~その頃の姫~ 彼女の弾むような声を最後に
魔物の国への潜入に成功した私たちは、その後も順調に旅路を進め、とうとう〈邪王〉の居城――といっても、元は国境沿いに建てられたただの砦だったのだが――まで目と鼻の先というところまで迫る。野営地に選んだこの林からも、城の尖塔が確認できていた。
(いよいよ明日にはザッハークとの決戦……お父様、とうとうここまで辿り着きました。見守っていてください。そして神々よ、火と天則の神アリシャよ、どうかご照覧あれ……)
つまり今夜が、決戦前の最後の野営となる。私は焚き火を前に決意を固め、神への祈りを捧げていた。
傍ではアキト様とトリーシャが眠りについている。交代で見張りをする予定で、今は私とエレナが起きている番だ。
「姫様、姫様」
そのエレナが、二人を起こさないようにか、何やら小声で呼び掛けてくる。
「……どうしました、エレナ?」
つられて私も小声で返すと、彼女は声を潜めたままでこんなことを言い出した。
「ちょっと姫様に相談があるから、ついてきてくれないかな」
「相談……?」
「うん。二人を起こすと悪いし、できれば聞かれたくないことだから、向こうで」
「聞くのは構いませんが……でも、見張りが……」
「すぐ済むから、ちょっとだけ。お願い」
私はわずかに悩んでから了承する。
「……少しだけですからね」
念の為、眠っている二人の周囲に魔物除けの結界を張ってから、その場を離れた。
――――
現在魔物の国と呼ばれているこの地は、元は奪われたアムレート王国の一部だ。そのため、その頃使われていた街道がそのまま残っている。さすがに整備はされておらず荒れているが、獣道よりは遥かにマシだった。
その荒れた街道をエレナが先行し、しばらく進んだところで足を止める。アキト様たちからは結構離れてしまった。
「この辺でいいかな」
背を向けたまま、エレナが呟く。私は魔物に襲われないか少し不安を抱きながら、その背に声を掛けた。
「それで、相談というのは?」
「うん。実はアキトのことなんだけどね」
「アキト様の……?」
彼女の口からその名を聞いて、ドキリとする。急に別の不安が襲ってくる。
思えばエレナはずっとアキト様と距離が近かった。最初からお互い遠慮のない友人のように接していたし、戦闘中も息が合っている。先日の水浴びの際にも何かあったのか、しばらく様子がおかしかった。
(もしかして、エレナはアキト様のことを……?)
だから、彼に聞かれないようにこんな場所で相談を?
「そ、それって――」
焦燥感に駆られ、一歩踏み出して問い質そうとする。そこでエレナはようやくこちらを振り向き――
身を乗り出した私を抱き留め、顔を寄せ……唇と唇を重ねた。
「……!?」
「んん、ちゅぷ、ちゅる――」
エレナの柔らかい唇が、私のそれを貪っていく。途端に顔が真っ赤になり、驚きと恥ずかしさとで身体が硬直する。地に足がつかない。
その衝撃の隙をついて……何かが唇を割り開いて侵入してきた。
(何、この感触……小さくて丸いものが、口の中に……。……! 何か、飲まされた……!?)
唾液と共に口の中に流し込まれたそれを、耐え切れずにゴクンと呑み込んでしまう。何か、決定的にまずい、もう手遅れのような予感を覚えながらも、必死に頭を働かせる。
(飲まされたのは、何……? 薬……丸薬……? だとしたら、どういった効果の……?)
そこでようやく、エレナが私を解放する。唇と唇が離れ、忘れていた呼吸を再開する。上気し、頬を染めたまま、私はその場に力なくくずおれた。
「んふふ。姫様の唇、奪っちゃった」
楽しそうに笑うエレナを上目遣いに見る。その表情は、これまでの旅で見慣れたものと変わりのない快活なものだった。今はそれが、この上なく恐ろしい。
「エレナ……どうして、こん……な……?」
最後まで言い終わる前に、強烈な眠気が襲い掛かってきた。視界が狭まっていく。頭がグラリと揺れ、被っていたベールが地面に落ちる。もしや、これが薬の……
次第に遠のく意識。なのに聴覚だけはまだ働いていた。彼女の弾むような声を最後に、全ての感覚が消失していく。
「それじゃ、ザッハーク様のお城にご招たーい。楽しみにしててね、姫様」




