Act 37. 料理革命なんて起きない
すでに明日の朝食の仕込みを終えているらしく、広々と調理台のスペースが開いていた。
そして仕込みが終わっているのに、なぜか調理服を身に纏った、やる気ま満々の料理人がいっぱいいる。どこかのレストランの厨房よりは広いと思われるのに、7.8人ほどウロウロしているので、めっちゃ手狭に感じた。
すでに竈に火が入っていて、暖められているのがわかる。
前きた時は使ってなかったけど、入ってたっけ?
そこら辺はうろ覚えなのに、前におじゃました時にしっかり数を数えた訳じゃなかったけど、増えてるような気が。
「皆さん、よろしくお願いします」
おー!って料理人が盛り上がってるけど、待てや!なぜ厨房の陣頭指揮をお前が私の背後で仕切っている、ジーク!!いいんですか、料理長!
やりずら!滅茶苦茶やりずらい!
ごほん、と態とらしく咳払いをした料理長が注目を集め、静かに告げた。
柔らかい微笑みを浮かべた料理長が静かに瞑目し、料理人達を冷静さを促すように――――――………カッと目を見開いた。
「我が同胞たちよ、陛下のお墨付きです!今日は異世界の料理の神技を盗めるだけ盗みましょう――――そして、今こそイシュルスに料理革命を!」
ハードル上がったぁ!しかも叔父ぃ!余計な事をのたまって!
料理人が『料理革命をー!うぉー!』って、さっきより興奮した状態になっているし!
…………なんだろう。脱兎の如く逃げ帰って、布団に包まって眠りたい。この瞬間、もの凄く日本に帰りたい気がしてきた。このテンションについていける気がしない。
許されるなら三日間ぐらい鎖国ならぬ、鎖部屋ぐらいしたい。
せめてこの場に母がいれ―――――やめよう。想像の中なのに煽っていくスタイルしか思いつかない。
そして、さらっと放り投げて帰って行きそうだ。
「我らは一命を賭して、ご協力させていただきます。ではミコ殿より一言」
やめて料理長!私のライフはもうゼロよ!コミュ症に大勢の前で挨拶だなんて、貴方は実は私の敵だったのですね!
大量に向けられた目に焦りつつも、私の脳みそはフル回転した。
「よろ、よろしく、お願いし…す……あの……」
ごくり、と誰かの音が静かな調理室に響き渡るが、もしかすると私かもしれない。
私の言葉を聞き取ろうと極限まで静かにならないで!
外の物音の方がよく聞こえるから!
視線を彷徨わせ、微妙に篭もる料理人の熱気に気圧される。
そんなに凄いものは作れません!とか、一般的なお菓子だよ!とか、素人だから技術なんてない!などと、なにを言えばいいのか分からず、言いたいことが色々あったのだが喉の奥で詰まり、いつもなら沈黙して終わるだろう。
が、何を言っていいかわからない私にも、一つだけわかっていることがある。
「――――――薄力粉、砂糖、卵、牛乳、バター、はちみつをください」
母を待たせると怖いということだ。
どこからか感じた寒気に後押しされて、私ははっきりと告げた。
+ + +
「まずはお湯を沸かして……型に、バターを塗って」
分量を告げた後に言ってみたがよく考えると、マドレーヌ専用の貝殻の形をモチーフにした型枠などあるはずもなく、何かで代用しなければならないところからだ。
同じ言葉を繰り返しながら、料理人二名がメモとペンに音を立てて書き始めた。
「では総員、配置へ!」
なぜか代わりに大規模訓練でもしているかのようにビシッとジークが指示を出すと、我が家で使っているなんちゃってシリコン製の奴ではなく、本格的な鉄製のマドレーヌ専用の型であった。
なぜか当然のように出てきた。
おまけに、すでに溶かしてあるバターもある。
メモを取っていない料理人が二人一組三班ができているようで、さながら歴戦の相棒のように言葉もなく、滑らかに動き出した。
料理長は一人でやるらしく、私の背後でジークが監督さながら厳しい顔をして、仁王立ちである。
この時点ですでにジークに関しては何も言うまい。
型は洗ってあり、溶かされているバターを刷毛で塗るだけだった。。
よく観察すれば、薄力粉はすでに一度はふるってあるようでふんわりと山になっているし、手を伸ばすと卵は常温になっていた。すでに竈に火は入っているようで、本当に至れり尽くせりだった。
型を見つめて―――――マドレーヌ作れないのに型だけあるのはなぜだ―――――怪訝そうな視線に気がついたのか分からないが、マジマジ見ていると懐かしそうに瞳を細めて料理長が声をかけてくる。
「随分、昔の事です……陛下が甘いモノを所望され、お望みなられたのが貝殻の形をしたお菓子的な何かということで、陛下自ら型の制作に着手を」
おぃいいい!!叔父ぃ!!お前マジ、ちゃんと仕事してるんだろうな!!
いくらマドレーヌ食べたいからって、何やってんだよ!!
そんな遠い目をした私の脳内ツッコミに気がつくことはなく、一緒に型にバターを塗りながら、苦悩気味に料理長が告げる。
「材料はお教えいただきましたが、我らの理解と技術では大きめのクッキーしかできず……おいたわしや、陛下」
全然いたわしくないから大丈夫。
叔父被害者の会、現役副会長として―――――会長は兄だが割りと被害が少ないので必然的に一番の被害者は私だろうけど―――――強制会員を慰めるようにポンポンと腕を叩くと、料理長はどこからか出したハンカチで目元を覆った。
たぶんお互いの涙の方向性は違うだろうけども。
「ボールに、溶かしたバターにはちみつと砂糖をまぜる……混ぜます」
とりあえず、お湯を沸かしてもらっている間にすでに覚えたレシピ通り測った分量を貰った。
蜂蜜入れたから、砂糖少なめ。
私はお湯を入れても大丈夫なボールを更に用意してもらうようにお願いした。
んで、沸いたお湯で、卵を湯煎に掛けて、帯状になるぐらいまで混ぜる。
我が家の料理人に伝授すると、やたら張り切っているジークも何やら、私と一緒にエプロン借りて、懸命に混ぜていた。
外に見張り番がいる様子だけど、いいのか仕事。
だが、ジークは交代の時間で本来はすでに休息時間だからいいって、私的には有り難いことなのだろうけど……いいのか?大事なことなので二度聞いちゃうけど。
意外とかき混ぜるの体力使うから、ピッタリだろう。
しかもジークは微妙に器用が高いのか、筋力があるからなのか、泡立つのが早い。
なんか周囲の料理人もやっているのだが、さすが本職である。私のを見本に理解しているかわからないが、帯状になるまで持ってきている。
主に料理長は、料理番組とか写真で見るようなお手本の帯状だ。
しかも、なぜか湯煎に感動していた。
まぁ、実はなくてもいい工程だけど、ふんわりするから叔父が好きなのだ。
その後はバターの方に卵を少しいれて混ぜてから、バターを卵の方に入れる。そうすると、若干ではあるが、卵のふんわりが損なわれにくい。
次に振るった薄力粉を三回ぐらいに分けて入れて、できるだけ手早く、ふんわりとした状態を維持したまま混ぜる。
うん思わずガッチリ混ぜちゃっても大丈夫。お菓子作りの最初の頃に陥る罠だから心配しなくてもいいんだよ、ジーク。
ふんわりしなくても味は一緒だから、絶望的な顔しなくても。
そして180度………か、どうかはわからないので、表面に焼き色がついて、竹串で指して白っぽいものが付かなかったら完成というわけだ。
180度だったら15分前後だろうけど。
温度聞いたら、メモをしていた料理人が手を上げて『180度とは?』と逆に聞かれたぐらいだけど、説明ができない。後日適度に調節してください。
たぶんパン的なものも焼いていると言っていたので、ソレより弱めでお願いします。
「これが、マドレーヌの作り方ですか」
頷く私に、意外と簡単で拍子抜けしたのか、料理人達はポカンとしているぐらいだ。
ドーナッツの時は揚げるという作業が待っていたから、結構な労働だっただろうが、後は一人が竈で焼き加減をチェックしていればいいだけなのだ。
とはいっても、この順番を守る必要もないのだ。
ただ叔父が好きなマドレーヌの作り方というだけで、他にもやり方は色々あるだろう。
「ん……叔父が好きなのが今の手順のやつで、別に他にもやり方色々ある、から」
「ちなみにどのような」
アーモンドパウダー入れたり、卵白だけ使ったり、はちみつだって本日の森からの戦利品の中にあったから使っただけで入れなくてもよい。
あとは湯煎しないで生地を冷蔵庫に二時間とか寝かせるやつとか。
本格的にやろうと思えば、結構時間がかかるんだよ。
溶かしバターに砂糖だけの時もあれば、オレンジやレモンなどの柑橘系を削って入れたり、すこしだけブランデーかラム酒を抹茶とか入れて大人の味にしてみたり、紅茶味とか、チョコレート味とか、ココア味とか……前にお店で買った奴には、半分だけチョコが掛けてあって見た目も素敵だった。
カリカリとメモっている料理人のペンが走る。
ちょっと考え込んだ料理長が食料庫らしき所から、料理用ブランデーとか柑橘類と茶葉を二種類持ってきて、二人組三班それぞれに持っていく。
おもいっきり今試すつもりだな、オイ。いやいいけど。
焼いている時間を利用して、さらにお湯を沸かして、新たな生地を作り出している料理人達の顔といえばいきいきしている。
二度目は要領を得ているのか、料理長はブランデー入りを先程よりも手早く作っている。
他にも二人組の材料持ってきたりお湯沸かしていた人が柑橘類と茶葉の入れるタイミングだけを教えるに留まった。
「アレンジもできるとは、奥深い」
「これは、こないだのオーナツにも応用ができるのでは?」
「する場合は、周りの砂糖は付けない方が良いかもしれません。叔父が好きなのは、上にチョコレートが掛かってるやつだから」
「なんと王に相応しい、高価なお菓子ですね」
「え?」
そんなに高価か?と思ったが、どうやらチョコレートは砂糖が高価な為、砂糖を上回るお値段らしい上に、油はこんなにタップリ使うオヤツというのは殆どないらしい。
しかも他の味が移らないように、専門の新しい油を用意しているんだとか。
うん、御免。昨日、本当にすみませんでした。
ジャンピング土下座の出番かと思ったが、王直々に公認したからよいと言われた。
果物は豊富らしいのだが、人工の甘味的なものは殆どないとか泣けてくる。
ていうか、『王様』がドーナッツ食ってたら微妙な気がするのは、きっと私の固定観念のせいだろう。叔父さんがドーナツ食べててもなんとも思わないけど。
「え~と、ジャムもいいかもしれません。横を割ってサンドイッチみたいにジャム挟んだり、中に生クリームとか」
「季節感を考えてジャムは良いかもしれませんね……ですが、その『にゃまくりぃむ』とは?」
「………フワフワで甘くて、白いクリームなんだけど」
なんとなく予想してたけど、通訳できないほどの名前ということは、なんかこの世界全くないような気がして、非常に泣けてきた。
前に母が料理を作っている時に言っていたような、朧げな記憶を便りに私は口を開いた。
「なんか乳を加熱殺菌し、置いとくと分離して、硬い部分が原料だったような気がしたけど……それを砂糖を入れて泡だて器で混ぜると、今のマドレーヌの生地みたいにフワフワになるので、それをつけて食べるんです。たぶん母が原材料に関しては詳しい」
「『にゃまくりぃむ』はフワフワで白甘い、第一厨房相談役に話を聞く、と」
メモメモとお兄さんがするメモが乱雑すぎて不安になったが、きっと料理長が料理に関しての記憶ならば、思い出せるに違いない。無駄に信じている、料理長。ちゃんと晩御飯に赤いポトフ出てきてたから信じてる。
そしてすでに第一厨房相談役で定着しているんだね、母よ。
思わず呟いていたせいか、よろしければ『我が第二厨房相談役に!』と顔の濃ゆい中年の料理人が鼻息荒く言ったが、丁重に断っておいた。
増えたのは人物は第二厨房の人だったのか。
「な、なにを馬鹿な!」
そう料理長が言うように私は第一厨房菓子相談役に―――――――って違っ!大半はレシピ本がないと作れないんだよ!全部母ひとりで覚えているから大丈夫だよ!
おい、ぜひ我が家の厨房に!とかノリで割り込んでくるな、ジーク!
「あぁ、でもカスタードクリームなら難しいけど、この材料で作れるかも。でもマドレーヌには」
合わないから作る気はないけども、と付け加える事を見越したように、苦悶を浮かべた料理長が帽子を取った。
己の胸に当て、騎士のように恭しく膝をついて頭を下げた。
「ミコ殿……必ず、必ずや、その神技を身につけて、完璧な状態で皆様の前にお出しすることをお約束致します。この食神タイベルの奴隷となった私に、どうぞ情けを!」
うん。教える。すぐ教える。これから全然教える。
なんか滅茶苦茶、冷や汗が流れるから、まず立とうぜ。手洗おう。
突如、舞台役者のようになった料理長の―――――いや、元々手振り身振りが大きめだったのであったようなきがするけど―――――迫真の懇願に及び腰になりながら、高速で何度も頷いてみせた。
今度から、料理長との話題は考えよう。
カスタードが難しいって、焦げ付くかも程度の話だから。
ただ私は基本お手軽な炊飯器に材料突っ込んで、ぴっ、とか、低予算のらくらくお菓子が基本だから。神技とか、昔の料理人が考えたことだし。
別に『くく、お前たちには異世界のカスタード作りをマスター出来まい!』とか意地悪したわけじゃないんだよ。ただ今日のマドレーヌには合わないし面倒だっただけなんだよ、料理長―――――だから頬を伝う涙を拭こうよ!子供みたいな純真な瞳で見ないで!
結局、マドレーヌが焼きあがるまで、あーでもない、こーでもないと料理(菓子?)談義に花を咲かせながらカスタードまで作った。
その流れから、どうやって食べるのかという話になって、見本としてフルーツを入れたカスタードクレープを作って、ジークに手渡す。
「これ、迷惑かけてるから……お礼」
「迷惑などと仰らないで下さい。お守りするのは私の仕事なのです」
うん。ジーク。キリッとしてるけど、クレープをちらっちらしないで言ってくれると、物凄く騎士らしくてカッコ良かったんだけどなぁ。
凄く喜んでくれているけど、食材費は叔父持ちだ。
お礼はマドレーヌにしようと思ってたけど、ジークが自分で作っちゃったから、他にパッと他に思いつかない。
私の分は、と言われたけど、ご飯食べた後だし、ガッツリは入らない。
すぐに恨めしそうな視線を向けていた料理人もカスタードでクレープを作って食べると早速、更に良くするためにアイデアを出し合っている。
多少、餡も小豆類があるんだったら作れるけど、と思わなくもなかったが、さすがに疲れているので、徹夜覚悟でお菓子を作るのは嫌だ。
きっと和菓子派の母がいずれ、自分で食べたいからと作り出すにきまっている。
待ってる、こし餡餅入りどら焼きの御裾分け。
桜餅も可だけど葉っぱがないか。
竈を皆で覗きながら、主に質問を投げたり、聞き手だった私であるが、異世界の菓子に涙が流れそうだった。
お菓子というのは、非常に食事の中でも別枠で、軽視されているらしい。
まず三食満足に食べられるのが贅沢らしく、それにお菓子をつけるということを庶民はしない。
玉の贅沢だけど、お菓子買うくらいなら、腹いっぱいご飯を食べるらしい。
下級貴族や市民はせいぜいドライフルーツやリンゴなどの日持ちのする安価なフルーツがせいぜい。
次に貴族だが、お菓子があんまり種類ないから―――――基本クッキーとかホットケーキとか―――――基本的に食後のデザートはフルーツ。
だから旬の新鮮なフルーツがでるのは、すごいお金持ちか王宮貴族。
何気なく食べていたけど、さくらんぼっぽいフルーツ類は腐りやすいので、特に王宮貴族にしか準備できないものらしい。
………すみません、主食よりもガンガン食べてて。
一応、念のため生焼けが怖いので、きつね色になるまで待ち、竈からだして竹串――――――が、ないから面倒になって一つ真っ二つに割ってみたが、良い感じだ。
今回は少ししっかり焼いたので、焦げるのが心配だったが、綺麗な濃い目のきつね色に仕上がってる。
少し熱いマドレーヌに齧りつくと、ほんのりと香ばしい蜂蜜が味がする。
しっとりと柔らかくて、はふはふと息を吐きながら飲み込んだ。
お腹は膨れていたはずなのに、もう一つ手を伸ばしたくなる。
「ん、うま」
「お、美味しい!ホットケーキとも違う新食感!材料は同じだというのに料理方法がことなるだけで、これほどとは……焦げた蜂蜜のほんのりとした主張がまた口の中で広がって、素晴らしい!」
焼きたてだからだろうか、2割増美味しい感じがする。
という、他のマドレーヌも一欠片ずつ味見させてもらったがジーク作品と似たり寄ったりで、さすが料理長、初っ端からいい感じだった。私の最初の頃など、ジークよりも酷かったものだ……まぁ、小学校高学年ぐらいの話だけども。なぜだろうね。同じ材料だというのに。
「料理長の美味しい……ん。けど、これ」
「私のは問題が!?」
くわっと、先ほど第二厨房相談役にと誘ってきた暑っ苦しい料理人が両目を見開く。
眼力が強いから、思わず視線を彷徨わせてしまった。
「い、いえ。湯煎がしっかりしてるのか、しっとりふわふわしてなぁと……あ、そうか途中で湯煎のお湯を足してましたね。ソレが良かったの、かも」
ホッとした様子の料理人は『お湯の温度が常に同じぐらいのほうが良いのかと思いまして』と、少し照れたように頷いていた。
料理人とは思えない逞しくて濃くて暑っ苦しいオッサンだけど、お菓子のような繊細な料理が合うのかもしれない。
「じゃ、これおじ―――――王様の所の酒のつまみで、料理長のは王妃様の茶請けで、こっちはイベ……イベ………」
イベイベという名前しか頭に浮かばなかったが、こそっと後ろからジークが『イヴェール様です』と耳打ちしてくれた。
若干呆れていたような声にも聞こえなくもなかったけど。
「イヴェール様にしよう。後、図書館で頑張ってる兄と姉のトコに」
「え!?このままお出しするんですか!美味しいけど初めて作った菓子ですよ!」
と、明らかに全部食べたいと顔に描いてあるけど、すまんけど、私も命がかかっている!
主に母の所はな!素早くに持ってかないと、今後に影響するがな!
私もだけど、君たちもだからね!
などと言っている間に、まるで測ったかのようにやってきた母&王妃組の侍女が二名ほど、カートを持ってやってきた。
ちょっと驚いているのは、この時間に厨房に料理人が沢山居るせいだろう。
「王妃様から、ミィコ様の菓子を頂くようにと承ったのですが」
食べ足りなかったのか料理長が灰になって膝から崩れ落ちていった隙に、私はマドレーヌを皿に乗せて、侍女達に渡した。
料理長、まだアレンジバージョン焼きあがってないから、そっちで我慢してくれ。
母と王妃様は、本当にこの時間から、お茶タイムをするらしい。
くくく、明日の体重計の前で懺悔するといいと思ったけど、この世界に体重計があるかわからない。天秤みたいな測りはあるけど。
「陛下より、ミィコ様からツマミを頂くようにと承っております」
入れ違いで、叔父&父の所の執事が入ってきた。
いつも叔父さんの給仕している人なので、なんとなく顔が分かった。
名前は知らないけど、ザ・執事という壮年の男性である。
こうして景色の一つではなく執事単体で見ると、初めて見た時の叔父並にガリガリしている気が。
第二厨房の料理人が灰になっている隙にマドレーヌを皿に乗せて、執事のカートの上に乗せておこう。
ひく、と一度、厨房の匂いを嗅いだ様子の執事は表情を変えず『ミィコ様』と私の顔を見て、声をかけてきたのでビクついてしまった。
「ツマミは甘味でございますか?他にございますか?」
「え、こ、これだけです」
「失礼ながらツマミに合う酒類を選びたいと思いますので、お一つ頂いても?」
「どうぞ」
と、第二厨房の用に残しておいた最後の一つを差し出すと、銀フォークでマドレーヌを刺して、優雅に一口咀嚼してから、変わらぬ表情のまま数秒止まった。
「え~と……お酒には、合いませんか?」
蜂蜜味のマドレーヌだ。
まだ酒を嗜む年齢ではないので分からないが、甘いものと酒って結構合わないような気がする。
普通は辛いものとか、枝豆とか、塩っぱい系だろうし。
叔父はマドレーヌは別腹なので、ビール片手にマドレーヌとか食べてるので、特段心配しなくても良いと思うけど、執事は違うのかもしれない。
父も何でも食べるしなぁ。
前にキャベツにマヨネーズつけて、ビール飲んでたから、そこまで考えてはいなかったけど、飲むっていってたもんなぁ。
むしろ、うちの王様になに適当な物出してんだよ!と怒られそうな気配だ。
何故か忌々しそうに眉根を皺を寄せ、伏し目がちの執事に問うと、長いため息を零して『いいえ』と執事は首を横に振った。
「クロッシュ、さすがに」
料理長の窘めるような声に『失礼致しました。ただ……これが陛下の国の食べ物かと』と告げて、執事はゆっくりと吟味するように残りを食べて、銀のクロシュで蓋をした。
軽く頭を下げ、先ほど料理長が行った食料庫のようなところへ行ってしまった。
なんとなく料理長にクロッシュと呼ばれた執事の背を見守って、屈んで竈を覗きこんでいるジークの横にしゃがみこんだ。
膝を抱えて竈の中を眺めていると、困ったような、誇らしいような、微妙な顔で料理長が隣にしゃがみ込む。
調理場に響かないように、声を潜めて告げた。
「ご無礼を許してやって下さい」
私は首を横に振って、むしろ私知らずに彼に何か失礼なことをしたのかもしれないと告げると、料理長はホッとしたように大丈夫です、と目を細めた。
「彼は並みの臣下以上に陛下への忠節へ誓っております……執事頭というのに、いまだに陛下の毒味役を」
毒味という言葉に驚いたが、己の叔父とはいえ王族なのだから、当然なのかもしれない。
彼は執事頭とは他の執事に命令をしていればいいだろうに、身の回りの世話は勿論、毒味役や給仕に至るまで、ほとんど一人でこなしているらしい。
あまり食事に関心を示さない陛下の身を案じたが、一向に改善されなかった。
あの様子から、かなり興味がなかったのだろう。
食事を取らないことも珍しくなかったらしく、よく料理長の元へ、食事の改善の為に足を運んだらしい。
周囲の苦言も右から左へ聞き流され―――――わりと頑固な叔父の姿が目に浮かぶようだ―――――彼は強行手段に出た。
『陛下が食事をされない日は、私も致しません。陛下の毒味で口にするものが、その日の私の食事になるでしょう』
再び、ぎょっとした。
ほぼ叔父に挑戦状を叩きつけたような状況じゃないですか。
あの身体の作りからして違うんじゃねぇ?と思われるチートな叔父と根比べに挑むなど、阿呆にも程がある。だから彼はかなりガリガリなのか。
「畑違いの私でも知ってる有名な話です」
竈を覗きこんでいたジークも、ちらりと此方に視線を向けて頷いている。
何処と無くではあるが、料理長もジークもどことなく執事頭を尊敬しているのだなということがわかる。
本当に命を掛けて、叔父さんを止めようとしたのだろう。
「結局、彼は栄養失調で三度ほど倒れました。何度も止めたのですが……結局、陛下が折れて、一日一食は必ずお召し上がりになるように」
あのガリガリの叔父の姿を見た時、誰か分からない程だった。
だけど、アレだって周囲の人たちが一生懸命、叔父を諌めてくれた結果だったのだろう。
定職にも付かずにブラブラと元の世界で、あまりにも大きすぎる力を無意味に弄んでいた時とは違うのだろう。
叔父は、この国に必要とされている人なのだ。
少なくとも美食家の執事が断食してまで、叔父の身体を案じたぐらいには。
「……叔父さんが折れるなんて」
「まぁ、その忠義を捧げたくなる陛下も、大概なんですけどね」
二人は苦笑して、どこぞへいった執事の背を追いかけるように視線を向ける。
私も釣られるように眺めていたが、起き上がった。
「おつまみ追加したいんですけど、手伝ってもらっていいですか?」
「え、ええ、カスタードも出来ましたので構いませんが、何を作られるのですが」
「ん。フレンチトーストのバージョン違いですけど……主食というか。クロックさんというお名前で思い出したというか……」
ちらっと明日の仕込みの食材を見て、思いつく物がある。
あんまり食欲が無くたって、なぜかサクッと胃袋に収まる軽食はサンドイッチ系だろう。
お粗末なものしか作れないが、とりあえず何もしないよりマシだろう。
料理長にフライパンを温めて目玉焼きを、ジークにフレンチトーストと卵と牛乳を溶いてもらって、砂糖抜きでパンを四枚、切って浸してもらう。
私はキャベツとベーコンとチーズをスライスしておく。
十分に浸ったパンに一つ目は目玉焼きとキャベツの千切りを、2つ目はベーコンとチーズと、両方共塩胡椒を軽く振って、焦げ目が付くまで焼く。
途中で執事が食料庫からワインを片手に戻ってきてしまった。
だけど料理長がもう一品ツマミに追加があると声をかけると逡巡した様子だったが、ひく、とまた匂いを嗅いだ様子で待機してくれた。
私も先ほど食事をしたばかりだけど、暴力的なまでに食欲を唆るいい匂いが広がっていて、お腹が好いたような錯覚すら覚える。
五分もせず終わり、焼きたてをナイフで半分にすると、さくっという小気味良い音が響く。
私は2つの皿を用意した。
四分の一が二つ二種類乗ったヤツと、一つは半分が二種類乗ったヤツ。
料理人たちが恨めしそうな視線を物ともせず、執事が手をのばそうとしたが、私は止めた。
「このまま持って行ってください。毒味はその時でも構いませんよね?」
「しかし味が分からなければ、酒類が」
「これはツマミじゃないっていえば、わかる……わかると思います」
少し考えた様子の執事だったが頭を下げて、そのまま二つの皿を、もう一つ用意した銀のクロシュで蓋をして持っていった。
私は今、この場所でお礼を言えない。
叔父の家族であることを公言してもいいのかも、よくわからないし、誰も言わないが、このさきどうなるかわからないから言わない。
きっと叔父に忠義を捧げたのなら、許してくれるのではないかなとちらりと思った。
+ + +
私はジークを伴って、兄と姉の所に軽い飲み物とマドレーヌと再び盛んに料理人たちが私が執事に作った料理を降ろしていった。
兄は奥の方に引っ込んでて、呼んだけど聞こえなかったらしい。
その内、匂いに釣られてくるだろうけど。
………ちょっと凄いデカイ図書館だったので、さっと見渡したら物凄い数の矢印が見えて、ちょっとビビった。
一体、ナニがある図書館だというのだ。
気になったけど、ジークに教えられたイベイベの授業の時間が近いので、機会があればまた今度きてみよう。
「なんかあったの?」
細かすぎて辛いと目元を揉みながら、姉が執事に作った料理を指さした。
マドレーヌ以外に作る気はなかったのは分かっていたのだろう。
「叔父の偏食と不健康に抗った一人の偉大な紳士に敬意を評した」
なにそれ、意味分かんない。などと姉は笑って、さくっと音を立てて『クロックムッシュ』を食べていた。
これがいつの間にか『クロックムッシュ』という名前の料理ではなく、チーズとベーコンで『紳士クロック』やら、ベーコンとキャベツで『執事クロック』やら、キャベツと目玉焼きで『忠臣クロック』という具材に応じて珍妙な感じで名前で広がり、最終的に『クロックムッシュ』全般が『クロック』と一纏めで定着してしまうなど、この時の私は知るはずもなかった。
たぶん美談と一緒に広がったのだろう………かなり猛省した。