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マルボロを吸う

作者: 美輪ゆう夏

八月が苦手になってから、もう数年が経つ。

自律神経が乱れ、情緒不安定。恒常的に無気力で、普段の睡眠時間の1.5倍以上寝ないと身体が動こうとしない。

脳が覚醒しきれないのだ。覚醒しそうな手前で瞼が重くなり、呼吸が深くなる。そんな状態が八月には、3日から1週間ほど続く。


この、極めて不愉快かつ自分ではどうしようもない状態が、単なるホルモンバランスの乱れだけではなく「お盆」に所以するかもしれないと気付いたのは、革新的なことであった。


お盆。死んだ誰かを生きている誰かが供養する(と、わたしは認識している)行事。浄土にいるとされる祖先を迎え火を焚いて招き入れ、送り火を焚いて送り出す。


漠然と、しかし確実に、「死」と言語化される物事が身近になるこの時期を、拒絶しているのかもしれない。

身体が、というよりも、心が。あるいは、脳が。

「死」と言語化されたそれと必要以上に近付かないで済むように、思考をシャットダウンしている。身体機能の働きを最小に制限している。そう考えるとすべて納得がいく。


意味もなく泣き出したくなる、あの動悸も。

突然、何かに怒りたくなる、この衝動も。


「まいっている」という表現が合うかもしれない。

真夏の外気にまいることがあるように。

「お盆」に、まいっている。「死」に、まいっている。


この現象は、Nと呼んでいた友人がしんだ、その年の夏から続いている。


Nは一言でいうと「心優しき自殺志願者」だった。

細身で小柄で、切れ長の目をしていたN。人の心の動きに繊細で、人の痛みに敏感で、その人が一番求める言葉をかけてあげられたN。

いつもタバコを吸っていて、声を出さずに息だけで笑う人だった。


「なんで俺がタバコ吸ってるかって言うとさ、早死にしたいからなんだよね。肺癌になって、若いうちに死んじまいたいね。」


でも、そういう人間ほど、案外長生きしちゃうもんなんだよなぁ。

そう言って笑いながら、煙と一緒に皮肉を吐いていた。

わたしは、長生きしてよね!なんて、てきとうに返事をした。と、思う。


しかし、それから間も無くして、Nは本当にしんでしまった。


交通事故だった。本人の望んだ結果とは、大分、異なる仕舞いだっただろう。


それからというもの、八月に、まいってしまう。


Nがしんでも、「日常」とはあまりにも普通に進むもので、わたしは昨年の秋に彼氏と同棲をはじめた。ひとりで過ごす八月よりも幾分かはマシな八月を過ごせるかもしれない。そう期待していたのだが、結局、それまでと何も変わらない八月を過ごしていた。


無気力で、非活動的で、怠惰で……あぁ、まいったなあ。


Nがしんでから数年が経つ。Nがしぬ前の日常は戻ってこない。Nの遺族でもないわたしが何故、毎年毎年、こんなにもまいっているんだろう。こんなにまいるくらい、Nを愛していたのだ。生きている時は気付かなかったけれど。なのに、どうして、わたしは…


意味のない自己嫌悪の波にのまれる八月を何度か繰り返すうちに、わたしはついに、Nより年上になってしまった。


今ではもう、しんだNについて思い出せないことの方が多い。

何を話していたか。何が好きだったか。何を食べてたっけ。何を一緒にしたんだっけ。わたしはどんな存在だったんだ。わたしは、親友だと思っていたのだけれど。親友だった、はずだけれど。


親友だったN。親友だと思っていたN。


それなのに、親友であるNがしんでから数ヶ月の間、わたしはそのことを知らなかった。知ろうともしなかった。


Nとは親友だと思っていたのだ。わたしは親友だから、日々連絡を取らなくても分かり合えていて。わたしに連絡がないのは、元気な証で。そう信じていたのだ。


実際には、そうであって欲しいと望んでいたのは、わたしだった。

そう気付いた瞬間が、いちばん悪かった。


自責の念は、決して得られない答えに対する認知を複雑化する。

Nがしんで悲しいという事実だけを悲しめばいい。そう頭では理解している。大切な友人を失った喪失感と無力感にだけ、泣けばいい。


しかし、己の不甲斐なさに泣く理由を求める脳が、感情が、「Nがしんだのはわたしのせいだ」と、思考回路と認知を歪めそうになっていく。

Nのいない八月を、繰り返すたびに。


事実、Nがしんだのは、間違いなくわたしのせいではない。


交通事故だったのだ。間違いなく。交通事故で。


いったい、何トンの重さに轢かれたのだろうか。


そんなことを、ぐるぐるぐるぐると考えて、考えて、考えすぎて、まいってしまう。どうしようもなく歪んだ認知により生み出されるこの八月を、繰り返し繰り返し、望んで過ごしていた。


8月13日、木曜日。暑さとだるさに相まって、木曜日の疲労が身に染みる朝だった。


感染症、大火事、暴動、爆発、海洋汚染…きっと100年後を生きる人類は「2020年は世紀末だった」と書かれた教科書で歴史を学ぶんじゃないだろうか。


夢現、そんなことを思い浮かべながら天井を見ていたら、有機物が焦げる臭いを嗅覚が感知した。

築50年近い木造建築には、外気が滑り込む隙間があるらしい。発生源を特定すべく、慢性的な頭痛と肩凝りにやられた首を起こし、窓の外に向けた視線の焦点を合わせる。

光を遮断するカーテンの隙間から見えたのは、隣家で焚かれている迎え火であった。


円くて少し分厚い、焦げた陶器のような皿の上に、焚き火のような形に並べられた火のついた木製の細い管があった。後に調べたところ、これは「麻がら」と呼ばれるらしい。麻がらは、ボウボウと燃えるのではなく、細い煙をゆったりと、真っ直ぐと、青空に向けて立ち上げていた。わたしの眼にはそれが、吸いかけのタバコのように見えた。


その時、何かを突き動かすような衝動があったわけではない。ただ、なんとなく、それまでだるくて仕方なかった身体が勝手に覚醒しはじめた。


布団から這い出し、手近にあったTシャツに袖を通す。ジャージのズボンを履いて、コンビニに向かう。

自動ドアをくぐり、効きすぎた空調に身体中を冷やされる。レジで番号を述べ、赤のマルボロを手に取る。熱の篭った地面に目を細め、咥えたタバコに火をつける。


これは、あの子が。これを、生きてた時に…


苦い煙を肺の奥まで吸い込むと、鼻の付け根にツンと染みて、ツン、はそのまま涙腺に伝わった。


鉄の塊に轢かれて死ぬのは、痛かっただろうに。

そんな思いして死んじゃうくらいなら、苦しまないように殺してあげても、良かったんだよ。


タバコの煙のせいにして、溢れ出てくる涙をそのまま垂れ流す。


きっと、迎え火なんて焚いたって、わたしのところには帰ってきてくれない。帰るとしたら、血の繋がった家族の待つ、空気が綺麗で涼しいご実家だろうと思う。


でも。だけど。


タバコ、吸いたくなったら、いつでも遊びにおいで。


そう声に出して呟きながら、煙を吐き出す。長く、深く、途切れてしまわないように。


コンビニから出てくる生きている人たちとすれ違う。スーツケースを引いた若者、汗だくのサラリーマン、虫かごを持った小学生。

みんな、帰るべき場所に帰っていくのだろう。


帰っていくのだろう。ひとりで。


さようなら、N。また、いつか。

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