Act 21. 花柄と、レースと、血塗れの騎士
えぐえぐ、と半泣きの私。
走り出した車の中で助手席と運転席の間に、両腕を置いた上で顔を伏せた状態だ。
頭の上には、掌の感触があり、母がよしよしと慰めている。
鼻水がたれているらしく、ティッシュも差し出してくれた。
母、ラブ。
かみ終わったティッシュを姉に投げつけ――てやりたいのだが、睨まれた。
「でも、ミコも悪いのよ?ちゃんと、誰かに声かけなさいっていわれてるでしょう?」
「あう…ううぅ、でもコブラツイストはないよぅ」
鼻を啜りながら、自分でも甘ったれた声を出すと、困ったように微笑む。
わかっちゃいるんですよ。
わかっちゃいるけど、ちょっとだけ~とか、気がつかないだろ~とか、思いまして、はい。
「そうねぇ……お母さんも、由唯のプロレス好きはなんにもいわないけど、スカートの時は、アイアンクローとラリアットだけにしておいたほうがいいと思うわぁ」
いや、勘弁してください。
なんか、全部私が食らうの前提っぽい感じがするので。
ちらり、と母は荷台の方向に視線を向ける。
そこには王子の横で、ティッシュで鼻に詰め込まれた純情な若造(目つき悪)のとてつもなく情けない姿が横たわっていた。
私に姉がコブラツイストをかけている時、騎士(目つき悪)は調度よい所にいたらしい。
視野の中に花柄とレースの布地が入ったらしい。
茹でタコのように真っ赤になって、鼻血を噴出しながら、ぶっ倒れてしまった―――というか、私も意識が半分なかったので、知らないけど。
なんつー純情な。
同じところにいた兄は無関心(兄弟だしね)だし、騎士(チャラい)は予想通り。
『いや~…いいもんみちゃたぁvv』
と、背後でハートのエフェクトを乱舞させていた。
「そうですぞ、ユイ嬢。そもそも、そんな短いスカートで足を出すなど……母君ぐらい、着込んで下され」
「僕も、そうしたほうがよいかと」
熊も同意らしく、珍しく頷いている。
大人しいから、彫刻のようだよ、あーた。
騎士(毒抜き)よ。母の長袖、踝までのスカートは、年のせいでUV対策とかだから。
ちなみに姉のワンピースも、脹脛ぐらいまであるのだが、彼らの感覚ではどうも、母のスカートの丈で当然といった様子である。
タイツ越しの足が見えるだけで、王子も頬が赤い。
「おかげで俺、天国味わっちゃったぁ」
「変態」
「死ね」
「やぁね。ああいうは乙女の敵っていうのよぅ」
姉、私、母からの辛らつなコンボに「え~」と騎士(チャラい)は抗議の声を上げたが、私と姉の、それと多分母の中では『初対面のチャラい騎士』から『死んでもいい変態』まで格が下がっている。
実に分かりやすい評価である。
いや、車から放り出さなかっただけ、感謝してほしいぐらいだ。
ちなみに騎士(目つき悪)は『愛想と目つきの悪い初対面の騎士』から『乗り物に弱いむっつり助平で、目つきと愛想の悪い初対面の騎士』という、やや不名誉な位置づけとなっている。
「まぁ、いいじゃないか、減るもんでもなし」
「減る。心の何かが確実に減るわ。初対面じゃなかったら、訴えて、慰謝料請求してる所よ」
「そーですかー」
なぜか騎士たちの援護に回った兄だが、即撃沈。
そのまま、あっさりと引き下がった。
姉を敵にしてしまうと、兄の場合は普通にピンヒールでドロップキックとかかましてくるから、死活問題になってしまうだろうに。
姉は男に容赦ないからね。
「だが、ハーンさんを説得する手間は省けたな。グッジョブ」
爽やかな笑顔で、親指を立てる兄に、なんだか騎士(目つき悪)が哀れに感じなくもない。
やっぱり、兄も駄々っ子のように騒ぐ彼にイライラしてたんだろう。
にしても、コブラツイストはないよ。コブラツイストは。
「真実、お姉ちゃんは、お前を心配してくれたんだぞ」
「うぅ」
父は前を見て運転しながら、少し真面目な声色で言った。
わかってるよ―――わかってるから、姉には文句言ってな―――ご心配かけました!ごめんなさい!だから睨まないで姉よ!
「どっか、落ち着いたら父さんが遊んでやるから、な?機嫌直せ?」
と、運転席と助手席の間で顔を伏せる私の頭を撫でようと、速度を落として左手を伸ばした――
ガブっ
――のだが、父のくせに、上から目線がむかついたので、伸びた手に噛み付いた。
誰が遊んであげる、だ。
失敬な。私もう、18ですから。
ふ、まぁ、大人だから、遊んでくださいっていうなら、遊んであげるけど。
「うぉあ!」
さすがに、不意打ちで手を噛まれて、びっくりしたらしく、車が蛇行した。
背後の荷台で騎士たちの叫びが響く。
ち、母の目があるから、面白いけど、ぺっと、父の手を吐き出した。
「もー、お父さんたら、ちゃんと走ってくれないとぉ、危ないでしょ?」
「いや、ミコがっ!」
「めっ、お父さん」
「う、うぅ、ごめんなさい」
と、年の割には可愛く窘められて、父は泣き寝入りである。
母にメロメロだな、おい、父。
かわいそーに。
うぷぷぷ。
「ミコ、悪魔的笑顔になってるぞ」
兄がバックミラー越しに苦笑を浮かべる。
おっと、うっかり笑っておりました。うっかり、うっかり。
私も修行が足りませんな。
さておき、父を苛めて気分も晴れたので、母にオレンジ剥いてあげよう。
54万オレンジかぁ。
さぞかし、美味しいんだろうなぁ~…幸い、姉のコブラツイスト時はぐっちゃりと潰れなかったようで、全部無事であった。
「で、えーとハーンさんを締め上げる話の前に何の話してたんでしたっけ?」
「なんだったけなぁ~…」
っつーか、騎士(目つき悪)を締め上げる気だったんかい。
騎士二人と、兄にかかれば、多分負けるな騎士(目つき悪)は。
レベル的にも、騎士二人に劣るし。
「ほら、天国みたから、忘れちゃったよ~…」
「変態」
「死ね」
完全なる、ループである。
私は背を向けてオレンジを剥いていたが、しっかりと反応してしまった。
これも多分、姉の教育の賜物だろう。
「もう、だめよぅ。貴方たちったら、誰に似たのかしらぁ」
「え、俺?」
って、父をジト目で見ても、間違いなく貴方の血筋ですよ。母。
父も突然話し振られて、びっくりしちゃってるじゃん。
「口が悪いんだからぁ。お母さんの教育が悪いっていわれちゃうでしょ~?」
「いやだわ、私ったら。性的にお盛んで、それを胸に隠しておけない紳士は、生物学上、人類に分類してなかったものですから」
「生きているのをやめればいいと思います」
あぁ、なんて、私たち姉妹は母親の言葉を忠実に守るいい子なのでしょう。
オブラートに三十枚ぐらい包んであげました。
わざとらしい猫撫で声の姉の笑顔が、あまりに恐ろしかったのか、兄ですらちょっと引いてるけど――うん、騎士と王子も引いてるか。
「俺…これでも…色男で通ってるんですけど…普通なら『いやんvチャイラ様vv』とかなのに…」
なにか、ぶつぶつ騎士(チャラい)がブツブツいってるけど、騎士(毒抜き)が苦笑を浮かべて、ぽんぽん、と慰める様に肩を叩いている。
「え~…と、た、たしか、俺が魔法のこと聞いてたんだっけか」
「そ、そうでしたね」
多分、違うとおもうけど。
「そーいや、なんで、騎士三人だけで、王子連れて入ってたんだ?ゴブリンの事を考えれば、もっと多い数でくるんだろう」
そらぁ、ゴブリンが大量にでてくると分かっている森を、撃退できない数で入るはずがない。
近い森なのに、知らない、ということはないだろう。
つまり、今回のゴブリンの襲撃は全くの予想外の出来事だろう。
バックミラー越しに、いつもと変わらないマイペースな兄は人の良さそうな爽やかな顔つきだが、世間話をしているつもりで、瞳に剣呑ならぬ光が宿っている。
なんか、微妙にいつもと違う気がする。
騎士たちはオブラートに包まれた兄の不穏な気配に気がついた様子はない。
「元々、ゴブリンというのは、4~7体程度の群れで行動しております。今回は異常な数でしたが、本来は正騎士2名、平騎士20名ほどで巡回をしているのですが……」
ちらり、と騎士(毒抜き)が言葉を濁して王子を見る。
話すべきか、どうか、迷っているようだ。
「―――僕が城を飛び出したせいです」
「家出か?」
「いえ、兄が熊に殺されたと思っていたので、せめて仇だけでも、と」
大人しく体育座りしている、至極大人しい巨大な黒熊を、なんともいえない表情で弟王子が眺めていた。




