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岸田家の異世界冒険  作者: 冬の黒猫亭
二日目 【異世界生活の始まり】
57/119

Act 17. 兄と妹

 三人の背中を見送り、元の迷子と化した私はため息をついて、己の左手を眺めていた。



 冷めやまぬ熱を抱えたまま、かすかに震えている―――長いブランクか、喜びにか、それとも両方か、私には判別がつかなかった。


 結局、自戒していたにもかかわらず、楽器を弾いてしまった。 



 ルイは助かったからいいじゃないかと思いながらも、心の何処かで兄に申し訳なくなる。


 兄は私に音楽をやめろといったわけじゃない。

 事故の後、ヴァイオリンから遠ざかった私を、それとなく音楽の道に戻そうとしてた。


 数年して、私の左手が完全に日常生活に支障がなくなると、何かの景品であたったから、なんて、アホみたいな言い訳しながら、私の使っていたのと同じメーカーと型の新品のヴァイオリンを持って帰ってきたことすらあった。中古ですら、馬鹿みたいに高いのに。


 私はすごい運だね、なんて、ここぞとばかりに兄の心遣いも分からない馬鹿な子供のふりして、これを売って京都に家族旅行に行こうよ、とやけにはしゃいでみせた。


 聡い兄は言外の私の拒絶を感じ取ったようで自嘲的に瞳を細めて、それ以上何も言わず京都の旅行を手配した。


 傷ついたかもしれないが、一瞬だ。

 受け取って、演奏する日があるかもしれないなんて、妙な期待はさせなかった。


 それのほうが、よほど残酷だ。


 私がヴァイオリンを再開すれば、兄の苦しみは永遠だ。

 安心していい。もう忘れていい。何事もなかったかのように、日々を楽しく過ごしてくれればいい。



 子供の頃、私は誓った。


  

 家族が笑って過ごせるんだったら、私はどんなことだってしよう―――私の持っているものが、妨げるのなら捨てよう、と。


 なにかに固執して、家族の笑顔を奪いたくない。

 

 私の存在が家族を笑顔にさせられなくたって、せめて悲しませたりしたくない。


 ヴァイオリンを始めていなければ、母は私をヴァイオリン教室に行かせなかっただろうし、恩師に会う事もなく、きっと大会なんかにでることはなかった。大会に出なければ、入賞することなんてなかったから、興奮して姉が一緒にいるのに、周囲への警戒を怠るなんて、馬鹿な真似は絶対にしなかった。



 だから、あの日以来、私はきっと執着心というものを切り捨てた。





 その象徴がヴァイオリンだった。





 人助けだったし、ヴァイオリンじゃなかったとはいえ弾いたという事実に―――自分にがっかりする。

 もう完全に自分の心にはないと思ってた。


 墓場の中まで持っていこう。

 

 今日、私はヴァイオリンを弾いてない。演奏などしなかった。それでいい。


 周囲には他人ばかりだったし、今度会ったときにルイにはそれとなくお願いしよう。きっと彼女は私が演奏したことを内緒にしてくれるだろう。



 ふと、急に太陽が翳って、顔を上げて、ぎょっとした。

 



「ミコ」




 探してもらおうと、待っていたけど、このタイミングでは最も現れてほしくなかった男。


 相変わらず胡散臭い笑顔の兄だった。







  +  +  +







 はっとして、停止した思考を再起動させる。


 ルイ達が去るのをまっていたかのような絶妙さで、現れたからといって先ほど曲を聴いてたと決め付けるのは尚早だ。


 演奏している姿を見てないなら、わかるまい。

 あの楽器はヴァイオリンに近いが、同じ音をしているわけではない。


 ブランクもあるから、腕も鈍っている。


 気を取り直して、遅かった事を詰って、誤魔化そう―――ってか、二人だけ?姉いなくない?


 口を開こうとした刹那。



「一曲目も素晴らしかったが、二曲目もさらによい演奏だった、ミィコ殿」



 あん?


 兄の隣にいたジークが瞳を細めて、満足げに何度も頷いている。

 

 いっきょくめもすばらしいが、にきょくめは――――いや、頭の中で反芻しなくたって、意味は理解しているが、心が受け付けない。



 ぎ、ぎぎ、ときっと油の切れたロボットみたいに、太陽を背にした兄に視線を戻す。



 兄は変わらず、歯の光りそうな爽やかな笑顔。

 いつもと一緒で、苦しそうでも、悲しそうでもなく、普通だった。


 むしろ細められた瞳は、僅かに温かい色すら浮かんでいるように思える。



 地面に座り込んでいる私に手を差し伸べられた。



「まぁ…楽器も違うし、長いブランクもあるから、あんなもんだな」



 兄の様子を伺いながら、おずおずと戸惑いながら手を伸ばす。がっちりと、手を掴み引き起こしながら兄はからかうように喉で笑った。

 

 あんまりにも昔と変わらず、ごく自然に馬鹿にするもんだから、私も自然に悪態をついた。



「失敬な。音痴に賛否されたくないし」

「あ、音痴を舐めるなよ?いざとなったら、罵声でワイングラスだって割るぞ?」



 んなもん、できるか!お前は、どんなソプラノ歌手だよ!

 

 起き上がると、MP不足のせいか、眩暈が起きて足元がふらふらする。

 兄が、『よっ』という掛け声と共に私を肩に担いだ。



「っつーかさ」

「俺とアルケルトさんが居たって、かわらんだろう?回復魔法を覚えているわけじゃなく、ポーションもってるわけでもないんだし」

 


 おとなしく肩に担がれて揺られながら、先回りされて、むっとする。


 少なくとも、ジークさんは医者の場所ぐらい知っていただろうし、私一人で声を上げる以外の有意義な救出方法を思いついただろう。



「お前を見つけたのは、一曲目の途中だからな。確認したら、HPは戻ってたんだから、遠慮したんだ。二曲目には彼女の知り合いも来たんだろう?」



 そういわれてしまえば、罵詈雑言の飛び出すはずだった口を閉じるより他ない。


 眼鏡で確認はしたのだろう。

 

 たぶん、あの場面で兄が出てきていたら、私は演奏を中断したが、理性で踏みとどまっても、演奏ミスをしただろう。それは、私が一番よく分かっている。


 私がわかることなら、兄だってわかる。

 可能性を踏まえながら、兄は最善を選んだであろう。


 背中に顔があるから、兄の表情は見えないが、きっと苦笑していることだろう。



 だが、一人でじたばたしていたようで面白くはない。



 ごすごすと兄の腹部に軽く膝を入れながら、過ぎたことは後回しにした。



「由唯姉は?」

「ん~…まぁ、色々あって別行動だ。教会に防具買いに」



 なぜ言葉を濁す?なにがあった、兄よ??


 兄だから、姉を危険な目に合わせたりしないだろうし、今気がついたが、姉どころか、チャラ男もいないので一緒に歩いているのだろう。


 ………それって大丈夫っていうんだろうか??


 色々な意味で、一抹どころか、三抹ぐらいの不安を感じるんですが。


 ストーカーの大安売りとか。熱狂的ファン急増とか、誰かに喧嘩売られて火花を散らしているとか――果たして、チャラ男はそれを止めれるんかい。


 いや、無理。きっと無理。兄の妹で、私の姉だぞう?



「妖精さんもいるの?」

「勿論だ。四人ほどな。お前が想像しうる危険はないと思うが――いや、一部は可能性があるが」



 チャラ男より、まだ顔も知らない影奴のほうが安心だ。



「結構時間食いましたけど、徒歩で10分といったところですかね?」

「あぁ。待ち合わせには十分間に合う。多分、あちらの移動時間を考えると、我々の方が早いぐらいだ」

「そうですか」



 どうやら、どこかで集合するようだ。


 ゆらゆら、揺れながら、逆方向に流れる人を眺めてた私は、ボンヤリと己の左手に視線を送る。

 もう熱はすっかりと引いて、震えは治まっている。





「………痛むか?」





 肩に担がれて、顔は反対側にあるんだから見えないはずなのに、タイミングよく兄はぼそりと、呟いた。

 感情の色を出さない事務的で淡々としているが、此方を伺うような音。



「別に」



 痛みなんて、とっくにない。


 私は家族以外の何を失ったって、もうなにも感じない。

 兄が心配するような、苦しみも、悲しみも、私にはない―――そう、捨てたから。 


  

 矛盾、してる。



 ルイが――目の前で人が死に向かうさまに強い恐怖を覚えた。

 子供だが、出会ったばかりの赤の他人だ。


 楽器を弾いて、高揚した感情。


 捨てたというのなら、それらは何処から来たのだろう。



 わかりきっていることだ。





「――……雅兄は?」





 家族大好きの称号を返上しなければならないくらい酷い妹だな、と自分でも思いながら、問わずにはいられなかった。


 私の足を掴んでいる手が僅かに強まった。

 兄の体が強張ったのは、無意識だったのだろうが、それが答えのような気がした。


 いま、兄の顔が見えなくて、本当によかったと思う。


 強かで、タフそうに感じる兄だけど、その内側がとても脆くて繊細だということを、知ってるくせに、残酷な失言だった。





「ごめん……今のなし」




 

 いつもの調子で殊更明るく声を出そうと思ったが、カラカラに乾いた喉からは掠れた音がでた。

 慌てたが二の句は上手く紡げなかった。

 

 暫し無言が続いて、兄はとても長い息を吐き出したように思える。



 たとえば、数年間分ほどの。

  



「知ってたんだな」




 たぶん事故のことだろう。そんな気がする。


 そりゃ、兄の妹だからね―――なんでもない風に笑って言おうと思ったのに、兄の弱弱しい声色に、またしても喉の奥で詰まったまま出てこなかった。

 



「本当に今更だが、俺が悪かった。お前を危険な目に合わせて――」




 その時のことを私より鮮明に覚えているのか、ぎりと悔しそうに歯噛みしたのが分かった。


 当時それを言わなかったのは、私を気遣ってでしょう?

 それがわからないほど、私は子供じゃない。




「――そして、きっとこれからも俺の存在が、もっとお前を危険な目に合わせるだろう。俺を恨んでも構わない…ごめんな。俺がお前の兄で……ごめんな、ミコ」




 わかってる。わかっているよ。

 だから、謝る必要なんて、ひとつもないんだよ。



 謝罪が必要なのは私でしょう?兄に恨まれるのは私でしょう?


 私が―――私が弱いから、攫われて、人質にとられて、でも妹だから見捨てられなくて、兄はいっつも苦労するんだ。私のせいで殴られても蹴られても、大丈夫だからって笑うんだ。


 いつだって、私は兄の弱点だった。


 きっとこれからも。




「だからって、お前がヴァイオリンをやめる必要はない。これっぽっちもな。父さんだって言ってただろう?好きなことをすればいいんだって、誰も止めたりしない。それがお前の弱点だというなら、俺は今度こそ、それごと守るさ」




 それでも兄は、私という弱点に、さらなる弱点を持つことを許すんだよ?


 兄だって、きっと傷ついているはずなのに。

 私がヴァイオリンを弾いたら、気分がいいはずないのに。



 すごいだろう?



 誰がなんと言おうと、私の兄は家族の味方で、ついでに正義の味方で、最近は勇者なんかにもなったみたいでさ―――かっこいいだろう?悪を砕いて、弱者を守るんだよ?自分の弱点の弱点ごと守ろうとするんだよ?


 そんな奴、テレビの中とか、ゲームの中でしかいない。でも、たしかにここにいるんだ。





 これが、私の自慢の兄なんだ。








「雅兄」








 涙が出そうになるのを懸命に堪えるせいか、声が震えた。


 







「―――楽器が、弾きたいよ」


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