Act 02. 交通事故
深い眠りを妨げのは悲鳴と、衝撃だった。
後部座席の後ろの荷台で寝ていた私は、重力の成すがまま体が浮き上がった。
急ブレーキをかけたのだろう。
体は、前方にあった兄と姉の座る後部座席の後ろに背中から叩きつけられた。
意識を強制的に覚醒させ、肺から一気に酸素を放出し、そのまま重力に従い、床面にしこたま顔を打ち付けさせた。
これは、なにかよからぬことが起きている。
まったく、状況が飲み込めなかったにもかかわらず、そう直感――
テレテテッテテー
――するよりも先に、前方から、ファンファーレが鳴った。
まるで、RPGのキャラクターが、レベルでも上がったかのような音。
重なるように甲高い声で姉と母が喚き、痛めた顔を押さえながら、起き上がると父と兄が後部座席から飛び出したところが、視野に入った。
こういうときに、男陣の行動は早い。
誰が何をする、というのは別に決めてはいないのに、それぞれがバラバラに動いていた。
兄は獣道の脇に進み、父はワゴンの前方に。
姉は足元にあった救急箱を取り出し、母は携帯電話を手にしていた。
ワゴンは道ではなく、少し脇に逸れて、森に入っている。
うろうろするだけで、基本的、私は何もできない。
こういう時、無性に歯がゆさを感じるも、どうにかなるわけじゃない。
ただ、どうやら何もいわれないところを見ると、自分がするべきことはないのだろう。
電気すら通っていないド田舎の叔父の家に行く途中で、ワゴンの中で眠ったのは覚えている。
テレビ見るためだけに、自家発電買うってどうよ――思ったり、思わなかったりするが、その口論はさておき。
違和感が真綿のように私の首を絞める。
胸ポケットに入れていた懐中時計を出すと、すでに叔父の家についていてもいい時間だった。
どこかに寄り道をしたって、こんなに遅くはならないはずだ。
車が通るのが精一杯の獣道は、叔父の家へと続いているのだろうか―――瞬時に否、と頭の中で奇妙な不信感が警告を鳴らす。
―――ここは、どこ?
数年に一度しか通らない道で、正確に覚えているはずなどないのに、私が出した答えは『否』だった。
肌に感じる空気も、この獣道も、聞こえる音すら、異質なものでしかなかった。
「携帯電話、通じないわ!」
母が父に叫びかける。
前方に視線を送ると、少しだけ、フロントガラスに蜘蛛の巣のような細かなヒビが少しだけ入っており、紫色の液体に濡れているのが見て取れた。
ワゴンで『何か』を轢いたのだ。
「いやっ!なにこれ!」
いつの間にか、父の傍らにいった姉が、短い悲鳴を上げた。
私が窓から顔を出すと、かろうじて人型ではあるが、巨大な緑色の塊が、無残に転がっていた。
手足を投げ出し、紫色の液体を噴出しながら、絶命している。
まるで映画の中のCGのように現実味がない。
なにせ、ゲームの中では、お馴染みの『ゴブリン』だったのだから。
「なに、それ…本物?着ぐるみとかじゃないよね」
折れ曲がった緑色の腕から流れる液体が紫色である時点で、人間であるはずもない。
分かっていて、あえて投げる。
「わからん――人間じゃない事だけは確かだ」
父は今までになく、眉根を寄せて、食い入るように緑色の塊を見つめている。
「由唯!こっちをみてくれ!足、怪我してる!」
兄は茂みの中から戻ってくると、16、7歳ぐらいの少年を腕に抱いていた。
顔は見えないが、視界に入る豪奢な金髪。
姉のように染めたような違和感がまるでないので、天然なのだろう。
身に着けているものは、朱色のマントと、博物館でしかお目にかかれないような立派な白銀の甲冑を着けていた。
鞘は腰からぶら下がっているが、剣を持っていない。
どこかで落としたのだろうか?
兄は空席になった後部座席に横にさせる。
外人と一目で分かるほど、彫りが深く、瞑っている目を開けば、青とかなのだろう予想がついた。
足から血が滴り、青年?は苦しそうに呻く。
姉は青い顔のままワゴンに戻ってくると、立ち位置を変わるように兄が外に出ていく。
母も助手席から後ろに乗り込んできて、泥を落とすためか、父の秘蔵の焼酎を一本差し出すと、姉は合点がいったのか、うなずきもせず受け取った。
こちらは現実味がありすぎだ。
べろり、と肉と筋肉繊維が眼前に晒され、思わず視線を逸らす。
看護師である姉ほどなれていない私は、後ろの窓を開けて窓から、外に脱出した。
「――…もいってたけど、なんだそれは?」
「人の形をした緑色のモンスター。いわゆる、悪い妖精とか、悪魔だとでも思ってくれればいいよ」
「馬鹿な。日本に妖精はいないだろ?」
「いや、ゲームの話で――…」
兄が父に説明しているらしい。
二人の背後から、緑色の物体を眺めるが、本当に『ゴブリン』だ。
暗い緑の皮膚に覆われた筋骨。
血走ったどんよりとした色の目に、剥き出しの牙。
紫色の血。
どうみても、牧場から逃げ出した牛とか、野生の熊とかではないはずだ。
その脇の草むらの中に、紫色の液体にまみれた赤子の拳程度の灰緑色の石が転がっていた。
縁は透明に近いのに、中に液体が入っているかのように、中心に行くほど濃い色合いになっている。
じっと、見つめていると、突然、視界に青いグラデーションのかかった半透明な縦長の板のようなものが飛び出した。
「う、うわぁ!」
私の悲鳴に、兄と父が振り返る。
「どうした?」
「え、あ、なんか出てきたんですけど!?」
【緑の魔石】
グリーンゴブリンの先行隊長を倒して入手できる。
敵に投げつけると地魔法『轟く緑の大地』を発動。
武器改造に素材使用可能。地系魔法20%アップ。
販売価格:24000 B
とかかれており、小さな赤い矢印が灰緑色の石に向かって、ぴこぴこ動いている。
まるっきり、RPGじゃん。
「なにが出てきたんだ?トカゲとかいうなよ?」
「違う、なんか、こう。ウィンドウ画面っていうかさ――」
「……うん、後でな」
父の視線が痛く、兄にはさらり、と流されてしまった。
兄は父と会話を続けながら、しゃがみこんで地面を眺めたり、ゴブリンに触ったりしている。
うん、強者だな。虫とかも平気だけどあえて触ろうとは思わない。
ともかく、私の興味はそっちじゃない。
だけど、現にプカプカ(いや動いてはいないけど)浮いてるジャン!
っていいうか、あんたら、それなに??
反論しようとしたが、兄と父の両脇に、またしてもウィンドウ画面が表示された。
【岸田 雅美(25)】 職業:上級国家公務員(Lv17) サブ職業:ゲーマー(Lv37)
HP:371/371
MP:82/82
【筋力】 38
【俊敏】 34
【知性】 72
【直感】 31
【器用】 21(+3)
【意思】 28
【魅力】 24
【幸運】 29(+7)
【技能】 [策略] [不幸中の幸い]
[一枚の壁]
【補正】 母の慈愛 父の加護
【EXP:1995】 【次のレベルアップまで:24】
【ボーナスポイント】 199P
【岸田 幸一(45)】 職業:建築家(Lv37) サブ職業:大工(Lv19)
HP:326/326
MP:33/33
【筋力】 44
【俊敏】 20
【知性】 41
【直感】 21
【器用】 136
【意思】 38
【魅力】 8
【幸運】 13
【技能】 [設計] [集中]
[職人魂]
【補正】 ???
【EXP:5911】 【次のレベルアップまで:199】
【ボーナスポイント】 491P
………そのまんまステータス画面だよ。
なに私の目がおかしくなったの?
眼鏡がおかしくなったの?
思わず、眼鏡をはずし、目を暖めるように揉むと―――何も見えなかった。
さすがに錯乱していたんだ、私。
ほっと胸をなでおろして、眼鏡をかけると、ステータス画面が視野にちらついた。
……害はないからいいけど、私、頭の危ない人みたいじゃね?
つうーか、兄よ……お前、なんで本職よりも、サブ職のゲーマーの方が、レベル高いの?
真面目に仕事してるのか?
「ミコ、おぉい、一度戻って来い」
疑問だらけの頭で、とりあえず手を伸ばし、草むらに埋もれている【魔石】をこっそり取得した。