とある善良で真面目な尻軽偽物令嬢の話
やさしいせかいです
……あれが例の……
……素行を問題視され、家は妹のリリフローラ嬢が継ぐとか……
……誰とでも夜を共にするという噂だが確かに妖艶な……
夜会にて私に関する噂話を小耳に挟みながら今夜は誰と過ごそうか考える。私は家族から素行が悪く尻軽であることを求められているからなるべく口の軽そうな人がいい。
既婚者や既に婚約者がいる方、責任感の強そうな人をうっかり引っ掛けたら申し訳ないのでそこは真剣に見定めさせてもらう。誰とでもとは言わない。
奥様を亡くされた再婚意志の無い方など素敵ね。普段は奥様への愛があるから代わりなんて求めないけど人肌の温もりを感じたい夜だけのお供になるならこちらもありがたい。
露出は少ないけれど身体のラインが出るドレスは男性の目に留まりやすい。伝統的なドレスよりシンプルだからこそ脱がせやすいと思うのだろうか。
「その美しい白い髪はマグノリア伯爵令嬢でしょうか」
「あら、仮面の下を窺うだなんて。今宵の夜会は誰かを装う趣向でしてよ」
「仕方ないでしょう。貴女の色香は仮面に隠しておけるものではない」
声をかけてきたどこかの若い男性は軽薄そうに私を誘い、当たり前のように腰へ手を回す。手慣れているタイプね。
カブスボタンや他の装飾から相手を推測する。
最近婚約したと噂を聞いた好色な若者のような気がするので腰に巻かれた手をするりと抜ける。
「残念ながら私は貴方の花ではないみたい。ダメよ仮面を装って違う花と遊ぼうだなんて」
仮面パーティは素顔より考えることが多くて嫌ね。
招待状で趣向を知らされてなかったし今夜はそのまま帰ろうかしら。
きっと周りは私の姿が見えなくなれば勝手に解釈するでしょうし。
私はマグノリア伯爵長女デニュデーレ、ということになっている。この後一生デニュデーレとして生きるマグノリア伯爵家親戚筋の下級貴族だった女だ。
そしてマグノリア伯爵との契約により次女であるリリフローラを後継に据えるため尻軽な長女として振る舞ってデニュデーレの名を地に落としている。
本物のデニュデーレは生きているのか死んでいるのか。
病弱で世界が家の中にしかなかった令嬢が恋をして出奔してしまうほど健康になっていたとは家族も思っていなかったらしい。
デニュデーレが誰の子かわからぬ赤子を抱いて戻り権利を主張してきたら困るとたてられた代役が私だ。
行儀見習いで屋敷にきており、年頃も近く、なによりやや珍しい髪の色が似ていた。デニュデーレはほとんど外部と交流なく知られていたとしても幼い頃の肖像画くらいなので似た色でも問題ない。顔も遠いとはいえ親戚だからなのかわりと似ていた。
こちらとしても下級貴族の三女という支度金が用意できずにろくなところに嫁げないような立場だったので契約遂行後の見返りが破格の身代わりになれてありがたい。
思ったより婚前に男性と遊ぶことが嫌ではなかったから元々尻軽の適性もあったのだろう。
妹が成人したら後継は私から妹に移り、私は中央には縁遠いけれど地方で力を振う方の第二婦人として嫁ぐことになる。正妻の方が足を悪くして華やかな場を避けられているためその際のパートナーとして、普段は正妻の方の話し相手として求められているそうだ。歳が親子ほど離れているから娘を迎えるようだとお子様のいないご夫婦は楽しみにされているらしい。
結婚して幸せになんて確実ではない下級貴族の三女はそこそこ幸せになれそうならば異存はない。
マグノリア伯爵家内でも良くしてもらっているし。
もうちょっと偽物とか身代わりとか言われ家族の輪から弾かれるものだと思っていたのに妹は慕ってくれるし、両親も距離感はあるけど尊重を感じる。
年頃の娘に酷なことを頼んでいるという負い目もあるのだろう。家族も使用人たちも私を長女として扱ってくれている。
ちょっと話を聞いたところ本物のデニュデーレは幼少期から少々性格にクセがあり病弱を理由に後継としての教育を回避する傾向があったとのこと。
嫌がるだけでやらせれば優秀ではあったらしいが。
人の好き嫌いもはっきりしており気に入らない使用人だと全く話を聞かないとか。
本物と比較して私のほうが扱いやすい人間だったので屋敷内で排除されることは全くなかった。
もしかしたらデニュデーレが出奔する前から両親は入れ替えを計画して似た髪色の私を行儀見習いとして受け入れたのかもしれない。
契約満了を楽しみに妹の成人を待っていたある日、嫁ぎ先予定のご家庭でご不幸があった。
足を悪くしていた奥様が階段から足を滑らせて儚くなられたという。旦那様は大変な悲しみに包まれ、私を迎え入れるのは当分難しいので話は一旦白紙にさせてほしいとのこと。
うん、それは仕方ない。残念だけどご縁がなかった。
足の悪い奥様が侍女もつけずにひとりで階段へ?などと気になることはあるがもう他所のご家庭のことだ。当たり障りなく残念であることとどこかで違う縁があれば、と手紙にしたため父に預けた。
「契約の件だが……」
「しばらく保留になります?」
「ああ……君にとって悪くない行き先を探す時間がほしい」
「お父様のことは不義理しない方だと信用しておりますので気長に待ちますわ」
別に婚姻ではなくてもそれなりに暮らせるのであれば問題ないのだけれど私の噂が届かないような遠方ほど結婚していない貴族女性は生きにくい。
中央で嫁き遅れ有閑婦人することもできるが今立ててる噂が将来的に妹や妹の家族を困らせるかもしれないからちょっと距離をとりたい。
そう都合の良い行き先など簡単には見付からないだろう。もしかしたら妹の成人後もしばらくこちらに残ることになるかもしれない。
「私はデニュ姉様ならいつまでもここにいて欲しいです」
日課のティータイムで妹にまだお世話になるかもしれないと伝えたところそんな反応をされた。
「デニュデーレお姉様よりデニュ姉様のほうが話が合いますし相談しやすいですもの」
「そうね。いずれここを離れるからと思っていたけれどデニュがリリーを近くで支えてくれるならありがたいわ」
「お母様までそんなことを」
「デニュにはつらいことをお願いしてるのだから役目が終わったらしばらく我が家でのんびり過ごせばいいの。ここは貴女の実家のようなものだし、貴女は私の娘のひとりなのよ」
そんなことを言われましても。
妹も母も契約を盾に私が悪事を行うとか考えないのかしら?
私が契約の内容を外の人に話すだけで家にとって致命的な醜聞になりかねないのに。
そんなことするつもりはないけれど。私に何の得もないし。
「それに噂を鵜呑みにしてデニュ姉様自身を見てくれない殿方と私は結婚するつもりはありません。試金石になっていただけると助かります」
「……そういうことならしばらくお世話になるのもやぶさかではありません」
あまりに私を毛嫌いするような相手と結婚したら妹もやりにくいだろう。いずれ憎しみが妹にも向いてつらい思いをするかもしれない。
表面だけ取り繕う相手もいるだろうけれどそこは海千山千の両親が見極めるだろうし。
「……デニュデーレお姉様はそんな風に私を案じてくれたことありませんでした。だからデニュ姉様がデニュデーレお姉様になってくれて良かったです」
髪色と同じきれいな赤紫の瞳を細めながら妹はそう言って笑った。全てを見透かすような視線がなんとも居心地悪い。
私がデニュデーレになる前に育った家では私は外出先で事故に遭い、川に落ちて行方不明ということになっている。
私が持ってきたカバンやドレスを返却する際に結構な額の見舞金が支払われたと聞く。
行儀見習いで家を出てから数年経つし肖像画を描かせるようなお金もない家だったし、私も随分雰囲気が変わったから万が一どこかでばったりと家族に会っても顔の似た人がいるなとしか思われないだろう。
もう私の帰る場所はマグノリア伯爵家しかない。でも少しだけもう帰れない場所へ帰りたい気持ちがある。
だから母に娘だと言われても妹に姉様と呼ばれても、本心から成りきれない。
私を慕うその目はきっとそんな私を見抜いている。
今よりもっとデニュデーレに成らなければ。
深いところにもう死んだ私自身を埋葬するのだ。
ある晩、私に誘いをかけたのは少し高貴な方だった。
怪我により生殖能力を失った令息だ。美形であらせられるけれど婚約者も恋人もいなかったと思う。
「友人が誰とでも夜を過ごすが誰も落とせないデニュデーレ嬢を私の顔で落とせるか賭けを持ちかけてきたんだ」
「あら、それを私に言ってしまうの?」
「だってアンフェアだろう」
黙っていれば絵画に描かれる金髪の王子様でしょうに。
大して真剣に挑んでいない賭けなのかもしれないけれど。
「貴方が賭けに勝ったらなにを?」
「友人が最近手に入れた珍しい蒸留酒かな」
「……ふぅん。ねえ、ドレスは脱いだほうがいい? それとも朝まで楽しく健全におはなし?」
珍しい蒸留酒より価値がないけれど一応身体に用はあるのかスタンドカラーから腰にかけてのボタンをひとつひとつ外されていく。
密着して主張を感じるから生殖能力はなくとも男性機能は生きているようだ。
結果として私は落ちなかった。わりと体の相性は良かったけれど。
どちらかというと彼に対して共感と同情がある。
この人本当はこういうことしたくないタイプだ。
私が妹のために尻軽であるように、この人も誰かのために遊び人である必要があるのだろう。
「今度は朝まで一緒に読書でもいいですよ。私みたいな素行の女と関係継続しているように周りから見えればいいんでしょう?」
ベッドの中で胸板に頬を寄せながら提案すると彼は明らかに動揺していた。
「どうぞ利用してください。私にも利点がありますので」
「……利点?」
「女の秘密です」
私も一時期でもいいので特定の相手がいるかのように振る舞いたかったのだ。夜会で声をかけてくる相手の前後交際関係を都度考えるのが大変になってきたから。
彼が私を利用してくれるのであれば罪悪感もさほどない。
結果的に彼は珍しい蒸留酒を手に入れ、ふたりで楽しんで飲んだ。
同じ夜はひとつもなく、それはそれで楽しい付き合いになった。
「デニー、ありがとう。君のおかげで私の望みは無事に叶いそうだ」
「叶うまで油断は禁物ですよ。ある日いきなりひっくり返ることもあるのだから」
「いや、もう私を担ぎ上げようだなんて言う者は全て追い出した。弟の周りに優秀な者も集まった。私は失望されて……計画通りだ」
「……周囲は貴方の狙いを知っているかもしれませんよ。貴方わかりやすいし、人の良さが隠せてないもの」
「それを言うならデニーこそ」
「家族は私の素行より私を見てますので別に隠せなくても」
「そうか」
そろそろ潮時かしら。
わりと居心地のいい相手だけれど流石にいつまでも利用はできない。
妹は先日成人し正式な後継者として登録された。私の契約も終わりが近い。満了後の行き先はまだ決まっていないけれど。
ほんの少し寂しさのような安心を感じる。
「君の家に挨拶に行ってもいいだろうか。ご両親に令嬢を利用して名誉を貶めたことを詫びたいのだが」
「私の名誉なんて今更では?」
「自己満足だと思ってほしい。私は立場のために君を利用して……このまま手放したくないほど執着している」
ベッドの上で言うのは少し卑怯ではないかしら。
ここにいる殿方はいくらでも嘘吐きになれると知っているのに、彼だけは嘘を吐かないと信じてしまいそうになる。
だめよ。
恋なんて私がしてはいけないわ。
彼は律儀に我が家へ訪問した。
両親と妹に利用していたことは伝えているが演技なのか彼を見る目は厳しそうに見える。
「太公閣下、貴方の謝罪は受け入れましょう。そして速やかにお帰りください。謝りにきただけならばもう用はないでしょう」
「マグノリア伯爵……いえ、どうか私が領地へ帰る際、隣にデニュデーレ嬢を伴いたいという願いを聞いてはもらえないでしょうか」
「愛人として? もう役目は果たしているでしょう」
「デニュデーレ嬢……デニーを妻としたいのです。私は彼女を愛しています」
「口ではいくらでも言える。太公閣下であれば娘に苦労はさせないでしょう。だが幸せにできますか?」
「今まで遊んだ相手は全て清算済みです。子供は抱かせることができませんがその分私が人一倍愛します。デニーを幸せにする確約はできませんがそのための努力は惜しみません」
父は視線をかすかにこちらへ動かした。私の横にいる母に出てきてもらいたそうだ。
「閣下。我が家は伯爵家です。身分はありますから太公家に嫁がせることはできますがその為の教育など行なっていません。なにも知らずに嫁いで苦労するのは娘です。少し時間をいただけませんか」
確かに伯爵家の娘としての振る舞いは習ったけれど彼の家に見合う振る舞いは知らない。
「デニー、私をどう思っているか教えて欲しい。気持ちの確認ができるなら待とう。だが全く気持ちがないのであれば待つことはできない。さらってでも連れて行きたい」
私は、彼のことを?
さっき初めて父に向かって愛してるとは言われたけれど、私は言われてないのよね。
「お父様、私は彼の手をとってもいいのでしょうか? わからないのです。私がどうすればいいのか」
「デニュデーレが選びたいのであれば止めはしない。家族に遠慮はいらないよ」
「私は反対です。デニュ姉様が経験豊富でも情緒が育ちきってないことに気付いて外堀をいきなり埋めてくる殿方なんて!」
「リリー……」
「姉様をさらっていくなんて言う人、きらいです。姉様はまだ私と一緒にいてくれないといや」
成人したとはいえまだ年若い妹が泣きそうな声で子供のように私にしがみつくので私も肩を抱いて落ち着かせるように軽く背中を叩いてやる。
「私もまだリリーのそばにいたいわ。でも……私きっと彼のことが好きなのだと思う。利用し合う関係で愛の言葉を交わしたことはないけれど。それでも彼の傍は心地良かったの。好きな本について語り合ったり、観劇したり、食事をともにしたときも、少しだけ素の自分が出てしまったくらい居心地の良さがあったの。これが恋なのかはわからないけれど」
だけど私はデニュデーレの皮をかぶった偽物だ。
家族の愛も彼の愛も偽物ではないのに私だけが偽物だ。
「閣下、こんなまどろっこしいことをせずとも貴方は命令すればすぐに娘を召し上げることができる方でしょう。何故それをしなかったのですか?」
「デニーの本当の顔を知りたかった。家族思いなのは知っていましたが……デニーの素行は意図的に作られたものですね?」
「ええ私は非道な父親です。娘には苦労をかけました」
「事情については詮索しません。私も似たようなものですから……デニーは私からの命を受けて動いていたことにしませんか? デニーの悪評を全て私が受け持ちます。だから私をデニーの、デニュデーレ嬢の婚約者に据えていただきたい」
父と母は困ったように笑い、妹は腕の力を強めた。
それから少し間を置いて深呼吸のようなため息をひとつ。
「デニュデーレ、契約不履行だ。私は君の未来を選んであげられなかった。もう我が家のために頑張らなくていい。君は役目を果たし、私は果たせなかった。家に残るのも太公閣下についていくのも、それ以外の願いがあるならそれでも、私は可能な限り叶えるよ」
お父様の目を見て、だから私は行方不明になったのかと悟る。
私が生まれ育った場所へ帰りたいと望んだときに奇跡的に見つかったと連絡できるように。
なんて用心深く不器用なお父様なのでしょう。私が裏切ると全く思っていないなんて。
いつしか生まれ育った家と同じくらい、もしくはそれ以上に私がこの家を好きになるって思っていたの?
「私はお父様もお母様もリリーのことも愛してます。愛するマグノリア伯爵家の娘として……愛された娘として、嫁いでもいいでしょうか? 私も傍に彼がいる未来を望みたくなったのです」
「デニュもリリーも私の大事な娘よ。ありがとうデニュデーレ。私たちの願いを叶えてくれた貴女を本当は引き留めたいけれど、家族から愛されていたと知ってくれたならそれでいいわ」
「私もデニュ姉様が大好きです。婚約ならまだしばらく一緒にいてくれます?」
「淑女教育が終わるまではリリーと一緒よ」
真っ直ぐに彼と向き合う。思えばこうやって見つめ合うのはやってなかったかもしれない。
リリーのように彼も私を見透かしそうだから。
「私でよろしければ婚約をお受けいたします。後悔されてももう遅いですよ?」
「私の申し出を受けてくださり光栄です。後悔があるならもっと早くデニーと出会いたかったことくらいだ」
差し出された手を取って、あのタイミングの出会いでなければこうなってはいないだろうと思う。
だからこそ奇跡のように感じる。
いつか彼のことも家族のように愛せる予感がして、繋いだ手の力を少し強めた。
それから、相手が相手なので私との婚約は迅速に広まったらしく、見知らぬ子供を連れて随分健康的な見た目になったデニュデーレが彼と結婚するためにマグノリア伯爵家に戻ろうと騒いだところ使用人が一丸となって本物は私だと追い返したり、その騒ぎを見かけた他の貴族が押しかけた私を騙る偽物が夜会で遊んでいた当人だったのではないかと噂しそのまま本物のデニュデーレに悪評が移っていったり……これはきっと押し付けようと裏で彼が動いていたのだろう。
多分この辺りで大体の事情は彼に伝わったと思われるけれど私と彼の仲はなにも変わることがなく穏やかだ。
デニュデーレになる際の淑女教育より何倍も厳しかった教育もそろそろ終わり。
偽物でも愛してくれる彼の横に立つために最後のレッスンまで胸を張っていよう。




