Act 29. 白昼夢
どうしようもない子供だった。
むしろ我儘で、遠慮がなく、浅慮というのは、極々普通の子供だったのかもしれない。随分後になって気が付いたが、己の中の子供じみた潔癖が、やはり認めることを拒んだ。
それを認めてしまったら――――自分が岸田家の人間じゃないような気がしたから。
だけど結局、恵まれた家族に比べれば、極々平凡な人間であるが故に、すぐに限界に到達して。
圧倒的な暴力に屈服し、蹲って泣いていた。
泣いて、泣いて、力の限り泣き喚いて、私は本当に馬鹿で狡い子供だったのだろう。
そうすると声が届けば、必ず兄と姉がやってくることを。
兄姉の優しさを理解していた。
兄姉の強さを知っていた。
閉じ込められた木箱から途切れ途切れで光が差し込んで、近くで複数の怒号が絶えず聞こえて、鈍い音、悲鳴――――大丈夫だというように、呼ばれる己の名前。
この時の事は、覚えている。
十歳にも満たない私は、見知らぬ少年達に囲まれ、連れ去られたのだ。
小さい箱の中に押し込められて、怯えて、震えて、泣いて―――――いつものように、兄と姉が来るのを只管に待つだけだった。
たしか、もう声すら枯れた頃に、木箱が開けられてるのだ。
逆光を浴びた人物のシルエットに安堵し、飛び出して抱き付いて愕然とするのだろう。
頭部から血を流して、よろよろと足を引き摺る兄の姿に。
長い髪の一部を切り取られて、頬が腫れるほど殴られた姉の姿に。
そして、自分に絶望するのだ。
じぶんは、いったい、きばこのなかでなにをしていたのだろう、と。
すこしでもでるどりょくをしたのだろうか。
すこしでもてきをたおすどりょくをしたのか。
そもそも、じぶんがつかまらなければ、あにとあねはなにもされなかったのではないか。
――――気が付くのだ。
兄も、姉も、優秀ではあるが、殴れば血のでる【普通の子供】であることに。
ゆっくりと、木箱の蓋が開けられて、ボロボロの兄の姿、次に見えるのは、顔の腫れた姉―――――ではなかった。
「………なんや、元気やないか」
気だるげな美人な少年が、無表情でこちらを見下ろしていた。
頭巾付外套を身に纏っているが、その中は学ランだ。
微かな感情の揺れが薄れていき、冷たい硝子玉のように、どこか色味を失っていた。
日本人には違いないが、元々は黒髪だったのだろうが、金に近い茶色に染められたようで、根元が一センチ近く黒くなっている。
線は細くはあるが、手にした金属バットをくるくると回している姿には、隙が無い。
たぶん、地面に転がっている敵が一人でも立ち上がったら、瞬時に反応をしてみせるのだろう。
男は此方に興味を無くしたようで、ポケットから棒付キャンディーを取り出すと、『あめちゃんも、最後の一本やなぁ』と、躊躇いがちに口に含んだ。
どこかで、確かに見たことのある姿だが、脳が答えを拒絶している。
「おーい、終わったか?」
扉の向こうから兄によく似た声が聞こえた。
視界に入ったのは、パッと見は兄――――――だが、髪がやたらと短いことに違和感。
おでこが半分ほど見えているほど短い。
兄は一度たりと、こんな短い髪型にしたことがない。
地味にイケメンだから、似合ってなくはないけど……ちっ、これだから顔のいい奴は。
しかも年齢は二十歳前後ぐらいで、ぱっとみ此方も外套を羽織った細身のスーツ姿であるが、太い首元が窮屈そうだ。肉体労働に従事しているような風体で、もしかすると今の兄よりも筋力が高いのだろう。
その手にはゴルフクラブが握られており、肩をとんとんと叩いている。
マジ誰だ、お前ら!?
素朴にして当たり前の疑問だが、口から出てきたのは少し声変りした少年の声だ。
声の様子からして、泣いているようすはまるでない。
「あのさぁ……いい加減、僕を囮にするのやめようよ。確かに一番貧弱そうにみえるし、イチニイと、レイニイに比べれば、実際貧弱だけどさぁ……女装させるとかありえなくない?」
身体が勝手に動いて、木箱の中から出てる。
なぜだか、気味の悪さがあるが、自分の意志で指が一本も動かせない。
「あ~―――……あぁっ!!今度、レ」
と、気怠そうな美人な青年にイチニイと呼ばれた兄(偽)が手を叩いて視線を向けたが、焦げ付くような殺意によって、笑顔のままの二度うなずいた。
「ばっちゃんにやってもらおうか?まだ若いし、ハーフエルフだから、それなりにみえるんじゃねぇだろうか」
「『ば』やなくて『ヴァ』やで。ヴァっちゃんや。第九十二回家族会議で決まったやん」
なに、その、まったくもって、どうでもいいこだわり。
聞いた感じ、大差ないわ。
むしろ、会議を開くほどのことだったのか。
そして、女装させようとしているのに名前がばっちゃんでもヴァっちゃんでも、白髪の淑女しか思い浮かばないんですけど!?
「そのどうでもいい、こだわりさぁ……いや、いいけど、わざわざ女装させる意味わからないし」
ようやく口と脳がシンクロして、呆れたようにツッコミを入れていた。
なんだろう……この気怠そうな美人に対して感じる徒労感は、まるで誰かさんと対峙しているような気分すらしてくる。
「ハルゾウ。どうした、その剣―――――日本刀か?」
「あぁ、閉じ込められてた箱の中に入ってた。こんな迂闊な盗賊団だもん……そりゃあ、兄さん達にやられるわけだよ」
「盗品やろうなぁ、有難く拝借せな。ハル、貸し―――――――うおっ!?」
「あ、やっぱり気が付いた?」
日本刀に手を伸ばした気だるげな美人は触れる瞬間、後ろに大きく飛びのいた。
反射的に金属バットを構えている。
ぽりぽりと、頬を掻く兄(偽)は事の成り行きを不思議そうにしているので、たぶん見えていないのだろう。
ハルゾウと呼ばれた私は、明後日の方向を向いて、呟いた。
右手から肘の辺りまで、隙間なく絡みつく、小さな手の感触を感じながら。
「……なんか、持ったら呪われたっぽい」
気だるげ美人に、馬鹿とか、アホとかの散々な罵倒を浴びながら、暗い倉庫らしきところを抜けると、石畳の続く町並みが広がった。
表通りに出ると眩い光が差し込み、奇妙な軽いデジャブを感じた。
ごく最近よく似た場所を見たから、忘れるはずもない。
――――――そこは、イシュルスの城下とよく似ていた。
+ + +
落下の衝撃は、骨身にまで響き渡った。
吹っ飛んで、その強さに意識が途切れたのだろう―――――正確には百人切呪詛刀を手にした時から、可笑しくはあったが。
その間にみたのか、まるで自分以外の人間の記憶を体験をしたような奇妙な白昼夢。
最初は走馬灯ではないかと、疑いもしたが違うようだ。
下敷きにしたイシュルス女王蜂は、若干18才未満御断りのモザイク映像と化していたが、あえてマジマジと眺める必要などないだろう。
大量出血なのか、異臭も凄い。
なぜかわからないが、膝まで有りそうな草が半径二メートルは枯れており、円状にクレーターのようなものが出来上がっている。
ちなみに、巨大な鼠っぽい魔物の姿があるのだが、落下の衝撃に遣られたのかぐっしゃりといっているやつと、半径二メートルほどのクレーター内で泡を吹いて死んでいるっぽいものがいた。
泡を吹いている方は、無傷っぽいのに……心臓麻痺とか?
長いこと全身に走る痛みに蹲っていたが、場を退こうと立ち上がり、眩暈に膝を折る。
吐き気を催すほどの頭痛をやり過ごすために、暫し時間が必要だった。
とりあえず、辛うじて生きている。
ようやく、よろよろと女王蜂から避けて、大木に背を預ける。
ふと木漏れ日に顔を上げると、大木の上の部分から一直線でへし折られている枝の姿が続いており、そこから差し込んでいるようだった。
現状は最悪としかいいようがない。
五体満足とはいえ、細々とした怪我に少々足を捻ったようで、歩くことに支障はないだろうが、走るとなると痛みそうな気配だ。
不思議な事に、一番の致命傷であるはずの、女王蜂に噛まれていた?らしい肩の痛みは殆どない。
服は破れているので間違いなく傷を負ったはずなのに。
肌を撫でると、少しだけ感触が違うが顔を向けても、見ることはできない。
周囲は元々居た場所と似たり寄ったり森の中。
薄暗さは変わらず、一人になったせいか周囲からは、けたたましい鳥の鳴き声や、風に靡いて騒めく草木の音が、遠巻きに耳朶に届く。
これだけ巨大な音を立てたのだ。
眼前にはぐっしゃりとした女王蜂と、それを貫通して余裕で地面にぶっ刺り、エクスカリバー風の百人切呪詛刀。
空中に浮いているステンドグラスは、女王蜂の羽だろう。
風見鶏の様にクルクルと回転している。
さすが、女王というだけあって、羽根は普通のイシュルス蜂よりも大きく硬かったのか、ほとんど破損はなくて、板チョコみたいにぱっきりと根元から割れている。
盛大な迷子と言わずして、なんというのか。
いや、これは意図したわけではなく、他意により強制的になってしまったわけであってと、暫し姉のお仕置きを空想し、誰ともなく言い訳をする。
っていうか、こんな満身創痍の時にされたら、普通に死ぬ。
なにより、眼鏡が無いのだ。
兄にロリコーン対策に渡したままなのだ。
一キロ以内に入れば、青表示になるから、眼鏡がないよりは格段に見つけやすいだろう。
そして、何よりの利点は戻る際に、敵を回避しつつ進めるということだ。
それがあてにならないということは、こんな怒っている方のイシュルスから、戦闘をせずに戻れるのだろうか。否。不可能に近いだろう。
お昼までにあれほど遭遇していたのだ。
兄姉が引き寄せていたのかもしれないが、勘だけで避けられるだろうか。
今、戦闘になっても、全然勝てる気がしない。
だとしたら、兄姉が来るのを待つ方が良いと思われるが、なぜか先ほどの白昼夢が過って、ちり、と胸が痛んだ。
来るだろう。間違いなく。
されど、そんな彼らは今以上に傷を増やして―――――それに、動くと逆に兄姉たちと遭遇できなくなるかもしれないのだ。
すれ違うとか、そもそも入り口はどっちなんだろう。
どっちに向かって、進めばいいかもわからない。
つうか、風に乗って、顔を顰めるほど女王蜂の匂いが凄い――――――と呑気に考えていたが、とある事に思い至って、とある可能性が浮かんで、青ざめた。
なんか料理長か、兄が、出発前に魔物の血がなんとか、言っていたような、言ってなかったような。
そう血が獣を引き寄せる様に、魔物の血が魔物を引き寄せる可能性だ。
それとほぼ同時に、厭な事に気が付いた。
周囲の鳥がけたたましい叫びをあげながら、一斉に飛び立つ気配。
ドンという重いものを地面に落としたような音に続き、震度1ぐらいとはいえ地震が起きたと錯覚する振動が続いている。
残念ながら、私の200越えの直感が明瞭に告げている―――――なんか確実に危険な敵が、こちらに向かってます、と。
まだ振動は遠いようだが、音の感覚からして、あまり猶予はない。
少しでも、この場所を離れなけば。
「まず、ぃつぅっ………」
離れようと立ち上がったが、痛めた足にふらつき転ぶ。
地面に顔面からあわやダイブしかけて、鼻先が地面に掠った刹那、胸の辺りに当たった固い板のようなものが反発で浮き上がり、中途半端な高さで止まった。
なんだろう、この海に浮かんだ浮き輪に支えられているといった感じだ。
しかも少し空気が足りないのか、微妙に頼りない。
手を付いて起き上がると、胸の所には美しいステンドグラスのような女王蜂の羽。
根元からパッキリと折れたらしい羽根の大きさは指の先から肘より長いぐらいか、幅は二十センチはあるだろうか。
羽根の先端が丸く、根元に行くまでに少し細くはなっているが、形がアレ似ている。
料理長が手から魔力を流して、羽根の欠片を浮かせていた光景がフラッシュバックする。
いける、だろうか?、いやいや、無茶すぎる。
微かな期待と無理という気持ちが胸にあったが、己の中で問答する時間も惜しい。
いじけていた時に作った罠の様に、草を束ねて捻り、二つを連結させて、羽根に括り付けて結んだ。
羽根と草縄擬きの間に足を突っ込んだ。
問題は多くあるが、一番は―――――足の裏から魔力が送れるかということだった。