約束 後編
部屋の中は女性の悲鳴と血の匂いで充満していた。
女性が天井から吊るされた状態で、手足をカミソリで切られて血を流していた。
それを行っているのは女であった。
「どうしてこんな事を。。」
「決まってるじゃない。あなたのためよ」
「どうして私のために私自身が傷つけられなければならないんですか?」
「傷つけられる事があなたのためになる事なの。そして、私のためにもね」
「そんなのわかりません」
「理解出来ないの?こんなにあなたのためを思ってやっているのに」
「助けて下さい」
「助かるわよ。私の糧として生きられるんですもの」
「嫌。。嫌だ」
「聞き訳のない子だね。もういいわ、楽にしてあげる」
女はすぐ側に置いてあった剣を持つと女性の胸を貫き、女性は息絶えた。
血は剣を伝って女の手に流れ落ちる。
女はその血を舌で舐めると顔にゆっくりと塗っていく。
「まずまずね」
女は満足そうに微笑んだ。
☆☆☆
帝国首都ハーフェンの隣町ドナウゼンはハーフェンとフェルデンに挟まれた土地で初代皇帝ミカエル出生の地でもあった。
人口は三万五千人ほどで山に近く住民の多くは鉱山から取れる鉱石を売買して生計を立てている。
このドナウゼンを舞台に事件が起きたのである。
事件の発端となったのはファビアン・ホルトという人物であった。
元々はロマリア帝国の役人としてキルス歴一〇八〇年にこの街に配属された兵士であった。
ドナウゼンの治安を守る職に就いたが、兵士の頃から性格はかなり好戦的であり、街で犯罪が起きると街の犯罪者狩りと称して部隊を率い、徹底的に叩かないと気が済まなかった。
そこで捕らえた罪人を自分の部下として付け部隊を大きくしていったのである。
その際に盗賊たちが持っていた財宝も全て独占し、その財力は地元の有志や貴族たちも無視できないほどになっていった。
相手が自分より弱いとみるや徹底的に叩きやり込める一方で、強い相手にはまったくの平身低頭で媚び諂うのが上手かった。
やり方はともかくファビアンの配属以降ドナウゼンの犯罪率は格段に減少したので、ハーフェンもこれを知りながら見て見ぬふりをしてした。
ファビアンはこの功績により二年たらずで少尉から大尉にまで昇進した。
就任から三年足らずの間に悪党から集めた金を使い、ファビアンはドナウゼンの県令にまで上り詰めた。
そしてギアラエ鉱山を全長五キロにも及ぶ壁で囲い、その中に一大鉱山都市ギアラエを作り上げた。
ファビアンは一般の市民の前では笑顔で良き県令を装っていた。
犯罪者を厳しく取り締まる一方で、ルーファス法によって迫害され貧しい生活をしていたユージット民族やネープ民族を助けた。
県令として人種差別反対を唱えて、仕事ない人たちに働く場を提供し、失業者の数は飛躍的に減少していった。
だが、それは表向きの事で、実際にはギアラエ鉱山都市に安い賃金で労働者を手に入れるための手段であった。
ギアラエ鉱山には金が比較的多く取れる採掘場があった。
金の他にも鉄や銅などが採掘されるため、ファビアンに雇われた人たちはこの鉱山で昼夜を問わず労働させられた。
こうして安い労働者を増やし、採掘された金を横領して自らの懐を肥やしていった。
雇われ他人たちがこうした低賃金での重労働に気がついた時はすでに時遅しであった。
ギアラエ鉱山都市内はドナウゼン在中軍によって完全に守られており、一度労働者としてこの街に入った者は生きて出られる事はなかった
そんなある日、ファビアン怪しさに気づき始めていた女性が直訴した。
「私たちに何が不足しているのですか?昼夜を問わず労働させられて睡眠もろくに取れずに金や鉱石や採掘しているのに、取れた金や鉱石はどうしているのですか?私たちに何ひとつ対価として還元されてないように思われます」
「何か思い違いをしているようだが、ここで得た資金は新たな労働者を獲得するために使用しているのだ。この世の中の困っている人たちを救うためのな」
「私たちとて困っておりますが、救われておりません。新たな労働者獲得に使うお金はあって、今こうして働いている労働者たちに支払う賃金はないのですか?」
このひと言にファビアンは本性を垣間見せた。
「図に乗るなよ低俗どもが。お前たちのような輩を拾ってやって働かせてやっているだけでもありがたく思え」
ついに本性をあらわしたなと女性は思った。
「私たちが次々と過労で倒れていく中、高価な服と宝石に身を包んで、豪勢な生活をなさってるようですね。ようやく目が覚めました。私はうわべだけの善意や施しに騙されていたようです。せめて働いた分だけの給金と適切な休養を与えて下さい。さもなければハーフェンに出向いてこのギアラエの内情を全て話します」
「皆の者、この女は錯乱した。捕らえよ」
「何をするのですか!」
「お前の考えと存在は危険だ。他の労働者たちに悪影響を及ぼす前に始末する」
「な。。」
「カランドロ、連れていけ」
「かしこまりました」
「誰か。。誰か助けて。。」
カランドロと呼ばれた男は本名コールネリオ・カランドロといい、ファビアンの右腕的存在の副官で、儲けのおこぼれをもらっている小判鮫で忠実なるしもべでもある。
女性ら助けを求めたが、その声も悲鳴も誰の耳にも届くことはなかった。
みんな見て見ぬふり。
明日は我が身なのである。
「馬鹿な女よ。己の立場と分をわきまえておればそれなりの生活が出来たものを。知らなくてい事を知り、言わなくていい事を言ったばかりに命を落とす事になりおった」
翌日、心臓を木の杭で打たれ、全身を切り刻まれた女性の遺体が布に包まれて炭鉱内に埋められた。




