Act 17. 熊は食べられません
目の前の熊が元人間であるということを両親に理解させるのに、兄は苦労しているようだ。
母のために熊に挑もうとしていたらしい父は後部座席から、鉈の準備とかしちゃってるから、熊王子はすっかりと両親に怯えきっていた。
ご愁傷様です、なむなむ。
ちなみに姉に、ここが異世界で熊は呪われているらしいよ。と説明したところ――
「あっそ」
――の一言で終わった。
もしかしたら、私と兄がいつものように冗談を言っていると思ってスルーしたような気がするが、母や父のように、なかなか納得されないのも困る。
「だから、ここは元の世界じゃないんだって…」
「んだったら、尚更、熊を狩って食料を溜め込んでおいたほうがいいんじゃないの?お腹すくのはだけは嫌よ、お母さん」
異世界じゃなくたって、そうでしょうが。
騎士たちの怪我を簡単に手当てし終わっていたが、しばらく車が動かないと踏んだのか、ネイルを塗りなおしている。
私の怪我もさっとだけど、消毒してくれた。
というか、本当にかすり傷だったから、放置しておいてもよかったのだけど。
王子も騎士たちの介抱で、放心状態から抜け出していたが、熊が兄だとは信じられないらしい。
うん、わかるけど、事実だから、受け入れとけ。
両親だけでも十分、めんどくさいから。
特にぽややーんとした外見の割りに母は、頑固な所もあるしね。
もう一度、汚れた手と顔を拭ってから私はポテチを食べ――時折、ネイルで忙しい姉が「一枚」というので、口に放り込みながら――疲れた体に栄養を取り込む。
学生時代のマラソン大会と同じくらい疲れた。
できれば、このまま眠ってしまいたいのだけど、弟王子と、熊王子と、騎士たちで、なにやら、ごにょごにょと話し込んでいて、煩い。
つーか、弟王子、お前、赤いき●ねの汁まで飲んだのか…車内の換気をしなければ殺意が湧きそうなのでドアを開けた。
ワゴンは停車したまま、時間だけが流れていく。
さすがの飄々とした兄も両親を説得するのだけは、骨が折れているらしい。
なんだか、うとうとしてきてしまうが、完全に寝ることはできない。
なんてうっとおしい性格だ。
集団生活には、適さないだろう。
「眠いなら寝れば?」
「ん」
と生返事して、騎士たちを見ると、姉は息を吹きかけてネイルを乾かすのをやめた。
他人の気配があるところでは、上手く眠れないことを察したのだろう。
「繊細なのか、そうじゃないのか、微妙ね。嵐が来たって寝てるくせに、他人がいるだけで眠れないなんで」
だって、と口を尖らせる私に、姉が綺麗な顔でくすくすと笑った。
開けっ放しのドアから、風が吹いて、綺麗に染められたキャラメルブラウンのパーマの当てられた髪の毛がフワフワと揺れている。
姉のいつもと変わらない様子――まぁ、姉とて、騎士たちの対応は猫かぶりではあるが――に安堵する。
これが仕事なら、さらに好感触を掴む、キャバ嬢並の社交術を行使していただろうが。
縁はないと思うが、社交界のサロンにでたならば、私と違ってきっと壁の花であることはないだろう。
金さえ握らせとけば、姉は天性の悪女か、詐欺師になるだろうに。
説明から十分ほどで、兄は諦めたらしい。
「……あの熊は、あの人たちの飼ってる熊だから鍋禁止。唐揚げも、姿煮も禁止。多分、右手で蜂蜜とか食べてないから。お裾分けもしてくれないの」
所々話聞いてなかったけど、異世界って所より、熊の方が重要なの!?
本来なら、つっこみを入れているところだが、生憎、騎士たちがいるので、自重する。
「蜂蜜、ってなんの話してたのかしら…?」
「わかんない――多分、熊って右手で蜂蜜とって食べるから、ほかの場所より甘みがあって美味しいって、母さん前いった様な気がする」
「……本気で熊食べる気だったのね。ってか、食べたこと、あるのかしら?」
うん、レシピが具体的過ぎるから、多分ね。
さっきまで目がマジだったし。
「だったら、仕方がないわねぇ」
ようやく諦めたらしい。
ふうう、と心底残念そうにため息をついて、未練たらしく熊をちらちら、見つめている。
熊王子は、視線が向くたびにびくびく、と体を震わせている。
「そうか、お父さんも、パチンコの試作品を試し―――げふん、げふんっ」
試作品という言葉に、兄弟全員の睨みが集まり、父は慌ててわざとらしい堰で誤魔化した。
その単語が出たときは、完成していないモノであることは間違いない。
被害が身内に出る可能性大である。
「悪いなぁ、うちの両親ちょっと、天然なところがあって……」
ぐったりとした兄が、痛むのか頭を押えて、騎士たちに話しかけると、呆れたような愛想笑いでねぎらわれていた。
「ま、とにかく話は済んだから、国まで送る。乗ってくれ」
と、後方のドアを開けると、躊躇いながらも、騎士たちが王子の近くに座り込み、最後に車をギシギシ、と揺らしながら熊が乗り込む。
でかい熊なので、こんな小さい空間に閉じ込めると、非常に圧迫感が半端ない。
タイヤパンクしないでよかった。
絶対重量オーバーだよね。
まぁ、車がちょっと後ろに傾いているような気もするけど。
兄が荷台のドアを閉める、開けっ放しのドアから入ってきて、反対側の扉も閉める。
両サイド開くようになっているが、姉はど真ん中に座ったまま、動かないのは重々承知しているのだろう。
お互いに軽い自己紹介を終えて、兄が前を向く。
うん、キィシガファミリーとして。微妙。
「とりあえず、この道、真っ直ぐでいいんだよな?」
「ええ、ですが、本当に今日中に、城に戻れるのですか?」
と、王子が小首を傾げた。
ゴブリン轢いたとき、王子反対側の茂みに突っ込んでたから、動いてたの分からなかったのか。
「まあ、二百キロ以内なら、夜にはつくんじゃないのか?父さん、ガソリンは?」
「間に合うさ。途中で一回入れたし――だけど、あんまり速度だせんぞ」
「う~ん、ちょっと熊が乗るのは予想外だったからな」
いや、熊が乗ることまで予測できていたら、預言者と呼んでやろう。
普通の人はこんな状況になるってわかんないから――ってか、家族皆、普通に熊受け入れちゃったよ。
なんかこう、もっとビックリするとか、怯えるとかないの?
って、いっつも驚くのは私か?
「…30~40キロだと、5時間はかるかもなぁ」
「まぁまぁ、とりあえず出発しましょう」
と、鶴の一声ならぬ、母の一声で、眉根を寄せていた父が、ころ、と表情を変えて、目じりをさげて「そうだよね~」とエンジンをかけた。
その振動で騎士たちの悲鳴が上がる。
「う、動いた!」
身を強張らせた騎士たちが落ち着くよりも早く、車が加速し、さらに荷台は騒がしくなる。
軽い揺れに騎士たちが、手足で踏ん張るのが可笑しい。
思わず、ちょっと噴出すと、姉の笑いのつぼにも入っているようで、僅かに肩を揺らして笑いを堪えている。
「う、馬もいないのに動いてる!これは魔法ですか?」
王子が目を輝かせて、兄に尋ねて、問われた兄は苦笑するしかない。
若者は適応能力が早いが、一番年長者であろう騎士(毒抜き)の顔色は優れない。
というか、騎士(目つき悪)にいたっては完全に真っ青である。
まだ、30キロでてないと思うけど。
「いや、魔法じゃない。科学だ。ちゃんとした原理があって動いてるんだ――俺は免許持ってるけど、詳しくないからわからんが」
「わ、分からないのに、動かすのですか?」
「ちゃんと使えば、危なくないからな――と、俺からも質問があるんだが」
兄は少し躊躇ったように、眉根を寄せてる。
無遠慮かなと思っているようだが、好奇心が勝った自分に嫌悪を見せる。
父と同じような血が流れているせいか、その強い好奇心に振り回されるのが好きじゃないらしい。
「俺たちの国に魔法はないんだが、お前さんらの世界にも魔法はないのか?」
「んー……あることはあるよぉ。ただ、使える人間はちょー極少数でねぇ、中には才能があるのも知らないで一生を過ごすこともあるくらいだから」
「ほぉ~…そうか。となると、正攻法で学ぶとなると、難しいのか」
ため息と共に、兄が呟く。
「そうだねぇ~…魔法は、弟子以外、門外不出って所も多いから、魔道書で覚えれる人もいるけど、高価すぎて身を滅ぼすと思うよ」
「魔道書に、師弟制度か――学校はあるわけないか」
そんな、超白ひげの長い気のいい校長がいるような映画みたいな話はないから。
額に雷マークもある人物もいないだろうし――って、ゴブリンわんさか出てきて、目の前にリアル騎士と呪われた王子がいるのだから、十分にファンタジーか。
「学校…?」
騎士(毒抜き)が、驚いたように目を見張る。
彼だけかと思ったが、他の騎士も王子もなにか、驚いた様子である。
「魔術を学ぶ、学校…という意味ですか?」
「あるのか?」
「いえ」
だめもとで兄が聞くと、どこか焦ったに騎士(毒抜き)が首を横に振った。
「申し訳ありません。古代から魔法が一子相伝の術とされており、それが普通だと思っておりました。そういう、発想自体がなかったものですから……」
「ですが、それだと、今みたいに、流派が廃れていくことはありませんね。そうか、それだったら…」
喜びの声を上げる王子に対して、騎士(チャラい)は首を横に振る。
「でも王子、習得する人間が多いということは、悪用する人間も増えるということです」
「あ…では、少数精鋭というのは、騎士学校のように1クラス20の編成ではなく、4、5名程度に絞り込むというのは」
「元々、素質のある人間は少ないですからね。少なければ教師役の目も届きやすい――ですが、問題はそれだけではありません」
「え?」
騎士(毒抜き)は、困ったように眉根を寄せる。
「あのプライドの高い魔法使いたちが、他の人間に自分が人生をかけて学んだ流派を容易に教えたりはしないでしょうね――それも、複数の人間に同時になど」
なんだかよく分からないが、魔術を学ぶのはよほどのことらしい。
伝統工芸みたいなもんだろうか。
というか、なんだか、普通の日常会話というよりは、お偉いさん方の会談みたいだ。
ひどく、他人事だ。
ポテチを食べ終わり、私は棒つきキャンディーを座席の下の収納から出した。
ふ、一週間も人里離れるから、超買いだめしちゃったよ。
とりあえず、フルーツパラダイスキャンディからメロンソーダデラックスにしておこう。
「金、かかるだろうねぇ」
「体資本の兵士と違い、魔術は元より金のかかる学問ですから、国庫を直撃するでしょう」
おーい、魔術で国庫直撃、ってどれだけ金食うんだよ。
プライドの高い魔術師って――聡明とかならいいけど、学校の教師とかで見下されたりしてると激しく反発したくなるもんねぇ。
純真な学生も、性格ゆがむっちゅーねん。
「そう、ですね。上等な魔石を揃えるだけでも、随分かかりますしね」
魔石って、そんなにいい値段するのか――って、魔石?
兄も話を聞いていて同じことを思っていたらしく、私を見ている。
うん、密かに回収しまくって、ポケットにパンパンになってるのを知っているようだ。
当然のように、手を出す兄。
泣く泣く差し出す私――て、別に、1,2ならいいんだけどさ。はい、どうぞ。
「えっと、魔石って、こいつか?」
灰緑色のビー球のようなやつを兄が、見せると、王子が「わっ!」と大声を上げる。
食い入るように見入って、こくこく、と頷いている。
「そうです!これです!これをどこで!」
「さっきのゴブリン戦で」
私が拾って投げてたんですよ――すみませんね、戦えなくて。
「そうです!聞かねばと思っていたことが!!」
騎士(毒抜き)がはっとしたように、「ミィコ殿!」と声をかけてきたので、驚いて、恥ずかしながら数センチ浮き上がってしまった。