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愛を知った冷徹軍人と、契約婚から本当の夫婦になるまで  作者: 結城䋝


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3/7

三、契約

 周防伯爵邸は逢坂の家とは違い、洋館風の建物だった。書物に書かれた絵では見たことはあったものの、慣れない景色に戸惑い物珍しげにきょろきょろと周囲を見渡してしまう。

 時人はそんな奈月の行動を嗜めることもなく、ただ黙って手を引き案内をしてくれた。通されたのは応接室で、華やかさはないが奈月が見てわかるほど品良くあつらえられた場所だった。


「逢坂……あなたの兄から聞いているかわからんが、夫になるとは言ってもこれは任務のための契約結婚だ」

「存じております」


 初めてのソファに驚いていた奈月だったが、時人の声で現実に引き戻された。表情を引き締め、神妙な面持ちでうなずく。


「なら話が早い。その契約結婚についてだが……申し訳ないが様々な事情から、こちらがあなたに協力してもらう立場ではあるが制約をかけさせてもらうことになった。雛形はこちらで作ったが、目を通して何かあれば遠慮なく言ってもらいたい」


 目の前のテーブルに一枚の用紙が置かれる。書かれている内容は時人の言ったとおり、この結婚における条件と奈月に課せられる制約に関してだった。


一、この結婚は、周防時人が関わる事件の調査中にのみ有効である

一、これから関わる全ては指定された人物以外に話してはならない

一、外出には時人の許可が必要であり、時人が同伴できる場合のみ

一、周防邸内では自由に過ごして構わないが、日報を提出すること

一、どんな場合でも周防時人からの要請には応じなければならない

一、嘘や隠し事はなし、ありのままの真実を話さなければならない

一、契約を違えたと判断された場合は、即座に相応の罰が下される

一、お互い合意の上であれば、適宜本制約内容の変更は認められる


 目を通し終えた奈月は顔をあげ、近くに置かれていたペンを手に取った。


「ここに署名をすれば良いのですね」

「そうだが……何もないのか? この契約書は、異能を用いて作られた物だ。合意があれば変更ができるとはいえ、署名をしてしまえばあなたはこれらの制約に縛られることになる。不自由な身の上になるんだ、あなたに不利な条件とならないように交渉は必要ではないか?」

「そう、でしょうか。すでに十分すぎるほどわたしに配慮いただいた内容です。これ以上望む何かなどございません」


 本心からの言葉だった。どう考えても高待遇がすぎるとすら感じられる内容だったから、なぜ時人が念を押すのか奈月にはわからないぐらいだ。

 寸分の迷いもなく署名した書類を時人へと差し出した。


「この程度でわたしなどが誰かの役に立てるのであれば、むしろ有り難すぎるほどのことだと思います」

「……あの逢坂の妹とは到底思えんな」


 時人はこめかみを親指で押さえた。その様子を見た奈月は、時人は度々元久から迷惑をかけられているのだろう、と察した。座ったままだが深々と頭を下げる。


「身内が大変失礼いたしました」

「いや、あなたに謝られることではない。あなたを前にして言うのもなんだが、さっきはあの兄にしてあの妹ありと思っていたのものでな、あなたは話が通じる相手で良かったと今心の底から思っている」


 奈月が署名した欄の下に時人も名前を記入する。時人の持つ雰囲気にあった、かっちりとした綺麗な字だった。

 ペンを置いた時人は書類を丸め、片手を奈月の前へと突き出す。奈月は少し躊躇したが、ここへ来る前とは違い素直に握手に応じた。


「では、改めてよろしく頼む」

「よろしくお願いいたします」

「さっそくだが、今日から手伝ってもらいたい。内容はそう難しいものじゃない。今から渡すものに異能が使われているか、使われているならどんな異能かなど、あなたに分かることがあれば教えて欲しいんだ」


 時人は傍に置いていた五つの封筒を奈月に手渡した。


「すまないが封筒は開けないでもらいたい。どうしても開封の必要があれば申告してもらえるか」

「わかりました。このまま確認してみますね」


 奈月は受け取った封筒のうち、ひとつを手に取った。かすかに声が聞こえる。その声に集中するように目を閉じて、少しでも聞き取ろうとした。

 だが聞こえてくる声は遠く、そしてそれは少しの変化はあれど五つの封筒すべてが同じだった。


「書類自体に異能は使われていないと思いますが、異能の痕跡はあります。こちらのふたつの封筒は痕跡がひとつ、残る三つの封筒は痕跡がふたつ。日が経ちすぎているのか、それとも異能が使われた状況のせいかわかりませんが、声が遠いので使用された異能の判定までは難しいです」

「封筒から出せばわかる、というものではないんだな」

「おそらくは。ただ、五つの封筒すべてに共通した異能が使われていること、異能の痕跡はふたつであることは、間違いないと思います」


 奈月が痕跡ごとに分けて戻した封筒と署名を終えた契約書を手にした時人は立ち上がった。


「ありがとう。助かった。俺はこれで仕事に戻るから、あなたは契約どおりこの邸内に限るが自由に過ごしていてほしい」

「ありがとうございます」


 お互いに軽く会釈を済ませると、時人は聞き心地の良いほど爽快感のある足音を立てて部屋を出ていく。

 ひとり残された奈月はしばし消えた時人の背中を見つめていた。


 × × ×


 軍部へと向かう馬車の中で時人は奈月が分けてくれた封筒の中身を確認した。 

 痕跡がひとつと言われた封筒ふたつの中身は、本人が知らぬ間に結婚させられていたという事件に関連した婚姻届。

 痕跡がふたつと言われた封筒三つの中身は、離婚騒動において捏造された可能性のある証拠として提出されたものだった。


「……十分すぎるほどの成果だな」


 奈月の異能はあくまでも今回事件調査における、副産物的なものとして時人は考えている。契約を交わしたとはいえ、見ず知らずの他人だ。おまけに一般人である奈月を完全に信用して事を進めるつもりはない。

 それでも中身も見ず見事に書類を仕分けてみせたところから、ある程度奈月の異能は信頼しても構わないかもしれない、と時人は感じていた。


(後は逢坂の関与が完全に否定できれば、だな)


 景色が流れる窓の外へと視線を向ける。


(まあ、だがあの様子から見てそちらも問題はないだろうが)


 時人から見ても、奈月は契約とはいえこれから結婚するとは思えないほどの身なりだった。荷物も何もない。ろくな見送りもなく、本当に身一つで、身売りに近い形で嫁がされたと言っても過言ではないだろう。おまけに逢坂の家では誰もそれがおかしいことだとは思っていなさそうだった。国見と話していたとおり、冷遇されていたと見て間違いない。

 握った手も普通よりも細くて水仕事などをしている手といった感じで、裕福な貴族家令嬢の手とはあまり思えなかった。手を差し出したときの表情を思い出した時人の心の奥に、かすかなくすぶりが生まれる。

 だが時人はすぐにその感情を打ち消し、いつもどおりの無表情へと戻った。


 × × ×


「おかえり、時人。早かったね。どうだった? 結婚は」

「予想より成果があった。あの人がこちら側なら有難い」

「いやあ、聞いたのはそっちじゃないんだけどね? まあ、成果があったなら良かったよ」


 国見の執務室を訪れた時人は、かいつまんで今日の出来事を話した。

 逢坂の家での出来事を聞いていた国見の顔は、耐えきれず心底軽蔑したようなものへと変わっていく。


「調べたより酷いね。まさかそんなふうに嫁がせるとは……内密に済ませるとは言っても、体裁すら整えないとは思わなかったよ。彼女の心中を察してあまりあるね」

「あれは聞くより見たほうが酷さを実感できる。ああ、そうだ。おまえの調査結果も聞きにきた」

「まあ、予想どおりに見たとおり。酷いもんだよ。この仕事をやってて異能差別なんていろいろ見てきたけど、ここまで酷いのはなかなか見ないね。逢坂が関与している事実もなさそうだ。単純に、体のいい厄介払いってところじゃないかな」


 はい、と手渡された書類を時人は受け取り、めくって確認していく。社交界では評判と耳タコなほどに元久から聞かされていた妹・汐里による虐待、元久も含んだ家族や使用人からの差別や冷遇っぷりは、知らず知らずのうちに時人の眉間に深い皺を刻むのに十分すぎるほどのものだった。


「たかだか異能の声が聞こえる程度でここまでするほどか?」

「まあ、総じて自分の理解が及ばないものに関してはどこまでも非道になれるってことだろう。時人、君も知ってのとおりね」

「俺の場合は、ただ嫌がられただけだ。誰だって異能を無効化されたら嫌な気持ちになることもわかる」

「君は寛大だねえ。僕ならえいっと仕返ししちゃうけどな」

「どうでもいい人間のことを考えるほど無駄な時間はないし、そこまで暇じゃないだけだ」


 時人は見ているだけで気分の悪くなるような書類を机に放り投げ、指先で眉間の皺をもみほぐす。


「……今日は早めに上がる」

「それがいい。契約とはいえ新婚さんだからね。なんなら新婚休暇も受け付けるけど?」

「事件の調査中だ。……いや、あったほうがいいのか?」

「逢坂以外が犯人で内部犯なら、引っかかってくれるかもね」

「……そうか。なら、数日休みを貰うかもしれん。あの人が嫌がる素振りがあれば、話は別だが」


 国見は目を瞬かせ、じっと時人を見やる。


「なんだ?」

「いや、なんでも。じゃあ、とりあえず明日から数日は休暇で処理しておくから。こっちのことは任せておいて。何か動きがあれば連絡するよ」


 さっさと帰れと言わんばかりに笑顔で手を振る国見に、時人は怪訝な顔をしてしまう。だがそれだけで特に何か言い返す事もなく、執務室を出ていく。

 静けさが戻ってきた部屋で国見は意外そうに、けれど少し微笑ましげに呟いた。


「あれは、絆されてるね。こんな短時間で何があったかわからないけど……時人にいい変化がもたらされるなら、結婚万歳だよ。いずれ本当の夫婦になったりして。……なんてね」

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