Act 23. 不穏
「……裏技だな」
「だって、あの子、昔から動物には弱いじゃない」
「そーだけど、反則っつーか」
なんか、兄と姉がゴチャゴチャいってるけど、どーでもいいよね。
艶やかな黒の毛並み。
触るとふさふさで最高だよねー。
ちょっと汚れてるから、綺麗に拭いてあげるねー。
十二分に熊の胸に顔を埋めて楽しんだ私だったが、ちょっと見た目より、固くてゴワゴワしているのがちょっと、だめだよね。
ちょっと好みじゃないけど…大丈夫!
ウエットティッシュで汚れを拭うのだが、黒い汚れが取れるのに、時間がかかった。
かなり、前の染みが固まってしまったものなのだろうか?
動物専用の細かい櫛で綺麗に毛並みを整える。
「なんでミコ、動物用の櫛もってんだ?」
「叔父さんちの家の裏にウサギ飼ってるじゃない。あれ、隙を見て毛並みを整えてるのよ」
ふぅー、毛抜けの季節じゃないのが残念だ。
猫とか犬の場合は、超、毛が取れて、楽しんだけどー、絡まった毛並みを解くだけに留める。
よしよし、サバイバル生活が長かったんだね。
普通は、相手との信頼関係がないとブラッシングさせてくれないんだけど、よく考えたら、熊、元は人間なんだから、それくらい我慢してくれるよね。
熊なんだけど、中身が温厚な人間だから、いいよねー。
少し驚いたところに、お腹の所にあった傷がほとんど塞がってるんだよね。
姉はちゃんと縫合して消毒してくれたけど。
ステータス表示させたら、すでに7割くらいまで回復していた。
う~ん…獣化して自然治癒能力が上がっているとか、そんな感じだろうか。
よくゲームの中だと獣人は回復比率が高いよね。
「城に戻りましたら、必ずお支払いいたしますので」
「いや、いいんだ――対価はちゃんと支払ってもらってるだろ?」
兄が私を指差しているが視界に入るが、無視だ、無視――いま、すごく忙しいから。
指先で顎の辺りを撫でる。
すでに絡まった部分もすくなく、さらさらと、指先の通りもよい。
くぅーん、と鼻を鳴らして、熊が擽ったそうに身を捩る。
「ペットカフェに行った時のテンションの高さね」
「熊王子を勝手に売ったお前さんがいうな――ミコは気にするな。元々、そこら辺の木からもぎ取ってきたものだろうし」
「そ、そんな、それでは兄はともかく、私の気がすみません」
弟王子は大事そうに、檸檬並みに酸っぱいオレンジを、皮袋に入れて抱えている。
事情は分からないが、よっぽどのことなのだろう。
まぁ、早々に譲っといてよかった。
あの執着っぷりを見ると、月のない夜に襲撃されても、頷けるし。
え、変わり身早いなって?
そら、自分の身の安全を守るっていうか~…熊がもふもふさせてくれるなら、どうでもいいっていうか。
もしかして、これも帰還イベントって可能性もあるしなー。
ゲームが現実になると、微妙に感情と己に対する被害を考えたり、実際は楽しいわけでもない。
「私と、この国の宝である騎士の命を救い、兄を見つけてくださった貴方達に何もせずに、礼だけをいうなど、きっと、我が母も許さないでしょう」
「ですね」
「だよね~」
と、何故か騎士たちが、困ったように同意する。
かなりの猛者である騎士たちにそんな顔をさせるのだから、よほどの豪傑な女王??
まぁ、会うことないから関係ないけど。
「どうぞ、私の城で客人として、もてなさせてください」
願ってもないことだ。
正直、私たちは、左右どころか、上下も分からない状態だ。
期待していなかったといえば嘘になるが、そういってくれるのは有難い事である。
宿泊については、幸い車に乗ってるんだから、野宿ということにはならないだろうし、魔石がお金になりそうなので、兄が何とかするだろうと思ってた。
基本、他力本願だから。
「城って、城?」
「は、はぁ、一般的な城だとは思いますけど」
姉が瞳を輝かせて――ハートのエフェクトが背中から出てるよ――豪華絢爛な空想にぶっ飛んでいる様子である。
それともただ、車の中で宿泊が取りやめになったのが嬉しいのか?
「いいじゃないv 私たち、とめ――」
「いや」
姉が決めようとしていた声に、兄が被せる。
ん?私も、流れ的に泊まる気でいたので、小首をかしげて、兄の声に視線を向ける。
もしかして、オレンジのイベント的なものかもしれないし。
「遠慮しよう」
完全なる否定的な言葉に「え~」と姉の猛抗議の声も聞かずに、苦笑を浮かべた。
自分では上手くいっていると思っているのだろう。
にこにこと、いつものように笑ってはいるが、眼鏡越しの瞳が、なんとも言えない息の詰まりそうというか、苦々しい色をしていた。
自嘲気味な―――不の感情が入り混じるが、それも一瞬だった。
「俺たちは異邦人だから、この世界のことには不自由するだろうが、来てしまったのはしょうがない。だろう?」
「まぁ、そういわれれば…仕方ないといえば、ないけど」
「な?お前さんらに迷惑はかけんさ」
だけど、圧倒的に現在のこの世界の情報量が少ない。
危険を冒してまで、断る理由にはならない。
兄は強い――精神的にも肉体的にも、タフな人間で適応能力もあるしチートだ。
一人でいたなら、そうかもしれない。
そこらを歩くだけで、周囲から情報を吸収して、適応していくだろう。
正直、私は思ってた。
この世界にテンプレ的に召還されたというなら『勇者』は兄だ、と。
ちょっと年はいってるけど、絶対的な物語の主人公で、いうならば私や家族は『モブ』ないし『おまけ』か手違いなのだろう。
しかし、そんなチート兄でも嫌がることがある。
―――家族の危険だ。
それを何より、嫌がるのだ。
本来なら、城にいれば、家族は外で何も知らない状態でいるよりは、ずっと安全であるはずだ。
精神的な磨耗はあるかもしれないが、肉体的危機にさらされることはない、はず。
なにせよ、王子や騎士達から、探るような意思は感じるが、兄が命を二度に渡って救ったことが功をそうしているのか、怪しい私たちに対して、敵意や悪意は感じない。
「でも城よ、城。一般が立ち入ることのできない秘境よ」
いや、一般人は確かに入れないけど、秘境ではないと思う。
まぁまぁ、といきり立つ姉を説得しながら、やはり時折、我慢するように奥歯を噛み締めたのか、こめかみが僅かに動いたのを私は見逃さなかった。
なんだ。
兄は、何を迷ってるの??
「え~、お城で客人ってことはぁ、しばらくの衣食住は安心できると思うけど~?」
「異世界からきたというのなら、慣れるまでは、ご滞在されよ」
っていうか、実は私も城の滞在賛成なんだよねー。
なにせ、熊の毛並みを綺麗にするなんて、長い人生でそうそうあるものじゃないしねー。
滞在するなら、その機会もあるだろうし。
「ん~…でもな、んん」
兄は私に視線を送ってくるが、櫛をブラブラさせると、困ったように言い淀む。
私の人が苦手なのを理由に断る気だったようだ。
だが、熊が毛並みを整えさせてくれるなら、別にそこでもいい。妥協しよう。
人の言葉に甘えまくりの兄だから、よっぽど泊まりたくない理由があるのだろう。
兄の視線が父と母に向かう。
「父さん、母さん」
「あら、私は食いっぱぐれないなら、宿でも、城でも、車でも、いいわよ?」
「ん、父さんは、母さんがいいなら、どこでもいいぞ」
はいはい、ご馳走様。
決定的に断る理由がなくなったようで兄は、小さくため息をついた。
「じゃあ、一日だけ。装備をそろえる時間だけ、置いてもらおう」
「は、はい!一日とはいわず、ゆっくりなさってください」
「いや、一日だけでいいんだ。それ以上は」
と、無邪気に笑う王子に、決定的に苦々しいものを浮かべた。
さすがの王子たちも不思議そうにしている。
「もし、俺たちに恩義を感じてるんだったら、難しいと思うんだが旅券を発行してほしいんだ――できるだけ早めにお願いしたい」
「すぐに旅立たれるのですか?」
「あぁ、まあ。早ければ早いだけいい――できれば、二日以内で」
「ふ、二日以内ですか?」
ぶーぶー、そんなに急がずとも観光名所回ろうよー。
私、お菓子食べたい。
異世界のお菓子を食べる機会なんて、人生で―――以下略。
きっとファンタジー果実をつかった、奇妙な感じのが出てくるに違いない。
紫色のスープとか、青いお菓子とか……想像するだけで、よだれが出てきそうである。
ってか、なんで、そんなに長期間の滞在を拒むんだろう。
彼らが嫌いだから、という理由ではない。
まだ見ぬ都市を恐れているわけでもなく、私たちに政治的な事情に巻き込まれるわけでもない。
だって、実際は『勇者』として召還されたわけじゃない。
そうだったら、きっと周囲に召喚者がいて、そう告げるに違いない。
―――だとしたら、なんだ?
バラバラのパズルのピースが、上から降ってくる奇妙な感覚がある。
兄が教えてくれた方法で、私も活用している。
ピースごとに、形と一部の情報が載っており、それをひとつひとつ収集することで、大きな答えを導き出すのだ。
兄は、王子たちの町に留まるのを嫌がっている。
それは間違いない。
なぜ?
並大抵のことが些事である剛毅な兄が嫌がることはひとつ――家族だ。
家族が傷つけたり、嫌がることはしない。
だったら、町に留まらないのは、家族のためとも言える。
確かに、文明も時代も人も違う町で突如、生活しろと言われても、なんとなく現状を察している私でも、難しい。
だが、おかれている状況も分からずに、転々とするもの危険だろう。
私たちに、この世界に対する予備知識などない。
元の世界に帰るにしても、何故ここにいるかがわからなければ、分かるはずもない。
「ミコ」
兄の呼びかけに、思考がぶっつりと途切れる。
基本的、私を放置している兄が困ったような顔で、考えを遮った。