1‐1 空飛ぶ女子高生
これはまだ人が飛行機を操縦していたころの話
沖縄県本島から南南東約150㎞の上空。
旅客機の客席からのぞく窓とは比較にならない広い視界、雲一つなく空の青色と海の青色の境界線が遠くまで見える。
が、今の岡野さくらには景色に見とれている余裕はない。
酸素マスクから送り込まれる乾燥したエアーで喉が少し痛む。
近くにいる別の飛行機はないと通報はあったが、目視で確認を行う。
左右、後方、下方と周囲を見渡すといつもながら気分が悪くなる。
最高の景色のはずなのに、もったいない。
さくらは目の前の計器盤に目を走らせ高度、速度、方位を確認してからじっくりと右手の操縦桿を手前に引いていった。
小型のジェット機は上昇を始め、体がシートに押し付けられる。姿勢指示器に目を向けると機体が垂直に天に向かっていることを示している。太陽のまぶしさに目を細めながら、さらに操縦桿を引き続けると飛行機は宙返りの頂点に達した。
目の前の光景は空と海とがひっくり返っている。風に流されたのか頂点通過後に狙っていた方位が右にずれている。宙返りが終わった時に開始時と同じ方位になるよう修正をかける。
「180に合わせる・・・パワーを引いて・・・」
飛行機は真下に向かって降下していく。そのままだとスピードが出すぎてしまうので、左手のスロットルレバーを引いてエンジンの回転数を下げる。
計器の情報を得ながら操作を続けつつ景色で自身の姿勢も確認するため目と頭を絶えず動かしてクロスチェックする。
“うっぅ”思わず吐き気がこみあげてくる。
ひどい時よりはマシなくらいだ。吐き気に耐えていると飛行機は水平飛行にもどるための引き起こしでGにさらされる。
Gで体の重さが約3倍になるなかで最後の修正をして水平飛行に戻る。ふっと息を吐く。汗にまみれて不快な気分に一瞬、気を取られるがまだ訓練の途中であと2つアクロバット飛行が残っている。
「次、バレルロールいきます」
「はい」
後席に乗っている教官からの返事を受けて、次の機動に向けて準備をする。
快晴の空の下、海鳥が数羽風をとらえて浮かぶように飛んでいる。日差しを受けた白い照り返しのコンクリート面の奥に羽を休めている大、小の旅客機が一機ずつ見える。
ここ沖縄本島と宮古島との間にに浮かぶ島、中海島と呼ばれる島の空港に春の観光シーズンで島を訪れる乗客を乗せた旅客機が着陸へ向けてゆっくり高度を下ろしながら近づいてきた。車輪が滑走路に接地するとタイヤから白い煙があがる。
すぐさま滑走距離を短くするための逆推力装置が作動しゴーッとエンジンから轟音が響く。
旅客機が空港ターミナルに向かって滑走路から離れると、今度は一機の小型機が着陸し停止せずそのまま離陸、上空をぐるっと回って再び着陸の動作をするタッチアンドゴーと呼ばれる飛行を3回繰り返した。
滑走路を挟んで空港ターミナルビルの反対側にも小型の飛行機が整列されて置かれてあるエリアがあり、タッチアンドゴーを終え着陸した飛行機がその駐機場に入ってくると、待っていた整備員が両手をクロスする合図を送ったところで停止した。
まるで鶏の卵に翼を取り付けたようなプロポーション、白地に赤色で施された派手な塗装、主翼の両端には燃料タンクを付けている独特な形状の小型ジェット機はアメリカ海軍で使用されていたT-2Cバックアイを一部改良した練習機だ。
この飛行機は二人乗りで進行方向対して前と後ろに分かれて操縦座席が設置されている。
その前席でさくらはコックピットを覆うキャノピーを開き、整備員が車輪止めをしたという手信号を確認して両手を外に出す。五本の指を開いたまま手を振り払う様に動かしてからエンジンの出力を調整するスロットルレバーを左手で一番手前まで引くと甲高いエンジン音がヒューンと静まりエンジンが停止した。
ヘルメットのバイザーを上げ、酸素マスクを外すと初夏を思わせる温かい風と潮のにおいが頬をなでる。ヘルメットを外し汗でぺちゃんこになった髪の毛をかきあげると少し気分が楽になった。
この飛行機での飛行訓練が始まりヘルメットを被るようになってから、さくらは髪を短くし以来ずっとショートボブにしている。寝癖を縛ってごまかす技は使えなくなってしまったが、思った以上にしっくりきてもっと早く短くしても良かったと感じている。
身体と機体とを結び付けていたベルト類を外すと、さくらは足をシートの上にのせて立ち上がる。
この飛行機は自力でコックピットから乗り降り出来るよう設計されていて、コックピット左側胴体にSTEPと書かれた部分に左足を入れるとパネルがもぐりこみ足がかけられる。同じ要領で斜め下のSTEPに右足をかけて機体から降りる。
両足を地面に着けてから少しふらついて踏みとどまる。胃の中から出できそうなものを飲み込んで整備記録にサインをする。飛行をやっと終えることができたが、酔いが治まるまで少しかかりそうだった。
「大丈夫か?いつもながら顔色が悪いな」
苦笑いして後ろから声をかけてきたのは後席に乗っていた教官で、振り返る動作でも結構辛いんだよなと思いつつ教官に向かい
「ええ、なんとか」
とかろうじて返事をする。これも夢のためなのだから!と
駐機場の目の前には格納庫があり、その隣の建屋にさくらは少しもたつきながら歩いていった。
さくらはその建物の中にあるブリーフィングルームで先ほどのフライトに関する資料を開き内容を振り返っていた。酔いも治まり頭もさえてきた。なんでいつも飛行中はコンデションが悪いのか、自分の体質を恨まない日はない。
そこに、教官がに入ってきた。
「よろしくお願いします」
さくらが席を立ち一礼をするとさくらのむかいまでやってきて
「キツそうだったな。いけるか?」
と聞かれて「はい」と答える。正直、全快まであとちょっとだが。
この教官は早船雅史といい、さくらの担当飛行教官となったのはT-2Cの訓練へ移行してからだ。
早船が席に着いてから、さくらも着席してデブリーフィングが始まった。
デブリーフィングとは飛行後に行われ、飛行内容の問題点や反省点を洗い出し次の飛行への課題を確認するもので、逆に飛行前に行うのをプリブリーフィングという。
「今日の空中操作ですがインメルマンターンは・・・・」
訓練で実施した起動に関する反省点と改善点を報告すると、早船からは操作に関するアドバイスと実施課目以外の点で出来るはずのことが出来ていなかったと手厳しく指摘されて冷や汗を流しながらデブリーフィングを終えた。
早船が退室すると、ふ~っと息を吐いてから、ぐだーっと机に伏せて、はぁ~っとため息をつく。
毎度のことながらデブリーフィングがなければ、もっと気楽なのに。訓練の度に凹むこともないのになと思ってしまう。
机に伏せたまま、やる気を起こすまであと二分このままでいようと考えていると。
「大丈夫?もしかしてゲロった?」
と声をかけられた。
いつもこのネタでからかっているとしか思えない主の声で怒りの感情の方が上回るまで1.2秒。
がばぁっと体を起こして、そいつに向かって瞬間的に思ったことを言ってやる
「リバースしてないから!我慢できたし!心配してるの?バカにしてるの?どっち!?」
「心配の方だけど。大丈夫?って聞いたし。むしろいきなりキレちゃって、そっちが心配」
まったくこのヤロウ・・・・言い返す言葉が見当たらない。とりあえず
「キレてませんから」
と返しておく。
このニコニコした顔でムカつくことを言ってくる同い年の男子の名は高橋昇二。自分と同じ飛行訓練を受けているクラスメイトだ。
同い年の、クラスメイトで、男子である。
「いや、明日のフライトの参考に何でミスって注意されたか教えて欲しくてさ」
「言い方!ていうかもうホームルームがあるからそんな時間ないって」
ホームルームである。
「部活の後で少しだけ、な?」
部活・・・もうお分かりいただけただろうか。
私たち、高校生です。
イラスト:ゆいちる
第一話をご覧いただきありがとうございます。
今後、とても不定期になりますが完結目指して投稿して参りますのでよろしくお願いします。