Act 15. 奏でる鳳凰のラバーブ
「ミコさん、もう大丈夫ですか?」
リィールの花を眺めているとルイに声を掛けられて、優しい気まずさのまま、ぶっきらぼうに頷いてしまったが、よく考えると鼻の中が切れたことだったのかもしれない。
弁明に口を開こうとしたが、彼女の慈悲深い微笑みに押し黙ってしまった。
もしかすると、どちらとも取れる問いをワザとしたんだろうか。
護衛なんかを撒いてくる行動力を考えても、この子は意外に将来大物になりそうな気がする。
末恐ろしいというのは、こういうことなのだろうか。
将来美人は間違いないだろうし―――彼女の国なんて知らないけど女王制度とかあったら、きっと立派な女王になるんじゃなかろうか。
「じゃあ、わたしそろそろ、戻りますね」
ルイが立ち上がった。
なんだか、覚束ない足取りである。
「……ルイ?」
「はい?」
やんわりと笑って返事をするが、ルイの呼吸音が少し荒い。
一曲弾いて、疲れたというなら、もう収まっていてもいいぐらいなのに。
それに、日光が当たっているはずなのに、出会った時よりも顔が青白い気がする。
「―――っ!!」
「どうか、なさいましたか?」
「…その…」
咄嗟になんと答えて言いかわからなかった。
まさか眼鏡で貴方のステータスを表示して驚いてますなどいえるわけがない。
HPはそのままなのに、MPが31しかない―――いや、確かに曲を弾いてMPを消費するにしたって、二曲しか弾いていないのにMP116が、ここまで減るものだろうか。
急速にMPが減ってる。
驚くべきことに、数秒でMPが1減った。
いつから、いったい、いつから?
魔石を投げたときにMPが減ったけど、私も頭がくらくらして調子がよくなかったような気がする。きっと同じかそれ以上だろう。勝手に減っていってるのだから。
おまけに、ステータスに髑髏マークがついているが、先ほどまでなかったはずだ。
ジークが毒に遣られた時と同じように思えるが、彼はHPだった。
彼女が減っているのはMPである。
毒じゃないとしたら、いったいなにが―――私が驚いていることに不思議そうに此方を見ていたルイの細い体が揺れた。
「ルイ!」
崩れ落ちそうになるルイの体を支えた。
力なく地面に手を付いて、【奏でる鳳凰のラバーブ】がごろり、と地面に転がった。
「す、すみません……すぐ収まり、ますから……」
「ル、ルイっ」
どんどん顔色から血の気が引いて、ヒューヒューと乾いた呼吸音になった。
どうしていいのかわからないまま、腕の中で体が冷たくなっていく。
「だッ―――誰かっ!!医者を!!お願いだから!!!」
私は叫んだ。
躊躇した自分が恥ずかしかった。
呼び掛けに気がついた何名かのイシュルス市民が、こっちに近づいてきて、男たちが医者を呼びに走り出した。運良く道に医者がいるなんてことはなかった。
懸命に、体を摩るも、冷たいまま。
動かしていいのか、横にしたほうがいいのかも分からない。
ただ刻々とMPが、割れた茶碗から水が漏れていくように、失われていくのが私だけに分かる。
早く、早く、早くっ―――誰か、医者をっ!!
無情にも、ステータス画面のMPが0を表示した瞬間、体が硬直した。
「っ!」
MPが0になった瞬間、ゲームオーバーになる可能性があった。
これがゲームなら、リセットボタンを押すか、セーブポイントからやり直しすればいい。
でも、ここは現実だ。
リセットボタンも、セーブポイントもない。
教会で目が覚めたりするはずがないと、私はとっくに理解していた。
死が待ち受けているのだ。
「みこ、さ…っ…」
だが幸いなことに、MPが0になっても、ルイは死ななかった。
でも意識が朦朧としているようで、焦点があっておらず、今度はHPが急激に減りだした―――まるで、MPの代わりであるかのように。
それからルイの青白い肌色が斑に色を変え始めた。
部分的に、灰色がかっていく。
そこで、誰かが叫んだ。
「駄目だ!その子はマガツ病だ!」
肌が灰色になったら『マガツ病』??わけも分からずに顔を上げる。
しかし、それを問う暇もなく男が走り去っていく。こうしている間にも医者はこないし、ルイのHPは刻一刻と減っているし、止まらない。
泣いてもしょうがない。
叫んで喚いてもしょうがない。
でも、じわりと目尻に涙が溜まり、周囲にただ立ちすくむ人々に『どうにかしてくれ』と怒鳴り散らしたい衝動に駆られる。
何かしたい。
だが何をしていいかわからない。
この町を歩くのは初めてで、医者も、交番も、どちらの場所も知らない。
男が叫んだ『マガツ病』が何なのかも分からない。
ルイが苦しそうに、微かに震えている。
額から汗が噴出している。
たった少しの間とはいえ、名乗りあって、話し合っていた人間がこうも呆気なく生命の危機にさらされていることに、酷い無力感を味わった。
ィィン。
響く弦の音。
私は目を見開いて、勢いよく顔を上げた。
まだ、あった――まだ、私にもできる事がある。
きっと、私にそれを望んでいる。
そんな気がする。
ルイの―――赦者の死を望んでいないという意思が、私にははっきりと分かった。
外套を地面に敷いて、ルイを横たえさせると、私は【奏でる鳳凰のラバーブ】に手を伸ばした。
膝を突いて、その間に本体を安定させる。
弓を手にして、弦を押さえる。
懐かしい感触。
【奏でる鳳凰のラバーブ】の拒絶はなかった。
昔は楽器に触れることが嬉しくてしょうがなかったのに、今は恐怖に指が震える。
腕は、日常生活には支障なんてない。
傷が残っただけで、もうヴァイオリンを弾くにも支障はないほどだ。
だけど、頭の中には長いブランクがちらついた。私の指は果たして、あの曲に耐えうるのだろうか。
大丈夫。
ヴァイオリンと弦の数は一緒。
一度聞いた。
一度見ていた。
十分。十分なはずだ。
昔から姉が好きなテレビドラマの主題歌も、母の鼻歌だって、一度聞いただけで弾いたはずだ。初見でも弾ける。いつだって弾けた。簡単だ。
君は耳がいいんだねって、恩師は言った。
揺れ動く感情に安心材料を与えながら、ルイの顔色を眺める。
灰色がかった肌はHPが減っていくと同時に、広がりつつあり、これが広がりきったなら、終わり、なのだろうということが容易に想像ができた。
何度か、弓を滑らせ、全ての音を確認する。
口にする呪文を間違えれば魔法が発動しないように、一音でも間違えれば、きっと曲の効果は現れないだろう。
最大の敵は指が動かないという恐怖に、自分にできることをしないこと。
そっちのほうが、百倍怖い。
死なせたりしない。
どくどく、と脈打つ心臓を収めながら、目を瞑り、弓を構えた。
この曲に、激しい感情も混乱も必要ではない。あるのは暖かい慈愛と眩しい賛美。
――――ゆっくり歩く速度で。
緩やかに細い高音を奏でる。
そこから、低音へと流れるように強弱をつけながら、音を下げていく。
弦の余韻が次の音へと重なるように、重音奏法。
音は間違えてないが、指が攣りそうになる。
左腕、左手の五本の指は最後の大会よりも硬くなっているが、なんとか動く。
弦が思った以上に緩やかに張られているのは、たぶんルイの力が弱いためだろう。出ている音程は変わらないが、僅かな違和感がある。
それもつかの間。
全部の糸巻きが勝手に動き、微調整された。
それを認識するよりも先に、四本の弦がすべて私の力に合わせて、ぴんと先ほどよりも僅かに強めに張られた。
驚きに手がブレかけたが、なんとか修正する。
この曲は祈り。
この曲は命。
聞いていたときよりも、ずっと身近にそれを感じる。共感できる。
キラキラと楽器の周辺から光の粒子が徐々に濃くなっていき、ルイに降り注ぐのが目に見えて分かる。
灰色の肌の侵食がぴたりと止まり、表示されたステータスのHPが減り方が緩やかになり19でなんとか止まった。
もともと98しかないんだから、非常に低い数値だ。
HPの減少する速度が、曲の効果でHPが回復される速度で、相殺されたのだろう。
だが、足りない。
ルイの表情から随分苦悶は引いたが、それでも焦点があっていない。
額から汗が流れて、震える体が止まっていない。
絶対に死なせるものか。
だが焦って勝手に音程や演奏のテンポを変えてしまえば、効果を無くすかもしれない。それだけは、絶対に駄目だ。
意思とは反して、体が非常にだるくなっていく。
ちらりと、自分のステータスに視線を送ると、MPの減り方が半端ではない。
150ぐらいしかないのに、一曲弾いている途中で、120近い。
多分、私が【奏でる鳳凰のラバーブ】の赦者ではないせいなのかもしれない。ルイがこの曲を弾き終わった後は、30も減っていなかったはずだ。
最後の一音を弾き終わる。
私のMPは120を切った。
そして、最後の一音が空気に消える前に、更に最初の一音へと戻った刹那、強烈な眩暈を感じた。同時に体が高揚する。
なぜか、一気にMPが20減った。
目の前がチカチカしたが歯を食いしばり、それでも演奏に影響が及ばぬように、構わずに、もう一度ゆっくりと弾きだすと、光の粒子が強くなったような気がした。
ログが黄色く点滅しているが、視線を向けている暇はない。
もっと正確に。もっと丁寧に。もっと――もっと動け、私の指。今だけでいいから、もっと滑らかに。
かなり広がっていた灰色の肌が、ゆっくりとだが、肌色に戻りだした。
ルイのHPが少しずつだが、上昇し始めている。
残念なことに、私のMPはガンガン減りつつある。
二曲目が終わっても、MPは果たして残っているだろうか?だが、この激減っぷりをみていると、三曲目は無理だろう。
この命を繋ぎとめている間に、医者が来ることを祈るばかりだ。
「ル、ルイっ!!」
「ルイ様っ!!」
人ごみを掻きわけて、息を切らせた男女がルイの側に駆け寄ってくる。
きっとルイの護衛だろう。ってか、こんな公衆の面前で『様』ってつけちゃ駄目じゃない?身分はばれはしないだろうけど、高貴な方だと分かっちゃうだろうし。
医者は来なかったが、護衛の人なら、薬のひとつでも持っているはずだ。
ルイの灰色肌を見て、はっと二人が目を見張った。
女は胡桃色の髪でシスター服のようなものを着ている。
男はすこし暗めのマロンブラウンの髪で槍を持って冒険者風だ。
「こ、これは――ルイ様、こちらをっ!!」
予測は正しかったようで女が鞄から小瓶を取り出して、男が意識は戻ってきているらしいルイの体を起こした。そっと、女が飲ませると、ルイが嚥下する。
ぐん、とHPが戻る―――って、それ体力回復薬じゃね?
青色のどろっとした感じの液体は見たことある。いや、ルイのHPが60まで戻ったから文句は言わないけれど。
ルイの灰色の肌が、すぐに綺麗になっていく。
次に紫色のどろっとした液体を飲ませると、今度はMPが40ぐらいまで戻ったが、すぐに曲によるHPの回復がみるまに増した。MPの回復薬のようだ。
つまり、HPが減っていない。
しかし逆に、MPがゆったりと減り始めて、女はもう一本紫色の液体を飲ませる。
「…あ……わ、たし……?」
ルイの荒かった呼吸が安定し、意識もはっきりしだしたようで、目を瞬かせている。
気だるそうではあったが、彼女がこちらに気がついたときには、ステータスの髑髏マークが消えていた。
ちょうど二曲目が終わり、私は緩やかに手を止める。
頭が痛い上に、全身がだるいと思ったら、MPが11しか残ってなかった。
しかし、私の中にあったのは虚脱感と、達成感―――そして、全身に渦巻くような喜びだった。
最後の大会の後に感じたものと似てる。
喝采の中で感じていた手応えのようなものだろう。
周囲に集まっていた老若男女の野次馬が、ルイが無事だったことを喜び、叫びながら手を叩いてくれているせいかもしれない。
大雨のような喝采を聞き、血色のよくなったルイの顔を見ながら、私は息をゆっくり吐き出した。
気がつけば、お気に入り登録2400件、総合評価7000を超えておりました。これもひとえに皆様のおかげです。この拙い小説を読んでいただき、誠にありがとうございますw
冬の黒猫亭