第三話
リオが住んでいるヒナシの長屋は村に流れる川の下流にある。
そこは村はずれの地域と言ってもよいところで、村民と言い難い曖昧な人間たちを寄り集めていた。
住んでいる人々も様々で、難民であり、戦士候補生だったリオや半人前の住人、行商、職人、異教の宗教者や、家畜剥ぎ、死体処理人etc……。
とにかく、どこか潔癖の気がある村の忌むべき点でありつつも受け入れなければならないアンダーグラウンドコミュニティーである。
ヒナシとは戦神レイの加護を受けず、象徴とされる焔をかき消す水路の傍に住んでいることからつけた名前、と長屋の大家は言う。
「けれども、この村の特異点となるのはきっとこのコミュニティーだとワシは思うのじゃ」
と続ける大家のご老人の目はランランと輝きを示していた。
野心の焔というべきか。
☆ ☆ ☆
コンクリートで舗装された道路など村にはない。
均されすべり止めを設けられた大通り、広場と祭祀場に続く坂道が公共道路と言って差し支えないだろう。
どの道にせよ、手足は埃にまみれる。今は雨で泥が付いている。
リオは長屋に戻ると、桶に水を汲んで自室に持っていくと泥や土を落とし乾いた布でふき取った。
桶の水を外に流していると、その音で隣室の女将が戸を開けた。
「帰ったのかい、ボウヤ!」
女将の声にリオは不意をうたれて桶を転がす。
「あーあ。何してんのさ」
「だって大声で驚かすもんだから……」
「驚かすですって?ふん」
と鼻を鳴らした後に言う。
「そんなことより腹減ってないかい?米と魚が余ってるんだ。この雨だとウチのは帰ってこないだろう」
「いや、俺は腹は……。」
「雨音でよく聞こえないね」
「いただきます……」
とリオは断り切れず苦笑しながら、隣室に入っていく。
リオは女将のことをせっかちで押しの強い人だと記憶していた。
また面倒見のいい人で、強かな人でもある。
生活用品や大工道具が所せましと詰めてある部屋の中にお邪魔するリオ。
「リオ兄ちゃん臭くない?」
「ホントだ、酒臭い」
リオは、女将の子供に張り付かれながら御相伴にあずかっていた。
「メイちゃん、ジュンちゃん、ちょっと重い」
「「お駄賃代わり」」
そういわれてしまうと、断ることはできないが、こぼしそうで恐ろしい。
リオはプルプルと腕を振るわせながら汁を掬おうとする。
「あまり、困らせるんじゃないよ。食事の席にお戻り」
と、女将が言うと二人ははぁいとかわいらしい声を上げて、離れてくれた。
舐められているのかなつかれているのかの判別がリオにはつかない。
女将が手を出すと、リオは慌てて少し食っただけの茶碗を渡す。
女将はモリモリと米を持って返した。
「腹は減ってたんじゃないのかい?」
「あ、これはその、途中でヤサカさんに誘われて」
「旦那みたいなこと言うんだね。」
リオは苦笑する。酔っぱらって間違えて開けてくる主人にはたびたび苦労している。
「あんたにしちゃ珍しいじゃないか」
「まぁ、そういう気分だったというか……。」
「ふぅん」
女将は箸で丁寧に魚をほぐして身を食べやすくする。
子どもたちはそれを突っつく。リオの分は、遠慮がちな彼のために大きく最初に取り分けていた。
「ダメだったのね」
「よくわかりますね」
「分かりやすいからね、アンタは」
そんなに表情に現れているかと考えたが、苛立ちを別に隠そうともしてはいないことに気が付いた。
塩辛い漬物を口に入れると、ご飯をガッーとかきこむ。
口いっぱいに食い物を詰めるリオを見てため息をつく女将。
「食べ物を嚥下できない位、口に詰める癖も変わらないね」
「……」
「アンタ、これからどうするんだい?戦士の仕事、続けるのかい?」
「ヤサカさんにも同じことを言われました。とりあえず故郷に戻ってから考えます」
「そう」
「そのあとは、まぁボチボチと」
女将はフンと鼻を鳴らす。
「旦那と同じようなことをいうね。ボチボチ。」
「立身出世をしようとして道を閉ざされた形になりましたからね」
「戦神さまは結局、身内びいきなのさ。あるいは線が太い男を好んでいる」
「否定できないですね」
「戦争には人を多く集める必要があるけれど、英雄を選り好んでいるようじゃ先がしれるね」
「純粋なんですよ、神は」
「そうかね。けど、あんたその純粋とやらで、鉄砲玉にされたんだろ?」
「……庇う必要ももうないですね」
リオは祭祀長のせいせいとした顔を思い出した。
それから悪童二人の罵声、
何よりも戦場で背中を合わせて戦ったこともある教官に、転がるゴミをみるような冷たい視線を向けられたこと。
リオは一瞬、顔をしかめ、憎悪の気色を際立たせる。
子どもたちが他所に気を取られている僅かな間に。
(鳥を操るだけだって?けれど俺は剣をもって戦ったぞ?
身体には数えきれない傷があるのに、戦神は無視をしたんだ)
リオは愛の鞭と称してシゴキをする教官を思い出した。
教官は事あるごとに叫ぶ。
「戦場では地位もなく、人種もなく、意思もなく、ただ駒として、戦神の、正義の御剣の切っ先となれ」
大層なスローガンをかかげ、半人前だろうが、一人前だろうが、変わらず鼓舞をしつづけた、
戦場で体を切り裂かれ、半人前の兵士たちに担ぎ込まれたこともある、
あんたまで、そんな顔をするのかと。
リオは赤面し、煮えくり返る腹の内を誤魔化すために口の中にご飯をかっこんだ。
女将はフン……と鼻を鳴らす。
「汁、まだ飲むかい。」
答える前にもう追加が注がれている。
リオが飲んだ後に、女将は切り出す。
「故郷、そこそこ遠いんだろ。」
「そうですね、戦神の目が届かない位」
「フン……。そこまで行くルートまでさ、行商をしなよ」
「でも経験ないし」
女将はフンフン、鼻を続けて鳴らす。それから息を吸い込んで続ける。
「それなら、護衛でもいいから、ボチボチ行くにしても身一つで行くのはリスクがあるし、
ここの人間関係をよく利用して、しっかりやるんだよ」
「……いいんですかね」
「戦神は八眼をあたしたちに向けようとはしないけど、アンタはこの村に恩を売っているんだ。
半人前と侮られようがね。一本の剣、一抱えの銀貨……。それくらい受け取る価値はあるさ」
女将の言葉にリオは頬を緩ませる。
窓の外では相変わらず雨が降っていたが、その暗雲の隙間から一筋の光明が差し込みはじめていた。