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(1)ここはどこですか?

 ぷしゅー、とどこか気の抜けた音をして、電車のドアが閉まる。


(よかった、間に合った……)


 肩にかけていたバッグを正面に抱え直し、木瓜(きうり)ゆめは乱れた呼吸を整える。ゆっくりと動き出した車窓には、曇天の空とマンションや家並みが流れていく。

 その景色をなんとなく眺めながら、そっとあくびを噛み殺す。


(やっぱり、十二時から動画見始めちゃったのは、無謀だったな……)


 昨夜の行動を思い返し、反省する。何気なく開いたユーチューブで昔好きだった芸人のチャンネルを見つけてしまい、気がついたらもう、三時近くになっていた。時間はなぜこうも無常に過ぎていくのだろう。


 がたん、と電車が揺れ、どん、と背中を押される。とっさにドアに手をつき体を支える。


 満員電車の中、どうにか自分の立ち位置を確保する。今日はぎりぎりに乗り込んだせいか、ドアの前の一番混み合う場所になってしまった。


(まだ、月曜日だもんなぁ)


 普段乗る車両と違うせいか、いつも以上に電車は混んでいる。月曜日の朝からこれでは、一週間の体力が心配だ。


(今日は早めに帰って、ゆっくりしよう)


 ぼんやりとそんなことを思いながら、外の景色を眺める。


(ねむ……)


 抑えきれないあくびに慌てて下を向く。

 そのまましばらく電車に揺られていると、どっと人が降りてはまた乗ってくる。何度かそれを繰り返し、新宿駅まで着くとようやくドア横の席に座れた。


(あと、何駅もないけど……)


 ほっと息をついたところで、くあ、と大きなあくびが出そうになる。口元を手で隠して、膝上のバッグを抱え込む。とん、と座席横の半透明の仕切り板に寄りかかる。


 車内には、たたん、ととん、と電車の走行音がかすかに響く。振動が心地よく、自然とまぶたが落ちてくる。

 寝不足と満員電車の疲れもあって、そのまま眠りにつくまで数秒もかからなかった。



 × × × × ×



 がたん、と電車が揺れて、ふっと意識が浮上する。ごー、とうなる音がまどろむ意識の外、どこか遠くに聞こえる。

 覚醒し切らない頭でしばらくぼんやりしていたゆめだったが、不意にはっとなる。


「しまった、今、ど、こ……?」


 言いかけた言葉は中途半端に宙を滑る。

 がたん、ごとん、と車内には低い音が響く。LEDのライトが照らす車輌の中は人気がなく、ひどくがらんとしている。


「え?」


 一瞬、理解が追いつかず、座ったまま、もう一度周りを見回す。


 途中駅で多少入れ替えはあったものの、満員だった電車の中に、今は誰もいない。

 とっさに外を見る。窓の外は暗く、何も見えない。


 ドアの上の液晶モニターを確認する。路線図と思しき線の先には、ひとつだけ表示がある。ただ、その文字は文字化けしていて読めない。


「え、どういうこと?」


 ふ、とそれまで続いていた低い音が途切れて、ぱっと車内が赤に染まる。

 後ろを見れば、窓一面に燃えるような夕暮れ色の空と海が広がる。


 バッグを肩にかけ、ドアに駆け寄る。窓から外を覗き込んだ。


 十両編成の電車は、海岸線をたたん、ととん、と軽快に進んでいく。夕暮れ色に照らさる車両の後方には、ぽっかりと空いたトンネルが見える。


「今って、夕方だっけ?」


 時刻を確認しようと、トレンチコートのポケットからスマートフォンを取り出す。その手がふと止まる。

 本来、時間が書いてあるはずのその場所は、文字化けしたような文字列が並んでいる。


「え、何これ?」

『まもなく終点、⌘※@%⁂‡、⌘※@%⁂‡です。お出口は右側です。今日も、⌘※@%⁂‡鉄道をご利用くださいまして、ありがとうございました』


 こぼした声に重なるように、終点を告げるアナウンスが流れる。

 急速に速度を落とした電車の中、窓の外に視線を向ける。


 海と森のはざま、白い砂浜にぽつんとホームが設置されている。森との境界に置かれたホームに、静かに電車が滑り込んでいく。


 完全に停車すると、ぴこーん、ぴこーん、と気の抜けた音が背後から聞こえてくる。振り返れば、ゆっくりとドアが開くところだった。

 その向こうに広がるのは、燃えるような夕暮れ色を重ねたフォレストグリーンの森。


 顔を正面に向ける。

 目の前には、ファイヤーレッドの空と海。かすかに揺らぐ水面がオレンジに光る。


「ここが、終点?」


 そう言いつつも首を傾げる。電車内に差し込む赤が、ゆめ自身も赤く染める。


「ちょっとちょっと、お客さん。早く降りてくれませんかね?」


 不意に、下から低い男性の声が聞こえた。


「え、あ、すみませ……ん?」


 とっさに謝罪の言葉を口にして、下を向く。視界に飛び込んだその姿に目を丸くする。


「……猫?」


 そこにいたのは、小学校低学年くらいの背の高さの、ロシアンブルーみたいな猫だった。しっかりと二本足で立ち、グレーの艶やかな毛並みの体に、車掌の制服をきっちりと身につけている。


「お客さんが何を言っているかは、わかりませんがね。早く降車してくれないと、私も帰れないのですよ。いや、今日は下の娘とショッピングに行く約束をしてましてね。この子がまた、パパ、パパ、って私にべったりで可愛くて。上の娘は反抗期で避けられてるから。いや、もちろんどっちの娘も可愛いですよ。いやいや、私の話はどうでもよくて……」


 車掌猫はそう言いながらも、家族の話を続けている。混乱する頭で、マシンガントークを繰り広げる車掌猫を見つめる。正確にはぴんと髭を弾く、その手元を。


「えっと、とりあえず肉球を触らせてもらってもいいですか?」

「いやいや、なんでそんな話になるんですか。いいわけないでしょう」


 そう切り返した車掌猫は警戒するように、ぶわ、と全身の毛を逆立たせる。


「それよりも、お客さんで乗客は最後なんです。ほらほら、さっさと降りてください!」


 猫耳を後ろにそらしたままそう続け、ふにふに、と背中を押す。


「わ、わ、ちょっと待ってください!」


 そのまま、ぐいぐいとドアの前まで追いやられる。ホームと電車の境にあった隙間を慎重に踏み越えて、ホームに降り立つ。その背後で、ぷしゅーとドアが閉まる。


 振り返れば、ドア越しに車掌猫のブルーの瞳と目があう。

 車掌猫は口角を上げると、優雅にお辞儀をする。


『またのご乗車をお待ちしております』


 赤く照らされる電車のホームに、車掌猫の低い声が反響する。

 ゆっくりと動き出した電車は、唐突に目の前から消えた。


「え?」


 驚いてホームから身を乗り出して、電車の進行方向を見る。途切れた線路はどこにもつながっていない。

 線路の反対側を確認する。電車が出てきたはずのトンネルはどこにも見当たらなかった。


「なにこれ、どういうこと?」


 線路越しのホームの目の前に広がるのは、スノーホワイトに輝く砂浜、スカイブルーの空とコバルトブルーの海。静かに揺らぐ波間が白くきらめく。


 どこか粘つく潮風が、ショートボブの黒髪を揺らして、頬を撫でていく。

 肩からずれたバッグを直そうとして、スマートフォンを握ったままだったことに気づく。ロック画面に表示されているはずの時刻は読めない。


 顔を上げれば、どこまでも続く青い空と海。遠くにうみねこの鳴く声がする。


「……新木場のホームって、こんな景色だったっけ?」


 呆然とこぼした声が、潮風にさらわれていった。

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