Act 18. 機嫌の悪い姉
「―――と、まあ、色々あってなぁ」
ふーん、と相槌をうつが、兄のかくかくじかじか的な説明を受けつつ、こりゃ大分省いたな、と内心呟いた。もっとなんかあったのだろうことが容易に想像できる。
まず途中で気がついて、引き返したのがいつだか分からないが、時間が経ちすぎている気がする。
時間を省くために『兄探索チーム』と『姉買い物チーム』の二手にしたまではいい。
その後、ずっと探していたなんてことは兄に限ってない。
迷子に気がついても、兄ならもっと早く―――もしかして、迷子になったのも気がついてたけど、放置されていたのか、私??
腹時計的に一時間は過ぎているだろうし。
適当な兄の説明に、ジークが微かに視線を彷徨わせているところからも容易くわかる。
ま、いいや。
今は気分がいいから、後回し。
後でジークに事情聴取しよう。
私はMP不足で、まだ頭重く、多少足元をふらつかせながら、ジークの後ろを歩く。私の後ろには兄。もう絶対に、迷子にさせないぞーな陣形だ。
両手で布に包まれた楽器を抱えて、ニヤニヤしてしまう。
そう、ゲットいたしました!
この世界でも予想はしてたが新品の楽器は高額で、新品は当初から諦めた。
しかも入った店ではヴァイオリンの中古品がなく、待ち合わせまで時間がないから、他の店を回る余裕もなかった。
別にヴァイオリンに固執する気はない―――勿論、私が音楽の徒となったきっかけはヴァイオリンだし、一番要領を得ているが―――今は、ただ楽器が弾きたい。見知らぬ楽器なら、独学で始めればいいだけの話だ。
それにヴァイオリンの新品が高いなら、いつか自分で金を貯めて買えばいい。
これは武器とか防具じゃないから、本当は叔父さんからのお金で買っちゃまずかったようで、ジークは苦い笑いを浮かべていた。
ジークが怒られるのかもしれないので、謝ると彼は首を横に振って「いつかもう一度聞かせてくれたらチャラにしよう」と大人の余裕のある発言で返してくれた。
叔父さんにも謝って、地道に返金するとしよう。
何にしようかと迷ったけど、ルイと同じラバーブをチョイス。
これも実は新品はヴァイオリンほどではないがいいお値段だった。でも幸い中古品があったので、一度弾いていることもあって、決めた。
特に銘のあるものじゃないが、きちんと調律されている。
前に、これを使っていた人が、心を込めて使用していたのだろう。
なかなかの掘り出し物だと、人の良さそうな親父は笑っていた。実際、一度商品なのに弾かせてもらったのだが、音は文句なくいい。
親父はかなり値引きしてくれた上に、調律をいつでもしてくれるとの約束までしてくれた。
腕の中のラバーブ。
心が躍るというのはこういうことをいうのだろうか。
もう、弾きたくてウズウズしている。
ふと、ヴァイオリンケースを片手に練習場所である川原に向かっている自分を思い出した。そういえば、こんな逸る気持ちで毎日走り出していたような気がする。
あの時、世界が輝いていた。
澄み切った空が高くて、川原の草が風に揺れる音がヴァイオリンに重なって、水面に反射した太陽がキラキラしてた。
微かに自嘲が零れる。
こんな気持ちすら忘れていたのだ、私は。
きっとあの時のような、真っ直ぐな音はきっとでないだろう。
でも、あの時は弾けなかった音を奏でられる。
地獄の特訓の後じゃないと好きなだけ弾けないので、それだけが無念である。できれば、一日中弾いていたいが、命の方が大事だろうと兄に諭されてしまった。そりゃそうだ。
ただ私には、兄姉のように遺物とは出会わなかった。
でも、いいと思う。
良くも悪くも私は平凡なのだ。
やっぱりな、とか思うけど、私はできることをやればいい――きっと、したいことをすればいいんじゃないだろうか。
前ほど卑屈にならずに受けいられるのは、手に重みがあるからだろう。
+ + +
ただ姉に会うのは、なんともいえない感情を抱いた。
あの事故以来、二度と弾かないという空気を出していた私が、異世界で楽器を抱えて歩いているだなんて、驚くだろうか、いぶかしむだろうか。
姉はどう思うだろう?
父は元々放任主義だったし、母は時々「もったいない」と言いながらも放置してくれた。
兄はさりげなく私を音楽の道に戻そうとしたが、姉は違った。
ヴァイオリンをやめ、一日の大半を家でダラダラとゲームにうつつを抜かす私を嫌がった。
妹がオタクの道に進むのが嫌だったのかもしれないが、それまでは休日には一緒にあまり出かけることはなかったのだが、やたらと外に連れ出すようになった。
荷物持ちだったかもしれないが、それなら姉の下ぼ――いや、姉を慕う男性が喜んでしてくれるはずだ。
気を紛らわせようとしてくれていたのだと思う。
ヴァイオリンを手にしない休日の時間の流れは、ひどく緩慢だったから。
その心遣いを有難く思いながらも、なかなか素直にお礼など言うことはできなかった。
「やはり時間が過ぎたのでしょう。向いの大衆食堂に移動しましょ――しよう」
「大衆食堂?」
「時間が過ぎた場合の待ち合わせの場所にしたんだ」
最初に馬車を降りた大通りの食堂らしき場所に誘導されていく。
お世辞にも綺麗とはいえない食堂だったが、店内は明るく光が差し込んでおり、そこそこ清掃が行き届いている。
昼が近いせいで、けっこう混雑していた。
きっと安くて、早くて、ボリュームたっぷり的な店なのだろう。味は…どうだろう?王宮があんなのを出しているだけで、下町は意外と美味しい物を食べているのだろうか?
でも騎士ですら、ホットサンドを美味そうに食べていたところを考えると、期待は薄い。
労働階級の男性がほとんどだが、ちらほら女性もある。
私はようやく気がついたのだが、労働階級の女性も髪の毛を束ねているだけで、長いのが基本だ―――というか、街中でも、この世界で髪の毛が短い女性を見たことがない。
私の髪は短く、ショートなのだが『弟』に間違えられているのは、そのせいなのだろうか?
いや、そのせいだと思いたい――いや、そういうことにしておこう!
姉はこの食堂でも頭巾を目深にかぶっていたので、すぐ見つかった………のだが、機嫌が悪い。というか、物凄く機嫌が悪い。
足を組み、腕を組んでいるのは、その合図のようなものだ。
日頃はこんな座り方を滅多にしない。
親指の爪を噛んでないだけ、まだましだが。
眼鏡をかけていたら、ブリザードが吹き荒れているエフェクトが見えていたんじゃないだろうか。
神殿だか、教会だか、の目的地か、その往復の途中で嫌なことがあったのだろうと、思うけど…?
まさか、私たちが遅れたせいで、とかじゃないよね?
そんなに遅れてないよね??
テーブルの上のコップから湯気が上がっているということは、なにかを注文して届いてから、時間が経過してないためだと思われる。
姉が大衆食堂についたのは大分前というわけではなさそうだ。
ほっと胸を撫で下ろす。
「あ、あちらに―――どうかしましたか?」
思わず、兄と私は足を止めてしまう。
たじろぐ私たちをジークが不思議がっている。
「ん、いや。由唯の機嫌が良くないので」
「え?そう、ですか?」
私も兄の言葉に大きく頷くと、ジークが小首を傾げていたが、ここで立ち往生しているわけにはいかないので、決死を覚悟して、そーっと近寄る。
ちなみに隣にいるチャラ男は生気のない顔をしている。
こう、なんていうか……口から魂でてるけど、大丈夫?と聞きたくなる。
大衆食堂の一角のここだけ、葬式の後か!と突っ込みたくなるくらいの暗さだ。遠めに見ても二人の間に会話らしい会話がまったくない様子。
近寄りながら兄と私は互いに目配せし、じゃんけん――しょっ!
私がパーで、兄がチョキ。ちっ!なんでヤバイ所で、いっつも負けるんだ私!
負けた私は潔く、姉に声をかける。
「由唯姉……遅れて御免」
俯いていた様子の姉が、ゆらりと顔をあげる。
頭巾の隙間から、厳めしい色の浮かぶ瞳が細め、辛うじて笑みらしいものが浮かぶ。見えないけど、コメカミに青筋とかリアルに浮き上がっているんじゃなかろうか?
「べぇぇつにぃ、待ってませんけどぉ?」
うわ!機嫌悪!
懸命に押さえ込もうとしてるけど、バレてますけど!
でもMAXっていうわけではなかった。それだったら話しかけた瞬間、八つ当たりしてくるはずだし、最悪の場合は口も開かない。
「ちゃ、チャイラ、なにかあったのか?」
「ん…あぁ~」
ジークも重々しい空気に耐え切れずに、チャラ男に問うが瞳が遠くを見てる。
側に来た私たちに、やっと気がついたって感じだ。
「た、只者じゃないと…思ってたけどぉ…華麗な連打が――てっ!」
きっと姉に睨みつけられて、見えないけど、テーブルの下で蹴りを食らったのだろう。そのまま、首を横に振って、引き攣った笑みを浮かべている。
姉よ!あんた、いったい何をやらかしたんですか!!
なんだ、華麗な連打って!?暴行罪しちゃってるんですか姉!?
チャラ男が荷物をもっているから、無事?に買い物は済ませてきたのだろうけど、なにが起きたのか物凄く気になるんですが!
果てしない疑問に駆られたが、ふ、と姉の機嫌の悪い目が私の腕の中に向く。
「ミコ、なにそれ?」
ううぅ、やっぱりきたか。
心構えはしていたが、できれば機嫌の悪さに任せて、スルーしてほしかった。
後ろめたさのような、気恥ずかしさのような気分に、ぎゅっとラバーブを握り締めて、知らぬ顔で視線を彷徨わせると、兄が口を開いた。
「ラバーブだ」
「らばーぶってなによ?」
「ヴァイオリンのご先祖様みたいなもんだ」
ヴァイオリンと呟いた後に、姉がただですら大きな瞳を、さらに大きく見開いた。
「そう」
と、あっさりと姉は引き下がって、問い詰めることもなく、ひとつ小さく頷いて、嬉しそうに微笑んだ。
あまり姉が見せることのない類の、優しい微笑だった。
いつも美人だが、このときばかりは聖母のように神々しかった。
同性で顔立ちに見慣れた妹ですら、見惚れる。
事故以降、数年も絶っていた音楽に舞い戻る私に対して、素っ気無いものだったかもしれないが、今はそれがありがたい。
無駄に騒いだりしない姉の心遣い。
でも姉が自分のことのように喜んでくれているのがわかる。
だから、私も照れ隠しに笑った。
上手く笑えていたかわからないけど、姉は立ち上がってくしゃり、と私の頭を撫でた。
うっかり、そんな姉の聖母のような微笑を目撃した数名の男が動きをぴたりと止めて、耳まで真っ赤になっていたが、見なかったことにしよう。