に顔のサンバイザーみたいなやつを少し空けて、隙間から小さく切ったフレンチトーストをフォークで入れているようだ。
よくわからないが、余計なことは喋らない、鎧を取らない、顔を見せない――それが門番の掟なんだろうか??
ホットミルクを啜りながら、ようやく一息ついた。
ようやく窓の外が完全に明るくなっており、異世界二日目の朝を迎えたのだ、と、フレンチトーストで沸き立つ広い台所をぼんやりと眺めていた。
この光景だけみると、イシュルス平和だな。
数日後にはゴブリンの大群が押し寄せてくるとは、まったく思えない。
叔父や、兄は心配ない。チートだし。
本人曰く、父は母の為なら『海真っ二つに割る』とか豪語してたし、母は心配ないだろうし、姉は基本的信zy――いや、普通に誰か下ぼ―――えーと、姉にご好意を寄せる方々が守ってくださるだろう。人目のある所ならば安心だ。
私も幼少からスリリングな毎日を送ってきたので危機感は一般の18歳女性よりもあるつもりだし――まぁ、一回事故ったけど――なにより逃げ足が速いと自負している。まったくもって、戦闘では役にたたないのが難点かもしんないけど。
なんだかんだで、いつも大丈夫なのだ。
岸田家の人間は運が強い。
王子達は?
叔母は?
まだ見ぬ身内は?
知らない―――どんな人たちで、どんな風に物事を解釈して、どのくらい強い人たちなのか、まだ深くしらないから、わからない。
叔父のことだから、抜かりはないと思うが、ちゃんと安全なのだろうか?
叔父は他人に辛辣と言ってもいいが、結局身内に甘い。
だから、自分の身内を大事にしてる。
でも。
騒がしい台所で働くコック達を、眺める。
朝につけっ放しのニュースの映像が流れるTVを見ているように彼らを眺める。
別に違和感はないものの、かといって強い感情も見出さない。
だって、ただ映像が流れているだけ。
ブラウン管越しの。
だから、何も感じてはいけない。
私が大切なのは家族。
それ以外になにもないのだから。
自分の身を守るのが精一杯である弱い私が、彼らに何かを感じるのはおこがましい。
「ありがとうございます、ミィコ殿。ご馳走様です」
「……ん」
皿を置いて、ジークが至極幸せそうな顔で、礼を言ってきたのに曖昧に返す。
隣ではがちゃがちゃと左門番も煩い。
脳裏に朝の夢が過ぎって、沈鬱な気持ちで視線を伏せた。
「ミィコ、殿?」
ジークが少し眉根を寄せて、私を伺っている気配がする。
果たして、それに応えるべきだろうか。
たぶん、私は彼らが、出会ったイシュルスの人が―――…だからこそ、私は彼らにこれ以上踏み込むべきではない。
手の温もりが失われている恐怖を知っているから。
くしゃり。
兄の手が唐突に伸びて、私の頭を撫でた。
「大丈夫」
苦笑交じりの声。
どこか忍び寄る不安に、兄は気がついたのだろうか。
「ミコ…お前も自由に生きていいんだ」
視線を上げると、兄は困ったような、呆れたような不思議な微笑を浮かべている。
十分私は自由にというか、自分勝手に生きてると思う。
その言葉の真意はよく分からなかったが、兄を心配させていることだけは理解して、私は曖昧に頷いた。
―――ごめんね、兄。
でも取りあえず、蜂蜜のついた手は拭け。
私の髪べとべとやん。