閑話 【食神タイベルの信者たち 2】
夜に『まよぅねーず』の有用性に関する談義と、更なる改良と熟練度を上げるために作成していると、料理に並ならぬ興味を抱いている騎士の一人で面識のあるジークホークがやや青ざめた様子でやってきた。
「夜分に失礼いたします」
ちらちらと背後を気にかけているが、そこに居たのは満面の王と流離人の末の子であるミコを連れてやってきた。
「日々の料理の研鑽、大義である」
王の一声で当然厨房の全員は、膝をついて頭を垂れた。
なぜかわからないが、流離人の子は、王の肩に担がれているが、それにどうこう言える人間が一人もいなかった。
「今後、この子供が料理をしにきたら、自由にさせよ。そして大いに技術もレシピも盗むと良い……ミィたん。料理人にレシピの伝授したって」
厨房の貸し出しをしてほしいという言葉に、すぐに第一厨房の料理長として、快く了承した。
むしろリエの事があるので料理人一同、どうぞどうぞ、という状況だった。
13歳ぐらいだろうか?
異国の顔立ちもあって、言葉も通じていないのかと思ったが、リエ婦人は言葉が流暢だったので問題ないとは思うのだが、夜遅いため、眠たいのかぼんやりとしているようだった。
同郷だったようなので、食事時に話が盛り上がったのか、大分親しくなったのか。
王が珍しく砕けた異邦訛りでミコに語り掛けている。
「ミコです」
「ミィたんでええやないの」
「よくない」
小さな鍋とはいえ、たっぷりと油を入れて熱しだす。
こくり、と頷いたミコは、小麦粉、牛乳、卵、バター、砂糖を求めて、簡単に混ぜていく。
材料は極々シンプルなものだった。
「バニラビーンズ」
「そんな上等なもんないで。南国にあるっちゅー噂も聞いた事あるけど、まぁ、現時点では眉唾やで」
「ベーキングパウダー」
「ないない。うろ覚えやけど、19世紀ぐらいだったはずや。入荷は600年ほど待ったて」
「はよ作れ」
「爆発するってしっとるやろ」
「実家のような安心感。アフロヘアー乙」
などと、作る菓子に必要な材料を聞いている様なのだが、『ヴァニラ・ビィンツ』『べーきんぐはうだー』など、聞いたことがない。
他の料理人に目配せするが、答えは否だった。
パンのように少し手で形が作れるようになると、何故か手のひらサイズの輪のようなものを作り出している。
「あ、あの、この形に何か意味があるのでしょうか?」
盛り付けに宗教的な意味合いがある国もあるので、恐る恐る誰かが聞くと、ミコが固まる。
ミコは手を止めて、じっと作りかけの『おーなつ』を見つめており、その横でひらひらと苦笑している王が手を振った。
「ドーナッツは高温で揚げる為、焦げやすい。焦げない様に調整するとドーナッツの中心が、半生になりやすい。腹を下すことを避けるために、真ん中は開けておくのが通例だ。小さなものを作る場合は真ん中は開けなくても火は通るだろうが、念のため串でもさして、タネが付かない状態で完成だ。いいな」
おぉ、と料理人たちから声が上がる。
王は料理を全くしないらしいが知識はあるらしく、隣でこくこくとミコが頷いている。
少しタネを油の中に泳がせて、パチパチと音がすると、ミコは躊躇いがちに輪になったネタを静かに落としていく。
僅かに後方で魔力が働いたと思ったら、王がミコに音もなく簡易の防護魔法を張っている。
他の料理人は気が付かなかったようだが、ジークも驚いたように王を見ているので、それに気が付いたのだろう。
油が跳ねて火傷を負うのを防ぐためだろう。
すこし悪戯小僧のような顔で無言のまま、内緒だ、とでもいう様に口元に人差し指を当てている。
ジーク共々、軽く頭を下げて瞳を伏せて了承すると、苦笑を浮かべた。
家族を大切にされる人だ。
もしかすると流離人の家族は、昨日のリエ婦人の事も相俟って、故郷の知り合いなのかもしれないと思っていたが、もしかすると血筋の近い人なのかもしれない。
それならば、実にフランクな王との会話も不思議ではない。
ジークも少し考え込んだ様子だったが、自分は考えることを止めた。
余計な詮索をしてもしょうがない。
ただ、彼らは流離人の家族は、王の大切な者達なのだろう。
言葉遣いが料理人と流離人で違うのは、もしかすると無意識なのかもしれない。
「おぉ、おおう、また腕上げたんやないの、ミィたん」
「ん。流れるようなお菓子のカツアゲ」
「ええやないの。魔石代と薪代も材料費はこっちもちやで」
「……魔石?」
「薪で火つけて魔石で維持しとるんや。いわいるガスダイや。こっちは釜に薪くべて、火力を維持するから結構、費用かかるんよ。かといって薪一本に絞ると、煙凄いし、消費量も多いし、保管に気を使う」
へー、と、まるで初めて聞いたみたいな反応を見せているミコに、料理人たちが不思議そうに見ていた。
何処の一般家庭でも大体、釜は薪だろうに。
確かに魔石で火力を維持するのは大手の料理店か貴族ぐらいかもしれないが。
後は辺境の田舎になると釜を家に持っている者は少ない。
村に一つか二つの釜小屋というのがあって、そこに周囲の釜のない人々が集まって料理をするということもあるので、逆に見たことがないのだろうか。
「こ、これは……」
「どや、料理長、ドーナッツは」
「世界で様々なものを食べてきたと自負しますが新感覚です」
出来上がった『オーナツ』は、中々に良い香りを放ち、少し冷ましてから砂糖を振りかけて食べると、口の中に今まで感じたことのない独特の触感。
口に入れた時に感じるのはクッキーよりは抑えめのサクサク。
中はしっとりしているのだが、パンケーキよりも気泡が入っている分、中は軽い口当たりだ。
高価な油をふんだんに使った菓子は、殆どクッキーやパンケーキと変わらない食材だ。
だが、シンプルだが小麦粉の微かな香ばしさと、控えめの砂糖と相俟って、咀嚼が止まらない。
これは結構、何個でもイケる――――と確信すら抱いたが、無情に『報酬に一人一個』というミコの言葉に、料理人一同膝から崩れ落ちた。
その横で、なぜか一緒に食べていたジークも悔し気に、膝を床に付けていた。
+ + +
次の日、早朝にリエ婦人が『ぷによん』を作ってほしいとやってきた。
流離人特有の聞きなれぬ言葉に料理人たちは顔を見合わせている状況だったので、すぐに知らないことを察したのだろう。
捨てるだけの肉の剥がした骨や野菜の切れ端を綺麗に洗って煮込みだした。
このままずっと煮込んでいて欲しいとお願いされて、また新しい料理かと料理人一同、胸を躍らせる。
野菜や肉を入れて煮込めば水は濁っていくのだが、沸騰させぬ様に温度を保ち、縁にできる白い泡を取ってと注意されたが、それだけの事なのに、煮込み汁が思いの外、透き通った。
殆ど寝ていないのでテンションが高い誰かが、何時頃、出来上がるのかと聞いてみたところ、時間が掛かるのだと言われた。
「今日のお昼に使おうと思ってるの~……後、この世界の食材の本が合ったら貸してほしいわぁ」
すぐ渡せるのは一つしかない。
返却が前提ではあるが、常に持ち歩いていた料理長の虎の子である『世界食用魔物大図鑑』を差し出した。
その後入れ違いで、ジークと流離人の兄妹がやってきた。
どことなく兄のサミィの方は、物腰が穏やかだか、ひどく育ちがよさそうだった。
ただ、どうしても料理長には微笑みが爽やかに見える好青年なのに、少し底知れぬ感じがした。
リエ婦人の息子という事が、大いに納得できる。
もしかして、流離人達は貴族なのではないだろうか。
それならば、ミコの世間知らずも納得がいく。
行動は突拍子もないが人懐っこい流離人の兄の事もあってか、いつもは高圧的な女料理人のカルラも思う所があったのか、ミコに探る様に『と、隣で同じものをつくってもいいかい?』とできるだけ優しく聞くと、こくりと頷いた。
プロというほどではないが、家庭料理は作りなれているのだろう。
やはりミィコの手付きは慣れたものだ。
カルラの手際は良いので、ミコが工程をこなすまで待ちの状態になるのだが、時折、隣から先に『次は砂糖をスプーン二杯程度、お好みで適当に』と簡単にだが教えてくれる。
あまり感情を顔に出さないが、親切な子供だ。
それにこの世界では、料理人のレシピというのは秘伝。
代々料理人の子へと引き継いでいく無形の家宝といっても過言ではない。
それをあっさり教えてくれるなんて。
軽食らしい『ふれいちとぅすと』なるものは、硬いパンに乳を染み込ませて甘く味付けしただけのシンプルなものだった。
釘が打てそうな硬いパンはスープに付けて食べるのが常識だが、甘い液体にパンなど誰も考えたことはなかった。
そもそも甘味自体が贅沢なのだから、悔しいが一般市民の感覚である自分には思いつかない。
あぁ、第二料理長が喜びそうだ。
元イシュルスの下級貴族の四男で甘味が食べたいばかりに料理人になった変わり者。
料理の腕もいいのだが、それよりも甘味創作に関して熱意を注いでいるのだ。
「は、蜂蜜を飲み物へ……」
流離人の家族は生まれが良いのか、裕福なのかわからないが、『王家の食卓』でも使うのが躊躇われる蜂蜜をなんのこともなしに乳に入れて温めて飲んでいる。
母娘は、第二料理長のように貴族だが料理人の道を選んだとかなのだろうか。
その後、朝食の後に騎士とリエ婦人がやってきて急遽、イシュルスの森へ食材の魔物を狩りに行く流離人の昼食を命じられた。
その場でミィコにご飯を作らせるという話に、荷物運搬兼食材の解体係へ料理長は貪欲に飛びついた。
元冒険者という生粋の料理人にはできない強みである。
多少の危険を冒して、『ぷによん』と呼ばれるスープが完成する場所に立ち会える。
話を聞いていたらしい陛下より昔使っていた『魔法鞄』を貸し出され、人数分の食材を持ちながらも動けることで、死亡率はもっと低くなるだろう。
子供のように心を躍らせて、準備に取り掛かった。
多少の危険は覚悟していたのだが、驚いたことに流離人の長兄サミィは、剣の腕は立つようで先頭に立って歩いても、油断なく魔物を狩り続けていた。
時々、魔物の数が多くなると、後ろから支援するように妹たちが攻撃を加えたり、敵を引き付けたりと、並の冒険者など鼻で笑ってしまうくらいの連携に素直に驚いた。
どんな人生を送ってきたら、こんな兄妹になるのだろう。
昼食時になり、リエ婦人からお預かりした『ぶいよん』をミコに渡すと、しばし鞄から出てくるリエ婦人から預けられた食材に怪訝そうな顔をしていたが、急に閃いたように目を瞠っていた。
騎士の一人が料理長である自分が作るべきだと呟いていたが、そんなはずがない。
未知の料理を勉強させていただく機会を奪われるわけにはいかず。
煮込み料理らしく、どの肉がいいかと聞かれたので簡単に味が染みやすい角兎の肉を推薦し、肉を骨から剥がしながら、その作り方を盗み見る。
途中で長女ユイがデザートをミコに所望したが、残念なことに材料がない。
王が事前に伝えていたのだろうか?
そうでなければ元々はいっても、『魔法の鞄に』に入っている事認識しなければ取り出せないものを自力で気が付いてだせることはない。
鞄の中から出てきた食材。
僅かに感じた違和感に困惑しつつも、すぐに昔の冒険者仲間と知己が森の中に突然現れて、一悶着があったことで、流されてしまった。
「せっかくの、未知の料理がっ――――」
すっかり料理は放置されており、前髪を失って放心したミコがデザート作りをするまで、かなりの時間がかかった。
『ぷによん』は、普通の煮込みスープだったが、最初に専用の野菜の切れ端や肉を削ぎ取った後の骨を入れて煮込んだ分、素材の味がスープに色濃く出ていた。
今まで食べていたポトフが薄いと感じるほどに。
二日目のポトフが美味しいと言われるが、なるほど最初から捨ててしまう部分を煮込んでしまえば、食材を余すところなく使用でいるし、一日目から美味しいポトフが食べられる。
意外な盲点だった。
際立ったことではないのだが、考えてみればなるほどと納得のいく。
流離人の賓客と王族を差し置いて、林檎の『けえきもどき』なるデザートを口に入れる機会はなかったが、作り方と材料は把握したので、早速帰ってから試そうと誓った。
「お、おぉっ、食神タイベルよ、アナタの奇跡の施しに、感謝いたします!!」
そして帰宅すると、どうやら料理場では『えちゃっぷ』なる更なる赤いソースがリエ婦人から伝授されていた。
敬虔な信者である料理長は膝をついて、祈りをささげていた。
きっと、彼らは食神タイベルの遣わした使者に違いない。
熱気の冷めない料理談義を交わし、数日で公開されたレシピと調理方法を何冊目になるか分からない手記に認めながら、料理長は静かに笑みを零した。