閑話 【降格の中年騎士】
イシュルスでは、騎士には大きく二つに分けられる。
聖騎士と、騎士。
この2つは戦力差は大きい。
普通の騎士が長い月日をかけて――無論、一生騎士のままの者もいるほどだ――力をつけて聖騎士となるが、その聖騎士の中でも3つのランクがある。
最初は準騎士。次に正騎士。最後に七騎士。
ただの騎士ならば、3人ほどで、ゴブリン1体を倒す。
しかし、準騎士はゴブリン1体と対峙して生き残り、正騎士はゴブリンの群れ1つを相手にしても生き残り、最後に七騎士は5つの群れを相手にして生き残るという。
そう、騎士の中でも、聖騎士は群を抜いている。
しかし、カルム王子の仇をとるために、城を抜け出した王子と一人の準騎士の意思を止めることすらかなわず、もう一人の準騎士と共に森へ入ったのは軽率だった。
本当は神殿に向かっても、熊などいなければ帰るだろうと思っていたし、いつもと比較にならない魔物に遭遇するとは想定外だった。
正騎士のジークホークは、己の判断に、すぐに後悔することとなった。
本来ならゴブリンは、4~6体、多くても2桁になることは滅多にない。
が、現れた数は、視野に入るだけで15体前後。
すぐに戦闘態勢になり、圧倒的な数の前に、瞬く間に劣勢に追い込まれた。
2人の準騎士はボロボロになり、自分も王子を庇って矢を受けたが、それが即効性の毒矢だったのか、すぐに足元が覚束なくなる。
せめて、王子だけでも生きて逃がさなければ――……
「――っ僕が、囮になりますっ!」
「王子っ!いけませんっ!」
ゼルスター王子が叫ぶ。
制するより先に、隙をついて王子は走り出していた。
人間としては良心に従った行動だが、王族としては判断ミスであった。
彼の剣は第一騎士団のヴェルクスタ団長に師事しているとはいえ、その技量は準騎士になるかどうか程度のものである。
他のゴブリンよりも1.5倍は体格のいい――指示もだしていたので、隊長格らしい――ゴブリンが4体ほどを引き連れて、王子を追った。
ゴブリンは、人間を殺すと装備を奪う。
一番いい装備をしているものを、一番強いものが手に入れるという習性を持っているのだ。
相手も無傷ではないが、王子1人で何とかできる人数ではない。
だが、ゴブリンは力はあるが素早いわけではない。
純粋に逃げ回るだけなら、王子の足の速さを考えれば、そうそう追いつかれはしないだろう。
たったの数秒にゴブリンの相手をしている間に、木々に隠れて見えなくなった。
無謀にも、駆け出そうとする準騎士。
「焦るな、ハーン!冷静になれ!王子を追うのは、ここにいっ―――……」
「ジークホークの旦那っ!!」
その言葉に自分でも納得はできなかったが、言い終わるよりも先に、体が大きく揺らいで、気がつけば膝をついていた。
すぐに立ち上がって、ゴブリンに刃を向けるも、全身が徐々に鈍くなっていくのがわかる。
振るわれる刃は、もはや本能であった。
何百回、何千回と鍛錬で繰り返された型が、殺気に反応して、反射的に出ているだけであった。
どれくらい―――王子が走り出してから、どれくらいたったのか?
自分は時間の感覚すらもなく、意識が遠のきだしてきた。眼前の騎士は大きな怪我はないが、もう長くは持つまい。
―――もう、駄目だ。
そう思った刹那、突如として右前方から、咆哮と共に、金属の棒を手にした男が飛び出してきた。
剣筋は滅茶苦茶で、武器は金属の棒。
だが男の出現で、劣勢が徐々に覆されつつある。
先天性なのか力、反射速度、決断力が別格。
それも、戦いの最中で研ぎ澄まされるように、男の躍動は増して、あっという間に私たちが倒した程度の数を叩きのめしていた。
騎士以上の働きである。
なにより、複数のゴブリンを目の前に、普通の男は竦みあがるといわれている。
男は、笑っていた―――それも、嬉々と。
戦士としての本能が、ぞくり、と背筋を凍らせる。
男がいるだけで、その場所には魔力でも働いているかのように、強烈な存在感。
まるで、王を前にしているかのように、目を逸らせない。
この男は、危険だ。
脳裏は反射的に答えを出していたのに、それでも鮮烈さに目を奪われたも事実だった。
人としての生存本能か、ハーンとチャイラも、男の出現に勝機を垣間見たようだった。
相手の方が数が多いというのに、ゴブリン達が怯みだした。
「待て!こっちには来るな!逃げろ!!」
ハーンの叫び声に体は動かなかったが、眼球を動かす。
子供だ。
妙な格好をした、少年。
ゴブリンとの激戦の中で、竦みあがっているのか、顔を歪ませ、固まったまま動かない。
まずい――あのままでは。
少年が、一歩下がった。
そのまま、走り去ることを祈るも、たった一声で、少年の顔色が変わる。
「来い!」
男の声だった。
一歩下がった足が踏みとどまる。
驚いたように両目を見開いた少年は、いや、少年もまた―――笑った。
まるで、しょうがないととでもいうように。
この、戦いの最中に。
毒消しを与えられ、回復薬を少年から手渡される。
この者達が何者なのか気になるところだが、今はそれどころではない。
無言のまま渡される回復薬を飲み続けて、ようやく立ち上がるほどまでに体が回復した。
止血しないと、体力が奪われるので、少年の手にしていた布を借りる。
チャイラとハーンを交代で休ませて―――少年が男に叫んでいた。
内容はよくわからないが、その後、男は『クロスエッジ』と呼ばれた技を発動させ、チャイラとハーンにも回復薬を少年がくれた。
そして、少年も時々何かをゴブリンに投げつけて、魔法のようなものを発動させていた。
一気に形勢は逆転した。
戦闘の終了後。
兄弟であるらしい彼らのやり取りは、虚脱を誘う。
さきほどまでの戦闘での脅威はまるで垣間見えず、よろよろとしていた。
こうしてみると、異国の顔立ちをし、妙な服装ではあるが、どうやら言葉は通じるようで、町で歩いていたなら、さして気にもとめないだろう、普通の兄弟だった。
ふとこちらに気がついた弟は、手にした回復薬を無言で投げてくる。
どうやら、飲めということらしい。
饒舌な兄に比べて、弟は戦闘の時とはうって変わって口数が少ない。
だが、それが会話のきっかけとなり、挨拶を終える。
チャイラの『冒険者』かという質問には一笑されてしまった。
毛色が変わっているとは思ったが、やはり冒険者ではななかった。
剣を握ったことがなかったという彼・サミィの言葉には、驚かされたが、王子の【イシュ加護の純銀羽の一枚】を見て、はっとした。
(イシュタル神よ……貴方の加護に感謝いたします)
王子と再会を果たし、ようやく私たちは安堵の息を吐いた。
だが、王子は何か考えがあるのか、熊のことで彼の両親が騒いでいる間、彼らが『流離人』かもしれない、ということを内緒にしてほしいといわれた。
それを口にするな、と。
わけの分からない申し出であったが、乞われてしまえば、私たちは頷くしかない。
ついでにいうと『流離人』と信用していたわけではなかったが、『くるま』という馬のいらない馬車は、魔法であれ、技術であれ、素人の自分でも、凄まじい革新であるということがわかった。
関係ないが、無口な弟は料理人なのか、驚くほど料理が美味かった。
考えてみれば、自分たちは朝方から食事をしていなかったことを引き抜いても、美味かった。
実家は貴族ではあるが、貴族だと威張るのも恥ずかしいほどの、市民と大差のない下級貴族である。
家長である自分は騎士で安定しているし、問題ないだろう。
だから、あの『つなほっとさんど』を食べ終わった後、年の離れた妹の婿に来てくれないか、と本気で思った。
これなら寮ではなく、実家に帰り、妹や家族と共に食事をしたくなるだろう。
弟には無言で睨み付けられたが。
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私の『流離人』の家族に対する印象は悪くない。
まったく無関係であるというのに、王子の命を救い、自分を含め、ハーンとチャイラの命を救い、熊とはなっているが、カルム王子を見つけ出したのだ。
彼らの出現にわずかな疑念も残る。
長兄が言い出した、ゴブリンの話は不確定であり、正直、鵜呑みにすることはできないという判断は分かる。
あの長兄の凄まじい成長は、恐ろしくもある。
だとしても、彼らは恩人なのだから、貴賓室を宛がわれてもいい程の働きである。
報告を終えた後、叱責と降格を受け、暫しの謹慎となり自室に戻った後だ。
一部が慌しくなり、知人に声をかけたところ、宰相と対面後『流離人』の家族が、地下牢に収容されたというのだ。
「なぜ!なぜですか!彼らを投獄するなど!!」
直訴に第二騎士団長は、重く口を閉ざすだけだった。
私は拳をきつく握り、不敬だと冷静に考えながらも、頭も下げずに、室内を飛び出していた。
ハーンがお笑いと不幸担当だとすると、ジークホークは苦労性だと思う。
チャイラ?え?えーと、うーん。お色気?